炎の初日
午前八時二十五分。
少し早いかと思ったが、初日だし、やる気をアピールしとかないと。
私は探偵社の前に立っていた。
木製のドアをノックする。
返事はないが人の動く気配があった。ドアを強く押して開ける。
「おはようございます」
部屋は薄暗い。
窓のブラインドは降りたままで、ここだけまだ朝が来てないようだった。応接セットのソファには、明らかに寝起きの社長が座っていた。
昨日と同じスーツに、同じネクタイ。
「やあ、マリアちゃん。もう朝なのかい?」
社長が言った。
明るく振舞っているが、かなり疲れている様子だった。
「何かあったんですか?」
気になって、思わず質問した。
社長はすぐには答えず、立ち上がって窓のブラインドを全て上げた。朝の日差しが部屋に充満して、ようやく時間が進んだ気がした。
「ちょっとトラブルがあってね。終わったのが五時頃だったんだけど、朝まで起きてるつもりが、ついウトウトしちゃった」
はあ、そうなんですか。
としか言いようがなかった。
ところで、と社長。
「マリアちゃん、朝食はもう食べた?」
はい。とっくに済ませてきました。
だって、もう八時過ぎてますよ。
「僕、これからなんだけど、ちょっと付き合ってよ。マリアちゃんも紹介したいし」
と言ってウィンク。
どうやらウィンクは社長のクセらしい。
社長に連れられ、一階に降りる。階段室にあるドアから『喫茶れいんぼう』へ入る。
店内はコーヒーの香りで満ちていた。
いたって普通の昔ながらの喫茶店だった。
社長は入口近くのマガジンラックから、新聞を取りカウンターに座った。私も座る。
目の前にサイフォン式のコーヒーメーカー。
その奥に、いかつい男が立っていた。じっと私の方を見ている。いや、正確には睨んでいる。
思わず身を引いてしまった。
「こら、ヨースケ。目つき悪すぎ。怖がってるじゃないか」
「元々こういう顔なんだよ」
そう言ってようやく視線を外した。
客商売には向いてない顔つきだ。
「彼女、新入社員の伊武マリアちゃん。よろしく頼むよ」
社長に紹介され、何故か立ち上がってしまう。
「伊武マリアです。よろしくお願いします」
深々とおじぎをして、顔を上げると、ヨースケと呼ばれた男は私に目もくれず調理を始めていた。
「こいつ、店長のヨースケ。ちょっと愛想ないけど、料理の腕は確かだから」
はあ、そうですか。
生返事をして再び座る。
しばらく彼の仕事ぶりを見ていたが、確かに動きに無駄がなくテキパキとしていた。
やがて社長の前に朝食が。ホテルの朝食バイキングさながらのメニュー、そして朝にしてはかなりの量だった。
私の前には緑色の飲み物。野菜ジュースだ。
「お前、独り暮らしか?」
店長のヨースケさんに聞かれた。
「はい、そうですが」
目線が合う。鋭い目つきに、どうしても身を引いてしまう。
社長は新聞片手に食事中。
なんか襲われそうです。助けて下さい。そう叫びたくなる。
「食事が偏ってるな。野菜が足りてない。七時頃には店にいるから、お前さえよければ朝飯も作ってやる。いつでも来い」
彼の言葉の勢いに押されて、思わずはい、と返事をしてしまった。
あれ。
意外と良い人かも。
午前八時五十五分。
朝食を済ませ再び探偵社。
ここのデスク使って、と指定された机に座る。社長の大きめの机の前には五つデスクがあるが、どれも使われている形跡がない。昨日聞いた話では、あと四人の社員がいるが、ここにはほとんど来ないそうだ。
自宅か現場で依頼の仕事をこなしているから、そのうち紹介するよ。
そう言って、社長は自分の机からファイルをひとつ手に取った。ページを何枚かめくり、広げたままで私のデスクに置く。
それから簡単に探偵業務について説明を受けた。
大きく分けると『相談』と『調査』、なのだそうだ。
実際、調査となると、日数もいるし費用もかかる。なので相談だけで終わるケースが多いそうだ。しかし、そこが腕の見せ所で、いい対応なりアドバイスをすることで、調査へと持ち込み、利益向上につなげる。
社長の人当たりの良さはそのせいか。
調査内容は様々だが、浮気調査、所在調査、家出人の捜索、などが多いらしい。
私が思っていた探偵とはちょっと違った。もっと殺人事件とか、謎を推理するとか、派手だと思っていた。
考えてみれば、それはテレビや小説の演出であって、実際はこんなモノか。探偵が目立ってしまったら意味ないよな。
当面の私の仕事は、電話の応対と依頼内容の整理だ。
「電話番、っていっても、ここに来るお客さんのほとんどが口コミだから、電話はほとんどかかってこないけどね」
へぇ。口コミってことは、この業界のなかでは有名なのか。
で、依頼件数は月平均三十件。ほとんどが相談のみで、十件くらいが調査らしい。
みなさん結構利用してるんだな。
「今のところ、依頼を受けてるのは三件。逃げたペットの捜索と、浮気調査、そして家出少女の捜索」
そう言って目の前のファイルのページをめくる社長。
