第二話 独り言
「首輪くらい外しとけって……全く。あーあ……お前のことは気に入ってたのに、こうなっては仕方ないな」
腰の刀に手を掛けながら尋は一人、小さく芝居かかった調子で、ぼやいた。
獣が現れたので、尋は颯爽と会議室から飛び降り、獣の方へと歩いて行く。
共和国の人間は尋のお願い通り、出てこない。手を出すなという、向こうにとっては屈辱的なお願いに、反発されるかもと危惧したが、思ったよりも素直に聞いてくれたので、尋は安心した。
向こうの大将はなかなかに話の分かる人間のようで、これは楽に使命が果たせそうだと、尋の笑みはますます深くなった。
「あーあ……白い一戸建てに、犬を飼うささやかな私の夢が、潰えてしまった」
とほほと、尋は肩をすくめて見せた。
応える者はいない。
誰も、人間は。
「舐めた口を叩くな小娘がっ!」
紫の獣はばっちりその呟きを聞いていた。
「殺す! 殺す殺す殺す殺す! 喰らい殺してやるわ!!!」
言葉と共に地響きのような唸りが轟く。
獣はピンと大きくたった耳を持つ、狼に似た魔獣だ。
黒い白目に浮かぶ黄色の瞳孔。
体毛は紫。ふさふさで、ゆらゆらと風ではない『何か』によって揺れている。
大きさは尋の身長の約二倍。口を開けると、ぱくりと尋を丸呑み出来そうなでかさだ。
魔獣の首にはまるで飼い犬のように首輪がある。細い革製の首輪で、魔獣の体毛と同じ紫色、よく見ると真ん中に黄色の水晶がはめ込まれている。
「怖い怖い。お前なら一噛みで殺れるだろうね、折角いい番犬になりそうだったのに」
言葉では残念がっているが、口元は小さく上がり、声は歌うように調子ついている。
それが魔獣の怒りに油を注いだ。
「ぬかせっ!!!」
吼えると同時に魔獣は尋目掛けて突進した。
それはまさしく一陣の風。
あっという間に尋の眼前に現れる。
前足を尋に振りかざしつつ、魔獣は大きく口を開け、吠えた。
「!!!!!」
魔獣の咆吼は大気を震わせ、大地をも揺らす。
「っ」
しかし尋は動じる事なく、さっと空いた手で腰のポーチから呪符を取り出し、構え、息を吹きかける。
符術とは帝国に古くから伝わる呪術の一つである。紙等に書いた文字に霊力を込め、術を発動させる。呪符には基本の形があるものの、術者が独自に創り上げる事で無数に術を編み出す事が可能だ。
尋が今、発動した呪符に書かれた文字は雷。
尋の息が呪符にかかるのと同時に白い輝きが起こり、一瞬の間の後に轟く雷鳴。
「!!!」
獣は一瞬身体を硬直させたが、それだけだ。
尋の身体目掛けて再び牙を剥く。
「ほっ」
ひらりと尋は身をかわす。
楽しそうな笑顔だ。
ダンスでも踊っているような。
しかし尋自身の言葉通り、一噛みでもされれば尋の身体は一瞬で砕け散るだろう。
一瞬の隙が命取りになる。
そんな極限の中、尋は笑っていた。
「貴っ様!!!」
直ぐさま方向転換し、頭から突っ込む獣。
噛みつこうと大きく口を開け、尋だけを見据えて飛びかかる。
完全に頭に血が上っている。冷静さの欠片もない。だから同じ手にまたかかる。
「単純だね、お前も」
口元は笑みのまま呆れたような言葉を口にしつつ、素早く腰のポーチから呪符を新たに三枚取りし、獣に向かって投げつける。
三枚の呪符はそれぞれ獣の頭上、左右で浮かんだまま制止する。
「何度も同じ手に引っかかって」
指で印を造ると術が発動。
雷撃が走り、同時に首輪が強く輝いた。
首輪は、獣を捕らえてからずっと、
「っ!!!」
獣の身体が大きく揺れる。
「ニンゲン、ごときに……」
「その台詞も二度目だね。いや、三度目かな?」
ごおぉん、と地鳴りのような轟音を立てながら獣の身体は倒れた。
「……まあ、どうでも良いけど」
指の印を解いた尋は皮肉気な笑みを浮かべていた。
ごろごろと、黒雲がなった。
雨が降り出しそうだ。
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