第四話 実のある話し合いとは

 尋が帰った後、休戦について話し合いが行われた。

 が、当然の事ながら話し合いにはならなかった。

 尋の話を馬鹿にする者全く取り合わない者、様々だ。しかし休戦には反対というのが一致した部下達の意見。上官であるアルフレッドは逆に、応じても良いと考えている。

 話し合いは平行線どころか、噛み合いすらもしなかった。

「自分は反対です!」

「私も同感です」

「私も」

「……」

 ジョン一人だけが意見を述べなかったが、他のタチアナ以下三名は揃って反対意見を述べた。

 その理由は簡潔だ。

 帝国軍が気に入らない。

 誰もそう明確には言わないが、アルフレッドはひしひしと感じた。

「……君達の意見は参考にさせて貰う」

 そうまとめて、アルフレッドは会議を終わらした。

「解散」

 短く言い捨ててアルフレッドは席を立ち、己の執務室へと戻る。

 執務室に戻ると、何故かジョンがついて来ていた。

「よろしかったのですか?」

 何故か頼みもしないのにお茶の用意をしながら、ジョンは尋ねた。

 意見があるのならば先程出して欲しかった。

 内心そう呻きながら、アルフレッドは尋ねた。

「何がだ?」

「色々ありますが――あえて言うならば、あの犬をそのまま藤間殿に差し上げた事です。確かに藤間殿が処理した犬ですが、侵入されたのは我々の領地です。頂いても良かったのではと」

 紫の獣。

 尋は野良魔物といったか。

 剣も銃も効かない魔物。

「魔物というのは我々にとって未知なる物です。せめてサンプルの一つでも採取しておけば上も説得しやすいのではないかと」

 ごもっともな意見にアルフレッドの頭は自然に垂れた。

 その意見は尋が帰った後、直後に思いついた。というか、思い出された。

 本当はずっと考えていた。切り出すタイミングを窺ってもいた。愛おしそうに紫の獣を撫でる尋を見つめながら。

 しかし結局、何も言い出せずに見送ってしまった。

 その理由は、言葉にはしたくない。

「更に付け加えるならば」

 ばんと扉が乱暴に開かれ、納得できないという顔のタチアナが入って来た。

「現場の我々も、納得しやすかったと考えます」

 反対だと口にしないだけで、結局はジョンも反対なのか。だとすれば部下全員反対という事になる。

 軍では上官の命令は絶対だ。決定権はあくまでアルフレッド個人にあるから部下の意見はどうでもいいと言えばどうでもいいのだが、やはり無視はできない。

「失礼いたします!」

 扉を開けた後ではその言葉もあまり意味がないだろう。

 だがそれをタチアナに言うのは止めた。

 代わりにジョンに問いかける。

「色々と言ったな……他にはなんだ?」

「まずは彼女の話から聞きましょう。ひどくご立腹の様子ですよ」

 お茶を煎れながら、至極冷静にジョンは答えた。

「……そうだな」

 うなずきながらも、その他人事のような冷静さがアルフレッドには苛立たしかった。

「ケッヒ大佐! まさか大佐は本気で休戦を受け入れるおつもりなのですか!?」

 ずんずんと、タチアナはアルフレッドの所まで大股で歩いてきた。ちょっとした迫力である。

 仮に。

 絶対に有り得ない状況だが、もし尋が同じように迫ってきたらどうだろう? 

