告白の六日目

目覚めた瞬間、夢の記憶が飛んだ。

 良い夢だったはずなのに・・・・

 顔だけ横を向く。カーテンの隙間から、朝の日差しが入り込んでいた。反対側のベッドを見る。ナナミさんはいない。

 体を起こす。テレビが置かれた机に彼女は座っていた。背中しか見えないが、手元には分厚い参考書が。

 勉強してるのか。

 枕元のケータイを取る。時刻は午前六時五十分。

 「おはよー」

 彼女に声をかけた。

 ペンの動きを止めて振り返る。

 「おはようございます」

 私が参考書を見ているのに気づいて、彼女は微笑んだ。

 「眠れなかったので、勉強していました。こうしていると落ち着くんです」

 勉強していると落ち着く。

 私には無い感情だ。そして、これからも無い。


 服を着替え、朝食を食べ、部屋に戻ってチェックアウトの準備。

 私のケータイが鳴る。

 計ったように、レッドからの電話だった。

 「やめときな」

開口一番、そう言われた。

 「はい?」

 何のことか、私にはさっぱり分からない。

 「探している男には会わないほうがいい。その子を連れて、さっさと帰ってきな」

 ようやく昨日頼んだ事だと分かる。

 顔を見て、その人の居場所が分かるだけでもスゴいのに、素性まで見えるのか。確かに、ナナミさんから聞いた話が事実なら、彼女が探している男は只者ではない。

 だけど・・・・

 「ひと目会ったら帰ります。何処にいますか?」

 電話ごしに、レッドの戸惑いが伝わってきた。本気で私を心配してくれている。素直に嬉しかった。

 レッドはささやくような声音で彼のいる場所を告げた。私はメモを取る。

 「あんな男が日本にいるなんて。宇宙にでも逃げたい気分だよ」

 明日には社長も帰ってくる。あんたの歓迎会をする予定だから、無事に帰ってくるんだよ。

 そう付け加えてレッドは電話を切った。

 そんなに危険な人なの?正直、不安になってきた。

 私の書いたメモを横から見ているナナミさん。

 「ここに、彼がいるんですか?」

彼女に出会ってから、一番明るい声だった。

 私はうなずく。

 「ここからだと、電車で二時間くらいかしら」

そう言ってから、ふと疑問に思った事があった。この際彼女に聞いておこう。

 「ところでさあ、何でこの街に彼がいると思ったの?」

 「ああ。ええっと、彼が海がとても好きで、見に行きたいと言っていたので、この街じゃないかと思って」

 なるほど。

 この街も、今彼がいる街も、海が近い。夏になれば海水浴客でいっぱいになる。今なら人も少なく、波も穏やかだろう。彼の目的は分からないが、私なら心を落ち着かせるために行ってみたいかも。


じゃあ、行こうか。

 はい。

  

 私とナナミさんはホテルを出る。最寄りの駅から大きな駅へ。そこから約二時間の電車移動。車内ではほとんど言葉を交わさなかった。横に座っているだけで、彼女の緊張が移ってきて、私の心臓は激しく脈打っていた。

 なんて単純な人間。オトナの私がしっかりしないと。

 現地に到着し駅を出ると、人でいっぱいだった。今日は日曜日だし、観光地だという事もあって、老若男女、特に若いカップルが多かった。

 大きな荷物はコインロッカーに。私とナナミさんは歩き出す。

 「写真を見ただけで居場所が分かるなんて。凄い方がいるんですね、最近の探偵社って」

 彼女の言葉に、私は苦笑い。

 「私のいる探偵社は特別だと思うよ。普通、そんな人いないから」

 私だって、体や写真に触れれば、思念や記憶を読み取れるのよ、とは自慢しない。まだ自分で制御できない段階だし、あえて言う必要もない。話題を変えて会話する。

 「この街に来たことは?」

 私の問いに、彼女は首を振った。

 「子供の頃から、家族で旅行とか遊びにとか、ほとんどありませんでした。家でずっと勉強ばかりしていました」

 「へえ~、そうなんだ」

 自分と彼女をすり替えてみる。

 家にこもって勉強する私。考えただけで、じんましんが出そうだった。

 私が子供の頃は、近所の男の子と泥んこになって、暗くなるまで外で遊んでいた。 彼女は将来は弁護士になりたいそうだ。

 そんな子が、家出してまで彼を探して告白したいなんて。

 益々彼に興味が湧く。


 広い国道を歩道橋で渡ると、吹く風に潮の香りが混じり始めた。この先には大きな商業施設と港がある。観覧車も見えるので、遊園地もあるようだ。レッドの指定した場所はここ。こんな人の多い所に彼がいるのだろうか。少し不安になる。