そこには手書きで捜索状況や依頼対象の特徴などがびっしり書かれていた。写真も添付してある。
「三件とも期日が迫ってるんだけど、捜査が息詰まっていてね。うちの社員に応援を頼んでいるんだ。午後から来ると思うから紹介するよ」
私は、その手書きの内容をまとめ、捜査状況と経過を書類にする仕事を任された。後で依頼者に提示するそうだ。
それと、と社長が切り出す。
今までと少し声質が変わった。
「最初に言っておくけど、ここに来る依頼は大抵変わっているから、そのう、あまり驚かないで欲しい」
「変わっているんですか?」
つい聞き返してしまった。
ペットの捜索、浮気、家出少女。
普通、と言うのもおかしいが、ありがちな内容だと思うけど。
「うまく説明できないけど、まあ、マリアちゃんなら大丈夫だと思う」
頑張って。
肩をポン、と叩かれた。
社長だけ納得されても・・・・
ま、いいか。細かい事は気にしない。
今までの失敗の経験から、余計な事に首を突っ込まない事にしたんだ。タダ飯ついて、時給3000円の仕事を逃がすわけにはいかない。与えられたパソコンを立ち上げ、早速作業に取り掛かる。
内容を見ながら、新ためて探偵業の地味さを感じていた。
写真付きチラシの配布、張り込み、聞き込み。
こういうものの積み重ねが、いずれ捜査の役に立つのだろうけど、個人的にはもっとこう、ズバッと解決できないものかと思ってしまう。
あっという間にお昼近くの時間になっていた。
意外に捜査内容が多く、それに誤字脱字、読めない字を聞いてたら、結構大変な作業だった。
「先にお昼行ってきて」
社長に言われた。
私は階段を降りて『喫茶れいんぼう』へ。
苦手なタイプの店長だが、根は良い人だと分かったので、気楽な気持ちでドアを開ける。
目の前に店長が立っていた。
いきなり睨まれる。
うっ。やっぱムリかも。
「いらっしゃい」
ドスのきいた声で言われた。
怖いけどカウンターに座った。
店長のヨースケさんは、水とおしぼりを出すと、早速厨房で調理を始めた。
えぇ~っと、何食べようかなぁ・・・・
?
あれ? メニュー何処だろう。
「メニューは無い」
質問する前にヨースケさんに言われた。
「俺は顔見たら、そいつの食いたいものが分かる」
え、まさか。
ドン!
はい、出ました~。私の大好物のオムライス。
「お前、好物だろ」
はいそうです。それに、今食べたいと思っていました。
別の意味でヨースケさん、コワイです。
タマゴのトロトロ感と絶妙な味付けに感動していると、背後で話し声がした。
お客さん、いたんだ。
ヨースケさんに気を取られていて気付かなかった。どんな客層がここを利用しているのか、ちょっと気になって振り返る。
「え?」
思わず声が出てしまった。
向き直り、ヨースケさんを見て、
「え?」
また睨まれた。
だだだ、だって、あんな人、見たことないよ。
「うちの常連だ」
ここは変わり者大集合の店なのか。
またまた睨まれた。
店の一番奥の角のテーブルに客が二人座っていた。
ひとりは二十代くらいの青年。もうひとりは七十才前後の老人。私の方をチラチラ見ながら何やら思案している様子。
まあ、それはいいよ。
問題は、彼らの服装だ。
ざっと二色。
青と緑。
青と緑だけなんだよ。
青年は、青い髪に青い上下のジャージ。老人は緑の髪に緑色のスーツ。
ジャージはまだいいとしても、緑色のスーツなんて、何処に売ってるの?ツッコミどころ満載なんですけど。
あー、いかんいかん。
余計な事には関わらない。
見なかったことにしよう。
白だの黒だの、二色野郎が色の事でモメてるようだが、知ったこっちゃない。私は食べることに専念した。
「ごちそうさまでした」
私は手を合せ、心の底から言った。
色々な店でオムライスを食べたけど、一番美味しかった。
食後のコーヒーが出た。
あの二色から早く離れたかったけど、出されたら飲まないわけにはいかない。
コーヒーもまた、美味しかった。
ふと、背後で人が動く気配。
私の後ろで止まった気がする。
「ちょいと、そこのお嬢さん」
来ちゃったよ。
緑の年寄りが。
私は振り返った。原色の緑が目に刺さる。
「何ですか?」
なるべく平常心を装って答える。
「つかぬことを聞くが、今日の下着は何色かね?」
危うくキレそうになるのを抑え、
「教えられません。答える義務もないですし」
と言った。
「そこを何とか。アイツと賭けをしとるんじゃ。ぜひ教えてもらいたい」
コイツら・・・・
青い青年を睨んでやった。
彼は気が弱いらしく、おどおどしていた。
「私には関係ありません。失礼します」
そう言って、私は立ち上がる。
「そうか。教えてくれんか」
残念そうな老人の声を背に、ドアへと向かう。
なら、仕方ないのう。
ヒュッと背中に風が吹いた。
胸元に強烈な違和感。
「ほれ見ろ。ワシの思った通り、黒じゃったわい」
振り返る。
老人の手に私のブラがある。
ええええーーーー!!
