【記憶の継承】

 退屈な授業が終わり、教室を移動する為にスノーは席を立つ。冷たい態度の「彼」に、誰も声を掛けてはこない。

 否、一人だけ居た。

「スノー! 次、移動教室よね! 一緒に行きましょ!」

 あらかじめ決められた席から駆け寄って来た栗色の髪の少女は、同じ栗色の瞳で親しみの声をスノーにかける。

「リリィ……」

「なぁに?」

 当たり前のように腕を取る少女は、寮に連れて来られたスノーに対し、色々と説明をしてくれた。

 この学院はロードナイト家が所有しており、誘拐犯であるクレイスはこの学院の教師をしているという。リリィは実の妹であり、体は弱いが、寝たきりになるほどではないらしく、こうして普通に学院にも通っている。

 兄の行動に謝罪を述べながら、もう家に戻る事は難しい事、ここを卒業すれば自由が待っているから耐えて欲しいという事、そして元の姿を隠し続けて欲しいというリリィ本人の希望を述べられ、スノーは困惑した。

 どうも何か知っているようだが、彼女は自分でも言う程に平凡で、上手く説明が出来ないらしい。

 それはともかく、少年姿でこの少女に引っ付かれ続けて二週間。既に何らかの噂が立っているのは知っていた。

 家が用意した婚約者だとか、むしろそれ目当てで学院へ来たんだろうとか。どっちも違うし、関わりたくなかったのが一番の本心だ。

「離れろ。あまりオレの傍に来るな」

 腕を引きはがそうとするが、リリィは強く掴み直してくる。

「噂の事なら、心配しないで。放っておけばそのうち、誰も何も言わなくなるから。そんな事より、次はお兄ちゃんの授業なんだし、急がなきゃ! 遅れたりなんかしたら、何言われるか分かったもんじゃないわ」

「分かった。分かったからもう少し離れろ。急げないだろ」

 学院では、魔法の濫用は禁止だ。遅刻寸前だからと言って、転移で間に合ったなどと分かれば減点される。もちろん、授業以外の魔法での戦闘もご法度だ。数日の謹慎を覚悟しなければならない。それも色々と不利になる。

 教室まで早歩きしながら、スノーはリリィに問う。

「で、いつまでオレはお前に世話を焼かれ続けなきゃいけないんだよ? オレはこの国の人間は嫌いだって言っただろ。あんたがそうする責任なんかないはずだ」

 別にメリットはないだろう、と困惑するスノーの言葉に、リリィは少しだけ哀しい笑みを浮かべた。

「責任はあるの。スノーが幸せに生きてるっていうのを見届ける責任が」

「何だよそれ。最初も言ってたけど、オレが一人になったのは、お前のせいってのは本当なのか?」

「何度も言うけど、本当の事よ。前世の記憶があるって言ったじゃない」

 本来なら、有り得ない話だ。人は魂を持ち、次の人生で記憶を洗浄され、神の祝福たる石を受けて生まれるという。

 その石が体内に自然に溶け込み、中でマージとして馴染ませていくのだそうだ。大きさには個人差があり、限界もある。クレイスのは規格外と言っていいレベルの代物だった。

 それは前世でも同じだったようで、天才として生まれた彼は不老不死の力を手に入れようとしていたらしい。スノーを殺して完成させようとしたのを、リリィが止めたという。その方法までは教えてもらえなかったが、その止め方が原因で、記憶は継承されたようだ。

「お兄ちゃんは恐らく、天才として生まれるのも、禁忌に手を出すのも、神に決められた運命の中にあるの。だから、運命に介入して、禁忌のやり方を変えさせたり、人格矯正したりもしたし、それに関しては家族とかも巻き込んだわ。……だから、今のお兄ちゃんは前世より少しだけ……ほんの少しだけ、マシなの」

 あれでもか、とスノーはげんなりする。二週間見てきたが、女生徒に囲まれるのはともかく、心を読んで勝手にそれに返答して、隙あらば難解な問題をやらせようと嫌がらせする教師だ。しかも、スノー限定で。

 殺せないと言っていたが、それも運命に関わっているらしい。ただ、リリィはそれに関し、多くを語らないままだ。

「少なくとも沢山の犠牲を出さなかっただけ、っていう前置きが付くけどね」

 クレイスは既に不老不死になっている。しかし禁忌自体は、本来ならば多くの命とマージを使って生成する不老不死の石を、リリィは兄を説得し、彼のみのマージで生成させたらしい。何のために作っているのかも知っていたようだが、どうせそれは失敗するだろうと分かっていたようだ。

