【避けられない運命と避けられた結末】
死んで欲しくなどなかった。兄にだけは、殺されて欲しくなかった。
そんな小さな願いが彼女を孤独にしてしまったのだと、リリィが知った時。
――罰はもう、始まっているのだと理解した。
「嘘……嘘よ、こんな事」
涙が血だまりに落ちる。兄に殺されないようにと願ったせいで、彼女は自死を選んでしまった。
スノーの本来の姿は、美少女と言って差し支えない。
肩より上までの長さしかない、真っ直ぐな黒髪。深い夜を思わせる漆黒の瞳。そして雪のように白い肌は滑らかで、きっと動かなければ精巧な人形だと思われるだろう。
そんな彼女は、母親によく似ているのだと、兄が言った。
『あなたを学院に連れて来た理由は、学長である母の望みです。祖父が他国へ旅に出た際、あなたの母親の母親、つまり祖母と関係を持ちました。そして生まれた子供はその色彩を継いでしまい、疎まれ、この国へと逃げ延びたそうです。……そして、この国で新たに子供を産み落とした。それがルビィです』
この学院に来て一ヶ月経った頃、クレイスはスノーを呼び出し、真実という名の過去を語った。リリィはクレイスが余計な事をしないよう、見張りとして強引についてきていた。
『ルビィは生まれながらに強いマージを持っていました。ある日、残り香のようなマージを辿って、怪しんだ母が森の中へと踏み込んだそうです。そこで二人は出会いました。そして、孤独だったルビィを一時期でも保護しようと、ロードナイト家に入れたのです』
養女として貴族の家に入った彼女を待ち受けていたのは、母以外の者達からの冷遇と、容赦のない魔術学の日々。そして学院でも、その見た目から忌避され、時には教師からさえも心無い扱いを受けていたという。
兄はだが、年が経つにつれ美しくなっていった彼女に惹かれたそうだ。
『私が介入する事で、多くの問題は消えました。しかし、彼女が私を見る事はありませんでしたよ』
だからクレイスは、禁忌に手を出した。永遠という甘言を彼女が聞くはずもないのに。
リリィはそこまで分かっていたからこそ、兄を説得した。平凡な頭とマージしかないリリィは、人間の心だけは兄よりも理解していたから。
心が読めてもそれだけだ。プロセスまで彼には届かない。彼は知るつもりがないのを知っている。
『そんなに欲しかったら、自分のマージを使いなさいよ! 有り余ったそのマージを使えば、他人を殺す事も傷付ける事もしなくていいでしょ! 他人を犠牲にした永遠なんか、ルビィさんは要らないって言うわ、絶対にね!!』
果たしてそれは、二年程で完成してしまった。だが、それにかかった時間を待たず、ルビィには他に愛する男が出来ていた。
これも、前と同じ男。クォーツという、平凡で、しかし優しく、偏見を持たず、静かに寄り添うだけの存在。何もかもが兄と正反対の彼を選んだルビィは、学院を中退した。
――妊娠してしまったのだ。何を思ったのか、学生同士で大人の境界に踏み込んだ彼らを、学院は留め置くわけにはいかなかった。
そのままロードナイト家からも姿を消した彼女の行方は、母以外知らなかった。母は全てを知ってなお、孤独だった彼女の選んだ道を尊重したのだ。
半分に分かたれた永遠は、行き場を今も失っていると兄は言う。
『その娘があなたです、スノー。彼女はとても慎重に住処を隠していました。結界を張り、侵入者の感知魔法装置を設置し、決して辿り着かせない。だというのに、たった一人、それを潜り抜けてしまった男が居ました』
スノーの両親は、スノーが五歳の時に、とある男に殺された。怪しい宗教団体の一人で、マージが弱く、それ故に感知にも回避にも引っかかる事無く、彼らの家に辿り着いてしまったらしい。
だが、彼女の家には、それとは別に感知魔法装置が置いてあった。彼女に何かあった際に、すぐに母が向かえるようにしてあったのだ。
その時動いたのは、クレイスだったという。彼はマージが強すぎて感知魔法に引っかかる為、森の入口で逃げ出してきた男を捕らえた。その時に『コルエの魔女が……生き残りが……殺せなかった、ちくしょう……』と呟いていたのを聞いていたらしい。
だがスノーは元々マージが強く、姿を変える事は難なく出来る。森を出て街で必要なものを売り買いしている時の姿は、この国では珍しくない、金髪碧眼の少年だった。
おまけに保護者が居た為、その保護者と歩いている姿を見ても、誰も怪しまなかったという。
それが無くなった後も街に出ていた時にクレイスがようやく見付け、今なら保護出来る、と母に打診したそうだ。
母も一人になったスノーを案じて、学院への入学を通じて保護を認めたという。
その顛末は分かる。だが、クレイスの思惑はもう一つ、別にあったのだ。
『あなたを目の届く範囲で観察してきましたが、確かに私には殺せない事が分かりました。ですので、喪った彼女の代わりを、あなたに求める事にします』
いくらリリィでも、それは想定外であった。あくまでも兄は、ルビィに執着していた。だから娘であるスノーはむしろ、憎悪の対象である。
それなのに、愛すべき相手として見ようと思うのは、はっきり言うなら狂気の沙汰だ。
『ふざけないで! スノーをあんたの慰み者にしようなんて、冗談じゃないわ!』
