泣きの二日目

午前八時五分。


 私は『喫茶れいんぼう』のカウンターに座っていた。

 「物好きな奴だ」

とヨースケさんに言われた。


 自分でも思った。来なけりゃいいのに。余計な事に首を突っ込まなくていいのに。


 「ま、お前なら来ると思ってたがな」

そう言って、私の前に料理を出すヨースケさん。

 一汁三菜。和朝食の定番だった。昨日の出来事を忘れさせてくれるくらい美味しかった。このまま彼の料理を食べ続けたら、体重計に乗るのが怖くなるんじゃないか、と別の不安要素が出てきた。


 八時五十分。

 探偵社のブラインドを上げ、窓ごしに朝の日差しを浴びる。

 とにかく、私に出来ることをやろう。

 私は昨日のやりかけだった調査書のまとめ作業を始めた。しばらくモニターと書類に集中していたが、ふと疑問に思ったことがあった。

 昨日、私はパソコンの電源だけ落として、あとはそのままで帰った。

 応接セットで寝ていた社長が掛けていた毛布はそのまま、散らかった机の上もそのまま、ブラインドも下ろしていない。


 私が帰った後、社員の人が来たのかな?

 それとも、社長の年齢なら奥さんいてもおかしくないし、奥さんが来て・・・・

 聞いてくれる人もいないし、答える人もいない。

 私はため息をついて、作業を再開した。


 ホッと一息。

 時計を見ると十一時前だった。結構頑張った。プリントアウトしとくか。私は画面をクリックした。

 プリンターが動いてる間、椅子の背もたれに体重をあずけ、目を閉じる。

 さて、これからどうしようか。

 社長に任されたものの、この先どうしていいか分からない。依頼の調査をするにしても、何から始めていいのか、私には考えつかなかった。

 期日は迫っている。

 さてさて、う~ん・・・・


 部屋の入口の向こうで、何やら物音。

 何かが転がっているような、引きずられているような変な音が聞こえる。

 入口のドアが、バン!と勢い良く開けられる。

 思わず目を細めてしまう程強烈な、赤い塊が現れた。

 赤い上下のジャージに赤いキャリーバッグ。髪もやや赤い。小太りの五十才前後おばさんの顔が付いている。

 おばさんはキャリーバッグを転がし、いや引きずりながら、私に近寄ってきた。

 「なな、何ですか、あなたは?」

 強烈な赤と勢いに押され、私は立ち上がり両手で顔をガードした。

 目がチカチカするような赤いジャージ、何処に売ってんの?! 昨日の二色野郎といい、世間では全身原色にするのが流行ってんの??


 「あんたが新入社員なの?」

おばさんに問われた。

 ハスキーで低音な声。顔を見なかったら性別が分からない程だ。

 「社員、の方、ですか?」

 怖々聞いてみた。

 おばさんはバッグを置いて、私を上から下までじっくりと見ていた。

おばさん独特のオーラが、私の強気を腐食する。

 見ることに飽きたおばさんは、今度は私の周りをぐるぐる周り始めた。何周目かに私の背後で止まった。

 いきなり後ろから胸を掴まれ、思いっきり握られた。

 「痛い痛い痛い!!」

おばさんの手を振りほどき離れた。

 「いきなり何するんですか!」

 おばさんは悪びれた様子もなく、

 「あら、本物だわ」

と言った。

 何だ、ソレ。


 彼女はソファに座り、ジャージのポケットから煙草を出して火をつけた。

 「あの馬鹿社長がいない間、あたしがここの責任者だから」

 紫煙が立ち込める。

 お香のような臭いのする、変わった煙草だ。

 「私は『RED』。よろしく、新人」


 は?

 レッド?

 何それ。見たまんまじゃん。


 「ここの社員は色々問題があって、名前は非公開だから。あたしのことはレッドと呼びな」

おばさん、いやレッドは煙草をもみ消した。

 名前と色を合わせてるってことか。

 あ。

 ちょっとピンときた。

 私は手を挙げた。

 「なに?」

 「あのう、もしかして、青や緑の社員の方もいます?」

 ああ、いるよ。

 レッドおばさんは当然のように答えた。あいつら社員なのか。

 「で、あんたはどんな能力があるの?」

レッドが問う。

 はい?

 「えぇっと、能力、といいますと?」

 レッドは私の顔をじっと見つめ、やがて大きなため息をついた。

 「あの馬鹿社長の好みで選んだか、まだ目覚めてないのか。あいつ、巨乳好きだから、好みで選んだかもね」

 レッド、再び煙草に火をつける。

 「まあいいわ。早速だけど、今日のあんたの仕事は聞き込みと捜索ね。期限が近い依頼はどれ?」

と、プリンターの方を見るレッド。

 慌てて印刷できた書類を手に取り確認する。

 「飼い犬の捜索期限が明日までです」

 レッドはゆっくり紫煙を吐き出す。

 「じゃあ、それ行ってきなさい」



入社二日目。

 何の知識も経験も無い私は、いきなり捜査に出かけた。


 今ある情報と、これから入る情報を元に、自分なりに探してきな。夕方の五時まではいてやるから、それまでに帰ってくるんだよ。


 なんて言われて送り出されたが、さて、どうしようか。

 まずは捜索願いのチラシを貼らしてもらった店をまわって、資料にある目撃情報が多い地域をもう一度・・・・

 いやいや、待て待て。

 あのレッドとか言うおばさんの勢いに押されて出て来たが、そもそも私は事務員として就職したはず。何で捜査に出てるんだ?

