君に捧げる小さな15センチ。

syatyo

一話

「ねぇ。そろそろ私のこと好きになってもいいんじゃない?」

 星の写真やら漫画雑誌やらで散らかった部室の入り口。僕は艶めいた髪を揺らす少女に数十回目の告白をされていた。

「だから言っただろ? 俺には——」

「他に好きな人がいるんでしょ?」

 わかっているなら告白なんてしなければいいのに。そんな風に思っても、今更伝える間柄ではないことは僕が一番理解していた。

「はぁーあ。こんなに熱烈にアピールしても全然揺れないね、紫苑しおんは」

「もうそろそろ諦めろよ。部活に入って一年だぞ? 瑠璃の告白もそろそろ飽きたよ」

「もう……飽きるとかじゃないのに……」

 わざとらしく頬を膨らませる少女——瑠璃るり。最初は可愛いと思っていた仕草も、一年が経った今では見慣れてしまった。

 俺が高校に上がり天文部に入部してから、早一年。当初は部員一人で廃部寸前だった天文部だったが、俺の必死の勧誘により部員は二倍に増えた。——たった二人になっただけではあるけれど。

「私、そんなに魅力ないかな……」

 独り言の声量を大きく逸脱した瑠璃の声を聞き流しながら、彼女が入部したばかりの頃を思い出す。あの時はとんでもなく可愛い女子が入ってきたと思ったものだ。ぱっちり二重に小ぶりな鼻と口。仄かに赤色に染まった頬はそこはかとなく色気を漂わせていて。

 恋人を失ったばかりだった俺にとって、瑠璃の存在は大きかった。正直な話をすれば、一時は心が揺らいだことだってあった——今では、心の地震は少しも起きないけれど。

「それにさ!」

「……なんだよ。いきなり大きな声出すなって」

「その好きだっていう人教えてくれてもいいんじゃない? 私と紫苑の仲でしょ?」

 瑠璃は得意げに話すが、俺と瑠璃の仲などたかが知れたものだ。つい最近で言えば、お互いの手の大きさを測って、「うわ、紫苑の手小さいね。十五センチしかないじゃん」なんて小馬鹿にされる程度の仲だ。それは男女の仲というよりは——

「俺と瑠璃の関係はあくまで部活仲間だろ。ちょっと仲が良い程度の」

 言いながら、廊下に声が漏れるのを危惧して瑠璃を部室に誘導しつつ、俺は長机の上に雑多に置かれたアウトドア雑誌を手に取った。夏休みまで一週間を切った今、天文部としての最低限の活動として天体観測に行くことを顧問の先生に義務付けられたのだ。もうそろそろ、行き先を決めなければいけない。

「むぅ……。たしかにそう言われればそうだけどさ——ほら! 今度、二人だけでお泊りに行くし、ちょっと仲が良いどころじゃないんじゃない?」

 俺が手に取った雑誌を指差して、瑠璃は思い出したように天体観測の話を持ち出すが——残念だ。俺の予定では天体観測は徹夜で行うことになっている。寝ている間に……なんていうハプニングは起きる余地もない。

「それはそうと、だ。瑠璃も少しくらいは行く場所考えろよ? 俺だけで決めて良いっていうなら、俺の家に近い小さい山の中にするけど」

「えぇー! あの薄気味悪い山でしょ? 絶対に嫌だ!」

 まんまと適当に雑誌を読み始めた瑠璃を横目に、俺は心の中で彼女の言葉に同意した。

——俺だってあの山にはもう、行きたくない。

 それから一時間、午後六時に部活終了を知らせるために顧問の先生がやってきた。結局、いつもならすぐに投げ出す瑠璃も、あの山だけは嫌だったようで一時間みっちり行き先を決めていた。この調子なら明日も静かだろうな。そんな甘い考えを携えて、俺は安心して家路についた。




 北海道の夏は、体感的に暑い。本州に比べて気温が低い日だって、冬の寒さとの差で簡単に体がへこたれてしまうものだ。だから俺も、徒歩二十分の道のりを歩いて家に着いた時には、全身が汗ばんでいた。

「ただいま」

「おかえり……って、あんたそんなに汗かいてどうしたの」

「いや、普通に暑いからでしょ」

 極端に寒がりな母をいつもの調子で受け流して、俺はカバンを放り投げ、お風呂場に直行する。今すぐ汗を流したかった。——今すぐ一人になりたかった。

 つい最近新調した洗濯機を横目に、生まれた時の姿で浴室に入る。躊躇うことなく冷水を頭から浴び、俺は一度だけ大きく深呼吸をした。今日は天体観測の実施地を決めるので疲れてしまった。微かな頭痛と、気だるさがその証拠だ。今日は早く寝よう。

 そんな風に画策していた俺の思考を読んでいたかのように、母は風呂を上がって服を着たばかりの俺を呼び止めて、

「明後日くらいはちゃんとするのよ。——お母さんだって辛いのはわかってるけど」

 と、神妙な口調で俺に語りかける。要領を得ない内容なのに当たり前のようにわかってしまう自分が気持ち悪かった。だけれど、母の言葉を無下にすることなんてできないから。

「……わかってる。もう、大丈夫だから」

 そんな風に本心をひた隠しにした言葉は母に届いただろうか。それさえも確認できずに、俺は自分の部屋に駆け込んだ。そのままの勢いでベッドに横たわり、潤んだ視界で天井を仰ぎ見る。そこには星空が一メートル四方に凝縮されたポスターが貼ってある。

「『あの日』も星を見に行ったんだっけ……」

つい最近のことのように思い出す。静けさが立ち込める山の中。星の光を遮るものが何もない暗闇で、俺は空を仰ぎ見た。どこを見ても「自分たちはここにいるんだ」と主張しようと星が輝いていた。『あの日』はたまたま流星群が見える日で、星が流れるたびに興奮のままに願い事を口走ったりもした。

 でも、あの時の感動はもう——。

「だめだ。寝よう」

 疲れている時に考え事をするからマイナスの方へ傾いていってしまうのだ。だから、今は寝て、とにかく頭を休めよう。

 そう思って目を閉じても、一度落ち込んだ気持ちはなかなか元には戻ってくれなくて。時折、寝るのが怖くなって目を開けたり。特に喉なんて乾いていないのにお茶を飲むためにベッドから出たり。

 結局、俺の意識が夢の世界に迷い込んだのは、ベッドに入ってから一時間が経った頃だった。

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