第三章 稽古不足を幕は待たんぞな! - The theater of daydream.

「ちょ、ちょっと待って下さい! なんでこんなことに????」

「出演予定だったバンドが交通事故で来られないんだってさ」

「場繋ぎぞな。代打ぞな。代打オレぞな」

「場繋ぎ? 場繋ぎって言われても!」

 私、楽器なんて何も出来ませんよ????

「稽古不足を幕は待たんぞな!」

 そんなこと言われましてもですねB子ちゃん? 無理なものはどうやっても無理ですよ!

「まだ見通し立たないのか?」

 でも……青い顔で頭を抱えるスタッフさんを思えば、微力ながらでも力添えしてあげたい気も。

「新幹線が人身事故で止まってるらしくて……かかるとは思います、かなり」

 悠弐子さんの安請け合いでセットされたとはいえ、一度承諾したからには責任を全うすべきです。

(女にも二言なし! 大和撫子ですから!)

 それにこんな薄汚……かなり年季の入ったビンテージな小屋ですからね、補修跡も目立つ。おそらく身内濃度の高い、こじんまりとしたステージのはずです。

(客がポツンポツンの前座なら……笑って済ませら……)

 ウォォォォォォォォォォォォォッ!

「れないかもしれない!」

 うん! ならない! 全然ならないよコレ!

「ちょちょ、ちょっとどころじゃなくお客さん多くないですか????」

 陰からフロアをコソッと覗いてみれば、後ろまでスタンディングでギッシリじゃないですか?

 だから困ってんじゃないか。顔面蒼白のスタッフさん、そう顔に書いてある。

『お前ら最高だ! また来るぜモリミヤコ!』

 ウワァァァァァァァァァアァッ!

 しかも今やってるバンド、めちゃくちゃ盛り上がっていますけど?

 こんなのの後とか大変ですよ? 無様なパフォーマンスは死を意味します!

「さ、あたしたちの番よ」

 ジーザスクライースト! 正気の沙汰じゃありませんよ、悠弐子さん!

「大丈夫ぞな」「任せなさい桜里子」

 私なんか膝がガクガクなんですけど、二人は満面の笑みで余裕綽々。

 も、もしかして二人は凄腕のプレイヤー? 少なくとも三人は必要となるバンド編成を、二人でこなしちゃえる自信あるんですか? 目の肥えた客を沸かせるエクセレントなパフォーマンスを?

 美貌だけではなく他にも何か、常人を凌駕する才能を持ち合わせてるの? 彼女たち二人は?

 ズルい! ズルいです! そんなの不公平すぎます神様!

 神様はよっぽどの面食い? 美人になら何でもホイホイあげちゃうエロジジイなの?

 薄っすらとは思ってましたけど。七福神とか全員もれなくエロジジイっぽいし!

「弁天様は女子よ」

 不安な心もまるごと包み込んでしまうような、ハグ。

(うわ……気持ちいい……)

 私、勘違いしてました。お母さんだけだって。虚勢の鎧をパージして、身を預けいいのは。

 柔らかい女の子の感触は毛羽立った心を慰めてくれる。優しく背中を撫でつけられれば、心の嵐が凪へ変わる。出会ったばかりの何も知らない彼女でも、抱いた手が私を鎮めてくれる。

「大丈夫、桜里子」

 心地いい……毛羽立った心が治まっていく……

 頬と頬が擦り合わされれば、胸いっぱい広がる彼女の匂い。取り乱しかけた心に最高の鎮静剤。

「これ」

 優しいお姉ちゃんが泣き虫の妹に贈る――白詰草の冠かと思った。

 でも、それはティアラの位置には留まらず、マフラーみたいに首へ巻き下りた。

「あ……」

 プロ仕様のモニターヘッドホン。大きなハウジングが顔半分隠してくれるくらいの。

「あんたは今日からDJよ、百合百合DJ☆山田桜里子」

「イイネ!」

 何がいいんでしょうか? 山田にはよく分かりません。てか百合百合DJって何です?

「じゃ、行くわよー!」

 ほんと適当というか、口から出任せというか……

 でも……熱い。悠弐子さんがずっと首に掛けてたヘッドホン。大切なアイテムを私のために。

 そこまでしてもらったら、私も付き合わないわけにはいかないです!

 賑やかし要員だったとしても頑張ります! やれるだけやっちゃいます!


 ――眩しい。インディーズの興行とはいえ、客席が埋まったライブハウスは別世界。

 グツグツ煮え立つ期待感と、容赦ないライトが日常を吹き飛ばす。

「ヘイ、オーディエンス! ひえらいあーむ、UNICORN AYANA参上!」

 ウワァァァァァァァァァァァァァァァァーッ!

 百人単位の群衆を前にしても全く物怖じしてません、二人とも……

(ど、どういう神経しているんですか?)

 山田なんか接地感がありませんよ、足裏と床との接地感が。光と音の洪水で浮遊している、ほとんど無重力状態。覗いた万華鏡の中で、あっちいったりこっちいったりしてる小さな粒です。

「れいよーはんぞん! ぷりろんぷりろん!」

 そんな私を尻目に悠弐子さん、所狭しと駆け回ってオーディエンスを煽る。

「B子! たーんなっぷざすぴーかぁぁ!」

 新歓オリエンテーションは出来たて校舎のピカピカ舞台。光る源氏の処女(おとめ)登場に相応しい小奇麗なシーンでしたが。ここには紫檀の演台とは比べ物にならない無骨なテーブル、DJミキサーとターンテーブルが無造作に乗せられているだけの。

 そこで! パチンパチンクイクイ! メカニカルなコンソールを操るしなやかなムーブ!

 質素極まる舞台装置でも、演者の煌めきは些かも失われていない!

 まるでレトロSFの敏腕オペレーター。絶体絶命のアステロイドベルトをいなすマタドール。

(か、格好いいぃ……)

 職人さんの動きです。熟練のマイスターが醸すオートマティックな美しさ。

 まさかB子ちゃん、手練のDJなんですか? 知らない奴はモグリ的な美少女プレイヤーだとか?

「ヘイカモーン! モリミヤコ! えびばでくらっぽゆあへーん!」

 悠弐子さんの煽りに合わせ、思いっきりダーティなシンセをブパブパと吹かす。ズンズンお腹に響いてくる四つ打ちで客もヒートアップ! 快楽琴線を刺激する中毒性のループフレーズから外連味たっぷりのトラップ、そしてハードスタイルまで自由自在!

「レッツモンキーダァーンス! ごーえくささーいず!」

 小さなエプロンステージで悠弐子さん、ファニーダンスを繰り広げれば、

「きっちょきちょへんぞ! きちょきちょへんぞ!」

 煽られたオーディエンスは熱狂して踊り狂う。

「さんまりすくりゅー!」

 不特定多数を問答無用で惹きつける美――――ライブハウスに降臨するトランスの巫女。グリコ看板と見紛うばかりの伸身で天真爛漫。汗で貼りつく制服も気にせずに全身を曝け出す。

 神々しい。突き抜けたグルーヴを踊り切り、視線を独り占めした彼女。

 一転、闇にピタリ静止する。

 ウエルカム トゥ トワイライト。薄暗闇に浮かび上がる少女のシルエット。芯の通った体幹。伸びやかな四肢。それは切り絵のエッジライン。常夜灯の仄暗さを背にした静止画の佇まい。

 『 氷柱花 』 氷中に咲く、永遠に枯れない花。美を封じ込めた、奇跡の花。

(私……どうしてこんなところにいるんだっけ?)

 本当の私は向こう側。芋洗いの一人としてカメラに抜かれることも見切れることもなく、不特定多数に埋没するのが私。舞台とは、有象無象から抜きん出た才能だけが乗る資格持つはず。

 はずなのに?

 こんな子と同じステージに立ってるの、私? どうしてこんなことに?

 思い出せない。眩い照明と暴力的音圧で見失う。私は私の立ち位置を見失う。

(綺麗……)

 ただ唯一、揺るがぬ真実は美。理性が機能を止めても、彼女の美しさだけは「True」判定が帰る。

(――悠弐子さん!)

