第44話 第三話『奇妙な事実』第十六回
「そうですか、また歌っていただけるんですね。さぞ皆さんも喜ぶと思います」
俺たちの申し出を、館川は終始にこやかな表情で聞いていた。気のせいかほんの少し頬がこけ、老けこんだように見えた。是枝夫妻の逮捕がこたえているのかもしれなかった。
「この前と違って小編成なので、リハーサルも短時間で済むと思います」
涼歌が俺といるときは見せないような、満面の笑みをこしらえて言った。
「それは助かります。曲目は決まってるんですか?」
涼歌は「ええと……」と言い淀み、俺に助けを乞う眼差しを送ってきた。
「ロックをやります」
「えっ」
館川と凉歌が同時に声を上げ、意外の念に打たれたという表情で俺の方を見た。
「プレスリーとか、ビートルズとか、比較的お若いお年寄りの中には、若かりし頃にアメリカやイギリスの音楽に親しまれた方も多いと思うんです。……ですから、たまにはいいんじゃないでしょうか」
涼歌が「あたし、知らないよ?」という目で俺を見た。俺はにやりと笑って見せた。どうせ昔の歌謡曲だってろくに知らないのだ。この辺でロックの歴史を学ぶのもいいだろう。
「それも面白いかもしれませんね。……でもできれば、洋楽に疎い方のために日本の曲も一曲か二曲、入れていただけると助かるのですが」
「もちろん、それは大丈夫です。歌謡曲、演歌、GSのどれかは必ず入れますよ」
俺は力強い言い切った。すぐ傍から「勝手に約束しないでよ」という涼歌の冷たいまなざしが飛んでくるのを感じた。構うものか。バンド活動は俺の方が先輩だ。
「では、よろしくお願いします。利用者の方々には、私の方から告知しておきます」
館川は丁寧に礼を述べると「すみません、今から介護器具の業者が見えられるということなので、この辺で失礼します」と言い置いて席を立った。
「介護器具ですか。わかりました。では当日、よろしくお願いします」
俺たちは深々と頭を下げた。館川の姿が消えるのを見届け、俺は席を立った。職員がいたら一言、辞去を告げようと隣のダイニングキッチンを覗き込んだ、その時だった。
「あらあー、おひさしぶりい」
テーブルを囲んでいた二つの人影が俺を見て歓声を上げた。セッちゃんと和江だった。
「お、お久しぶりです」
俺は二人の勢いに気おされ、後ずさった。
「今日はどうしたの?テッちゃんは?大佐は?」
たたみかけるような二人の口調に、俺は「いえ、今日はファンデイと二人で……」と言うのが精いっぱいだった。
「二人だけ?なあんだ……なんて嘘よ。こっちにいらっしゃいな。お喋りしましょ」
有無を言わせぬ強い口調でセッちゃんが言った。声を聞きつけたのか、涼歌が隣室から顔を出した。再び歓声が上がり、涼歌も俺同様に二人のお茶会の餌食となった。
「やっぱり若い子は何着ても可愛いわねえ」
「イズミさん、お痩せになったんじゃ、なあい?」
俺たちはかわるがわる質問攻めにあった。このままだと日が暮れるまで外に出られないかもな、そう思った時だった。ドアの外から漏れてきた声に、俺の耳は吸い寄せられた。
「いや、いくらなんでも、こんな大型の物は必要ありませんよ」
「そうでしょうか。もし万が一、倒れる人が出た場合、これなら指先の操作だけで抱えて外まで運び出せますよ。しかも操作は簡単で、ライセンスいらずです。近くにお年寄りしかいなかった場合でも、すぐに動かすことができます」
俺は「ちょっと失礼、トイレに行かせてください」と言って席を立った。この声には、確かに聞き覚えがある。俺はドアをそっと押し開けた。想像通りの顔が、そこにあった。
「あ、青山……」
俺の姿を認めた途端、天元はひきつった表情になった。傍らには二メートル以上はありそうな、用途不明のマシンがあった。俺はゆっくりと天元に歩み寄った。
「この間はお世話になりました、天元さん」俺はできるだけ慇懃な口調を作って言った。
「あ……お知り合いなんですか、泉下さん、こちらの方と」
館川が目を丸くして言った。俺は「ええ。昔、お世話になった方です」と言った。
「お久し……ぶりです、青……泉下さん。あ、あの、今日は商談がありますので、積もる話はまたこの次の機会にでも……」
天元はしどろもどろになった。俺はもう少し奴をいじめてみたくなった。
「これはどういった機械ですか?随分と大きいようですが」
「ええと、これはですね、介護用のアシストスーツです。普通はゴム式の身体に密着するスーツを使うのですが、これは重機のように乗り込んで操縦します。子供でも扱えます」
「ほう、子供でも、ね……」俺は改めてマシンを眺めた。背丈は俺の頭よりはるかに高い。おそらく二メートル半は超えるだろう。……二メートル半だって?
俺の頭の中で、何かがスパークした。そしてここ数日、つながらないままぐるぐると回っていたいくつかの断片が組み合わさり、一つの絵となるのがはっきりと感じられた。
「そうか。そういうことだったのか……」
「どうかしましたか?」ただならぬ様子を察してか、館川が気遣うそぶりを見せた。
「いえ、何でもありません……あ、天元さん、面白い話をありがとうございました。それでは、向こうで連れが待っていますので、これで……」
急に様子の変わった俺を不審げに見つめる二人を残し、俺はドアの方に引き返した。
ダイニングキッチンに戻ると二人組が「早いわねえ」と声をかけてきた。俺は思考を整理するのに必死で、「ええ」とか「まあ」とかいう曖昧な応対を返すのが精一杯だった。
「本当になんか変よ、ゾンディー。どうかしたの?」
「……いや、何でもない。ちょっとした考え事だ」
俺は自分の思考を反芻した。この想像は当たっているのか、もし当たっているのなら……
混乱しかけた俺の耳に、携帯電話の着信音が飛び込んできた。俺は「すみません、電話みたいです」と言って表示を見た。メールの主は、柳原だった。
『お前の言った通りだ。この数週間の内に、行方不明になっているホームレスが一人いる』
俺は『ありがとう。また連絡する』と返信を打つと、携帯電話をポケットにしまった。
やはりそうか。これで、すべてが繋がった。
〈第十七回に続く〉
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます