浦兼探偵社 ~炎の七日間~
九里須 大
前日
高校を卒業してからの三年間、何一つ良いことが無かった。
不幸とは私のためにある言葉じゃないか、そういう気がしていた。
最初に就職した会社は、環境も良く上司も優しかった。ただ、その会社に長年勤めていた『お局様』と呼ばれる女に気に入られなかった。彼女に何か反抗したわけではないが、入社してすぐに男性社員からのウケが良かったのがどうもダメだったらしい。
彼女と彼女を取り巻く女性社員から陰湿なイジメを受けた。
私は無抵抗で更衣室の隅でひとり涙する、ようなタイプではない。
ある日、彼女の前に立ち、往復ビンタを数回くらわし、辞表を出した。今でも彼女と社員の呆れ顔が目に浮かぶ。
次に就職した会社は、上司のセクハラに悩まされた。言葉までは我慢出来たが、それ以上は無理だった。
辞表と腰の入った右フックで、上司をノックダウン。入社十日目だった。
それから、接客業だの製造業だの、色々やったが、客ともめたり製造ラインを止めたり、トラブルばかりで、どれもひと月と続かなかった。
夢にまで見た大都会での独り暮らし。
こんなはずではなかったのに・・・・
そんな矢先の今日である。
私はあるチラシを見ていた。
探偵社、パート事務員募集。時給3000円~、勤務時間9:00~17:00。
何だこれは。時給3000円だと?!
今月の家賃も払えるかどうかの私は、履歴書片手にその探偵社へ向かった。
チラシに書かれた住所と地図を頼りに、若者の集まる街を通り過ぎ、大きな通りから細い路地ヘ。やがて、時間をタイムスリップしたかのような、レトロな建物が並ぶ通りへと進む。
そこには小さな商店街があり、その中に探偵社はあった。
細長い三階建ての建物。その二階に看板があった。
『ウラガネ探偵社』
あまり印象の良くない名前。
地下一階に『パステル』という名のバー、一階に『喫茶れいんぼう』。二階が探偵社で、三階はベランダに洗濯物があるから多分住居スペース。
外観からして、元々あった古い洋館を改装して使っていると思われる。
向かって右手の階段室へと進む。木製の階段だ。ミシミシきしむのかと思ったら、登ってみると意外にしっかりしていた。
木製の壁に木製の扉。
私は深呼吸してからノックした。
部屋の中から、どうぞ、という声。ノブを回す。ドアは押しても引いても開かない。
建て付けが悪いから強く押して。
言われたように強めに押す。少しひっかかりながらもドアが開いた。
「失礼します」
そう言って部屋のなかを見る。
応接セット、机、簡易キッチンなどが仕切りなくゆったりと配置されていた。部屋は思っていたより広かった。
窓際にひときわ古くて大きな机があり、そこに声の主が座っていた。
何やら忙しそうにペンを走らせている。
「座って待ってて。すぐ終わるから」
机の上の書類から目を離さず右手で応接セットを指差す。
私はドアを強めに押して閉めると、言われたように応接用のソファーに向かった。探偵事務所って、汚くてホコリっぽいイメージだったけど、むしろ逆だった。
私の部屋より綺麗かも。
ソファーに座る。文字を書く音だけが部屋に響く。
数分待って、彼はペンを置いて立ち上がった。中肉中背、紺色のスーツで、髪は整髪料でがっちり固まっている。四十歳前後の、彫りの深いなかなかのイケメンだ。
受話器を持ち、コーヒー二つ、を告げると、私の方へやって来た。
私は立ち上がった。
「やあ、いらっしゃい。初めてのお客さんだよね?」
爽やかな笑顔で言う彼。
営業スマイルなんだろうけど、世の女性ならコロッといきそうだ。私はタイプではないので何も感じないが。
「あのう、私お客ではなくて、このチラシを見て来ました」
そう言って、私はカバンからチラシを取り出した。
彼は驚いていた。チラシと私を何度も見比べた。
あれ?
何かおかしい?