 息をするも忘れて踊るスタチューオブビューティに見惚れていた。

「ここでイカしたメンバーを紹介するわ!」

 危うく肺の酸素が尽きかける頃、愛しの氷柱花が叫んだ。

「オンDJ! プリティベイカントBeeBee!」

 そのタイミングで目深に被ってたベースボールキャップを脱ぎ捨てると、

 おおぉぉぉぉぉぉぁぉぉぉーっ!

 ライトに映える金髪とエキゾチックフェイス。背筋に寒気が走るほどの舞台映えです!

(すご……ぃ)

 美の源泉とは何処に存在するのか?

 大胆な、それでいて破綻なきフォルムと、細部まで行き届いたディテール。両者が並立した時、「とてつもない何かだ!」と感じる。それこそが美の根源。

 そこへ質感が加われば人は言葉を失う。つまりはライブです。

(B子ちゃん!)

 時にクラシックのピアニスト、時に卓球のカットマンみたいな、変幻自在のムーブ。矢継ぎ早のオペレーションで定番のテクノからディープなトラップまで繋いでいくミスドリームウィーバー。

(わぁ……)

 ライティングとは素人が思うよりずっと効果的な演出です。強烈な照明が仕立てる陰影のドラマティック。余計な物を白で飛ばしちゃえば、芸術品だけが残存するんです。

 引き算の美、ビューティオブシンプリファイ。

「オンマラカス! サリィィ、ヤーマダァァァー!」

「……はっ!」

 ヤバイヨヤバイヨ、悠弐子さんに紹介されちゃったし!

(びび……B子ちゃーん!)

 ガクブル状態でDJ卓を伺えば、「こんなこともあろうかと」とでも言わんばかりに、出来合いのパーカッションソロがリリースされちゃいます。

 B子ちゃんのPCは魔法の玉手箱?

 だってそもそも、いきなり代役舞台を務めろって言われても、普通は無理ですよ。

 なのにあのPCにラインを繋いだら、ライブハウスがダンスフロアです。あんなものストックされていません女子高生のPCには。常識的に考えて。

 カカスコカカスコスタトンスタタン♪ カカスコカカスコスタトンスタタン♪

 コレもうほぼマラカスとか聴こえないんですけど? 聴く人が聴いたら一秒でバレますよ!

「ぅぉぉぉぉぉー!」

 それでもなけなしの気合を奮い立たせ、顔面蒼白でシャッシャカシャッシャカ誤魔化していると、

「オンボーカァァァァァル!」

 あとは『本日の主役』が引き受けてくれますし。

「UNICORN AYANA!」

 ファッッファーララ♪ ファラファファッファファッファーラララ♪

 ステージに咲いた大輪のダリアが叫べば、跳ねるようなブラスセッションが少女を彩る。

「ひぇあらいあぁぁぁぁーむ!」

 音の洪水を浴びながら、悠弐子さんが虚空を抱くと、

「ゆ・に・こ・ん! ゆ・に・こ・ん! ゆ・に・こ・ん! ゆ・に・こ・ん!」

 さほど広くもない小屋に響き渡る、地鳴りのようなコール。

 そうです。あまりにも神々しい存在なら名前を呼ぶしかなくなる。アイドルでも歌舞伎役者でもスポーツ選手でも一緒です。想いが溢れれば名前しか残らない。

 したい! 私も一緒に客席から屋号を絶叫したい!

(でもそんなのダメに決まってます)

 これでも一応、演者側なので。黒子までヒートアップしたら収拾がつかないじゃないですか。演者としては、〆の一品まで恙無く提供しなくちゃお客さんに申し訳がない。たとえ下手でも自分の役割を済まさないとダメです。人様にご迷惑をかけない生き方こそ日本人の在るべき姿ですから。

(Show Must Go Onですよ! 舞台に立つ者として責任が!)

 ライブハウスが祭礼の昂ぶりに包まれても、そこで流されちゃいけ……

「うえぇぇぃ! 桜里子ぉぉぉぉぅ!」

 モニタースピーカーを踏み台にして全力のダイブ!?

「はがー!」

 突然舞い降りてきた美少女を受け止め損なって、二人もつれ合いながら倒れてしまいました!

「いたたた……悠弐子さん! ダイブなら向こうですよ! フロアはあっち!」

 どうして演者側(こっち)向かって飛んで来るんですか!

「ぷはー……」

 でもこの顔を見たら、やりきった満足感で幸せ溢れる顔見たら……

 常人離れした美少女なのに、時に驚くほど人懐っこい顔まで見せてくる。

 ずるい。彼女は愛される才能に溢れている。

 多少のオイタで不興を買ったところで、こんな風に甘えられたら許してしまいますよ。

 ずるい。神様は意地悪。クレーム窓口が存在するなら今すぐ怒鳴り込みたいくらい不公平。

「ふにゅー」

 寝転んだ女子高生二人分を隠すモニタースピーカー。こんな死角があったのか、ステージには。

 濡れた制服越しに感じる、別の子の体温。踊って唄って煽り立て、縦横無尽に飛び回った体の熱がトクントクン鼓動と一緒に伝わってくる。

 私のも伝わってるの?

 恥ずかしい……肌と肌との熱交換、体温カンバセーション。こんな公衆の面前で。

 知られたくないことまで全て知られちゃいそうな錯覚、ゼロのパーソナルスペース。

(でも……それでも)

 身を委ねてしまいたくなる、快楽の免罪符。

 蕩けちゃいそうな柔らかさと温もりと芳しい匂い。こんな抱き心地なんですね女の子って……

「……はっ!」

 チルアウトしていたはずのストリームが突然のブレイク!

 煽りMCすら挟まずにダイナミック曲調転換! ダンスアレンジされたジグソーが鳴り響いて!

「へ????」

 ――スカイハイ! 天空から舞い降りる未確認物体!

 萌えアニメ的に翻案すると、『空から美少女が降ってきた』!

 脳天方向から、見惚れるほどに美しいプランチャースイシーダ。

「ぐぇぇ!」

 およそ女子高生に相応しくない【呻き声】がマイクに乗ってしまいました。

 だって仕方がないじゃないですか!

 DJ卓をコーナーポストに見立てたラプンツェル選手が一回転して飛んできたんですよ?

「ゆに公の首、頂戴!」

 手負いの侍大将の首を脇差しで掻っ切る! ……かの如き迫力で部長を抑えつけたB子ちゃん、「宿敵」から、ヘッドセットを毟り取ると、

「ここに新生『 The Rising Sun 』 爆誕!」

 と、高らかに宣言した。

「たった今この時より、このバースディブラックチャイルドがバンドの全権を掌握……」

 ところが部長もさるもの、

「させるかぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 即座に復活して舞台中央でガッチリとロックアップ。

「ふんっ!」「ふんっ!」

 互いに相手を捻じ伏せようと、腹の底から息む美少女が二人。

 なに? なになに なにこの画? シーケンサーが勝手に演奏を続ける最中、全力の力比べ。本気のマウンティングで覇を争う演者って何者ですか?

「桜里子! 手を離せないから場を繋いでて!」

「山田がですか????」

「そーよ!」

 卍固めで苦悶の表情を浮かべながら悠弐子さんは私へ促してくる。

(場を繋ぐって……悠弐子さんの代わりにパフォーマンスを?)

 そりゃフラフラとタコ踊りしているだけでもカタチにはなりますけどね?

 演奏自体はDJラプンツェルのPCから生でダラダラ流れてるだけですから。

(いやいやいやいやいやいや!)

 ブパブパブパブパブパパパパパパパ……

 いかにもドロップの期待感を煽るシンセのフレーズ、スネア連打のショートフィル。

(これはマズいですよ!)

 ここを上手く繋がないと、踊り狂う観客から大ブーイングされちゃいます!

「やって桜里子! このカオスを収拾できるのはあんただけよ!」

 あぁーもう! 何でこんなことに???? そもそも私はバンドとかやるつもりはなかったのに!