当然だが、リリィが彼女に求めたのは幸せな人生だ。生きていればいいというものではない。
クレイスはそんなリリィに冷ややかな瞳を向けて言い放った。
『マイネ・クライネの罪人となった以上、正気だと思わない方がいいですよ。リリィ、あなたもです』
ぎくりとする。そう、彼は、彼だけは知っている。リリィの心が読めたから。
怪訝そうな顔をするスノーに対し、にこりと笑ったクレイスは、残酷な真実を述べた。
『私が何故、あなたを殺せないのか。答えは簡単です。そこに居る私の妹が、前世とやらで私に殺されるという運命を変える為に、時を巻き戻しました』
リリィの背中には、楔の印がある。決して消えない赤い痣は、楔の形そのものだ。
『しかし、彼女の願いは想定外にも多くの人間を巻き込んだようですね。どうやら本来ならば、何度生まれようが私はあなたを殺すはずだった、神が定めた運命だったようですから』
神の運命を変えるなら、恐らく根本から変わっている。それはリリィが知る前世の記憶と、今の記憶がかなり違っている事からも明らかだった。
だがそれでも、変えられた事には安堵したのだ。これで、もう失わなくて済むと。
――結局それは、独善だったらしい。
『そうか。この男に殺されないのは喜ばしいが、数多の犠牲を踏み台にしてまで、私は生きる事に意味を持たない。悪いがリリィ、お前のした事は無意味だった、と言うほかないな』
元の姿に戻った彼女は、杖を手にしていた。
『それならば、私が私を殺すまでだ』
迷いなく告げて、杖の先端を剣のように尖らせ、心臓を貫くスノーは、そのまま倒れ伏した。
だから今、リリィの目の前には、血だまりに染まる友人の姿がある。
気が狂いそうな気分で、リリィは叫んだ。
「違う……! こんな結末じゃない! スノーは、幸せに生きなきゃいけないのに!!」
ああ、ならばもう一度。罰ならばいくらでも受けようではないか。
そうして血だまりに手を伸ばしたリリィは、だが動きを止められた。体が言う事をきかない。
「な……っ」
「止めなさい、リリィ。禁忌は禁忌で上書き出来ません。それに、もう手は打ってます」
「は……? 何を」
杖は消えても、傷痕は消えない。そこにクレイスは、何かを押し込んでいた。
否、何かじゃない。――不老不死の石、その片割れだ。
瞬間、リリィの頭は怒りに染まる。
「何するのよ!! あんたが欲しいのはルビィさんで、スノーじゃない!! 止めて! 外して! スノーを何度、苦しめたら気が済むのよおおおっっ!!!」
動かない体で、悲鳴を上げた。その間にも、石は傷に溶け込んでいき、淡く赤い光を彼女の全身に灯らせていく。
みるみるふさがる傷。消えていく血だまり。白い肌は青ざめたそれから、美しい生気あるものへ。
――もう一人の永遠が、この場に生まれてしまった瞬間。
「いやあああああああああっっっっ!!」
少女の絶望が、悲鳴となって部屋の中に響き渡ったのである。
※ ※ ※
「……マイネ・クライネの罪人と、禁忌を犯した者は呼ばれるらしいな」
スノーはこれ以上ない程に不機嫌だった。頼んでもいないのに、永遠を仕込まれて生き返らせられたのだ。怒らない方がどうかしている。
何度か試したが、自死しても命は落ちない。痛みと気怠さが支配したすぐ後に、体は何事も無かったように戻っている。
育ての親からは「マイネ・クライネの罪人は、意思なくそれを受けた者にも適用される」と教わっていた。
どうやら、不老不死の石とやらは体に溶け込んだ時から、周囲から無限にマージを取り込み、循環させ、マージの効率を究極まで上げているらしい。
そして万が一重傷を負ったとしても、勝手に体がマージを取り込んで修復するのだから、何ともしようがない。
例えば胴体に風穴が空いても、時間経過で塞がる上、その間は仮死状態となり、決して本物の死には至れないという。その間に絶命状態には決してならない。というのも、スノーは自分で検証済みだ。
「マイネ・クライネの罪人は、楔を穿たれます。あなたのその背中には、その楔の証が刻まれているでしょうね」
楽しそうに告げるクレイスに、無言で氷の矢を無数に放つ。蜂の巣状態になるはずの彼の体は、しかし寸前で蒸発した。
「ちっ、大人しく受ければいいものを」
「諦めなさい。私と永遠を生きて、孤独のまま居るか、私と共有するかの二択ですよ?」
「私は貴様を永遠に殺し続けるか、貴様と永遠に出会わない所へ行くかの二択だな」
あれ以来、リリィはすっかりふさぎ込んでいる。自分が何も出来なかった事で、責任を感じているようだ。
だが、そこに彼女の責は無い。いくら彼女が望んだ結果がこれでも、彼女自身が納得したわけではないのだから。
「貴様には、とびきりの苦しい罰を与えられればいいと思っている」
「その時はあなたも道連れになりますよ、スノー」
意地でも離れ離れになる気はないらしい。馬鹿馬鹿しい未練の塊だ、とスノーは侮蔑を抱く。
いくら母親に似ていても、スノーはスノーだ。決して、代わりにはならない。永遠の中でそれを思い知って、勝手に絶望すればいい。
だが、それはいつなのか。既に果ての無い先を考えたスノーは、絶望にも果てが無い事を知って、深いため息を吐くのだった。
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