【一人目の過ち】
美しい女性に出会った。異端とされし黒い色を持つ娘に。
同じ異端でも、天才の証とされる銀の髪に紫の瞳を持つ自分には、決して得られない色だ。
聞けば、不遇な生まれによってこの国で肩身の狭い思いをしながら生きているらしい。
なるべく黒い髪を見せないようにと、編み込まれて帽子にしまわれたそれは、解くと波打ち、艶やかな光を纏う。
同じ黒でも目を合わせる人々は怯え怖れて目を逸らすが、少女はまっすぐに相手を見たままだった。
勝手に見て勝手に見惚れて勝手に持ち上げて近付いて来る輩にうんざりしていた自分にとって、彼女の色彩はただただ、羨望を抱かせた。
――天才と呼ばれる自分に、出来ない事などない。
あの少女を手に入れる事だって、出来る。そう信じて禁書を手に入れた。
そこにはいくらでも方法があった。人を生き返らせる再生の魔法、時を戻してやり直せる遡行の魔法、そして――不老不死の魔法。
あの美しい少女を美しいまま、自分の傍に置いておきたい。
だが、禁忌とは人の踏み込んではならない、神の領域だ。それを侵せば、相応の代償を支払う事になる。禁書には何度もそう書かれていた。
それでも禁忌が残るのは、希望の為ではないのか。そして、人が神の領域に踏み込める証なのではなかろうか。であれば、それを使ってもいいではないか。
永遠を手に入れる為には、とある石を作る必要があった。その石を心臓に埋め込めば、不老不死になれると禁書には書いてある。
だが、必要なのはまず、触媒となる純粋で透明な鉱石。そして――数多の人間が持つ魔力――マージと、魂だった。前者はともかく、後者はどれ程の犠牲を出すか分からない。その触媒が真紅に染まるまで、と書いてあるのみだ。
非人道的行為ではあるが、見知らぬ人間を殺す事に躊躇は無かった。人気の無い場所に魅了の魔法で人間をおびき出し、その命とマージを吸い出す。それだけで突然死、あるいは行方不明者の出来上がりだ。
そうして百人ほど各地へ赴き殺して作り上げた石は、気が付けば真紅ではあるものの、禍々しい光を纏っていた。その欠片一つでも、永遠は手に入れられるという。つまりこれ一つあれば、砕いた分だけの人間が不老不死となるのだ。
とはいえ、自分が共に永遠に居たいのは、たった一人。だから、二つに割って一つを自分に埋め込んだ後で、街に来ていた彼女に声を掛け、誘った。
「お前は美しい。『俺』と共に、永遠を生きる事が出来る。どうだ?」
怯え一つ見せず、少女から女性へと変わろうとしていた年頃の彼女は、黒い瞳をまっすぐに向けて拒否を告げた。
「悪いけれど、永遠の命に興味はないわ。それに、私にはもう、共に在ると決めた人が居るの」
そんな馬鹿な、と驚愕する。彼女は忌み嫌われている存在だ。そんな彼女を受け入れられる人間など、他に一体誰が、と。
そこに、穏やかな声が掛けられる。
「ああ、ルビィ。こんな所に居たんだね。さあ、帰ろうか」
「クォーツ! ……そういう事だから、お断りするわ。さよなら」
二人は腕を組んで去って行く。その後ろ姿を追いかけられず、クレイスは夕暮れの中で立ち尽くし、やがて誰も居なくなったその場で行き場の無い疑問と怒りを叫ぶ。
「何故だ。何故だ何故だ何故だ何故だ何故――――!!」
生まれてから、手に入らないものは無かった。魅了されない女は居なかった。誰にも見向きもされなかった女だからこそ、容易いと思ったのに、それは見事に裏切られた。それが信じられず、ただ、何故、を彼は繰り返す。
慟哭が響き渡る空からは、大粒の雨が降り始めていた。
※ ※ ※
彼らの間に生まれた子供は、まっすぐな黒髪と綺麗な黒い瞳の持ち主だった。
見た目は母親に似ているが、父親の血も引いているからか、穏やかに、そして優しく育っていった。
五歳を迎えた頃のある日、娘は父親と街へ出かけた。黒い髪を隠すように目深に帽子を被り、父親の手をぎゅっと握って離さないようにする娘。
そして父親もまた、娘が危険に晒されないよう、痛くない程度に強く娘の手を繋いで歩いていた。
――そんな二人の居ない間に、家で彼らを待つ母親の前へ、一人の男が現れた。
「こんな森の奥深くに住んでいたのか」
森の中には、侵入者感知とここへ来れないようにする為の魔法装置を配置してあった。この男は、それを潜り抜けてしまったらしい。
「何の、御用でしょうか」
「今一度、誘いに来た。やはりこれは、お前に相応しい」
まだ諦めていなかったのか、とルビィは呆れた。それに、彼がした事は神に許されない事でもある。
「私は、神の領域に触れるつもりはありません。お引き取りを」
「だが、永遠の命があれば、家族を守れるぞ?」
甘言だと、ルビィは首を横に振った。そんな言葉に惑わされない。
