第四章 女子高生が求める気密性って何ですか? - What's the Sealing that a High-school girl wants?
「いったいどうしたんですか、望都子ちゃん?」
『捕まったの! ジュンジ捕まっちゃった!』
はて? いかなる咎で?
……姦淫罪ですか? 彼女がいるのに他の女に目移りした罪? それは第一級恋愛罪ですね。恋愛ラボで習得した折檻テクを総動員して罪を知らしめてやらねばなりません。
「落ち着きなさい望都子」
スピーカーモードのボタンを押して語りかける悠弐子さん。
「誰? 誰に寄って彼は捕縛されたの?」
『男の子! 学ランを着た男の子たちが急にジュンジを拘束して!』
「望都子もう少し詳しく」
『分かんない誰だか分かんない!』
「拉致現場はどこ?」
『トイレ!』
「拘束の容疑は?」
『分かんない! 分かんないけど、風紀紊乱がどうのって!』
「B子」
「ちょっと待つぞな」
愛用のPCを開いて、なにやらカチャカチャとキーを打ち始めるB子ちゃん。
「ああ……」
呪文みたいな文字列を打ち込むと、液晶に映像が映し出されました。
「これ霞城中央の教室棟じゃないですか?」
真新しい校舎のトイレです。まだ数えるほどしか使ったことがないトイレを廊下側から見た映像。
なぜこんなものが外部から見られるのでしょうか?
おそらく学校側が設置した監視カメラのネットワークではないか思うんですけど……B子ちゃんがハックしてるんですか?
「ハメられたわね……」
「ぞな……」
難しい顔でトイレの入口を見つめる悠弐子さんとB子ちゃん。
「ハメられた?」
な、何を言ってるんでしょう? また意味不明な美少女語ですか?
「コレおかしいと思わないの桜里子?」
何の変哲もないトイレの入口映像ですけど?
「おかしいじゃないの」
「おかしいぞな」
「……どこがですか?」
取っ掛かりも掴めない間違い探しにチンプンカンプンなんですけど?
「「ここ!」」
「ん? んん? …………ん?」
あれ? 女子を表す赤のピクトグラム、その対称位置には男子を模した黒の……
「あれれれ?」
黒じゃないですね? 赤ですよ右も左も両方の入り口に掲げられている、赤のピクトグラムが!
「なんですこれ?」
少なくとも昨日までは正しい対称性が維持されてました。そのはずですよ。
「誰かが付け替えたのね」
なぜそんな馬鹿げた悪戯をするんですか? そもそも誰が?
「桜里子……これは悪戯じゃないぞな」
「悪戯じゃないとしたら――悪意の罠とでも言いたいんですか?」
『そうとしか考えられないよ!』
切迫した口調で彼女(モコちゃん)は訴える。
『弁解の余地すら与えられずに連れてかれたんだから! 赤の腕章した子たちに!』
「赤の腕章……B子!」
「ちょい待ちなー……ほい」
B子ちゃんがコンソールを操ると、校内中の監視カメラ画像から赤色の映像が抽出される。
「腕章、これぞな」
「やっぱり屋上の仕業ね」
「……屋上?」
赤い腕章が落ちていたのは屋上らしきオープンエアのフロアでしたが……悠弐子さんは「屋上」を特定の固有名詞っぽく吐き捨てた。
「手違いで撤去されずに残った工事用のプレハブ。ここよ」
B子ちゃんが画像解析でズームすると……『霞城中央おんなのこ相互扶助会』の看板が。
「これは……」
そうだ名刺。贅理部の入部試験へ発つ前に貰った名刺。新歓部活オリエンテーションへ乱入して、暫定生徒会の不手際と正当性を糾弾した、鳥居さんとかいう意識高い系女子のグループ?
「あれって女子をエンパワーメントする志の団体じゃなかったんですか?」
「ここ、ここよB子」
B子ちゃん画像を更にズーム、コンクリに散乱しているフライヤーを解析すると、
『特別ガイダンスのお知らせ』
「特別ガイダンス…………?」
そんなの入学資料にありましたか? 私は記憶にないんですけど……
『本日の授業ガイダンスに重大な不備が発覚しましたので、明日土曜を特別登校日とします』
『急遽の決定となりましたので、生徒の皆さんはできるだけ他の生徒にも知らせてあげて下さい』
『なお、後日、振替の休日を予定しています』
「『明日』ってことは昨日の放課後配ったんですか? 生徒の帰り際に?」
裏山で男子ほぼ全員参加の贅理部入部テストが敢行される中、裏ではこんな怪文書が……あれ?
でも押されてますね? 文書に朱のスクエア印。下の方に【霞城中央】の印鑑が。
「これ学校側から正式に通知されたお知らせなんですか?」
「偽造印。PCで適当に作った偽物ぞな」
「それって犯罪じゃないですか! 悪戯にしても度が過ぎていますよ!」
「そういう手段を用いることも厭わない、そういう団体ってことよ」
「革命無罪、造反有理。奴らは救済者の皮を被った、暴力の肯定者ぞな!」
「平和な日常を土足で踏みつける権力の亡者よ!」
「我々贅理部は、今後は『彼ら』を屋上生徒会と呼称……」
「ちょ、ちょっと待って下さい悠弐子さん!」
それはどこまで信用していい話なんですか?
いきなりそんなこと言われても、馬鹿正直に信じてもいい話なんですか?
『キャーッ!』
突然響くエマージェンシー!
「えっ?」
ブツッ! 突然の悲鳴と共に通話は途絶。
「望都子(モコ)ちゃん!? どうかしたんですか、望都子(モコ)ちゃん!」
再び通話を試みても案の定、繋がりません!
「望都子(モコ)ちゃん………」
これは異常事態です。
どう考えても退っ引きならない非常事態です。
(どどどどどうしたらいいんですか? こういう時、私は何をすれば?)
先生方は不在の上、何が起こっているか分からないんじゃ警察にも頼めない。
私は何をしたら? 何をするのが最善なの? 何が出来る?
ベン! ベンベンベンベンベンベラベンベンベンベベン!
イヨッ! バシャーン!
ベンベンベンベンベンベラベンベンベンベベン!
ブンブン唸るベースハウスのシンセサイザー、そこへアグレッシブに重ねられる弦楽器!
これって琵琶? 三味線? 和楽器特有のエスニックな弦がフィーチャーされたファンファーレ。
「……はっ!」
振り返れば座敷より一段高い演芸舞台! 最近ではメッキリ使われなくなった昭和の名残が!
そこで! デフォルメの施された松の書割を背負った彼女が!
「――――時は来た!」
蛇柄の和式リュートを抱えて叫ぶのです。チープにも程があるPAに照らされつつ。
「……悠弐子さん?」
人も疎らな朝方のスーパー銭湯、舞台で仁王立ちした彼女が叫ぶ!
ほら、のんびり休憩なさっていた叔父様たちも目を丸くしてますよ?
「Now is the time!」
心拍を沸き立たせるベースラインに乗せて、悠弐子さんはフリースタイル。
「未曾有の危機が迫る! 学園に迫る、今こそ、私たちのターン!」
絶対無比の無謬性ワールドを背に、放たれるメッセージ爆弾(クラスター)。ナチュラルボーンアジテーターは言葉のファンネル解き放つ!
「ねらわれた学園!」
昭和風味の大宴会場アリーナを、彼女が劇性で染めていく。三味線のカッティングエッジで形成される畳と障子のダンスフロア。寝ぼけ眼の叔父様方もput your hands up in the airです!
「サンキュー、オールドタイマァァーズ!」
ベースハウスと盆踊りが交錯する空間が、彼女の合図で強制停止。
バシャ!
