気合いの三日目
心地よい朝の日差しと鳥たちのさえずり。
さっきまで見ていた夢は何だっけ。とっても素敵な夢だったのに、何故か思い出せない。その原因はきっと、この気分の悪さだろう。
目覚めてすぐ襲われる頭痛と吐き気。
ベッドから起き上がり目を開ける。
あれ。私、いつベッドに寝たっけ?
つーか、昨日『パステル』でヨースケさんと飲んでいて、どうやって帰ったっけ?
部屋を見回す。
あれれ。
ここは、何処?
見知らぬ部屋だった。
私のアパートの部屋は、こんなに広くないし綺麗でもない。
「おはよう、マリアちゃん。気分はどう?」
最悪です。
調子に乗って飲みすぎました。
て、さゆりさん?
ようやく状況を理解する。
ここは多分探偵社のある洋館の三階。社長とさゆりさんの家だ。
やってしまった。
酔いつぶれたんだ。恥ずかしくてさゆりさんと目を合わせられない。
「すいません、さゆりさん。私・・・・」
さゆりさんは、昨夜と同じ素敵な笑顔だった。
昨日バーで酔いつぶれた私をここまで運んでくれたのはヨースケさんだそうだ。
後でお礼言わなくちゃ。
「シャワーでも浴びてらしゃい。すっきりするから」
さゆりさんのご好意に甘えて、シャワーを浴び、服を借り、昼に近い朝食まで頂いてしまった。一緒にいると、気持ちが和らいで幸せな気分になる。
この至福な時間がずっと続かないかなあ。
なんて思っていると、私のケータイが鳴った。昨日登録したばかりの番号だ。
「もう十分和んだでしょ? そろそろ出勤しなさい」
レッドの声が、私を現実へと引き戻す。
いってらっしゃい。頑張ってね
さゆりさんに見送られ、階段を降りる。彼女に応援されると、何だかとてもやる気が出る。
よし、今日は気合入れて頑張るぞ。
私は勢い良く探偵社のドアを開けた。
ソファーに目がチカチカする赤い塊が座っていた。立ちこめるのは、お香のような臭いのする煙草の煙。
「随分早い出勤ね」
言い方はきつかったけど、何だろう、昨日より優しく感じた。
おはようございます。
私は換気扇を動かし、湯を沸かした。
「乳がデカいだけかと思ったけど、見込みはありそうね」
そう言って、レッドはキャリーバッグの中から何かを取り出す。
地図だ。
広げてテーブルに置く。
私はお盆にお茶の入った湯のみを乗せソファーに向かう。湯のみを置いて彼女の前に座る。
目が合った。
「あたしたちの能力は使い過ぎると体力を奪うから、今度からもう少し加減しな。ま、今はまだ加減出来ないだろうけど」
そう言って煙を吐き出すレッド。
写真を見て、公園の映像が浮かんだこと、だよな。それが私の能力?
「アレって、一体何ですか?」
レッドに問う。
彼女は煙草をもみ消しお茶をすすった。
「物や人に触れただけで、対象に込められた思念や情報を読み取る能力。それがアンタの能力さ」
サイコメトリーとか世間では言うね。
私もこれで晴れてヒーロー戦隊に仲間入りですか。
て、おいおい。
このままだと原色のジャージが制服になってしまうぞ。
ヤバい。
なんとしても食い止めなくては。
「あたしらに近づいて、眠ってい能力が目覚めたんだろうね」
それより、とレッドは地図を見る。
「今日こそ逃げた犬を捕まえてきな。次の仕事が待ってんだ」
話は進む。
私のなかでは、まだサイコメトリーの件が解決してないのですが。
レッドは赤ペンで地図に印をつけた。
「ここが探偵社。そしてココが・・・・」
もう一つ印をつけた。
「アンタが昨日見つけた公園」
ほう。
最寄りの駅で電車を利用すれば三十分足らずで行ける。
「犬はここにいるから、今から行ってきな」
レッドの勢いに押され、探偵社を出る私。
モヤモヤは残っているが、とにかく犬を捕まえよう。飼い主さんだって心配しているはずだ。あの公園にいるなら行くしかない。
でもその前に・・・・
『喫茶れいんぼう』のドアを開ける。
食欲をそそる香辛料の香り。
今日はお昼前から満席で、ヨースケさんは厨房で、キョウコさんは接客で忙しそうだった。それでも私に気付くと手を止め、よう、と声を掛けてくれた。
「昨日は迷惑かけてすいませんでした」
私は深々と頭を下げる。
ヨースケさんにまた睨まれたが、レッド同様今日は優しく感じられた。
「マリアちゃ~ん」
走り寄ってきたキョウコさんに抱きつかれた。
「これから出撃なの?」
思わず、はい、と返事をしたが、出撃って軍隊じゃあるまいし。
あ、いや、ヒーロー戦隊でしたね。
「忙しそうですね」
そうなのよ~、とある席を指差す。
「今日はカレーフェアの日なんだけど、イエローが来ちゃってさ、根こそぎ食べちゃうから作るのが間に合わなくて」
へぇ~
て、今確かイエローとおっしゃいましたか?