「これ? これかな?」

 DJミキサーって無駄にツマミが多すぎます!

 どれ捻っても幕間のループフレーズしか出てこないじゃないですか! どれですか本命は?

(こっちかな? いや、こっちだったか?)

 人に演らせるなら分かりやすいように付箋でも貼ってて下さい!

「うひぃー!」

 人生最難関のモグラ叩きの様相を呈してきましたよ! 流れるようなDJプレイからは程遠い、敢えて名付けるならドリンクバーMIX。無秩序にドリンクを混ぜた泥色のデンジャラスドリンク。

「DJのくせにミキサーも使えねえの?」

 ギクシャクズレズレのプレイに客席から容赦ないブーイングと怒号が飛んでくる!

「もう!」

 鬱憤のままに怒りの鉄拳をミキサーへと振り下ろせば、

「……あっ!」

 出ました探し求めていた曲のイントロが! セットリストの最後に用意してたボーカル曲!

(――これで勝つる!)

 マイクを持ってDJ卓からステージへ舞い戻り、

「いくぞぉー『ロマンティック・ラブ・イデオロギーを殺せ!』」

 ウォォォォォォォォォォ!

 悠弐子-B子の共作ソングライティングによるオリジナル曲らしいですが、慣れたお客さんならお約束的に盛り上がってくれますよね? 渡りに船とばかりに勢いで有耶無耶にしちゃいます!

 すぅ……

 せめて大声で。場を誤魔化すには大声って昔から相場が決まってます。

(いざっ!)


 あたし預言者ぁぁぁぁぁぁぁ~♪


 が。ボーカリストでもない素人の声量なんて高が知れている。精一杯声を張ったつもりでも全然出てないんです客観的に見ると。悠弐子さんとは比べるべくもない乏しさです。

 なので私が唄い出した瞬間、『ズコー!』って、フロア全員のスベる音が聞こえた。

(ダメだ! 予想以上にスベってるし!)

 当然ですよ! 私の声も期待外れなら、この選曲も酷いですよ!

 踊るにしてはBPMが早すぎる、かといってハードスタイルみたい攻撃的な低音を鳴らしていくわけでもなくオモチャっぽいペラペラの電子音じゃないですか! セットリストの箸休めならまだしも、こんなのお尻へ持ってきたら締まるものも締まりません!

 だからといって見様見真似のDJにアドリブのセットリストチェンジなんて出来るはずもなく。

 無様と嗤われてもいいです。とりあえず任された分は済ませないと。最低限の責任を果たさないことには迷惑を掛けてしまいますから! 人様に迷惑をかけちゃだめなんです!

(Show Must Go On! Show Must Go Onしなきゃ桜里子!)

 なので唄いますよ。晒し者状態を甘んじても唄います。プロンプタ代わりのPCを見ながら。


 お前ら別れるぞ 数年保たずに別れるぞ

 おままごとみたいな恋人ごっこ 約束された終焉 賭けてもいいね 全財産

 That's Love of Death! Promised Ending Story! Never Never Never 成就しない


「ひぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」

 なんか飛んできた! 紙コップ? サイリューム? 靴? 手当たり次第にモノが飛んでくる!

 そりゃそうですって! 定番のアンセムでも掛けておけば安全牌なのに、盛り上がりたい客の生理を無視するような曲を締めに持ってくるとか無謀すぎます!

 そこでVJ職人の履かせる下駄もない無名DJがマイクを採れば、

「カラオケか!」

 濃密なカラオケ感が漂ってしまうのです!


 あのね。顔も普通、頭良くない、才能皆無。それなら行儀くらいは良くしないと。


 なのに悠弐子さんはお構いなしで鼻っ柱を折りに行く。オーディエンスへフリースタイルで。


 鏡 見なよ 鏡

 恋愛(ロマンティック)できると思う、客観的に?

 kill the Ideology Love Overemphasized もう恋なんてしないなんて 言わないでいいの

 結婚しちゃおう 手っ取り早く結婚して 子供をWould You Mind(Would You Mind)

 KILL! KILL! KILL! the Ideology Love Overemphasized


 ミクスチャーの心地いい違和感などとは程遠い、身勝手なツイスト&シャウト。

 即興の悪い部分ばかりが耳を突くパターンですよ!


 鏡 見なよ 鏡

 幻想(ファンタスティック)など程遠い 現実的に

 kill the Ideology Love Overemphasized

 恋とかいうハイコストローリターン もうやんなくていい

 結婚しちゃおう 手っ取り早く結婚して 子供をWould You Mind(Would You Mind)

 KILL! KILL! KILL! the Ideology Love Overemphasized


「引っ込めー!」

「死ねヘタクソ!」

 ええ、こうなります。こうなりますとも。気持ちは分かります。

「やんのかこらー!」

 ああもう何やってんですか悠弐子さん!

 一々罵声に反応するとか下策もいいところです! 聞こえないふりして進めないといけないのに!

「喰らえ衆愚どもー!」

「はぁ!?!?」

 こっちはこっちでなんですか! 地区予選のノーヒットノーラン九回、スーパーレジェンド江川卓ばりの剛球を客席へ投げつけ始めてます!

「うははははははははははははは!」

 B子ちゃんダメダメ! それはトリを務めるバンドが投げる予定だったプレゼント用の球です! 今投げちゃダメな奴! 間違いなく怒られます!

 カチ、カチ。

(……ん? なんですかこのクリック音は?)

 見境なく球を投げまくるDJラプンツェルを羽交い絞めしながら振り返れば……

「は?」

 ディスポーザブルライター。柄の長い、芋煮会とかバーベキューとかお墓参りとかで使う奴。

 目一杯伸ばした腕の先、ソレを掲げた悠弐子さんは、

 グビグビグビ……何か飲み物を呷る。いや、呑んでないですね、頬いっぱいに含ませて?

「な、何をする気ですか悠弐子さん?」

 悪い予感しかしないんですけど……念のため尋ねてみます。

 コクコク。そりゃ食いしん坊ハムスター並みに口に含んでたら応えられません。

「飲むか吐き出すかして答えて欲しいんですけど……」

 だけどそんな私の懇願などお構いなしで、

「いくぞぉー!」

 ……とでも言わんばかりに、瓶を投げ捨てた右手を掲げた悠弐子さん。思いっ切り鼻から息を吸い込んだ彼女は砲丸投げ選手みたいに仰け反って、

「……!」

 バンッ! 左足を激しく踏み出す! 手に持ったディスポーザルブルライターへ目掛けて、

 ぶしゃあああああああああああ!

「!!!!」

 ブッ掛けた! 口に貯めていたものを見惚れるほどの霧状にして!

 顔面ペイントの悪役レスラーにでも習ったんですかってくらい綺麗な人間スプレー!

 ああ、なんて綺麗な悪の華でしょうか?

 ライブハウスの闇に咲く、蓮華の炎。ものの見事に咲き誇ってます。


 減点法で人を断じれるほど 貴様は完璧なのか? 磨きぬいた誉の個体なのか?

 殺せ! ロマンティック・ラブイデオロギーを殺せ!


 一気に咥内の燃料を吹ききった悠弐子さん、「私の歌を聴け!」とでも言わんばかりの勢いで!


 二十年前の僕らは胸を痛め いとしのエリーなんて聴いてた

 十年前の僕らは みんなも社長さんも ラブレボリューションなんて聴いてた

 愛が全てを変えてくれたら 迷わずにいれるのに

 ラブレボリューション 心に巣食ったイデオロギー

 愛はオシャレじゃない! クリスマスを彼と過ごすのが愛じゃない!