音と同時に落とされた照明――――そこで一灯、ピンスポが私を照らす。
「そもさん!」
闇の舞台から声が届く。数十畳の隅々まで届く魔女(ローレライ)の声が。超指向性で私を貫く。
「せ、説破……」
「今、霞城中央には男子が存在しない」
ええそのはずです。同級生の男の子たちは、道なき道の山奥を四苦八苦しながら進んでるはず。
「しかし望都子は『彼氏を拉致したのは学ランの男子たちだった』と証言した」
それは間違いない。だって私自身の耳で聴いたんですから。
「学園には男子がいない。なのに男子が男子を攫ってった……」
「私たちの同級生ではない、部外者が侵入したんじゃ?」
「思い出して、桜里子」
会議用ホワイトボードをスクリーン代わりにして、映像がプロジェクションされる。
「……あ?」
そうでした。私たちの母校は新設校。できたてホヤホヤ新築ハイスクールです。なのでそれなりのセキュリティ対策も施されています。電子認証式の生徒手帳が部外者の侵入を阻んでいる。
「でも存在した、いるはずのない男子が学内に」
成り立たぬ論理=ミステリィ。行き届いたセキュリティは、密室を生むってことですか?
「このミステリィを破綻させられる――――可能性は二つ」
ばぁん! ホワイトボードを平手打ちしてアテンションプリーズ。
理解不足の学生へ噛んで含めるように美貌の女性講師が二人が、闇に浮かぶ。
(うわぁ……)
昨日のライブで感じたインプレッション。
闇に閉じ込められた氷柱花(マーベリックフローズン)の輝き。余計な背景を黒で塗りつぶせば美しさだけ本物の色(トゥルーカラーズ)として浮かび上がる。温泉浴衣だろうがお構いなしで。
「一つ! ――女子の格好をしてたけど、本当は男子だった」
愛しの氷柱花(マーベリックフローズン)は言葉で私へ襲いかかる。
「そ、そんな! いくらなんでもそれは不自然ですよ!」
女装男子なんて、本物の女子と見紛う似合い方をする子なんて学年に何人もいませんよ!
「二つ! ――女子が男子に『なった』」
「ゲートを潜る時点では確かに女の子だった子が男子になってしまった」
またうっかり額面通りに受け取ってしまうところでした。彼女の言葉はトポロジー。穴の数だけが合っているだけでユークリッド幾何学の思考とは相を違える次元の言葉です。雲を掴むような言葉を、どうにかコンバートしないと誤謬でダンスダンスダンスを強いられる。
「え……ええと? 男装って意味ですか?」
セーラー服で登校した子が、別途用意した学ランに着替えて「男」に成りすましたと言いたい?
「ちっがーう!」
こ、これはどう翻訳(コンバート)すればいいんです?
まさか本当に女子が男子に性転換しちゃったとでも?
「桜里子! Wikipediaだって参照論文がなければ[独自研究?]って晒されちゃうのよ!」
「根拠が要るんだぞな!」
なんだなんだなにが言いたいんだ? この子たち? 根拠ですと?
「じゃ悠弐子さんには根拠があるんですか? 誰に見せても通用する根拠が?」
「フッ……」
うわっ、これみよがしのニヒリズム。髪を描き上げながら薄く笑うお嬢様しぐさ。同じことを私がやったらプークスクスクスって嗤われること請け合いの。
なのにこの子は!
非日常性を完璧に手懐け飼い馴らすまものマスターじゃないですか。羞恥の臭みすら、こともなげに打ち消してしまうパフォーマーの存在感。ほんの数十センチ、地表から浮いた「別世界」が、方便をリアリズムに仕立て上げる。彼女は華。舞台でこそ水を得る生足魅惑の人魚(マーメイド)です!