 もう一度メモを確認する。

 彼がもし、そのまま動いていなければ、目の前の商業施設にある展望デッキにいるらしい。

 私とナナミさんは人混みの中へ。女の子ならつい立ち止まってしまいそうな可愛らしいお店が並ぶなか、私達は目もくれず進む。

 エレベーターで上階へ向かう。

 展望デッキのある階に着くと、ナナミさんの足が止まった。振り返ると、彼女は深呼吸をしていた。

 うう。こっちまで緊張する。

 通路を少し歩くと、大きな窓のあるフロアに出た。その窓に近づくと、板ばりのデッキと海が広がっていた。

 彼の居場所はすぐに分かった。多分彼の顔を知らなくても、すぐに分かったと思う。これだけ人が多いなか、展望デッキのテーブルに、一人だけ異彩を放つ存在があった。芸能人やプロスポーツ選手などが持っているようなオーラが、彼から出ていた。

 港から吹く潮風に、髪を揺らせて座る姿は、まさに芸術的。辺りの女性が恍惚と彼を見つめているが、現実離れした美形のためか、近寄る者はいなかった。

 私とナナミさんはドアを開け、展望デッキに出る。ゆっくりと彼に近づく。


 うわ~、写真より全然イケメンだよー。もう少し気合いを入れて化粧すれば良かったなあ~。 


 なんて考えながら、ナナミさんの様子を見る。彼女はしっかりと彼を見つめ、両手を胸元に押しつけながら、唇をキッと噛んでいた。

 「ナナミさん」

 私が声をかけると、彼女はうなずき、彼の方へ歩き始めた。

 その後を私も歩く。

彼は椅子に座り、本を読んでいた。

 ただそれだけなのに、彼の周りには不思議な空気が漂っていた。

 「ワタルさん」

 しっかりした声で、ナナミさんは彼の名を呼んだ。

 彼は本を閉じ、彼女の方を向いた。私は少し離れた場所で、二人の様子を伺う。

 「来たね」

澄んだ声で彼が言った。

 目線が私に向けられる。

 「あの赤い服を着た女性は、君の仲間かい?」

 え?

 もしかして、レッドのこと?

 「彼女がボクのことをじっと見つめているから、動けなかったよ」

 背筋が寒くなる。

 彼はここにいながら、レッドが見えていたことになる。


 「ボクに会いに来てくれたの?」

今度はナナミさんへ問いかける。

 彼女はうなずいた。

 「君にまた会えるとは思わなかった。ありがとう、うれしいよ」

そう言って、彼は私達に椅子をすすめた。

 ナナミさんは彼の正面、私は無遠慮にも彼女の横に。近くで見ても格好いい。私のような凡人とは違うオーラが出ている。

 「今日は、ワタルさんに伝えたい事があって、ここに来ました」

 緊張のせいか、少し声が震えているけど、はっきり言えてる。

 がんばれ、ナナミさん。

 「命の恩人なのに、私一言もお礼を言ってなくて。あの時は、急な出来事に気が動転していて、何も言えませんでした。ワタルさん、危ないところを助けていただいて有難うございました」

 深々と頭を下げるナナミさん。

 「そんなの、全然いいのに。ボクはただ悪い人を退治しただけだから」

そう言って微笑む彼。

 ナナミさんの話を信用するならば、彼が退治した悪い人は不死身の吸血鬼らしい。

 不死身は退治できないでしょ。

 そもそも吸血鬼がいるの?しかも日本に。

 その辺の疑問は、話の腰を折るので流してしまう。流せるような事じゃないかもだけど。


 「それと、もうひとつ伝えたいことがあって・・・・」

 語尾が消えそうだ。

 彼女は下を向いてしまった。

 私は彼女の背中をさすった。大丈夫、落ち着いて。彼ならちゃんと気持ちを受け止めてくれる。

 ナナミさんは私をチラリと見て、キッと唇を引き締めた。

 「今まで私は勉強しか興味がありませんでした。だけど、ワタルさんに出会ってから変わりました。あなたを見ていると、顔が熱くなって、胸の辺りがぎゅっと締め付けられたようになるんです。初めての経験で、私にはこれがどういう状況なのか分かりませんでした」

 彼はナナミさんをじっと見つめていた。

 「だけど、今になってやっと分かったんです。これは異性に対する特別な感情なんだと」

 ナナミさんも彼を見つめている。

 聞いているだけで心臓がバクバクいってる。

「私、ワタルさんのことが好きです」

 言えた!

 言い切った。

 私は心の中で拍手を送る。

 彼は笑顔のまま、ゆっくり目を閉じた。何だよこの男は。何しても絵になるなあ。

 「ナナミさん、僕は・・・・」

 「分かっています」

 彼女は、彼の言葉を遮った。

 「あなたを好きになっても、叶わない事は。私とあなたは、住む世界が違う。あなたは人であって人でない。分かっているんです。私はただ、この気持ちをあなたに伝えたかっただけなんです」

 ナナミさんの言葉を聞いて、彼は何か言いたそうにしていたけど、そう、とただひと言だけ言って微笑んだ。

 しばし沈黙。

 ナナミさんは、泣きそうになるのをこらえていた。

 私は彼女の背中をさすってあげる。

 「ありがとう」

 彼が開口した。

 「素直に嬉しいよ。最後に君に会えて良かった」

 最後?