 カタチが全て押し退ける それが思考停止

 教義が全てに卓る時 宗教(カルト)は生まれるよ


 客席に現れた巨大な火の玉が二つ三つ、災厄の種となって火の粉を振りまく。

 舞台演出とは隔絶したノンフィクションの炎上が恐慌をもたらす。

 焼け焦げる臭いも生存本能のベルを助長し、我先にと出口へ殺到するお客さんたち。

「ロマンティックあげるよ、とか言われても信じちゃダメ!」

「架空の担保で誘惑するのは詐欺師の手口よ! 霊感商法よ!」

 もしかして私たち、なんかもう取り返しのつかないことしてませんか?



 riot :(集団による)暴動 【法律】 騒擾(罪)

 現代日本に住んでいる限り、そうそう出会うはずもない体験でした。

 悠弐子さんのパフォーマンスは文字通り、火に油を注ぐ大炎上となり……いえ、実際に焼いたのは観客のアフロヘアだけですが。パーリーピーポーの自己顕示アイテム、ドラえもん級の巨大デコレーションウイッグ、そりゃあもうよく燃えましてね。巨大な火球となってフロアは大混乱、当然のように火災警報器が作動して大騒ぎとなってしまいました。

 ま、建物へ延焼することがなかったのは不幸中の幸いでしたが……結局ライブは主催者判断で打ち切りが決定。通報によってパトカーや消防車が大挙駆けつけたところで強制解散と相成った。

 前座の途中で幕を告げられたら、そりゃ観客の皆さんは収まりがつかないですよね。ほとんどのお客はメインのバンドを目当てにチケットを買っているんですから。

 ライブハウスの店員へ詰め寄る客、警察や消防にカエレコールしてる客、果ては客同士で小競り合いまで始まってます。これが本当の「あーもうメチャクチャだよ!」状態です。なんだなんだと野次馬まで集まってきて収集つきません。これじゃ中止が妥当です。

「正義は勝つ!」

 翻ってこちら。

「大勝利!」

 煤けた顔で満面の笑み。

「わっはっはー!」

 戦場のウェザリングを施しても綺麗ってどういうこと? この二人?

 発端は身勝手な喧嘩だったくせに肩を組んで高笑い。どういう神経してんですか?

「The Patoriotsの初ライブは大成功ね! これは伝説として語り継がれるわ!」

「The Rising Sunという傷跡、時代に刻んだぞな!」

「……バンド名って、いつ決めましたっけ?」

 突然の出演だから何も決まってなかった気がするんですが?

「The Patoriots――部長のあたしが言うんだから間違いないわ」

「ライブ中に発表しちゃったんだからThe Rising Sunで決まりぞな。もはや既成事実ぞな」

「あんなの無効よ」

「無効じゃありませーん! 残念ぞなね」

「ああ?」

「やるぞな?」

 ああもう公道で互いの頬へ拳をメリ込ませ合うのは!

「止めて下さい、二人とも!」

「今、女の声がしなかったか?」

(やばっ!)

 咄嗟に頭を下げ、路地裏の死角へ身を潜めます。

 怒りに我を忘れたパーリーピーポーの気配が去るまで、ジッと物音を立てずに。

「……行きましたかね?」

 そろそろと地蔵化を解いて振り返ったら、

「うぉ!」

 悠弐子さんの額から角! 数十センチもの、屹立した白い角が!

「使えるわ」

 誰かが忘れてったパーティーグッズ、ユニコーンの被り物を悠弐子さん廃物利用しちゃってます。

「もう一つあった」

 B子ちゃんも怪しい山羊の被り物で人相隠し。金髪が良い感じのたてがみになって。

「これなら!」

 逃走しちゃえるかもしれませんよ! 一縷の希望が湧いてきました!

「で、桜里子は?」

「この子、変装する必要ある?」

 ええ、そうです! どうせ私は一山いくらの凡人女子高生ですよ! 顔なんか覚えられてません!

「これで平気ですよ……」

 同じく路上へ放置されていたメンズのコート。肌寒い春向けの薄い奴。女の子なら、首元から膝下まで隠せます。自分で言うのもなんですが、ザッツ地蔵スタイル。色もグレーですし。ところどころ破けてしまった制服を隠すには最適です。

「これ掛けな桜里子」

 拗ねた私を宥めるように頬を挟んで、

「……!」

 変な感じです。人から眼鏡を掛けてもらうのって変な感じ。なんかくすぐったい。くすぐったくて恥ずかしいのにドキドキしちゃう。目を瞑って顎を突き出す、まな板の鯉のエロチシズム……

「……できた」

 調光グラス越しに映る彼女の唇。厚くも薄くもない、淑やかさと自己主張が調和するライン。唇って本来こういう形でしたと改めて気づかされる、神様のリファレンス。

「これで分かんないよ誰が見ても」

「分かんない分かんない似合う似合うぞな」

 至近距離の造形美に魂を盗られた私に向かって、口から出任せの勢いで賛辞を並べててる。

 みんなこんな感じなんでしょうか美少女という生き物は?

 自他ともに認める美を心の拠り所にできる人とは、同じ言葉の重さで会話できないんですか?

 私みたいな持たざる者の心象なんて他言語感覚ですか?

 ケラケラ笑う彼女と彼女が――羨ましくて疎ましい。

「似合う……似合……」

 存在の耐えられない軽さで社交辞令を言い散らかした悠弐子さん、その果てに言い淀む。

 心にもないことを取り繕うのも限界ですか? 男物っぽいサングラスとか滑稽なだけなんですね?

「いや……というか……こうして見るとアレね……」

「なんですか? 言いたいことがあるならハッキリ言って下さい!」

 内から湧き上がるものを必死に堪えたみたいな顔。軽くぷるぷると震えてません?

「言っていいの?」

「いいですよ別に」

 どうせお二人に敵わないのは分かりきってるんですから。

「桜里子……」「桜里子……」

 心赴くままにディスってもらって結構。率直な感想で傷つけられた方がスッキリします。

 さぁ! さぁさぁ!

「桜里子……こうして見ると……」

 さぁさぁさぁ!

「なんというか」「なんというか実に」

 実に?

「「露出狂っぽいな」」

「は?」

 サングラスと男物のコートの合わせ技ですか?

「仕方ないじゃないですか!」

 だって隠さないと! 制服は隠さないと!

 杜都市内では見かけないタイプのセーラー服でバレてしまうじゃないですか!

「露出狂ってより痴女ね、痴女・山田桜里子」

 自分でも薄々思ってましたけど、敢えて言わなくたってもいいじゃないですか!

「ひぃー! お腹! おなか痛いー!」

 人をネタに身を捩るほど笑い転げる美少女二人組。追われる危機感などどこ吹く風、箸が転がっても私が地蔵になってもおかしいお年頃を全身で表現してますよ、この非常時に!

「もう! 悠弐子さん! B子ちゃん!」

 そのくせ可愛いのが癪に障る。眉を顰めてお腹を抱えてても可愛いってんだから始末に負えない。

「今、向こうから声がしたぞ!」

 ほーら悠長に戯れ言を言い合ってる場合じゃないんです!


「ハァ……ハァハァ……ハァハァハァ……ハァハァ…………」

 心臓が張り裂けそうになるくらい、走った。

 ヘロヘロのマラソンランナーみたいに歩道脇のベンチへ崩れ落ちる。

 乙女には最低限の走力さえあればいい。でないと追いかけてくる王子様に迷惑を掛けちゃうから。ラブチャンスの基本は『隙』です。

 女は隙を作れ! って耳にタコができるくらい吹き込まれたのに! 恋愛ラボの座学では。

「撒いたみたいね」

 悪い例が!

 被りっぱなしのマスクを脱いで、額に引っ掛けた悠弐子さん……もう息が戻ってます!

 障害物競走も真っ青な路地裏迷路を突っ走ってきたのに、なにその心肺能力?

 しかも、明らかに足手まといの私をサポートしながら、被り物までしながらなのに!

