【二人目の過ち】
この国では、黒い色は忌み嫌われている。だからスノーは両親と共に、森の奥にある家でひっそりと暮らしていた。
母親はどうやら、この国のとある富豪が遠方に旅をした時に見初められて、連れて来られたらしい。
しかしその外見のせいで屋敷に居づらくなり、成人するよりも早くそこを出た。その際に多額の支援を得たおかげで、生活は困窮とまではいかないが、贅沢は出来ない。そんな暮らしを森の奥でしてきたという。
そしてそんな母親を新たに選んだ男が居た。平凡と呼ぶに相応しい見た目と性格は、しかし母親の心に安らぎをもたらしたらしい。クォーツという名前であるその男とすぐに親しくなり、ひっそりと婚姻の儀を行ったという。
その時の記録はメモワという魔法装置に残され、スノーは時々それを見せてもらっていた。綺麗な赤い球体は、手のひらに乗せるだけでその時の状況を頭の中に再現出来る記憶装置らしい。いつか作り方を教えてあげるわね、と母親は言っていた。
母親は強い魔力――マージを持っていて、スノーもそれを受け継いだからか、髪や目の色と性別を変えて街に遊びに行く事もあった。
――そこで出会ったのは、リリィという、平凡な少女。
どうやら話を聞くに、家には兄は天才と呼ばれる色彩の持ち主が居て、幼い頃からちやほやされて生きてきたという。おかげで我が儘放題、やりたい放題。どこかの女やメイドを魅了しては部屋に連れ込んで、翌朝すぐ捨てる事も日常茶飯事らしく、家には避妊薬が常備されているとか。
そんな家に居たくないのは当然で、リリィは街に遊びに出るのが常だという。
だったら森の浅いところで、木の実や薬草について学んだり、マージを使った練習をしたりすればいい、と誘うスノーに、リリィは嬉しそうに頷いた。
「あたし、友達なんて出来たの、初めてなの。普段はそんなに体も丈夫じゃなくて、外に出られなかったし」
「友達、か。……うん、『オレ』も初めてだよ」
何度か森の入口で会う事が増え、スノーはリリィと会話をする事も増えた。
「昔ね、うちには、異国の女性が居たの。黒い髪と瞳で、とても美しい女性が。でも、黒って嫌われている色だから……居心地が悪かったみたいで。待遇よりも自由が欲しいって、出て行ったんだって。肖像画が残ってて、教えてもらったの」
それを聞いて、スノーは自分の母親だと確信を抱く。だがそんな事を言ったら、彼女はきっと遠慮して、来なくなってしまう。それは少し、寂しかった。
「でも、綺麗な人だったわ。黒い色が不吉なんて思えないくらい。……でも、その人が出て行ったあとかしら。お兄ちゃんが……女の人を酷く扱うようになったのは」
大方、母に対して憂さ晴らしが出来なくなったからだろう。母は困ったように言っていた。「あの家には、あまり良くない人が居たのよ」と。
「そうだわ! せっかくだし、今度、肖像画を見に来ないかしら? 昼間なら兄も女性を物色しに出てるだろうし、少しくらいならあたしも、お友達を呼んでいいって言われているから!」
「いや……そこまでしなくても。それに、リリィだって家に居たくないから、ここに来てるんだろ」
「だって、皆、お兄ちゃんが天才だから、あたしのことなんて見向きもしないもの。あたしが肖像画の人を褒めても、誰も聞いてくれなかった。スノーは……やっぱり、黒は嫌い?」
「いや、嫌いじゃないけどさ……」
「じゃあ、決まりね! 次はあたしの家に連れてってあげる!」
そもそも連れて来た人間がまともに守ってくれなかった家だ。リリィが良くても、他が良くないだろうことは分かり切っている。
それでもどうしても見せたいのか、それとも別の理由なのか。スノーは一度だけ、と彼女の家に招待されることになった。
――そこで出会ったのは、あまりに完璧な容姿の青年。
「何だ、その小汚い奴は」
銀色の長い髪、紫色の瞳。だが、その瞳は何だか濁っているように見えて、スノーはぞっとした。
その前に立ちふさがるように、リリィが前に出て言い返す。
「あたしの友達よ。それと小汚くなんてないわ。いつもの女漁りはどうしたの? クレイスお兄様?」
「気分じゃなかっただけだ。ん? ……おい、お前」
紫の瞳が、スノーを射抜く。それだけでスノーは嫌な予感を抱く。
「強いマージを持ってるな。寄越せ」
