第43話 第三話『奇妙な事実』第十五回


「ソロ・コンサートだって?」


 俺が声を上げると、涼歌は「そんな大げさなものじゃないって」と顔の前で手を振った。


「この前、ファミレスで偶然、和江さんに会ったの。そしたら、また私の歌が聞きたいって言ってくれたの。手伝ってくれる?」


 和江と言う名前から容姿を思い出すのに、ややしばらく時間を要した。コンサートで『ひだまりハウス』に赴いた時、テーブルを囲んでいた三人組の老婦人の一人だった。


「本当はねえ、大佐に来てほしかったみたいなんだけど、入院してるらしいの。……で、お見舞いに行ったら、他の連中とファンディでやったらいいよって言われたんだって」


 涼歌は興味津々と言った表情で言った。そういえば、大佐は和江のお気に入りだったようだ。その大佐は今、腰痛で入院している。退院するまで、『リバイバルブート』は開店休業を余儀なくされていた。


「でも、哲也は都合がつくかどうかわからないぜ。俺はベースだから、歌手とベースじゃおかしいだろう。君がキーボードを弾きながら自分で歌えばいい」


 そう言うと涼歌はかぶりを振った。

「私、歌う時は歌に集中したいの。ピアノだったらピアノだけ。……あ、でもテツさんはセッちゃんが口説いてくれるみたい」


 セッちゃんもまた、三婦人グループの一人で、哲也のおっかけと化している。つくづく、自分には追っかけがいなくてよかったと思う。


「しょうがないな。で、いつなんだ」


「再来週を考えてる。……でも明日、館川さんから許可をもらいに行く予定」


 館川か。俺の脳裏に暗い記憶がよみがえった。是枝夫妻は警察に石塚殺しを自供し、拘留中だ。起訴されれば、裁判になって実刑を受けるだろう。まだ小さい子供がどうなるのか気になったが、俺にそれを知るすべはなかった。


「まあ最悪、哲也がだめなら俺がキーボードで参加してやるよ。下手くそだけどな」


「ううん、それはいい。たぶん私、歌っててバックのミスタッチが気になっちゃうから」


「初めから失敗するって決めつけるなよ。俺だって……」


 俺が子供の頃の得意曲を思い出そうとしていると、入り口の引き戸が開く気配があった。


「よう、景気はどうだい……あっ」


 入ってきた人物は振り返った涼歌と見つめあったまま、その場に硬直した。


「どうしてここに……?」


 柳原を見た涼歌は、俺に不審げな目を向けた。俺が奴と知り合いだという事実を、ある種の裏切りだと取ったのかもしれない。


「お友達になったのさ。……なあ、ベースマン」


 柳原がおどけた口調で言うと、涼歌はぽかんとした顔つきになった。予想していた態度と百八十度違う、フランクな物言いに拍子抜けしたに違いなかった。


「ああ、そうだ。ファンディ、ここに来るときのこいつは、刑事じゃない。ただのお客さんだ。しかもかなりマニアな音楽ファンだ。……もとはと言えば、君が二メートル半の怪人を探しに行けといったことが始まりなんだぜ」


 きょとんとしている涼歌に、俺はこれまでの経緯を説明した。涼歌は「ふうん、そうだったんだ」と一応、納得したかのような顔を見せたものの、肩のあたりにどこか警戒するそぶりを残していた。


「今日は何をお求めでしょう、お客さん」


「そうだなあ、ミディ対応のショルダーキーボードはあるかい」


「もちろん。ただ、掘り出し物はないがね」


 俺が言うと、涼歌が目を丸くした「キーボード、やるんですか?」


 明らかに意外そうな涼歌の表情を見て、柳原はにやりと笑った。


「俺が鍵盤弾いちゃ、おかしいかい。こう見えても、十六年ピアノを習ってたんだ」


「私より長い……」涼歌が珍しく言葉の端に口惜しさをにじませた。


「あんたもどうだい、この子のライブに飛び入り参加しちゃあ。……ただし、やるのは歌謡曲。聴衆は全員、七十歳以上の限定ライブだ」


「なんだそりゃあ。……面白そうじゃねえか」柳原は口元をねじ曲げるようにして笑った。


「ちょっと、ゾンディー、マジで言ってるの?……あ、この曲、聞いたことある」


 切り替わったBGMに、涼歌が素早く反応した。プロコルハルムの『青い影』だった。


「……ほう、随分と古い曲を知ってるんだな。見直したぜ」


「古いっちゃ古いわよね。バッハだもん」


 そこまで古くねえよ、と柳原が大笑いした。どちらも間違ってはいないのだが、これがいわゆるジェネレーション、ギャップと言う奴だろう。俺は愉快な気分になった。


「さあ、そうと決まったら子供は早目に帰ったほうがいい。親が心配するぜ」


 柳原は急に素に戻ると、少年課らしい言葉を放った。凉歌は馬鹿にされたように感じたのか、頬を膨らませて柳原を睨めつけた。


 涼歌が店を出ると、柳原は「この間の事件だがな、やっぱりまだマークされてねえ人間がいるんじゃないか?疑わしい連中をとっ捕まえて取り調べても、いまいち全体像が見えてこねえみたいで、捜査陣も行き詰ってるみたいだぜ」と言った。


 俺はしばらく考え、立ち上がると怪訝そうな顔をしている柳原を手招きした。


「実は、折り入って頼みがある。これから俺が言う事について、調べてみてくれないか」


             〈第十六話に続く〉

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