 こんな人は赤点です。恋愛ラボの女子力検定では最低点確実の振舞いです。

「…………」

 なのになのに……綺麗……

 駅前通りと国道が交わる交差点、行き交う人波から離れ街路樹の下。

 都会の星座を背に立つ彼女は、さながら人に非ず。闇とネオンの狭間に浮かぶセルロイドドール。

「ふんふん……」

 行き交う車(ライト)を流星のサドルにして出鱈目のメロディ。

 即身仏ならぬ即身ミュージッククリップです、彩波悠弐子。作為的なフィルターなんて不要。ただカメラを回すだけでいい。それだけで得も言われぬ叙情性がフィルムへと焼き付けられる。

 人差し指と親指で作る即席カメラフレームでも――涙が。震える心が涙腺を刺激してくる。

「……'Cause you're the piece of me♪」

 恋愛ラボの子たちは必死に探してた。自分が最も映える角度を何時間も鏡を眺めながら。

 でも彼女は違う。自然体で鼻歌を奏でる悠弐子さんは、どの角度からでも絵になる。必殺の男殺しアングルなど必要ありません。横顔正面斜め四十五度、俯瞰でもあおりでも引きでも接写でもコンデジや携帯でもプロ仕様の高級機でも――――敢然と「 美 」を返す。

 それ以外の答えがご所望なら他を当たってくれる? とでも言わんばかりに。

「あはは」

 即席カメラマンとして七転八倒する私を、笑いながら目で追う悠弐子さん。なんて力の抜けた笑顔でしょう……ついさっきまで百人単位の観衆を呑み込んでシャウトしていた子とは思えません。

(こんな笑い方もできるんだ……)

 凛々しく、勇ましく、気高く強く。

 まだ知り合って僅かの時しか一緒に過ごしていないけれど、常に何かと抗っている、内なる衝動に突き動かされて奮い立つ闘士の顔ばかりでした。

 悠弐子さん、あなたはいったい何と戦ってるんですか? そんなに生き急ぐ必要があるんですか?

 誰もが羨む容姿で生まれながら、どうしてあなたは荒野を行くのですか?

 お付きの爺やが数十人体制でレッドカーペットを敷いるのに。あなたが行くべき花道を。

(なのに! なのにあなた!)

 意地になって変顔で撮ろうとしても、まるで取り繕うこともなく。悠弐子さんは全方位型の美少女シェイプで応えてくる。

(ひとつくらいは!)

 有ったってもおかしくないですよね? 人間なんですから!

 と思ってしまうのはグリコの僻みだと分かっています。

 通常移動がチョコレートな人、彼ら彼女らが存在することは理解しています、頭では。

 でも悔しいじゃないですか!

 せめて何かひとつでも「これはないわ……」と万人が認める欠陥とか! 有って欲しい!

 公平世界信念は現実に通用しない誤謬だとしても、信じてみたくなるのが人情じゃないですか!

 ズルッッ!

 だけど神様は冷酷。そんな「迷信」に囚われた子羊には罰が用意されるのです。

「ひっ!」

 【美少女の破れ】を必死に探していた私の尻を、歩道の柵から滑り落とすんです。

「あ! あわわわわわわわ! わわわわわわわ!」

 柵に座って上半身を思い切り傾けていたら、コートが滑ってバランスを失う! 身の丈に合ってないメンズコートの罠!

「ひぃぃぃぃ!」

 腰が車道側へとオーバー・ザ・トップロープ!

(やば! やばいやばいやばいやばい!)

 慌てて体勢を戻そうとしても、藻掻いた手は空を切る!

 ビュウン! ビュウンビュゥゥン!

「ひ!」

 わずか数センチ先、脳天の先を掠めていく疾風!

 落ちる! 落ちちゃう! 夜の川へと引き摺り込まれる!

 体重一トン級の獰猛鉄魚が跋扈する幹線道路(夜の川)へ! ――――落ちる!!!!

「――桜里子!」

 すかさず差し伸べられる手!

 迷わず掴みます! 必死に手繰ります! 私の命綱、蜘蛛の糸を!

 だって彼女の手ですから! 一も二もなく彼女を信じて掴む!

「……!」

 絶体絶命ヒットゾーンから危機一髪――――回避!

 少しでも躊躇ってたら、頭皮から数センチは持ってかれてたかもしれません!

 河童どころか魔宮の伝説のサル……いえもう想像するだに目眩がするので止めときますが。

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、は……」

 何度目ですか? これで何度目ですか今日、死にかけたの? 危ない目に遭ったの?

 死はすぐそこに潜んでいる、そんな事実を嫌ってほど突きつけられる日!

 人生は……人の道とはスペランカーです! そうなんですね先達たる哲人の皆々様方?

 噛み砕いて言うとそういうことですよねメメントモリ!

「なーにやってんのよ、桜里子?」

 勢い余って腕の中。釣り上げられた私は彼女の胸で、子供じゃないんだからと背中をはたかれる。

 まるで悪戯っ子を窘めるママみたい。

 素直に謝れば何でも許してくれちゃいそうな、大きな愛。

 母性という女性だけが持てる尊さ、強い気持ち、強い愛。

「ごめんなさい……」

 どうしようもなく照れくさくて彼女を、深く抱く。お互いに顎で肩を愛撫するみたいなハグ。

 だって顔を見せたくないし。

 腑抜けて蕩けて安心しきって。ごく近しい身内にしか見せられないようなだらしない顔をしているはずですから。そんなの恥ずかしすぎます。出会ったばかりの人に見せていい顔じゃないです。

「…………」

 それでも彼女なら。歩道の柵に座り、何も言わず背中を撫で続けてくれる彼女になら――見せてもいいのかも? そんな気はするけど、私にはそこまで勇気を持てない。臆病な兎には。

 探り探り慎重に歩を進め、もう大丈夫な距離まで辿り着けたらネクストステップ。それが友達。女の子と女の子の常識的な付き合い方だと私は思っ……

「…………ん?」

 常識的な……

「…………んん????」

 常識的……

「……あれれっ?」

 常識とは何ぞや? と自問自答したくなる光景が、目に飛び込んできた。突然。

 美少女の肩越しに眺める夜の交差点、掲げられた大型ビジョンにはテレビのサイマル放送。帯番組のニュースなんですか。全国どこでも見ることができる、キー局発信の。

 耳慣れたピアノのインストゥルメンタル、アーティスティックなアニメーション、タイトルロゴ。

 映るもの全てが自宅のテレビで見るものと寸分違わぬ、『いつもの』。

「ひぃッ!」

 ただ一つだけ違う。全然全く以て……違いすぎる! だってだってだって!


  出 演 者 が !  ――――  ガ イ コ ツ ! ? ! ?


 気味の悪い髑髏がスーツを着て、アンカー席で喋ってる!!!! 何食わぬ顔して!!!!

「な、何なの!?」

 思わずサングラスを取り去り、目をしぱしぱさせてみたら、

「……………………あれ?」

 いつもの人ですよ? スポーツ実況で頭角を現した元局アナの男性。ファニーな眼鏡に似合わぬ硬い語り口が「無理してますね……」って感じの、あの人です。

「えっ? えっ? ええっ?」

 やっぱり私の見間違いだったんですか?

「ひいっ!」

 慌ててサングラスを掛け直すと……やっぱり見えます!

 不気味な骸骨が! カタカタと顎を鳴らしながら気味の悪いホネホネロックがビジョンに!

「あれ?」

 でもサングラス外すと普通。

「ひっ!」

 掛けると異常。

 これって……最高に趣味の悪いジョークグッズ?

 人の生首を骸骨に入れ替える系の? どこで売ってるんです? 王様のアイディア?

(……いやいや待って待って)

 サングラスを掛けたまま視線を水平に落とす。

「…………」

 交差点を行き交う人、誰一人とて首の挿げ替えなど起きてませんよ?

(……え? これどういう仕組み?)

 特定の人だけに悪戯を施すジョークグッズ……にしては、

(対象がピンポイントすぎませんかね? ドッキリ映像に差し替わる条件が……)

 差し替わる?

 ええ、そうです。アイコラみたいな静止画の挿げ替えなら素人にもできますよ。多少の知識と根気とPHOTOSHOPさえあれば。

 だけどテレビのアナウンサーは、アンカー席を離れてボードの前に立ったり、スポーツコーナーでバットを振ったりしても寸分の狂いもない。

 ハイビジョンのデータをリアルタイムレンダリングしてるの?