 先程帰ったばかりの尋の事が思い出された。

 立場上、アルフレッドは最後まで見送りはできなかった。だから作戦室で見送ったのが最後だ。

 長い髪が歩く度に揺れていた。

 きれいだなぁって、アルフレッドにはありきたりな言葉しか思い浮かばなかったが、それに込められた思いは海より深く山よりも高い。

「本気でとはどういう意味だ、ホーヴァ―少佐?」 

 ため息を押し殺しながら、おだやかにアルフレッドは聞き返した。

「先程のあのふざけた会見です! まさか本気にされた訳ではありませんよね!?」

「落ち着くんだ、ホーヴァ―少尉。君は今とても興奮状態にある。まずは落ち着くんだ。話はそれから聞こう」

「私は至極落ち着いています!」

「悪いがとてもそうは見えない。まずは深呼吸でもして、ほら」

 すーはー……

「っ!」

 アルフレッドが見本にと深呼吸して見せると、タチアナは言葉を失い、大きく震えた。

 すー……はー……

 しかし激高のままに声を荒げはせず、タチアナはアルフレッドの言葉通り、深呼吸してみせた。

 こういう素直さはタチアナの良いところの一つだ。

 エリート意識が高く他人を低く評価しがちだが、目上の人間や上官には無条件で素直だ。

「話し合いなら先程終わっただろう。まだ何かあるのか?」

「……」

 無言のまま、タチアナはアルフレッドを睨め付けた。

 上官を睨め付ける奴がいるか、とここは常識人的に注意すべきか、それとも上官としての寛容さを見せつける為に優しくどうした? と聞くべきなのか。

 ちょっとだけ迷ったが、面倒くさくなったのでアルフレッドは無言で先を促した。

「ケッヒ大佐は、」

 数秒の後、タチアナは重い口を開いた。

 蒼の瞳は怒りに燃えている。

 怒りに燃える彼女の様は美しいが、尋に感じたような華やかさは感じなかった。

「大佐は、本部にはどのように報告をなされるおつもりですか?」

「君達の意見と、俺の意見を余すことなく報告するつもりだ。隠すような事ではないしな。藤間殿の訪問は既に報告済みの件だ。報告を入れない訳にはいかないだろう」

 訪問というか会談は、以前向こうから申し入れがあった際に真っ先に報告していた。

「それは、そうですが、しかし……」

「藤間殿の話を馬鹿馬鹿しいと思うか?」

「当然です!」

 言い淀むタチアナを優しく促せば、タチアナは噛みついた。

「魔王とか魔界とか魔物とか、馬鹿ではないですかあの女はっ!! あれで少将とは、帝国の人間は頭のおかしい連中ばかりに決まってます!」

「そうか、まあ、俺もそう思う」

 同意してやれば、タチアナは驚いたように目を見開いた。

「なんだ、俺が向こうを庇うとでも思ったのか?」

「それは……ええ、そうですね。その、大佐はあの女に見惚れていたようですから」

「確かに綺麗な人だった」

 うんうんと深く肯けば、タチアナは無言で睨んできた。

 その睨みには先程までの強い敵意はない、とアルフレッドは勝手に都合良く感じ取った。

「それはともかく、だ。その帝国の少将様のお話を無下には出来ないだろう? 本人も言ってた通り、馬鹿馬鹿しい話だが向こうは真剣だ。準備とやらも始めるんだろう。どれ程の規模かは分からんが」

「先程の地図では、」

 それまでずっと黙って事の成り行きを傍観していたジョンが、そこで初めて口を出した。

「魔王とその部下の出現予定地はちょうど帝国軍側の基地上空です。もし魔王が本当に復活し、尚かつ帝国軍が総力を挙げて魔王とやらに対抗するのならば、この基地は対魔王軍本部には打って付けですな」

「よく見てたな、お前」

 アルフレッドは感心した。

 地図はアルフレッドも見ていたが、その事には全く気づかなかった。

 もじゃもじゃに気を取られ、細かい配置は記憶からこぼれ落ちていた。

「神経質なもので」

 謙虚な物言いでジョンは応えたが、アルフレッドには嫌みにしか聞こえなかった。

 どういう訳か、言葉一つ一つが嫌みったらしく聞こえる男だ。

 ジョンが一兵卒からのたたき上げの軍人だと聞かされた時は、なんの皮肉かと初めは疑った。

 一般的というとおかしな話だが、たたき上げの軍人というものはある種の気迫がある。豪快で荒っぽいという気概もある。血と血で争う戦場を誰よりも知り尽くした、そんな荒々しさと生々しさを持っているものだ。

 それがジョンには全くない。

 むしろ士官学校を主席で卒業しました、みたいなエリートの香りが漂う男である。

 なにしろ理屈っぽいし、勿体ぶった言い方が多い。そしてここが大事なのだが、笑えないブラックジョークが得意ときている。 

 だから、タチアナのような直情型の人間はジョンの事が苦手だろう。

「……クレスタ大尉、こちらにいらっしゃったんですね」

 顔をしかめ、タチアナは苦々しげに言った。

 仮にも上官に対し、その物言いはないだろうとアルフレッドは眉を寄せた。

 この東方司令部にはアルフレッドも含め士官は五名常駐している。アルフレッドが司令官を務め、参謀をジョンが務める。他の士官はタチアナも含め全員が少尉で、軍学校を卒業したばかりの新米軍人である。

 おままごとかと言いたくなるような、この士官の数の少なさには勿論理由がある。

 ここ東方司令部が担当する戦域はここ数年ばかり帝国軍の動きが鈍く、戦況はひどく安定していた。逆に北方の方や南方では帝国軍の動きは活発化しており、この東方司令部はある意味窓際部署と化していた。最前線の一つである事には間違いないのだが。