「これよ!」
恐怖映画の劇伴みたいな激しいインストゥルメンタルを背に、
「これ、これこそが有無を言わせぬエビデンス!」
悠弐子さん一冊の書を掲げてみせた。
壮大な宇宙絶景を描いた、一般向けの科学情報雑誌…………じゃないですね? 確かに装丁の雰囲気は似通ってますけど。本屋で同じ棚に陳列されてたのなら結構な確率で迷います、パッと見では。
だってそれ超有名なタイトルです。東スポやゲンダイと並び称される、情報に信憑性がないことを承知して楽しむエンターテイメント。オカルトの代名詞として燦然と輝く雑誌! 学習研究を旨とする出版社が発行してるのに、どこにアカデミズムを見い出せばいいのか悩まされる本です。インターネット普及以前は、あらゆる子供が洗礼を受けたと言っても過言ではない、大人への通過儀礼です。
つまり! まともに真に受ける人などいないファンタジー情報誌を!
「それ????」
グウの音も出ませんよ。確かに【 絶句 】です、悠弐子さん!
だってそんなのアンサイクロペディアだって参考にしません!
「正常な牡牝比率を維持していた個体群から一方が消え、その性偏差が危険水域に達すると、DNAに秘匿された【 あるスイッチ 】がイネーブルとなる! ――――それが性転換スイッチ!」
「セクシャルトランスレート! リローデッド!」
ちょちょちょっと待って下さい! なに言ってんだこの美少女ども?
「ここ! この記事に書いてあるから!」
「総力特集! 【ボクは女性だった! 脅威の雌雄同体人間が存在した!】」
「書いてあるから」じゃありませんよ!
そんな雑誌のどこに信憑性を感じればいいのか? 常識的に考えて正気の沙汰じゃない!
「じゃあ、ホントに【脅威の雌雄同体人間】だったらどうする?」
そんなのあるはずがないじゃないですか。天地が引っ繰り返ったって。
「なんでもしますよー。そんなこと絶対あり得ませんから、常識的に考えて」
削げた。そげぶじゃなくて削げた。
真っ白に燃え尽きたボクサー並みに色を失い、山田桜里子、リングサイドから立てません。
何が削げたって、私の処女性が削げました。お母さんごめんなさい桜里子は汚れてしまいました。
「なーに落ち込んじゃってるの桜里子?」
「よいではないか減るもんでもなし」
「減りますよ! ガタ減りです!」
無垢な乙女ポイントがガックリと減りましたよ! 女子力激減です!
巻き戻ること数分前。
「獲れたー」
杜都市郊外のスーパー銭湯を急遽出立した私たち、野を越え山を越え、霞城中央高校へストライクスバック。誰もいない保健室を勝手に占拠すると、私を残して悠弐子さんとB子ちゃんは外へ飛び出していきました。ボロボロの制服じゃ校内を彷徨けませんから、私は。偽装白衣の天使として保健室で留守番していたんですが……しばらくして帰ってきた彼女たちから、とんでもない「お土産」が。
「これは!」
特注の学ランに赤の腕章! 望都子ちゃんが言ってた【拉致実行者】との特徴とピッタリ合致!
「さ、桜里子」
足首と手首とを縛り上げた上に、目隠しと猿轡まで。保健室のベットへ寝かされた簀巻の「彼」を前にして悠弐子さんから促される。
「……どうないせよと?」
煮るなり焼くなり好きにしろ、の笑顔を向けられてもですね、当惑するしかないんですが!
「確認」「ぞな」
「とか言われてもですね……」
「キノコチェック」「ぞな」
いくらなんでも生々しすぎませんか? その表現は?
女子高生にあるまじき一線を越えてるような気がしないでもないんですが?
「で、DNA検査とかにしませんか?」
「保健室の機材で、どうやって調べるぞな?」
「妊娠検査薬のノリで分かるわけないでしょ?」
いやま、それはそうかもしれませんが……
「この学園に今、男はいない!」
「いないけどいる!」
「その矛盾を解消するには、検証するしかないでしょ!」
胡散臭いオカルトエンターテイメント雑誌を掲げながら科学とか言われても! 言われても!
「さぁ!」「ぞな!」
じりじり後退しながら桜色の脳細胞フル回転! なんとか言い訳探してフル回転!