「名も知らぬ方。あなたは私に何を求めるのですか?」
「ああ、名乗っていなかったな。『俺』はクレイス。そしてお前は、『俺』が唯一、手に入らなかった存在だ」
「そうですか。では、永遠に手に入らないものもある事を、今、知って下さいませ」
五年も前なのに、彼の姿は変わっていない。神の領域に触れる事は、自分の色彩よりも忌まわしい事だとルビィは知っている。
「では、力ずくでも――」
近付こうとしたクレイスを、ルビィは結界で弾き。
「永遠を手に入れるくらいなら、死を選びます」
そして、その手にマージで形成された短剣を生み出し――その胸を深く貫いた。
ほぼ同時に、家の扉が開いて、家族が帰って来てしまう。それは幸運でもあり、不運でもあった。
「ただいま! おかあさん!」
「帰ったよ。……っ、ルビィ!?」
荷物を取り落とす音。駆け寄る足音。
もう前が見えないルビィは、手を取る夫に、か細い声で告げる。
「……ごめん、なさい。せめて、あなた、たち、だけでも――しあわせ、に」
最後の力を振り絞って、祝福の魔法を彼らにかける。
そうして、ルビィは短い生涯に幕を閉じた。
※ ※ ※
クレイスは愕然としていた。永遠の命より、死を選ぶ。その意味が分からなかったのだ。
だが、もうこの片割れは使えない。死んだ相手を蘇らせるのは、また別の禁忌魔法だからだ。そしてそれは、すぐに行わなければ無意味だとも。
死ぬとは思ってなかったからこそ、クレイスはこの石を作る事だけに注力した。
そして、相応しい人間を五年も探した。それでも見つからなかった。否、他に居ないと確信したから、ここまで来たのに。
「ルビィ……ルビィ、何故……!」
妻をかき抱いて泣く男を殺す事は簡単だ。しかしそれは、自分の望んだ結果にはきっとならない。
その時、突き刺すような視線を感じた。その先には、黒髪の少女。
母親とそっくりの彼女は、母親の死を前にしても、静かにクレイスを睨みつけていた。
「あなたが、おかあさんを、ころしたの?」
違う、彼女は自殺した。そう言おうとしたが、クレイスが迫らなければ死ななかったという点において、彼女の問いかけには否定を返せない。
「……永遠を与えると言ったのに、死を選んだんだ。永遠に生きていれば、お前達と暮らせたものを」
「じゃあ、あなたは、おかあさんをころした。きえて。わたしたちのまえから、いますぐ――――きえろ!!」
幼いが故になのか、制御が利かない言葉の呪いが、クレイスを襲う。
真っ黒な霧がクレイスを覆ったと思った次の瞬間、彼は全く知らない場所に居た。
残ったのは、行き場の無い永遠の片割れだけ。
どうやら裏町のどこからしい、と分かったクレイスは、近くに居た浮浪者にそれを投げる。
「うわっ!?」
驚いた浮浪者は訝しげな顔をクレイスに向けるが、クレイスはにやりと笑って言い放った。
「大金になるぞ。好きに使え」
そしてそこから転移し、家に戻ると。
「お兄様。……血の匂いがするわ。また、殺したのね」
自分とは違い、平凡な生まれ方をした少女が玄関先に居た。大人しく、そして病弱な彼女は、五感が強い。それ故に兄を厭っていた。
だが、自分はもう、何も手に入れる気になれなかった。いずれ継ぐはずのこの家も、何もかも、要らなかった。
だから、全てを彼女に押し付ける事にする。
「リリィ。お前に俺の役目をくれてやる。せいぜい、必死で生きるんだな」
「お兄様……? 何を仰って? どこへ!?」
そのまま背を向けた兄へ、妹は声を荒げる。途端に咳き込むが、それでも少女は続けた。
「捨てると、そう仰るのですか。多くを犠牲にしておきながら、手に入るものは要らないと。…………ああ、何て、勝手な方」
失望を隠さない声と言葉にも、何の感情も湧かない。
「勝手に期待していたのはお前達の方だ。……『俺』は、たった一つ以外、要らなかった」
「そう、ですか。お父様もお母様も、きっと落胆なさるでしょうね」
「ではな」
「ええ、さようなら。お兄様」
妹は惜しげもなく、別れを口にした。その場から再び転移したクレイスは、さて、と見知らぬ街の中で呟く。
「何もかもが、退屈だ。こんな事なら、永遠など求めなければ良かったな」
その言葉は、男が生まれて初めて口にした後悔だった。
――その後、男の行方を知る者は誰も居らず。
――彼の居た街から国へ、そして他国へと争いの火種が広がり。
――遺された父娘の行方もまた、誰一人として、知らずに時代は流れていった。
世界大戦、と呼ばれる大きな戦争が起こる、ほんの数年前の出来事である。
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