 このチープなサングラスのどこに、そんなチップが埋め込まれているの? ペラッペラのセルフレームとプラスチックレンズの安物サングラスですよ? 高性能半導体やバッテリーに特有の発熱も見受けられない……それなのに特定の一人だけを判別して、極めて自然な描画処理を果たしてる。

(これは単なるジョークグッズなんかじゃない!)

 最先端テクノロジーが凝縮された……なんだろう????

 私の知性では対応不可能です。猫に小判豚に真珠類人猿にモノリスです。

「……悠弐子さん!」

 となれば持ち主に訊くのが手っ取り早い。

「つかぬことお訊きしますが、このサングラスはいったい……」

「ん?」

 気怠い瞳で私の身体を抱いていた彼女、返事をするのも億劫そうだったのに、

「ナニかおかしなの見えるんですけど……」

 その言葉で急にテンションスイッチが切り替わり、

「見えた? どこにいた? どんな格好して?」

 退廃のアンニュイをかなぐり捨て私の肩を揺さぶる。

「骸骨ですよ! あのビジョンで大写しになってました!」

「ああ、テレビね……」

 気色ばんで食いついてきたのに、一瞬で興味を失ってる……

「いつものことよテレビは」

「……いつものこと?」

 ヤレヤレと溜息吐いちゃって……何を落胆してるのかすら分かりません????

「いたぞ!」

 しまった!

「ボーカルとマラカスを発見! 駅前通り交差点!」

 チリチリ頭のパーリーピーポーさんたちに見つかっちゃった!

 てか被り物を脱いでたら見つかります! 目立って目立って仕方がない貴女ならば!

「愚図愚図してる場合じゃ! 悠弐子さん!」

 せっかく逃げ果せたと思ったのに! また息が切れるまで猛ダッシュですか?

「大丈夫よ桜里子」

 打ち合わせの合流地点へ辿り着いたスパイみたいな笑みを浮かべ。

 なんなんです? 都会という名のジャングルへ舞い降りてくれるんですか? 逃走用ヘリでも?

「ゆに公ぉ! 桜里子ぉ!」

 丁度そこへ私たちを呼ぶ声が! 大通りの向こうから女の子の声が!

「B子ちゃん!」

「はりあぁぁぁぁーっ!」

 Mi-24でもUH-1でもなく、黒塗りのワンボックスから身を乗り出して私たちを呼ぶ。

 途中で逸れたB子ちゃんは無事ウイドーメイカー号の回収に成功してました!

「さ、行くよ桜里子!」

 余裕綽々で歩道の柵に立つミスフォトジェニック。私の手を引いたまま、笑顔で告げた。

「え?」

 まさかとは思いますが、もしかしてここを……?

 天下の杜都駅前大通りですよ? ひっきりなしに車通ってますけど? 片側三車線ですが? 向こう岸の歩道まで何メートルあると思ってんですか?

「行くわよ桜里子!」

「ひ、ひぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」


 酒場という聖地へ、酒を求め、肴を求め彷徨……いえ、お酒は呑めませんが。

 呑めないけど美味しいですよね、居酒屋メニュー。冷静に考えると少し割高な気もしますが、やっぱり人間、ちょっと体に悪いくらいの味付けの方が美味しく感じられてしまう、ヒトの原罪(つみ)。

「おやじ、おかわり頂戴、梅サワー焼酎抜き」

 逃亡に次ぐ逃亡でカラカラに乾いてしまった喉を潤します。

「ぷひぃぃぃぃ……」

 刺客からの遁走を果たした桂小五郎の気分です。

 今日一日で何度強いられたんでしょう、決死の逃走劇を。

 どこで間違えたんですか? こんな危なっかしい人生選択した覚えないんですけど?

「ぷはぁー!」

 ノンアル炭酸で酔えるわけがないですか、そこはそれ、匂いと雰囲気だけでも良い気分になっちゃいますよね、こういう空間って。

 そうです居酒屋――社畜ライフのささやかな慰めとして紳士淑女が集う店。

 私たちにとっては縁遠い、女子高生が突貫したところで門前払いがオチですが、普通は。

 でも。それでも意外と入れてしまう「穴場」って存在したんですね。初めて知りましたよ。

 ここは杜都郊外のスーパー銭湯。

 お風呂に留まらず、付随するサービスも取り揃えた癒やしのワンダーランドです。定番のエステやサウナ、岩盤浴はもとより「食」に関しても抜かりなく。情報誌やネットでも盛んにプロモを打って、集客の目玉に据えるほどの充実ぶりで。お風呂を中心にしたテーマパークとでも言いましょうか、それが今時のスーパー銭湯ビジネスらしいです。一度チェックインすれば、リストバンド決済で施設内の支払いは財布レス。外界から隔絶したクローズドなテーマパーク感とでも言いましょうか、だから店舗へのアプローチも敷居が低い。

 それから大きいのは格好です。

 破れた制服は脱ぎ捨てて、レンタル浴衣へ聖衣(クロス)チェンジ@更衣室。定番の湯治スタイルへ着替えれば意外と分かんない。ターバンっぽく頭を隠せばあら不思議、年齢不詳女子のできあがり。

 ああ、この美少女たちは例外ですが。ターバンくらいじゃ隠しようがない美少女フェイス、目立って目立って仕方ない。

 なのでタオルを三角に折って被ってもらいました。あからさまに怪しい、ミス秘密結社感が半端じゃないですが。怪しげなサバトで黒魔術を祈祷してそうな風体になっちゃってますが。

 仕方ないですよ、素顔で出歩いてたらトラブルの種を節分蒔きしてるようなもんですし。

「うます! 枝豆うます!」

 ところがそんな私の配慮なんか意にも介さず、止められない止まらない状態で豆を莢から口へシュパパパパパ連弾してますB子ちゃん。

「スーパーで売ってるのと大差ないのに、どうしてこんなに美味しく感じるのかしら?」

「言われてみれば不思議ですね……」

「場の力ぞな」

 私と悠弐子さんの疑問に、即答するB子ちゃん。

「祭のヤキソバが美味いのも、海の家のラーメンが美味いのも、札幌大通公園のトウモロコシが美味いのも全部、場の力がスパイスになってるぞな」

「なるほど」

 山盛りの枝豆を貪り食う悠弐子さんとB子ちゃん、さすがに三角帽子を被ったままでは飲食もままならないので、アップにした髪をタオルでグルグル巻きにしてお食事中。なるべく目深に巻いてもらってカウンターの最奥席へ陣取ります。

(にしても……)

 人集まる場所に騒ぎアリそこのけそこのけ贅理部が通る……だったはずなのに?

「煮込みうまー」「焼き鳥うままー」

 ところが、全く以ってその気配がありません。このスーパー銭湯へ入場してからは。

「ポテサラうまー」「海鮮珍味うままー」

 二人とも不気味なくらい和やかに居酒屋メニューを摘んでいます……

 行先方々で大暴れしてきたのが夢物語に思えるほどの穏やかさ……

「…………」

 大衆酒場のコの字カウンターを模した小綺麗な机、私の左に悠弐子さん右にB子ちゃん。ノンアル炭酸のジョッキをぐいぐい煽りながら。

(何故? どうしてこんなに大人しいの?)

 週末の夜ともなればスーパー銭湯大盛況。杜都中心部のアーケードとまでは行かないまでも、かなりの人口密度ですよ? トラブルの種なんて引きも切らない気がしますけど?


 桜色の脳細胞 仮説1 : 疲れちゃったから。

  全身全霊でギャンギャン泣きまくる幼児も、疲れてしまえば鳴りを潜めます。


「ここ、お風呂二十種類もあるらしいわ」

「全制覇して贅理部の旗を立てるぞな。巡回桜里子問題として数学界へ提起するぞな」

 パンフを広げて入浴計画を検討する悠弐子さんとB子ちゃん、まだまだバイタリティ残ってそう。

(ではないとしたら?)

 うーん……何が違うの? 少女爆弾が暴発するケースとしないケース……なんだろう?

 記憶の箱をひっくり返して、思い返してみる。

 少女爆弾が暴発しちゃった箇所……展望フロア、中心アーケード街……それらとの違い……

(んー……客層?)

