第2話 シー・ラブズ・ユー?(第二回)


 俺の名は泉下巡いずみしためぐる。年齢は三十五歳。ゾンビだ。

 ゾンビと聞いて諸兄はどのような印象を持たれるだろうか。


 生きるしかばね。人肉を食らう怪物。およそそんなところだろう。実際の所、俺自身の認識もそれほど違わない。イメージの出どころはホラー映画やゲームだ。それらの作品で描写されるゾンビは実におかしくなるほど似通っている。


 薄気味の悪い呻き声を発しつつ群れを成して歩き、生きている人間に手当たり次第に食らいつく。銃で撃たれても死なず、頭を吹っ飛ばされない限り何度でも起き上がる。オツムの中身はほぼないに等しく、団結したり武装して攻めてきたりはしない。


 ……とまあ、こんなところだろう。考えてみれば突っ込みどころ満載の存在だが、そうでなければ物語に貢献できない。架空の存在であるが故の怖さといっていいだろう。

 ではもし、ゾンビが現実に存在するとしたら、どのような形が考えられるだろう。


 映画やゲームではしばしば、ウィルスやら未知の宇宙線やらによって都合よく死者が甦る。特殊な存在故に、全滅させてしまえばそれでゾンビは地上からいなくなる。

 では特殊な存在でなかったらどうだろうか。つまり、なんらかの偶然が重なると、比較的簡単に死者が甦るという現象が実在した場合だ。その場合、映画やゲームの枠からはみ出すほどの「ゾンビ人口」が存在することになる。


そんなのおかしい、とあなたは言うだろう。ゾンビに襲われて壊滅した都市があったりしたら、世界的なニュースになるからだ。その通り、俺が知る限りそうした事実はない。


 なぜか。現実のゾンビは人肉も喰らわないし、生者に取って代わろうとも思っていないからだ。映画やゲームのゾンビと共通しているのは生ける屍であること、なかなか死ねないこと、体のつくりが生きている人間と大きく異なること、それだけだ。


 ではどういう人間がゾンビになるのか。これはまだゾンビの世界でもよくわかっていない。仮説としては体内に存在する、ある極小の粒子が瀕死の状態になった生体に働きかけ、ごく短い時間で身体の構造を作り変えてしまう、というものだ。


 この粒子は存在自体が確認されておらず、想像の域を出ない。おそらく生物と無生物の中間のような存在だろうといわれている。通常、体内に数億はいると見られているにもかかわらず、観察が困難なのは、肉体が瀕死の状態にならない限り決して活性化せず、眠ったままでいるかららしい。


そして個体がいったん「復活」すると、今度はそれまで生命を維持してきた組織に代わって粒子自体が肉体の主人になる。本来のボスである脳ですら、彼らの指揮下におかれることになるのだ。つまりゾンビとは、かつての人間とは別の「似て非なる別人」ということになる。皮肉なのは、ゾンビになった後も生前の記憶・思考が継続されることだ。


 手も足も、思い通りに動くし、やろうと思えば飲み食いや排せつだってできる。……だが、それらの生命活動を牛耳っているのは各々の臓器を支配している粒子なのだ。


 俺がそのことを教えられたのは、「生き返って」しばらくしてからだった。教えてくれたのは「先輩」にあたるゾンビだった。……そう、知られていないだけで、実は「生ける屍」になる人間は結構いるのだ。ある研究者によると、五千人だか一万人だかに一人の割合で、「死に損なう」人間がいるのだという。つまり日本国内だけで一万人以上はいる計算だ。


 それほどの数の「ゾンビ人口」が、どうやって不審がられもせず生活してゆけるのか。

 一言で言えば、ゾンビたちの自助組織、ネットワークが存在するのである。


ゾンビの中には元の生活に戻るものと、名前や戸籍をいったん捨て、ゾンビとしての新たな生活を営み始めるものとの二種類に分かれる。事故や事件で消息不明になっていた場合、すでに葬儀が執り行われていたりするので厄介だが「奇跡の生還」となればあまり面倒なことは問われないものだ。むしろ問題なのはその後の生活だ。


 ゾンビは見た目、死んだ時以上にはあまり年を取らない。汗もかかず、本来は食事や排せつの必要もない。そして何より、生殖機能が失われている。これらのことが生者の世界に舞い戻った死者の人生を苛酷なものにしているのだ。


周囲から不審の目を向けられながら、ゾンビとしての人生を全うできる者はいい。多くの場合、周囲との関係や生きづらさに悩み、再び姿を消してしまうことになるのだ。


 そういった行き場のないゾンビや、何らかの事情で生者の世界に帰れず、死んだことになっているゾンビに新たな人生を与える組織が存在する。『還人協会かんじんきょうかい』といい、政治や経済など、社会の中枢に入り込んだ先輩ゾンビたちによる団体だ。


 『還人協会』のネットワークは広く、社会の隅々に及んでいる。たとえば病院などでも医師にゾンビがいれば、「生き返った」者の情報は即座に協会に寄せられる。当人が何事もなく元の生活に溶け込めなかった場合、協会から先輩ゾンビがアドバイスを与えに赴く……というわけだ。


 犯罪などの事件がらみで死亡し、「生き返った」場合などは元の社会に戻らず、そのまま協会のバックアップで生きていくことが多い。警察の中にも少なからずゾンビがいて、そういった亡者の情報は直ちに協会に届くのだ。