彼は私の手を取り、握手した。
「そうか、チラシを見つけてくれたのか。有難う。見つけてくれて有難う」
彼はとても喜んでいた。このチラシを見つけたことに喜んでいる。
私と彼の、この感情の温度差は、何?
チラシを見つけたことが何故重要なのか。
あれ?
このチラシ、どこで手に入れたっけ?
「じゃあ、ここで働いてくれるの?」
彼が尋ねた。
「はい。そのつもりで面接に来ました」
そうかそうか、と彼は上機嫌だ。
次に彼は、私の全身を食い入る様に見つめた。
上から下まで。何度も目線が動く。予想はしていたが、胸元で目線が止まった。自分で言うのも何だが、私はスタイルは良い方だと思う。胸は邪魔なくらい発育した。細身だから余計に胸元が目立ってしまう。
私は大げさに咳払いをした。
彼はバツが悪そうに視線を泳がせた。
「ごめんごめん。つい目がいっちゃって」
慣れてますから、と私は返した。
それから、形式的な面接をした。彼のなかでは採用決定のようだったけれど、一応履歴書を見てもらった。
その間、さっき彼からもらった名刺を見る。
ウラガネ探偵社、代表、浦兼尺均(うらかね しゃくきん)。
裏金、借金みたいで、縁起が悪く印象良くない。
「伊武(いぶ)マリアって名前なんだ。君も変わった名前だね」
あ。君も、って言われた。同じ仲間みたいでちょっと嫌だ。
「僕、本名はウラカネなんだけど、昔からウラガネって呼ばれてて、ここの社名に使っちゃった。そのせいかどうか分かんないけど、お客さんあまり来ないんだ、ハハハ」
間違いなくそのせいです。印象悪すぎ。
「僕的には今日からでもいいんだけど、明日から来てもらっていいかな?」
彼に問われた。
「はい、大丈夫です」
制服は無いので私服でいい。それと、と彼は話を続けた。
「下に喫茶店とバーがあるでしょ? 食事とお酒はお金払わなくていいから、自由に使って。社員特典だから」
最後にウィンク。
キザっぽいが、妙に似合っていた。
理由を聞くと、どうやら彼がこの建物のオーナーらしい。
へぇ、この人結構やり手かもしれない。
不意に、ドアをノックする音。
次にバン!とドアが勢いよく開いた音。振り返るとエプロンをつけた女性がコーヒーを持って入ってきた。
「キョウコちゃん、ドアは蹴らないで」
彼が言った。
「じゃあ、ドアが外れる前に建て付けを直して下さい」
と、エプロン女性が反論。
彼女は目の前のテーブルにコーヒーを二つ置いて、
「どうぞ」
と笑顔で言った。
「ありがとうございます」
そう言って、私は彼女を見る。
和服が似合いそうな、清楚な印象の女性だ。背中まで伸びた長い髪をひとくくりにしていた。クマの絵柄のエプロンがカワイイ。
「新入社員の伊武マリアさん。彼女は喫茶店のキョウコちゃん」
彼に紹介されてすぐ、彼女、キョウコさんの表情が変わった。
「チラシを見つけてくれたの? そう、良かった~。ようやく見つかったのね」
キョウコさん(多分私より年上だと思うので、さんをつけている)はとても喜んでいた。
何だろう。
ここの社長といい、キョウコさんといい、喜びかたが大げさ過ぎる。
キョウコさんは私の手を強く握り、
「色々大変だろうけど、頑張ってね」
とエールを送り去っていった。
一体何なんだこの温度差は。
それとも、私がおかしいのか?
「しばらくはここで電話の応対や依頼の整理をしてもらって、マリアさんがよければ正式に社員として働いてもらう、でいいかな?」
私は、はい、とすぐ返事をした。
納得いかない点は多々あるが、今はお金が必要だ。それに食事もお酒もタダなんて、こんないい話滅多にない。
その時の私はまだ知らなかった。
これから始まる、炎のように熱い戦いの日々を。
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