 それに加えて近年では更に南方の戦火が激化。陸上だけでなく、海上での戦火も拡大している。そういう訳で共和国のお偉いさん方はアホみたいに南方へ戦力を投入。魔術士も惜しげもなく注ぎ込まれ、何が何でも南方は勝ってやるぞという意気込みである。

「いつからこちらに?」

 上官や目上の人間には無条件で素直なタチアナであるが、ジョンだけは違った。

 年齢も上あり上官でもあるジョンをどういう訳かタチアナは軽視し、嫌悪感を隠そうとしない。

 対してジョンはタチアナの事など歯牙にもかけていない。

「私の事は気になさらずに。ただのサボりですから」

「……」

 ぴくり、とタチアナの眉が動くのが目に見えた。

「こらこら、上官の目の前でサボりとか言うな。注意せんといかんだろ」

「これは迂闊でありました」

「思ってもないことを……」

 ため息と共に、アルフレッドはぼやいた。

「ともかくだ、あちらさんが本気である以上、こちらとしてもそれ相応の対策を練る必要がある。それは分かるな?」

「分かってます」

 タチアナは不満げに肯いた。

 分かっているならいい。逆に分かっているならどうしてそんな不満気な顔をしてここに居るのか、アルフレッドには理解できなかった。

 だから、アルフレッドは子供に言って聞かすような辛抱強さで自分の立場と状況を説明した。

「で、俺には単独で作戦を実行する権限はない。本国に一度連絡する必要がある」

「あの馬鹿げた話をですか」

 魔王復活の為、ちょっと休戦しませんか?

 確かに馬鹿げた話だ。アルフレッドだって信じていない。信じられる筈がない。アルフレッドは実の所、尋の話など欠片も信じてはいなかった。

 しかし、

「だから、隠す事ではないからな」

「隠すというよりは馬鹿正直に報告する事に、むしろ恥じらいを覚える報告内容でありますな」

「お前は黙ってろ」

 痛い所をつく余計なジョンの一言は無視して、アルフレッドは続けた。

「学校でも基本はほうれんそうだって教わらなかったか? 報告・連絡・相談! この基本は大切なんだぞ」

「しかし大佐、あんなふざけた話を――」

「分かっている。だがそれをどう判断するかは上の仕事だ。俺の仕事ではない」

「しかし、」

 なおも言いつのるタチアナに、アルフレッドは呆れて率直に問うた。

「一つ聞くが、お前は何がそんなに不満なんだ?」

 さっぱりアルフレッドには思い当たらない。

 タチアナが不満を抱くのはどうでも良いとして、ここまで拘る理由がさっぱりだった。

「断っておきますが、ホーヴァ―少尉」

 唐突にジョンが口を挟んだ。

「なんですか、クレスタ大尉」

 タチアナは険のある声で答えた。

 ジョンは全く気にした様子はなく、淡々と続けた。

「このふざけた報告は特秘級のものです。責任も持ってこの司令官が上に報告しますから、貴方が心を悩ます必要はありませんよ」

「なっ……」

 タチアナは一瞬言葉を失い、次の瞬間頬を紅潮させて叫んだ。

「わ、私はそんなつもりはっ!!!」

「「……」」

 男二人、タチアナの弁明に対して無言だった。

 一人は興味がなく、もう一人は分かってなかった。

 定時報告というものがある。日に一回、本国へ通信を行うのだ。本来ならばそれ専門の下士官が担当するものだが、ここ東方司令部では練習がてら三名の少尉に週替わりで担当させている。

 今週の担当はタチアナだ。

 無論その事はアルフレッドはよく承知している。三名の少尉達に週替わりで担当させたのはアルフレッド自身だからだ。良い勉強になるだろうという親切心半分、人員不足半分の決断だ。

 その定時報告をタチアナが嫌がっているとは、アルフレッドは露とも考えつかなかった。

 アルフレッドにとって仕事に好き嫌いの私情を挟む事は馬鹿げた事で、また有り得ない事だ。

 軍人ならば、尚更。私情を挟む余地などない。

 沈黙が、室内を支配する。


 