しましたが……ここまでのお膳立てを用意されてはもはや後戻りなどできようもない。
『牡、牝の見分け方ですか? 性器ですね』
動物園へ直電した悠弐子さん、飼育員のお兄さんから「具体的方法」とか聞き出してるし!
「こっちは準備OKぞな!」
学ラン男子のズボンからベルトを抜き取ってB子ちゃん!
「しっかとその目に焼き付けなさいよ!」
とか囁いてくるんです悠弐子さんが私を羽交い締めした悠弐子さんが!
「わっ! わっ! わぁあぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁっ!」
危なかった……
入学したてで最高に高まってた処女性ゲージ、ガックリと減ってしまうところでした……
「分かりました! 分かりました! います! 脅威の雌雄同体人間は存在します!」
と屈服したお陰で、事なきを得ました……
拉致してきた男の子を拘束して性器の確認とか、黒歴史にもならない……いや、もう絶対墓までもっていかなきゃいけない、うっかり口でも滑らそうものならヒットマンに葬ってもらうしかないような行為をせずにすみましたよ……ギリギリセェェェーフ!
(まぁ、でも……)
あれほど悠弐子さんが自信満々で「証拠」を見せつけようとするんですから、確かに「彼」は男の子なんでしょう多分。DNA内に秘匿されたトランスセクシャルスイッチか何か知りませんが、そういう一風変わった生殖行動を行う動物も聞いたことありますしね。
「……ん?」
でも聞いたことがない。人間でそういうことは起こり得るのか?
性偏差なんて、そこまで稀有なシチュエーションでもないような……
中学の同級生たち、糸満ちゃんの看護科だって、倉井ちゃんの調理科だって羽田ちゃんの音楽家だって大概偏っちゃってますけど? 擬似女囚監獄と本人たちが自虐するほどには。
噂で耳にするだけですが、工学系の大学なんて男子しかいないんですよね?
野球部のマネージャーは元男子ですか?
相撲部屋の女将さんは元相撲取りですか?
「いい~ところに気づいたわね桜里子!」
「ここんとこにも書いてあるぞな!」
二人は例のオカルトエンタメ誌を掲げて熱く主張する。
「性偏差環境は条件に過ぎないの」
「男子化を果たすためには押さなくてはいけない――そのメカニズムが実行されるボタンをね」
「ボタンを……押した人がいるんですか?」
脅威の雌雄同体人間は【誰か】に引き起こされた災厄だと?
「誰が? なんのために?」
「それはね桜里子……」
ナルシスティックな所作で懐から――重要参考図書の第二弾!
すっかり色も褪せてしまってる、カストリ雑誌じゃないですか?
どっから探してきたんですか、こんなの? その道のマニアなら垂涎の代物じゃないですか?
退色具合と紙質、写植の具合からして、確実に戦後期の本ですね。現在のオカルト誌より更に信憑性に欠ける記事がテンコ盛りの。未熟な科学と魑魅魍魎が混在してた時代のロゼッタストーン。
「ここよ!」
付箋されていたページを悠弐子さん誇らしげに開示する。
「亡国結社? 【アヌスミラビリス】?」
挿絵には妖しげな三角覆面の男たちが。不気味な髑髏杖と生贄を掲げた、いかにもな「秘密結社」の最大公約数的なイラストですね? ある意味、パブリックイメージの限界とでも言えそうな。所詮こんなもんです人の想像力なんて、という敗北感の漂う絵に見えなくもない。なのに絵師の技量が高いので独特の味が醸されてる。こんなもん存在するわけない、と頭で分かってても恐怖の深淵へ訴えかけてくる迫力がある。日本土着の【怖れ】を煽るドメスティックな刺激溢れるアートワークです。
「亡国結社【アヌスミラビリス】の陰謀は既に予言されていたの! 終戦直後には!」
ところが彼女ら、古書の芸術性に唸る私をスルーして、
「日本が高度経済成長に浮かれる中、地下で密かに勢力を伸長させ」
「やがて栄光の昭和元禄が終焉を迎える頃……バブルに紛れて【計画】は実行に移されたぞな!」
と熱弁を振るうのです。怖いくらいに澄んだ瞳で。
「日本を暗黒の底なし沼へ引きずり込む!」
「その名もロマンティック・ラブ・イデオロギー計画!」
ああ、キマってる。「この後、すぐ!」のアイキャッチにそのまま使えそうなほどキマってます。あまりにキマりすぎて逆に胡散臭いくらいキマっています、悠弐子さんとB子ちゃん。
吹き込む風に揺れる間仕切りカーテン纏いながら、天女の言伝。
たなびく黒と金に現実の認識まで絡め取られる。
(うわ……)
思わず私も見惚れてしまいそうにな…………だめだめ負けないで桜里子!