キョウコさんの指差す席を見る。黄色いバンダナを頭に巻いた巨漢が座っている。テーブルには業務用の炊飯器と鍋。大皿には山盛りのカレー。まるで水を飲んでいるような勢いで口の中に消えてゆく。
イエローはカレー好き。聞き覚えのあるフレーズ。
厨房では、ヨースケさんの持つ包丁が信じられない早さで野菜を刻んでいる。
目が合った。
「後で食いに来い」
それだけ言ってまた調理に集中する。
気合い入ってるなあ。私も頑張らないと・・・・
今度はイエローと目が合った。スプーンを持ったまま、カレーまみれの口のまま、立ち上がり私に近づいくる。
わわわ。
横にも縦にも大きい。相撲取りみたい。
「キミが新しく仲間になった子?」
イエローに問われる。
黄色いのはバンダナだけだった。そういうのもアリなんだ。
「ええ~っと、仲間になる予定の伊武マリアです」
じっと私を見つめるイエロー。
見てるんだよね?目が細くて何処見ているのか分からないけど。
笑った。
私もとりあえず笑った。
「オレ、お前のこと、ヨースケのカレーの次に好き」
それだけ言って席に戻るイエロー。
よかったね、気に入れられて。
キョウコさんにそう言われたが、良いのかどうか私は微妙だった。
最寄りの駅まで徒歩で数分。そこから電車で約二十分。再び徒歩で数分。
昨日の公園だ。
近くに市営住宅が立ち並んでいるが、少し離れているせいか公園に人はいない。
昨日も感じたが、この公園だけ時間が止まっているようだ。昔のまま、今の時代に取り残されているような。
ゾウさんのすべり台の近くにベンチがあった。
そこに犬が座っている。写真と同じ種類の犬だ。首輪も同じ。
間違いない。
私は慎重に歩み寄る。
名前を呼んだら逃げないかな。え~っと、名前何だっけ・・・・
どこにも逃げねえよ
頭の中に声が響いた。辺りを見回すが誰もいない。
犬の方を見た。
まあ、座れ
有り得ないけど、犬が私に話しかけていた。
「え?」
犬を飼ったことはないが、普通は人の言葉話さないよね。
「え?」
答えを犬に求めた。
そうだよ。オレがあんたに話しかけてんだ。
もう一度座れと言われた。
不思議とコワくはなかった。犬に従って横に座った。
「最近の犬は人の言葉を話せるの?」
一応聞いてみた。
そんなワケねえだろ。だいたい口の形が違うから、人の言葉は発音できない。あんたの頭の中に思念を送ってんだ。
常識外の事は少し慣れているので、ここは犬が人の言葉を理解できて、気持ちを伝えることができる、そういう事にしておこう。
「言葉が分かるなら話が早いわ。どうして逃げたの?」
犬は目をそらした。
多分、哀愁に満ちた表情をしている。
犬のフリをするのに疲れちまったんだ。
飼い主に嫌われたくないため、人の言葉が分かる事を隠してきた。だけど愛情が深い故に、嘘をつき続ける事が苦しくなってきたそうだ。
世の中、色々な悩みがあるが、犬の悩みを聞いたのは初めてだ。
オレは捨て犬だった。前の飼い主は、オレが話せる事を気味悪がって捨てたんだ。雨の中、たまたまこの公園で雨やどりしているところを、今の飼い主に拾われた。
この公園は、飼い主と最初に出会った思い出の場所なんだ。
いい家族なんだよ。主人も奥さんも子供たちも、みんな大好きだ。失いたくないんだ。だけど、これ以上嘘をつき続ける事はできない。このまま、いい思い出のままあの家を去った方がいい。そう思ったんだ。
本音を聞いたら本音で答えるしかない。
「馬鹿じゃないの」
私の強い口調に、犬は驚いていた。
「なにビビってんのよ。打ち明ければいいじゃない。あんたがそれだけ大好きな家族なら、きっと分かってくれる。言葉が分かる事も受け入れて、今と変わらず愛してくれるよ。まずはぶつかんなきゃ」
だけど、もし嫌われたら・・・・
「絶対ない。私あんたの写真に触れた時感じたんだ。依頼者の家族のあんたに対する愛情を。とても大切に思ってる。言葉を話せるくらいで嫌ったりしない」
私は断言した。
説得は二時間近く続いた。
一度捨てられた事がトラウマになっていて、なかなか決心がつかないようだった。それでも、私の説得が効いたのか、気持ちの変化があったのか、ようやく全て打ち明ける気になったみたい。
よし、とにかくこのまま連れて探偵社に戻ろう。
そんな時、私のケータイが鳴った。
依頼者待っている。すぐ帰って来い。レッドより
だから、何でメルアド知ってんの?!