予感は的中し、スノーはすぐさま拒否を返した。
「嫌だ」
だが、なおも距離を詰める男は続ける。
「それだけのマージがあれば、すぐにでも不老不死の石が完成する。寄越せ」
「不老不死……!?」
母親から聞いた事がある。この世界には、三つの禁忌があると。
一つ、人を生き返らせてはいけない。
二つ、時を戻してはならない。
三つ。――永遠を求めてはならない。
この男は、禁忌に踏み込もうとしている。それも、何の躊躇いも無く。一体何が目的なのか。
「り、リリィ! なんだこいつ! おかしいぞ!」
「ええ、おかしいでしょ? でもね、誰も信じてくれないの。女の人からマージを吸い取って記憶操作して放り出してる事も、それを集めて不老不死の石を作ろうとしているのも、あたしが禁書を見せても、信じてもらえないの。だって、天才は間違えない。だから禁忌なんか犯すわけがないって。……ホント、馬鹿みたい」
要するに、リリィは証人でありながら、認めてもらえないらしい。だが、天才と言わしめるだけあって、この男の持つマージは確かに強い。見るだけで分かるレベルだ。それが好き放題をしていい理由にはならないが。
「大体、何で不老不死になんかなりたいんだよ」
「ルビィを、取り戻す為だ」
「母さんを!?」
思わず声を荒げ、しまった、と口をつぐむスノーだが、もう遅い。
「…………今、母さんって、言ったの? スノーが……あの肖像画の人の……子供?」
驚くリリィの目の前で、ぱちん、と彼女の兄が指を鳴らす。
途端にスノーの擬態は解かれ、黒い髪と瞳が、そして少女らしさが露わになった。
「スノー……お、女の子、だったの?」
「騙してて悪かったと思ってるよ。でも、この色は嫌われているし、女ってだけで趣味の悪い貴族が奴隷にしようとするっていうから、隠してたんだ」
ましてや、母親は美しい。その血を引いてしまったが為に、スノーもこの年で既に大人びた容姿を持っていた。
「よく似ているな。だからこそ、不愉快だ。お前だけは命もマージも、全て貰う」
まともに話が通じる相手ではないらしい。そしてその気になれば、一瞬で全てが終わる。
「駄目、スノー! 逃げて!」
「くそっ、外へ逃げるぞ、リリィ!」
彼女を置いて行けば、彼女に何をされるか分からない。あるいは殺されてしまう可能性もある。
スノーは魔法で外へリリィを連れて転移し、門の近くに出る。だがすぐに男も追って来た。
「逃がさない。今度こそ、『俺』のものにする」
「今度……?」
まるで以前もあったかのような口ぶりだ。否、もしかして、母がこの家を出たのは。
「お前まさか、母さんを襲おうとしたのか!? それで拒まれて逃げられて、それで……!!」
それなら合点がいく。なるほど、家を出るわけだ。きっと多額の支援金とやらも、母を連れて来た主人の、せめてものお詫びみたいなものだったのだろう。
「よく分かったな。ああ、あの日、『俺』はルビィを手に入れようとした。だが彼女は、父の祝福によって、守られていた。……そして彼女は、翌日に出て行ってしまったんだ。痕跡を完全に消して、な」
マージの強い母なら可能だろう。森にはいくつもの探知結界と侵入を防ぐ結界が張ってある。不可視のそれによって目くらましをくらえば、森の入口へ戻される寸法だ。だからこそ、あの森は奥深くに誰も入り込めない。スノーたち家族以外、誰一人として。
「リリィ、下がってろ! ――『オレ』を殺しても、母さんの居場所は掴めない。だがそれ以上に、お前にこれ以上母さんが苦しめられるのは、許さない!」
スノーはそう怒鳴って、手に力を集めた。
強いマージを使う時、自動的に生成されるものがある。
生まれた時に人は、誰もが自分の宝石を持って生まれる。それが守護石となって体に吸い込まれた時、魔法を扱える体となるのだ。
そしてその石は体内でマージに応じてその大きさや輝き、形を変える。それを具現化したのがこの杖だ。もちろん、石を破壊されればマージは使えなくなるが、それくらいリスクの高い、だが確実で大掛かりな魔法に向いている。
スノーのそれは、彼女の頭一つ分くらい高く細い、先が三日月の装飾だ。上の先端に、雫型の大きなムーンストーンが吊り下がっている。それ以外にも細かく美しい装飾があるのが分かり、リリィが呆然と呟く。