完全にキレた。
「こらジジィ! 何やってんだてめぇ!」
私の大声に、緑が肩をすくめた。
握り拳を振り上げる。
今度は緑の番だった。
「なんじゃ! ワシを殴る気か! この老いぼれに手をあげるとはいい度胸だ。殴れるものなら殴ってみい! ワシは逃げも隠れもせんぞ。ほれ、どうした? 殴ってみんか!」
このジジィ、逆ギレしやがった。
ホントに殴るぞ、私は・・・・
慌てて青がやって来た。
「ごご、ごめんなさい。返しますから、許して下さい」
青は緑からブラを取り上げた。
ふと、青の動きが止まった。
次に青は、両手で私のブラを持ち、自分の顔に近づけた。
「あ、いい匂い」
私はヨースケさんを見た。
「殴っていいぞ」
許可をもらった。
トイレで下着を着け直し、店に戻ると、あの二色はいなかった。
「あの爺さん、手先が器用だから、今度から背中をみせるなよ」
と、ヨースケさんの忠告を聞き、会釈して階段へ向かう。
次やったら、ホントに殴るからなジジィ。
階段を半分上がったところで、ようやく冷静さが戻ってきた。そこで思わず首を傾げた。
手先が器用。
服の上から下着だけ抜くのって、器用なら出来るのか?
普通は出来ないんじゃないか。
ちょっと寒気がした。
探偵社の前にくると、中が何やら騒がしかった。
お客さん?
それとも、社長が午後から来るって言ってた社員?
ドアを開ける。
どちらでもないようだった。
スーツを着た男性が三人。それにあの制服は、お巡りさん?
まま、まさか。
あの二色野郎。殴られた腹いせに、通報したのか?!
背中に嫌な汗が伝う。
「やあ、マリアちゃん。お疲れ様」
男たちに囲まれているが、いつもの口調の社長。
ここは素直に謝るしかない。
「社長、実は・・・・」
私の言葉は途中でかき消された。
「いやあ、参っちゃったよ。僕に殺人容疑で逮捕状が出てるんだって」
・・・・・・・・え?
「僕は人を殺してないから無実なんだけど、これから警察に任意同行しないといけなくてさあ、申し訳ないんだけど、あとよろしく頼むよ」
ちょ、ちょちょ、ちょっと。
「遅くても七日以内には帰ってくるから、依頼よろしくね」
バン!
ドアが閉まる。
ひとりポツーーーン。
数分固まったまま動けず、ようやく落ち着いた時、私は『喫茶れいんぼう』に来ていた。今頼れる人はヨースケさんしか居なかった。
「どうしましょ」
と、彼に尋ねる。答えなどあるはずないのに。
「お前はどうしたいんだ?」
逆に聞かれた。
私には答えられない。どうしていいか分からない。
「今ならまだ赤の他人でいられる。明日から来なけりゃいいんだ。何の責任もないんだしな」
確かに、ヨースケさんの言う通りだ。ここで、はいサヨナラしたっていいんだ。
だけど・・・・
結局、午後から来るはずの社員は来ず、連絡もなく夕方になった。
お前はもう帰れ、とヨースケさんに言われ、私は帰路へ向かった。彼が目線を合わせず素っ気なく言ったのは、きっと優しさなんだと思った。
私が明日から来なくてもいいように。
だけど、その時すでに、私の気持ちは決まっていた。
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