 コアな大衆酒場ほどじゃないですけど、ここは空気が澱んでいる。疲れきった社畜戦士やイレギュラーな労働裁量に疲弊する人、そういう人種の吹き溜まりっぽい草臥れ感が漂ってる。一言で表現するなら「ジジ臭い」。居酒屋にしては小綺麗でも、客層はシブい。人間的なのシズル感など微塵もありませんし、ピチピチしてるのはお刺身だけです。

 暴発現場に比べて著しく低い。ロマンティックがスッカスカ。

(てことは?)


 桜色の脳細胞 仮説2 : ロマンティック濃度に比例してレジスタンス衝動の活性度も変わる。


(…………なのか?)

 この子たちの言葉は難しい。リアリティの尺度をどこに置いたらいいのか、分からない。

 私を翻弄するのが楽しいから大言壮語するのか、

 それとも生来の性格からして天邪鬼なのか、

 あるいは浮世離れした美しさと引き換えに大切な何かを神様に取り上げられちゃった子なのか、

 どれだかまだ私には分からないけど、とりあえず彼女らの言葉は話半分、いやもっと何割かを減じた上で常識のコンテクストへとフィットさせなくてはいけない。

(め、めんどくさいな……美少女って皆こういう生き物なんですか?)

「えへへー、呑んでるー桜里子?」

 呑んでますよサワーの焼酎抜きを。甘くてシュワシュワする飲物を酎ハイジョッキで。

「酔っちゃった」

 もたれかかってくる悠弐子さん。ジュースの炭酸割りで酔えるなら特異体質です。この言葉は嘘、戸惑う私の反応で遊びたいだけの戯言です。

「くひー」

 B子ちゃんなんか私の膝で寝たふりです。

(もう本当に……おかしなタイミングで暴発しなければ、こんなにも可愛い子たちなのに)

 借り物の温泉浴衣なのに。何の変哲もない白地に藍染めの和柄浴衣なのに。胸元から立ち上ってくる香りに酔ってしまいそう。着崩しているわけでもないのに、ほんのりと漂ってくる彼女の香り。これは死にますね、腕を抱かれながらこんな匂い付けされたら、男の子はイチコロです。絶対に勘違いして彼女を独占したくなる百発百中、ラブモーション。

(ああーもぉー)

 だめですB子ちゃん。こっち向いて甘えちゃダメですってば。膝枕なら向こうです。

 そいや。

 押し退けた頭を、綺麗な金髪を梳いてあげると……いやいやと首を振りながらも満足げ。

「うぅ~ん……」

 辺り構わず吠えまくっていた昼間の彼女が嘘みたいです。夜の彼女は仔犬の従順。

「さーりーこー」

 酔っぱらいのムーブで身を預けてくる悠弐子さん、あぶないあぶない。下手にグラスでも倒されちゃったら興醒めですから、カウンターテーブルの奥へとジョッキを避難させたら、

「あ?」

 外したまま忘れていたサングラス。悠弐子さんから渡された変装アイテム…………だったはずの。

(これ……)

 逃亡中の会話を省みれば、悠弐子さんは何か知ってるみたいだった……

 このサングラスは普通じゃない、何かしら特別な仕組みが実装されたレア物だと。悪戯グッズにしては手が込みすぎてて、存在自体が不自然に思える。

「…………」

 これはオーパーツ? それとも私の思いすごしで、何らかのペテンに掛けられているだけ?

(よし!)

 意を決して再びサングラスを装着、エイヤッと瞼を開けてみれば……

(……いない……)

 カウンターを見回してもヘベレケのおじさんたちばかり。バーコードさんとか白髪の人とか、ありふれた社畜戦士が赤ら顔で上機嫌になってるだけです。店員のお兄さんやおばさんも、至って普通。

 一目で肝が縮み上がるような骸骨人間とか、影も形も……

(幻覚だったの? 私が杜都の繁華街で見たの)

 過度のストレス状況で脳がパンクした、その末の出鱈目アウトプット、と結論づけるべき?

 だって本当にメチャクチャでした、今日という日は。頼んだ覚えもないのに身の危険がわんこ蕎麦状態で配膳されてくる。こんなの経験したことないですよ人生で一度も。

「あれー? 気に入ったの桜里子そのサングラス?」

「中二病中二病? 夜中にサングラスを掛けたくなる典型的中二病症候群?」

「ちがいます!」

 ああもう本当に口さがない、この二人ってば!

「分かった桜里子?」

 何が分かったんです? 心が読めるサイコメトラーですか? それこそ中二病っぽいですけど?

「まだまだパーティが足りない、って言いたいのね!」

 読めてねぇぇ! 全然読めてないし!


 スーパー銭湯の定番ギミック、ローマ「風」装飾の変わり風呂。獅子の口からお湯が出たり、パルテノンっぽい円柱が模されていたり。あくまで「風」です「風」。床は大理石じゃないし、オブジェは樹脂かプラスティック。気分だけ王侯貴族の、なんちゃって雰囲気風呂ですよ。

 なのに! 悠弐子さんとB子ちゃんがフレームに収まれば世界遺産級のテルマエに見える……イミテーションの彫像もミケランジェロ謹製に思えてくる。

 その原因は……身体! 惜しげもなく晒している裸身のせいです。

 当然お風呂ですから産まれたままの姿です。タオルはご法度ですから、日本の作法では。

 なのに!

(……エロくない!)

 美術の教科書をエロく感じないのと同じ理屈ですか? 完成された美にはフェティシズムの紛れ込む余地がないってことですか? なら、この子らの肉体は美術の教科書に載るレベルってこと?

「…………」

 遜色ないです。美の巨匠が裸婦像のモデルにしたがる体(モチーフ)ですよ。頭蓋骨から爪先に至るまで、一片の隙もないパーフェクトバランス。

 首の長さ、胸の膨らみ、ウエストの絞れ具合……あらゆる身体の部位がナチュラル。恣意的な矯正の跡が覗えないんです。肉体形成上、理に適った形状と動作が整っている。ぎこちなさの元となるシンメトリーの破綻も見受けられない。普通はどっか偏ってたりしますよ、人間。生きていく中で、変な癖が身に刻まれたりするものです。

 でもこの子たちには一切、些細な仕草にも余計なコンフリクトが紛れてない。

(何なのこの子?)

 脱いだら脱いだで光る源氏の乙女、十把一絡のkawaiiなど歯牙にもかけない美の超越者。悠然と観察者の視覚へ屈服を要求してくる。

「……桜里子?」

「お風呂でタオルはご法度ぞなー」

「ちょ、ちょっと待って!」

 タオルを無理矢理剥ぎ取ろうとしないで、B子ちゃん!

 私の裸とか晒せませんって! お二人の前で! 制服という普遍的ブランドが付与された世界でなら対等とは言えないまでも「映す価値」は多少ありそうな気はします、私ごときでも。

 だけどだけど! セーラー服を脱がしてしまったら最後、凡庸の沼に沈みます!

「よいではないかよいではないか減るもんでもなし!」

「減ります! 減りますよ! 恥のパラメーターがガタ減りしてしまいます!」

 サムライは恥値がゼロになると切腹しちゃうんです!

「しーなーいーだいじょうぶー」

「しーまーすー!」

 この最後の砦は守り抜きます! 「恥」の最終防衛ライン!

「……あ!」

 とか頑張ったのに結局! 強引にタオルを剥ぎ取られ!

「わ! わわわわわわわわわわわ!」

 おっとっと反動で後退に後退を重ねた末に、

「ひえぇぇぇぇぇぇぇ!」

 足を滑らせバランスを崩した私は後頭部からダイヴ トゥ ウォーター(お湯)スライダー。

 係員さん激怒の体勢のまま、文字通り「逆落し」をキメてしまいました。


 そろそろ帰宅するにはいい頃合い、賑わってたお休み処も閑散とし始めています。場所取りの縄張りを主張しなくとも余裕のスペース。手足を思いっ切り伸ばしても誰の邪魔にもなりません。いぐさの香りする畳敷きの大広間、ごろり寝転ぶヒーリングタイム。人をダメにする系のソファも独り占め……

「にょわー」

 だってのに、どうして私のソファに凭れてくるんです悠弐子さん?