 どういう意味だろう。

 「僕の命はもう長くない。死期が迫っているんだ」

 病気じゃないよ、寿命なんだ。と、付け加える。

 「寿命って。あなたそんなに年を取ってないでしょ?」

思わず彼に聞いてしまった。

 「そうでもないよ。君が思っているより、僕は長く生きている」

彼は続けて、

 「何なら、僕に触れて心の中を覗いて見るかい?」

と私に問う。

 初対面なのに、私の能力を知っている。

 「いいえ。やめておきます。多分見ないほうがいい気がします」

 正解だよ。君のためにもそれがいい。

 彼はそう言って、テーブル上の本に手を伸ばした。とても大事そうに見つめ、ナナミさんの方へ差し出した。

 「君にもらった本、読み終えたよ。とても良いお話だった。久しぶりに本で感動したよ。ホント、君にはもらってばかりで、何も返せないのが残念で仕方ない」

 彼の言葉を聞いて、ナナミさんは手で顔を覆った。

 我慢の限界が来たらしく、彼女は泣いてしまった。気持ちを伝えられた事への安堵と、彼にもう会えない事への辛さと。色々な思いが渦巻いているんだと思う。

 「あなたなら、何とかなるんじゃないですか?」

私の問いに、彼が顔を向ける。

 「あなたなら、死も越えられるんじゃないの?そんな気がしますが」

 彼は首を振った。

 「僕ひとりの問題じゃないんだ」

 それに、もう十分生きた。

 ナナミさんに声をかけようとして、彼はふと、別の方を向いた。

 私も同じ方を見る。

 展望デッキの出入口付近に、こちらをじっと見ている男性がいた。腕を組んで、大きな窓にもたれている。

 明らかに日本人ではない。金髪で、肌の色も少し違う。

 何故か今、キョウコさんが言った言葉を思い出す。

 「君たち、早くここを離れたほうがいい」

彼が言った。

楽しい時間を邪魔するのは、私の趣味ではないのだけど


 金髪外国人が言った。

 言ったというか、言葉が直接頭の中に響いた。あの家出犬のように。

 ナナミさんは変わらず泣いている。彼女には彼の声が聞こえてないらしい。


 彼と話がしたいんだ。少し時間をくれないかな?


 落ち着いた口調で問いかけてくる外国人。だけど、私の心臓は激しく動いていた。本能が彼を危険だと告げていた。

 「ナナミさん、そろそろ行こうか」

私は彼女に話しかける。

 状況が分からない彼女には唐突な言葉かもしれない。


 だけど、もし彼との交渉で、君たちが私に有利に働くのなら、座っていたまえ


 ヤバイ。

 ヤバイぞ。私の寿命がカウントダウンを始めた。今からでは危険を避けられない気がする。私の様子を見て、不思議そうな顔をしているナナミさん。どうすればいい?彼に助けを求める。

 「君の仲間の、あの緑の人。ここに呼べないの?」

 グリーンのことか。

 「無理だと思います。自分が実際に行った場所しか移動できないんです」

私の答えに彼は少し考え、

 「少し時間がかかるけど、彼を呼ぶしかないね。それまでは僕が君たちを守るから」

と言った。

 呼ぶ?

 そんなことができるの?

 その時、何か巨大なモノが動いたような感覚が私を襲った。

 金髪の彼が、こちらに向かって歩きだした。

 「君は、高いところは平気かな?」

 はい?

 彼の質問の意図が分からない。

 彼は立ち上がり、私とナナミさんの間に。両手を広げて、彼の手が私の腰の辺りに。

 突然、景色が変わった。

 はい?

 座っていた感覚も、足が地面についている感覚もない。

 飛んでいた。

 高いビルが下に見えた。彼は私とナナミさんを両脇に抱えて飛んでいた。途中、どこかのビルの屋上に降りた。振り返ると、こちらに向かって何かが飛んでくる。

 彼は、飛んできた数台のクルマを、膨らませた風船を押し返すようなタッチでかわして、再び私たちを抱えて跳躍した。

 今、とても大変な状況と出来事が起きている。だけど、彼に抱えられていると不安は感じなかった。

 空は青く、頬にあたる風はとても心地よかった。あまりに気持ち良くて眠ってしまいそうなくらい。

 時間の感覚が麻痺している。後で考えれば、その空中散歩は五分くらいだったと思う。何処かの街の見知らぬ場所に降り立った。

 横を見ると、彼がナナミさんの髪を愛しそうに撫でていた。

 

 元気でね ありがとう


 ささやくような声だった。

 気がつくと彼の姿はなく、目の前にグリーンが現れた。お互い、ウワッ、と漫画のように驚く。

 「なな、なんじゃ。何処だ、ここは?」

 状況を確認しているヒマはない。

 「早く移動して!!」

 私の勢いに押されて、グリーンは手を伸ばした。

 景色が揺れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る