「どうぞ」

 タチアナが顔を真っ赤にし、今にも泣き出しそうな顔で部屋を出て行った後。

 ジョンは紅茶をアルフレッドに差し出した。

 差し出しながら、細やかにジョンは観察する。

 アルフレッド・ケッヒという男を。

 名前は聞いた事がある。軍学校を主席で卒業し、幾つもの戦場を駆け抜け、多大な戦果を挙げた若き軍人。

 初めて顔を合わせた時は少し驚いた。

 冷血なエリート、それか剛毅な青年を想像していたジョンに対し、アルフレッドはひどく穏やかな、どこにでも居そうな普通の青年だったから。

 北方民族に特徴的な銀髪に、凍てついた海を連想させる蒼い瞳。

 整った顔立ちをしているが、それも『普通に』男前な範囲。ちょっと探せばどこにでも居そうな、そんな顔。

 アルフレッドを一言で言い表すならば、穏やか、が最も適切だとジョンは考える。

 一般的に軍人を評価する言葉としては不適切であるようだが、アルフレッドは特別だ。

 彼にはその言葉がよく似合う、とジョンは考えている。

 内面はそうでもないが。

「ありがとう。いやぁ、お前のいれるお茶はホント旨いよ。お茶って凄いな」

 ジョンを貶しているのか単純にお茶という存在を誉めているのか、よく分からない事をアルフレッドは礼の言葉と共に言った。

 ジョンとしてはどうでも良いので突っ込まなかった。

 毒舌家として知られるジョンであるが、アルフレッドも結構な毒舌家だ。

 ただアルフレッドの毒舌はこの通り、少し分かりづらい。

 おそらく誰がいれても手順さえしっかり守れば美味しいお茶になる、そんなお茶自体が凄いのだと言いたいのだろう。ジョンが特別上手いのではない。お茶自体が凄いんだと。

 一瞬で気づかない毒舌は毒舌にあらず。

 訳が分からずぽかんと呆けさせてしまうのは、そんなものはただの戯れ言だとジョンは考えているが、やっぱりどうでも良い事なので黙っておく。

 代わりに、先程まで勢い良く吠えていたタチアナの事を考えてみた。

 タチアナは黙っていれば美少女だ。黙っていなくても、あの程度のじゃじゃ馬ならば嫁のもらい手には困らないだろう。感情の起伏が激しく直情な彼女の様子は見ていて飽きない。むしろジョンでさえ時折好ましさを感じるぐらいだ。

 軍人などに、どうしてなったのか。実家が代々軍人一家だからといって、なにも軍人になる事はないだろう。

 ここは帝国ではないのだから。

 ここは共和国。

 自由の国。

 全てが定められていた帝国とは違う。




 部下がいれてくれたお茶を飲んでいたアルフレッドは、部下の思わぬ発言で危うく吹き出しかけた。

「……これから忙しくなりそうですな」

 言葉だけならどうって事は無い。

 ジョンがこの手の言葉を口にするのは良く横で聞いてた。そして実際に忙しくなるのはアルフレッドの方で、ジョンの呟きも他人事めいた無責任なものだった。

 だがこれは違う。

 言い方の違いとか言葉の韻の踏み方で分かったのではない。ただなんとなく分かった。なんとなくだが、確信があった。

 これから忙しくなる。

 それは当然だろう。これまで沈黙を守っていた帝国軍が動きを見せた。魔王復活の話が本当ならば一ヶ月の間に全てが始まり、終わる。増援を求めようにも本国からここまでは二週間はかかり、議会の決定にはどれだけ時間がかかることか。

 一ヶ月では到底間に合わない。もし、もし本当に何かあるとすればここの人間だけで対処しなければならない。

 分かりきった事だ。

 アルフレッドは何故自分がこんなにも動揺しているのか分からないまま、ジョンに尋ねた。

「お前今本気でそれ思ってるだろ。どうしたんだ?」

「私としては、何故上官がその事に対して疑問を持つかが理解に苦しみます。当然分かりきった事ではありませんか」

 心外だと言いたげなジョンに対し、アルフレッドは肯いた。

「そうだな、どうしてだろうな」

「聞いているのは私であります」

「分かった、お前が忙しくなるのを覚悟しているから俺は驚いたんだ」

「意味が分かりません」

「はははっ」

 アルフレッドはとりあえず笑った。

 意味は自分でもよく分からなかったが、深く考える事は止めた。どうでも良かったから。

 参謀の胡乱げな目を逃れるように窓に目を向けると、外は土砂降りの雨だ。

 夜のように真っ暗な空に、銃弾のように降り注ぐ雨。

 あの人は無事に帰れただろうかと、アルフレッドは敵国の麗人に思いを馳せた。

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