 その時、ポケットのケータイが鳴った。

 手に取ると、知らない番号からだった。


 「今のあたしは社長代行。サボるんじゃないよ。これは入社試験も兼ねてるから張り切ってやんな」

 それだけ言って切れる。

 レッドおばさんからだった。

 教えてないのに、何で番号知ってるの?!


 結局、私は自分でまとめた資料を元に聞き込み捜査を始めた。いくら他人に無関心の都会でも、犬が一匹でウロウロしてたら目立つし気付くだろう。しかも、目撃者の多い地域は住宅街だ。きっと手掛かりがあるはず。

 私はその周辺を再度聞き込み調査した。最初の聞き込みから十日近く経っているし、新たな情報が得られるはずだ。


 何も無かった。思いつく限りの場所も問い合わせたが、保護されてもいないし、事故でひかれてもなかった。

 甘かった。


 平日の公園。若いお母さん方が集まって談笑している。小さな子供たちは遊具で仲良く遊んでいる。

 私はそんな風景を見ながらベンチに座っていた。

 午後三時過ぎ。

 お腹すいたなあ~

 今頃昼抜きだったと気付く。コンビニで何か買うか、なんて思いつつ、逃げた犬の写真を見つめる。

 普段は室内で飼っていて、ヒモで固定することなく、しかも外へ自由に出入り出来る環境。

 飼い主の話では、散歩の時間になって探していると、丁度犬が玄関から出て行く所だったそうだ。

 誰かに連れ去られたとかではなく、まるで自分の意思で出ていったかのようだったと、飼い主は言っている。


 お前、何で逃げたんだ?

 何か不満があったの?

 私は写真の犬に問いかける。



その時だった。

 写真を持つ手が急にしびれ、頭の中に映像が流れ込んだ。

 え、え、何よコレ。

 私は思わずベンチから立ち上がった。立ったまま辺りを見回す。

 何も変わっていない。お母さん方も子供たちも、そのままだ。

 平日の公園。

 私の頭の中に浮かんだ映像は、この公園ではなかった。


 午後五時。

 空腹と疲労でめまいがした。それでもここまで体力がもったのは、ヨースケさんの朝食のおかげだ。

 何十回、何百回と写真に語りかけ、たまに浮かぶ映像を頼りにその公園を探す。

 小さな公園のようだが、特徴はある。

 動物を模した遊具。ゾウさんのすべり台。

 道行く人に尋ねつつ、着いてみればどっぷりの夜。七時を過ぎていた。知らない街でよく見つけられたものだと、我ながら感心する。

 誰もいない公園の真ん中に立ち両手を上げる。ひとまず達成感を味わう。

 次に絶望感。

 こんな暗がりで、しかも人もクルマも通らない所で、どうやって捜索するのよ。

 帰り道も分からないし。

 ライオンの椅子に座りため息。

 なんか凄く疲れた。私って、こんなに体力無かったっけ。

 もう歩けそうもない。

 うなだれたまま、闇に溶けてしまいそうだ。


 「マリア」

 名前を呼ばれるまで、そこに人がいると気付かなかった。

 顔を上げると、目の前にヨースケさんが立っていた。


 あ、ヨースケさんだ。


 自然と目から涙がこぼれる。

 ヨースケさんは焦っていた。

 「おいおい、何で泣いてんだよ。連れて帰ってやるから、クルマに乗れ」

 今なら、神様を信じれる気がした。


 「どうして私のいる場所が分かったんですか?」

クルマに揺られながら、私はヨースケさんに尋ねた。

 彼はすぐ答えなかった。

 私にどう説明しようか、言葉を選んでいるようだった。

 「俺はレッドにあの公園に迎えに行ってくれ、と頼まれただけだ」

 あの赤ジャージのおばさんが?

 そういえば、五時までに帰ってこい、って言ってたな。


 クルマは信号で停まった。

 それよりも、とヨースケさんが私に話しかける。

 「自宅(うち)まで送ってやるから、場所教えろ」

 私は外を見た。

 歩道を楽しそうに歩く恋人達。

 このまま自宅に帰って独りになりたくないなあ。

 「今夜は帰りたくありません」

そう言った途端、ヨースケさんは異常な程動揺していた。

 この人、意外とウブなんだ。

 「何処か、お酒の飲めるところに連れてって下さい」

 しばらく目線がウロウロしていたが、いつもの目つきに戻る。

 「紛らわしい言い方しやがって・・・・」

 信号が変わる。

 「俺の行き付けの店がある」

そう言って、ヨースケさんは前を向いた。


で、着いたのがココ?