「すごい……何て綺麗な……杖」
「命の危険が迫ったら使えって、教えてもらってたからな。出し惜しみしてる場合じゃないだろ、今は」
「手間が省ける。その石を奪えばいいだけだからな」
クレイスの言葉は傲慢で、歪んだ笑みを浮かべている。それを見て、スノーは母親が逃げ出した理由がよく分かるな、と納得した。
「はっ、死んでも永遠にご免だろうな、母さんじゃなくても」
嘲笑うスノーに対し、男も同じような杖を出した。鳥かごのような装飾の中にある多方形の石は、アレキサンドライトか。光によって色を変えるそれは、美しくも哀しい存在のように、中でふわふわと浮いている。
そして男の杖の石が色を明確に変えた途端、四方からスノーを光の矢が無数に襲う。
対するスノーは地面に杖をつき、既に結界を張っていた。ムーンストーンが白の煌めきを纏っている。
「一瞬で楽に死ねたものを」
「ほざけ。お前こそ、死んでやり直すんだな」
しゃらっ、と音がした。それは魔法の音。そして、男の周りを白い霧が覆う。
スノーは杖を地面に打ち鳴らし、叫んだ。
「燃えろ!」
瞬間、白い霧は焔の形となって、男を飲み込む。苦悶の声が聞こえるかと思ったが、その焔は数秒で霧散した。
「ちっ……天才は伊達じゃねえな。これならどうだ?」
とん、と杖の先を地面で鳴らすと、無数の槍がクレイスの真下に出て来る。しかしそれより先に彼は上へと浮かんでいた。
「残念だったな。『俺』は、お前が次に何の攻撃をしてくるか、読める。お前に勝ち目はない」
どういう意味だ、とスノーは怪訝になる。
「死ぬ前の戯れに教えてやる。『俺』は生まれつき、他人の心が読めるんだ。今お前が、『俺』の頭を貫こうとしていることもな」
ぎくりとした。尖った氷塊は既に出来上がっていたのに、それは彼の上で粉々に砕け散る。キラキラした破片は、だが今度はスノーに向かってではなく、リリィに向かっていた。
咄嗟に結界を張り、スノーはリリィを守る。
「きゃああっ!!」
無数の音が結界にぶつかって消える音に、リリィは怯えた悲鳴を上げた。
「てめえ、実の妹まで殺す気か!!」
「ちょうどいい人質だと思ったからな。どうせ平凡で病弱、大した事も出来ない、不出来な妹だ」
家族を侮辱する言葉に、怒りが滾る。この男だけは、許されてはならない。
だが、スノーの服を後ろから掴み、リリィがか細い声で言った。
「逃げて、スノー……。あたしのせいで、スノーが死ぬなんて嫌」
「うるさいっ……! 『オレ』は、お前の……友達だ! だから見捨てない!」
母親は言った。「友達が出来たのなら、守りなさい」と。だから、スノーは彼女を守る。それだけだ。
「そんなのっ……あたしだって、同じよ! だからこそ、お願い! 早く――」
ほんの僅か、リリィに意識が向けられたその隙だった。
――ドスッ、と、スノーの心臓を、何かが貫いたのは。
※ ※ ※
ああ、どうしていつも、止められないのだろう。リリィは思った。
兄の蛮行を。美しいあの人の哀しい決断を。
そして、ようやく出来た友達を助ける事さえも。
否、今なら間に合う。兄を止めたかった。神の領域に踏み込んだ者の末路は、神によって罰を下され、その末路は悲惨だと伝え続けられている。だが、そんなもので一人を救えるのなら、リリィはやれる。
兄の杖によって心臓を貫かれたスノーは、地面に倒れ伏し、血だまりを作り始めている。
兄はその間にマージを集める石を出そうとしているが、それよりも早く、リリィは彼女の血だまりに両手を浸け、詠唱する。兄が持っていた禁書には、時を巻き戻す禁忌の魔法があった。
「――我、全てを賭して願う。神よ、愚かなる人間の願いを叶えたまえ。彼の命を源流へ。我が魂に楔を。この運命を拒み、我が望みたる運命へと導きたまえ」
光が溢れる。赤い、赤い光が。
それを見た兄は、焦ったように石を近づけようとして、弾かれた。禁忌を禁忌で書き換えは出来ないのだ。
「我が望みは、彼の者の無辜なる死の回避! 源より変われ、時の流れよ! 代償は神の罰と共に、今――禁忌を執行する!!」
世界は深紅の光に包まれ、そして一度、白紙に戻された。
ただ一人、少女の記憶だけを残して。
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