「失敗するわよって言っても無駄なのは、分かってたから。それでもやるなら、あたしが出来る限りの事をしないと、って思って。どうせ、神の領域に触れた人間の末路は、ろくでもないんだから」

 この世界には二人の女神が居るらしい。生と死を司るという双子の女神像を置く神殿があちこちにあるらしいが、スノーはそれを信仰していなかった。する気になるわけがない。黒を忌み嫌う国を作った女神など、誰が信じるものか。

「だから、お兄ちゃんはいずれ、罰を受けるわ。……禁忌を犯した者は、絶対に罰から逃れられない。神に楔を打ち込まれているから」

 禁書を読んだ事もあるらしく、リリィの禁忌に関する知識も中々のものだった。

 何にせよ、スノーは育ての親を生き返らせる事も、両親が殺されないように時を遡るのも、ましてや自分が死なない体になる事も、選ぶつもりはない。

 あのクレイスという男がいつか罰を受けるなら、その目で見たいとは思うが、その前にスノーの寿命が尽きて死ぬだろう。残念な事だ。

 そんな事を話ながら移動していたせいか、チャイムが鳴る十秒前に、スノーとリリィは滑り込みで教室へとギリギリで到着出来たのだった。

 授業が始まり、今日はリモワを作るという。

「記憶装置とも呼ばれる魔道具ですが、使い方は幅広いです。覚えておけば、損はありませんよ」

 材料と道具は既に、机に用意されている。一人一つを、時間内に作成するのが課題だ。

 ボードに書かれた手順を一度見ただけで手順を理解し、スノーは作業に取り掛かる。

 フラスコにまず精製水を入れ、沸騰させる。そこに己の血を一滴。これが触媒となって、記憶を流し込む事が出来るようになるのだ。

 そして魔力を込めた水晶の欠片を、半分になるまで煮詰めたフラスコの中に入れる。

 すると、その魔力に反応した液体が、水晶の中に入り込み――綺麗な赤い球体の結晶へと変化するのだ。

 あっという間に作り終えたそれを取り出し、スノーは隣で悪戦苦闘するリリィを見る。フラスコの水が半分近くまで減っていたので、声を掛けた。

「おい、もうそろそろ水晶を入れた方がいいぞ」

「あ、う、うん。今、入れるわ」

 魔力を込める事に苦労していたらしいリリィは、慌てて水晶をフラスコに入れる。完成はしたが、スノーよりもその純度は低い。

「……ああ、やっぱり……」

「成功はしたんだ、気にすんな」

 一応、慰めの言葉をかけてやると、背後で声がした。

「相変わらず要領の悪い妹で困りますね、リリィ?」

「……何よ。天才様と違って平凡なあたしに完璧な成功なんか、あるわけないでしょ」

「そうですが、これでは減点です。マージが足りてないせいで透明度が低いですから」

「記憶装置としては使えるからいいだろ。ケチかよ」

「教師として当然の評価ですよ? ああ、スノー。交換は駄目ですからね。私が直に見たので無意味ですよ」

 考えを読まれて、スノーはちっと舌打ちをする。どうせ、自分は使わないから関係ないというのに。

「ったく、めんどくせえな。そうやって身内だけ厳しくして、他の奴らには甘いんだろ」

「私の妹ですから、出来て当然の事なのですよ」

 個人差というものがある。家族だからとか、そういったものは関係ない。恐らく、自分が言われた事を妹に言い返しているだけなのだろう。陰険な男だ、と内心でスノーは毒づく。

 他の生徒の所にクレイスが向かった隙に、スノーはリリィに囁いた。

「ほら、交換だ。好きに使えよ」

「でも……」

「いいんだよ。……オレは、残したいことなんか何も無いから」

 一人で生きていても、空しいだけだ。いつか死ぬにしても、何一つ、自分の痕跡を残したくない。

 だから、ノイズが混ざるであろうリモワを強引にリリィから受け取り、自分のリモワを渡す。魔力がある時点で触媒になるのだから、彼女でも使えるはずだ。

「あんたは、そうじゃないんだろ。……残したい記憶くらい、残しとけ。後悔する前にな」

 何も出来ずに失ったものを思い出し、スノーはリリィにそう言った。

 思い出だけでは、生きてはいけない。むしろ絶望が少しずつ蝕む未来は、既にスノーの生きる気力を奪っていく。

 だから、そっと込める。リリィという少女の記憶を。いつかまた一人になった時に、鬱陶しいほどの好意を注ぐ、隣に座る少女の存在を。

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