 ヨースケさん行き付けのお店。探偵社のあるビルの地下一階の『Barパステル』。

 ドアをくぐり、店内に入る。

 落ち着いた、黒を基調とした内装とジャズのBGM。大きめのカウンターと少しのテーブル。天井は木の梁が剥き出しで、床板は歩くと心地よい靴音を響かせた。

 「こんばんは」

そう言って当たり前のようにカウンターの端に座るヨースケさん。

 そこがいつもの席なのだろうか。

 お客さんは誰もいなかった。

 「あら、ヨースケちゃん、いらっしゃい」

 カウンターの向こうから明るい声がした。バーテンダーといえば男性をイメージするが、ここは女性だった。

 照明でライトアップされたボトルを背に立つ着物の女性。

 ドアの近くで立ちすくんでいる私を見て、ニコリと笑う。

 綺麗な人。

 「何してる。座れ」

 ヨースケさんに睨まれ、慌てて彼の隣に座る。

 「いらっしゃい」

そう言って微笑む彼女。

 着物とバーって、結構いいかも。それに女マスターとっても綺麗だし。

 私もつられて笑顔になっちゃう。

 「あなたが新入社員のマリアちゃんね。初めまして、私キンちゃんと一緒にいる、さゆりです。よろしくね」


 キンちゃん?

 ・・・・誰?

 「探偵社の社長だよ」

 ヨースケさんが私の?マークを払拭。

 「えぇーー!しゃ、社長の奥さんですか?」

私の問いに、さゆりさんは、

 「奥さん、みたいなものだけど、籍は入れてないの。だから同居人」

と答えてくれた。

 同じ大学の同期で、十年くらい前に偶然道端で再会、お互い独り身だったので一緒に住み始めたそうだ。籍を入れないのは、束縛されたくないという二人の理念らしい。


 ヨースケさんはビールを注文したので私も便乗した。

 さゆりさんもどうぞ、と三つのグラスにビールが注がれ、乾杯した。私は昼前に探偵社を出てから、何も口にしていなかったせいか、一気に飲み干した。

 仕事終わりのビールのうまさを語るサラリーマンの気持ちが分かる気がした。

 空のグラスにビールを注ぐヨースケさん。

 「マリアちゃんに謝らなくちゃ」

と、着物の袖をたすきがけしながら、さゆりさんが言う。

 「入社した日にキンちゃん捕まちゃってゴメンね。容疑が晴れるまで少し時間がかかるけど、それまで探偵社をよろしくね」

 私に頼まれても。

 入社二日目なんですが。

 「とても優秀な社員が四人いるけど、変わり者ばかりだから。キンちゃんも、マリアちゃんには素質があるって、期待してたしさ」

 素敵な笑顔でさゆりさんが言った。

 社長が私の何に期待していたのか疑問だが、まあ悪い気はしない。

 犬の写真を見て公園の映像が頭の中に浮かんだ。

 それが私の素質?

 レッドおばさんの言う能力ってやつなの?


「レッドにはもう会った?」

さゆりさんの問いに、私は、はい、と返事をする。

 「彼女は社員のリーダーだから、厳しい事を言うだろうけど、キンちゃんがいない間彼女が社長代行だから、指示をよく聞いて頑張ってね」

そう言って、また素敵な笑顔で締めるさゆりさん。


 この際だ。疑問に思った事を聞いてみよう。

 「探偵って、特殊な仕事だから名前を明かさないのは納得できます。でも、何で色の名前を使っているんですか?」

 ああ、そこ気になる?

 みたいな表情のさゆりさん。

 「キンちゃんさあ、ヒーロー戦隊に憧れてて・・・・ヒーローじゃなく、戦隊を取り仕切るボスにね。だから、自分の部下は必ず五人で、色の名前にするって決めてたのよ」

 子供か!

 心の中で、ここにいない社長にツッコむ。

 「マリアちゃんはピンク候補なの」

 なるほど。まだ会っていない黄色の社員がいるわけか。

 私が正社員として探偵社に迎えられたら、ピンクのジャージが制服なんですね。

 ここは全力で断ろう。


 ヨースケさんの前にカクテルが置かれた。お酒の事はあまり詳しくないが、私でも知っている有名なカクテルだ。

 私も同じものを頼んだ。

 カクテルグラスに透明なお酒が注がれ、オリーブの実が添えられた。

 私は一気に飲んだ。

 カクテルは辛くてアルコールがきつかった。


 「おいおい、大丈夫かよ」

ヨースケさんが言った。

 もう少し飲みやすいものを、と言われたが、私は同じカクテルを注文した。

 とにかく早く酔いたかった。酔ってモヤモヤした気分をスッキリさせたかった。


 ぐっすり寝て、明日こそ犬を見つけてやる。

 あの公園、何かあるはず。明るい時に行けばきっと手掛かりがある。

 もしかすると、犬が見つかるかもしれない。


 レッドおばさんをギャフンと言わしてやるぞ


 気合十分でもう一杯。

 すきっ腹に度数の高いアルコールはよく染みた。


 その辺りで、私の記憶は切れている。

 ヨースケさんが三人いて、天井がグリグル回っていたことは、何となく覚えていた。

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