「ぞなー」

 そこへ直立不動式のヘッドバットで倒れてくる子ってなんなんですか?

「もぉ……」

 一人用のソファに三人分の頭を乗っければ自然と絡み合う髪。金の収穫色に光る金と、漆黒の艶を讃える黒のコラボレーション。

「ねぇ桜里子……この世は何で出来てると思う?」

「この世……ですか?」

 なんだろ?

「愛?」

 月並みですが愛ではないでしょうかね? 愛がなければ世の中回っていかないような気がする。

「それは違うぞな、桜里子」

「言うなれば最も愛の要らない世界でしょ、高度に発達した現代社会と原始社会は」

「個人主義こそ愛を不要にするシステムぞな」

 そういうもんですか?

「現代的な社会福祉や雇用システムは、情実が介在しないからこそ公平性が保たれるのよ」

「世紀末救世主伝説的な意味で、サバンナにも愛は要らんぞな」

 馬鹿騒ぎ一転、思考実験を挑んでくる美少女の脳、どうなってんですか?

「さ、桜里子の答は?」

「現代社会でもサバンナでも通用する解ですか?」

 そんなの思いつきませんよ……

「桜里子……世の中は」

「はい」

「世の中は――取り返しがつかないことで回ってるの」

「は?」

「悔やんでも悔やみきれぬ失敗と、奇跡的な結果オーライで作られてきたのが歴史なのよ」

「はぁ……」

「基本的に人がやること為すこと全て後悔よ。後の祭りよ。時間が不可逆な概念である以上、それが唯一無二の真理なの」

「その程度が軽微か甚大か、そんだけの違いぞな」

 もはやチルアウト局面に入った桜色の脳細胞では理解が追いつきません……

「桜里子」「桜里子」

 ビーズソファにメリ込んで身動きが取れない私へと覆いかぶさってくる二頭の牝ライオンちゃん。

「桜里子、しよう」

「あたしと取り返しのつかないことしよう」

 な、なんて応えればいいんですか? そんなこと言われてなんて答えれば?

 だってその目は。

 基本的に相手の気持ちを慮るつもりなどない、己の信念を決して曲げない生き方の人の眼です。

 人は多かれ少なかれ独善かもしれない、という疑いも抱きながら生きている。

 だけど彼女には曇りがない、迷いがない、躊躇が見当たらないんです。

「私に何が……」

 できるというんですか?

 私は何もできない。警備員や警察官やパーリーピーポーから逃げ切る身体能力もない、ぶっつけ本番のステージでパフォーマンスを披露する技術も胆力もない。

 そしてなにより――――美しくない。

 不特定多数の興味を一瞬で鷲掴みする美少女フェイスなぞ、望んでも得られぬ高嶺の花です。

 そんな私に何を望むんですか? 何が期待できるというんですか?

「――あたしと一緒にしよう」

「取り返しのつかないこと」

 現実感の喪失した空間で彼女と彼女は言うのです。

 どうせ後戻りできないのならば、とびっきり捻子の外れた傲慢不遜やっちゃおう、って。

 お母さん、詐欺師はいませんでしたよ。浮かれた新入生を狙う悪質商法も怪しげな宗教勧誘も。

 だけど……だけどいました。底なし沼へ人を引き込む堕天使が。

 人生観の足元まで刈ってくる美貌のあくましんかんが! それも二匹も!

 「イエス」と「はい」しかないババ抜きで、カードを引けと迫ってくるんです!

(獲って――食われる!)

 友達同士のパーソナルスペースも軽々乗り越え、ゼロ距離の肌接触。

 お巫山戯のスキンシップと言い訳できそうもなくなるほどの至近距離。

「わっ! 分かりましたー! やりますからまず落ち着いて!」

 こんな勢いで迫られたらそう応えるしかないじゃないですか!

「むふ」「むふ」

 我先にと私の唇を奪いに来た(ように見えた)彼女と彼女は墜落。私の胸に墜落して、

「そう言ってくれると思った……」

 とか呟きつつ、胸に頬ずりしてるんですよ。

 なんだ? なんですかこの画?

 どうして私は請われているんでしょう? 同級生女子全員を置き去りにする美少女ツートップに。

 分からない。どうしてこうなった? 脈絡が思い出せません……

「これであたしら百万馬力!」

「天下無双のスーパーユニット、爆誕ぞな!」

 スーパーユニット? バンドですか? もしかして今日の飛び入りステージに味を占めてスリーピースバンドで本格的にやってこうってつもりですか?

 いや、むしろ出禁です。あんな騒ぎを起こした張本人だとか知れ渡ったら、結成以前に出入り禁止ですよ、どこのライブハウスも。

「愉しみだね、桜里子」

 でも……あんな綺麗な悠弐子さんをまた見られるのなら、それもいいかなって。舞台の悠弐子さんは嵐の中で輝くローレライ。人心を騒がす魅惑の人魚です。

「じゃ名前、考えないといけないね」

「世の真理を表現する崇高でシンプルな名前がいいわ」

「名は体を表す、躍動性のあるダイナミックな名前がいいぞな」

 ああもう止めて下さい。寝転ぶ私の上でアイベックスがツノを突き合わせるみたい音は。

「喧嘩禁止! 公共の面前ですから!」

 左右の腕で彼女たちの首を抱え込み、ギューッと胸に押し付ける。

「名前ですか……」

 名は規定、もっともプリミティヴな規定の魔術。名前が私たちの関係性を規定する。

(……だとしたら)

「ゆにばぁさりぃ――とかどうでしょうね?」

 私たちの名前から少しづつ取って、結晶化するアナグラム。

「でも、良くないですか? 音韻も柔らかくて、外人さんにも覚えてもらえそうな……」

 …………あれ?

「悠弐子さん? B子ちゃん?」

「すう……」「スヤァ……」

 寝てるし。今日一番の穏やかな寝顔で私の胸へ身を預けてます。

 珍しーく桜色の脳細胞から名案が飛び出してきたというのに。

「ゆにばぁさりぃ……いや待って?」

 これは「お父さんとお母さんの名前から一文字づつ取りました」式のネーミングじゃない?

 離婚した時に困るから止めておいた方がいい、って窘められそうな名付け法では?

 そう思うと、

「なんか急に恥ずかしくなってきた……」

 なしなしなしなし、今のなし!

 良かった……二人に聞かれてなくて良かったぁ……

 こんなの黒歴史ですよ。ノリだけで先走った末に、後で恥ずかしくなる系の。

 もっとファッショナブルでスタイリッシュな名にしましょう! バンド名ですからね!

 何がいいかな……そう簡単に思い浮かんでたら世話はないですが。

「ま、ゆっくり考えればいいかな……」

 まだ幾らでも時間は残されてます。私たちの週末は始まったばかりですからね。

 果報は寝て待てと昔の人も言いました。寝ればリセットされちゃうんです、世の中。面倒事に見えても収まるべきところへ収まる。大概はそういう感じで世間は回ってます。

 山田桜里子が規定するならば『世の中は寝逃げでできている』です。

 うむ。なので寝ましょう。

 目が覚めれば待ってます新しい希望に満ち溢れた明日が、私たちを待ち受けてくれます。


 ――――が。

 私を待っていたのは最悪の目覚めでした。山田桜里子の短い人生史上最悪の。

 ジリリリリリリリリリリリリリリリリ!

 掛けた覚えのない目覚ましのけたたましい音!

「はっ!」

 慌てて跳ね起きて携帯を確認すれば……

「……通話?」

 目覚ましタイマーのうっかりミスではなく、着信画面が表示されてて、

「望都子(モコ)ちゃん?」

 こんな朝早くから何でしょう? 通話ボタンを押してみれば、

『桜里子!』

「ど、どうしたんですか望都子ちゃん?」

『助けて桜里子! 大変なの!』

 誰が聞いても分かる慌てぶりで、望都子ちゃんは緊急事態を訴えてきた。

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