行きはよいよい、帰りは・・・・
犬を連れて電車は乗れず、結局徒歩で探偵社まで。細い路地の小さな商店街が見える頃には、日はかなり西に傾いていた。
探偵社に戻ると感動の再会。依頼主の家族全員が待っていた。
事案は実にあっさりとクリアされた。
断腸の思いで事実を告白した犬。すると、依頼主の家族全員が、申し合わせた様に笑った。
なぁんだ。そんなことかぁ。
最近様子がおかしかったので、病気じゃないかと心配していたが、言葉が話せる事を悩んでいたとは。
そんな事で嫌ったりしないよ。むしろ嬉しいくらいだ。これから楽しくなりそうだ、なんて喜んでいた。
非現実な事を素直に受け入れられる人とそうでない人。ただそれだけの違いだ。
この犬は良い人に出会ったんだ。
これで家出犬の捜索完了。
依頼者家族は何度も礼を言って探偵社を後にした。
あとは報告書を書いて、ヨースケさんのカレーを食べて、今日は終了だ。
私、よく頑張った。
お疲れ様~
「まだ帰れないよ」
そう言って煙草に火をつけるレッド。
私はソファーから立ち上がろうとして止まった。目の前のレッドを見る。
「捜査依頼の資料を見な」
彼女の言葉に従い、自分のデスクの資料を手に取る。
「浮気調査の依頼者の証言の所だ」
えー、なになに。
依頼者は三十五才の夫。最近妻の様子がおかしい。金曜日になると、友達と会う約束があるといって出かける。残業で私がいない時もあるが、どうやら毎週のように出かけているらしい。会社の同僚が、妻が知らない男と一緒にいるのを見たと聞いた。どうか真意を確かめて欲しい。
なるほど。
で、今日は金曜日だと。
「ここで仮眠をとって、夜は尾行調査。時間と場所は後で連絡が来るから」
頼んだよ。
レッド、キャリーバッグを引きずりながら、探偵社を出る。
ひとりポツーーーン。
「どう思います?この人使いの荒さ」
私はカウンターでヨースケさんに愚痴った。
ヨースケさんは何も答えず、大きな鍋の中身を混ぜている。皿に盛ったご飯の上に、たっぷりと鍋の中身を注ぐ。
食欲をそそる独特の香り。私の胃が手招きをしている。
「まあ食え。腹が減ってたら余計イライラするからな」
ヨースケさんの言う通り。
「いただきまーす」
私は大盛りのカレーを頬張った。
近くのコンビニで必要な物を買い、探偵社に戻る。書きかけの報告書とにらめっこしていたら、さゆりさんが来てくれた。毛布とか夜食とかの差し入れだった。
そのまま置いておいて。朝片付けに来るから。
そう言って仕事に向かうさゆりさん。
ああ、そうか。ここの片付けとか掃除は、さゆりさんがしてるのか。社長が逮捕された時探偵社を片付けたのはさゆりさんか。
納得。
報告書を書き終えたのが午後七時。
とにかく寝よう。
出動する時間も分からないし、何時に終わるのかも分からない。とにかく体力勝負だ。と、レッドに振り回されている自分を言い聞かせる。
レッドの上から目線にムカついているのに、なんで素直に従っているのか。自分でもよく分からない。できません、て言ったらきっとレッドは、
『あんた、そんな事も出来ないの』
と言われそうで、それは許せない。
負ける気がしてなんか嫌だ。
ソファーで横になり毛布をかぶる。
薄汚れた白い天井を見ながら調査資料を思い出す。結婚して三年。まだ新婚と呼べる位なのに浮気だなんて。私は経験がないから分からないけど、一人を好きでいられないのかなあ。
それとも、一緒に生活すると嫌いになってしまうのか。
恋愛経験の少ない私には、男と女の問題は難し過ぎる。まして夫婦間の事なんてなおさらだ。
ふと、高校時代に付き合っていた元カレが頭に浮かんだ。
アイツどうしてるかなあ。
進学と就職。道は違うけど心はいつもそばにいる、とか何とか言ってたけど、いつの間にか連絡が来なくなったよな。
大学って楽しいのかなあ。
私も大学行けばよかったかなあ。
キャンパスライフを空想しながら、私の意識は次第に夢の中へと導かれていった。
ケータイが鳴っていた。
いい夢を見ていたはずなのに思い出せない。
私は体を起こす
うぅ・・・体のあちこちが痛む。変な姿勢で寝ていたらしい。
ケータイを手に取る。
名前がBlueの表示。はて、こんな人登録してたっけ?
「ど、どうも。寝ているところ起してすいません」
何となく聞き覚えのある声。
「対象が今家を出ました。これから浮気相手と会うようです。追跡お願いします」
場所は・・・・
あ、思い出した。気の弱い青男だ。
ムカつきながらも向かう場所をメモする。この間の事で、文句のひとつでも言ってやろうかと思ったが、あの野郎用件だけ言ったら切りやがった。
私は身支度をして探偵社を出た。
午後十一時過ぎ。
これから友人と食事、という時間帯ではない。
依頼者は残業でまだ帰宅していない。
大通りまで走って手を挙げる。
タクシーはすぐやって来た。
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