 俺の場合は、ある事件に巻き込まれて死亡し、生き返ってすぐに協会から先輩ゾンビがやってきた。ぼろぼろの姿でさまよっていたところを警察に発見され、そこから警察のゾンビを通じて協会に連絡が行ったのだ。


 俺の場合、事件そのものを含む一定の過去記憶が死亡時に失われていたため、否応なしにゾンビ生活に入らざるを得なかったのだ。俺が自分の失われた過去について調べ始めたのは、新しい生活に入ってしばらくしてからだった。


 記憶にある俺の本名は、青山誠司あおやませいじ。中学校の教師だった。それがある時点でぷっつりと記憶が途切れ、そこから警察に保護された夜に直結している。

 あとからわかったことだが、俺が失った時間は十年間にも及んでいた。当然、親しい者たちは俺が死んだものだと思っている。もはや俺に帰るべき場所はなかった。


俺は協会のバックアップを受けて住居と新しい戸籍を確保し、新たに「泉下巡」という人間になった。「泉下」は多くの先輩ゾンビが名乗ってきた名前で、言ってみれば「このあたりじゃよくある苗字」なのだった。


 別人となった俺は肉体労働を経て先輩ゾンビからリサイクル店の経営を受け継いだ。店は夕方からの営業なので、昼間は廃棄物リサイクルのバイトをしている。臭いのきつい仕事は俺たちゾンビにはうってつけなのだ。


 通常、ゾンビが経営する会社に勤務するのでない限り、俺たちは正体を隠し、生者に紛れて生活している。ゾンビだと告白することが禁止されているわけではないが、告白して状況がよくなることはまず、望めない。怪しまれることは日常茶飯事だが、結婚したりしない限り、さほど深刻な問題は発生しない。


 俺は生者の友人たちとロックバンドを組み、ベースを担当している。今のところ、生者と死者で呼吸が合わないなどという事はない。

 多くを望まなければ、ゾンビとしての人生もそう悲惨なものではないとわかってきた。


 だが。


自分の過去を調べていく過程で、俺は見過ごせない情報を目にした。それは、俺が教師をしていた時に起きたある事件の記述だった。俺が担任していたと思しきある女生徒が、知り合いの大学生数名に誘い出され、殺害されたという事件だった。


 記録では俺は事件の半年後に教師を退職している。責任を感じたのだろう。その後、大学生たちは逮捕、実行犯とみられる金森彰かなもりあきらという男と、従属犯とみなされた二名の計三名が起訴され、金森のみが実刑判決を受けている。

 その金森も数年後に仮釈放され、事件そのものは事実上、収束しているといえた。


 俺の心を波立たせたものは、事件後の自分自身の行動だった。詳しくはわからないが、どうも教師を退職後、俺は警察関係に就職していたようだ。自分の受け持ちの生徒を救えなかったという無念が警察を選ばせたとも考えられるが、自分の性格から考えてほかの可能性があるようにも思われた。


 俺はこう考えたのではないか―――真犯人は別にいる、と。


もし俺が誰にも言わずに事件の真相を調べていたのだとしたら……俺がゾンビとなったきっかけにも深い関心を抱かざるを得ない。俺が「死んだ」時期に事件らしきものは起きていない。もし俺の死が「他殺」なら誰かが俺を闇に葬ろうとしたということになるのだ。


 そのことに気づいて以来、俺は過去の「自分」の痕跡を調べ始めた。まだこれといった手掛かりは見つかっていないが、そのうち何かが見つかる、そう思っている。

『ロストフューチャー』というバンドのヴォーカルが犯行グループの兄弟ならば、その人物を通じて直接、犯行に関わった人間から話を聞くことができるかもしれない。


 俺が大垣の姪探しを請け負ったのは、そういった俺自身の密かな事情もあってのことだった。それに対して大垣が俺の申し出を受け入れてくれた理由は、ひとえに俺がバンドマンだからだ。

 それまで単なる仕事仲間としか見ていなかった俺を、音楽好きと知って思わず心を許した……大垣のそういう人の好さを利用したといわれれば返す言葉がない。だが、俺には俺の切実な問題があり、ためらっているばかりでは真実は遠のくばかりなのだ。


 話を聞いた翌日、大垣から姪の写真が添付されたメールが届いた。母親にはうまく言っておくから、という一文が添えられていた。母親とは直接話すことになるだろうと思っていたので、大垣の気づかいはありがたかった。同時に赤の他人をこうも簡単に信用してしまっていいのだろうかという、自分の事を棚に上げた心配が意識の端にのぼった。


『首尾よく夜遊びを止めてくれたら、お礼させてもらうよ。……殴られた傷は大丈夫かな。虫のいいお願いをしておいてこう言うのもなんだが、無茶はしないでくれ』

 メールの文面を見て俺は、大垣の赤ら顔を思い浮かべた。本当に表裏のない好人物なのだろう。俺がゾンビだと知ったらどうするだろう。


おいおい、きつい冗談はやめてくれよ―――こういって笑い飛ばすに違いない。

 上手くいけば、そう危険な目に遭う事もなく姪っ子を説得できるだろう。母親が危惧しているような危うい連中との繋がりがなければ。だが、もし面倒なことになったら。


 俺は職場で遭遇したハンマー男との一件を思い返した。俺にとってはさほどの事件ではなかったが、目撃した同僚たちの記憶にはショッキングな場面として残ったかもしれない。

 ゾンビであり続ける限り、ああいう事はこの先いくらでも起こり得る。それでも、俺は追及せずにはいられないのだ。一体どんな運命が、俺を『生きる屍』へと導いたのかを。


               〈第三話に続く〉

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る