そんないい加減なソースで世の中動いてたら世話ないです! 常識的に考えて!
「山田桜里子」
なのに、すかさず畳み掛けられる。捻じ曲げられた認識を修正する暇も与えられずに。
「――いつかのメリークリスマス」
「色褪せた何時かの」
天にまします我らが神よ。悠弐子さんが天を仰げば、保健室のベッドが天主堂へと変貌する。
まるで彼女は聖少女。迷える子羊を導く浄化の使徒です。
「無邪気な子供たちが親にプレゼントをねだる」
「そんな微笑ましい日だったぞね」
即興劇のはずなのに立て板に水のリアクション。何者ですかあなたB子ちゃん?
目を離すとすぐ喧嘩を始める間柄のくせに、こういう時だけは完全連携。リハーサル済の台本を穿ってしまいたくなるほど息の合った二人。打てば響くベストパートナー。
「それが! いつの間に! 男女が性なる夜を過ごさなきゃいけない日になったのよ?」
「セックスと嘘とクリスマスケーキ!」
保健室の備品である性教育用テキストを掲げて訴える。
「あるいはバレンタインデー!」
「プラナリアの如く増殖してホワイトデーなるものが生まれたぁ~じゃあ~ないの! ないの!」
「おかしいと思わない?」
「思わないか女の子!」
マイルドにカートゥーン化されてますが、男女のまぐわいページを押し付けてこないで!
「つまりは! 邪悪な作為で汚染されたの日本社会が!」
「恋愛を崇め高尚化して、祀り上げた!」
「ゼクシィだの、指輪月給nヶ月システムだの、そんなものは悪意の文化汚染よ!」
「愛とは、そんなにも均質化された概念ではなかったはずぞな!」
「愛さえあれば何でもOK! 恋こそ史上の価値があるという歪な刷り込み……それこそが!」
「「【アヌスミラビリス】の仕業なのよ!」」
言葉を――挟めない。二つ音色の織りなすインプロビゼーション、紡がれた言葉に挟めない。
不協和音は無粋の極み。美の調和を崩す不純物です。そして余韻と静寂のミクスチャーは視線で増幅される。私だけを見つめる眼差し。長く繊細な睫毛と深く濃い瞳、細く通った鼻筋に艶めく口唇。
これは絶対、神様の黄金比。美の女神が造形した一品物。量産ラインでマスプロダクションされた平凡人類とは別階層の生き物です。
ああもう分かんない。どうして私はこんなこの世のものとも思えない美女から熱く見つめられているんでしょう? 誰もいない保健室のベッドで押し倒されんばかりに詰め寄られながら。
分かりません。だってこんな未来など一度も想像してなかった。
高校生になった私は素敵な彼氏とラブアフェアー、嬉し恥ずかし恋人体験の日々だったはず。
なんだ? どうして私は女の子に迫られてんだ? 出会ったばかりの同級生と、お尋ね者になって杜都市を逃げ回ったり、即席バンドマンとしてステージに立ったり悪の秘密結社から学園を救う羽目になったり……どう考えてもおかしいですよ!
「桜里子……」「桜里子……」
なのに目を逸らせない。彼女と彼女に意識を盗られ、雁字搦めで動けない。
それが美の魔力。人を封じる魔性の美しさ。
しまった、今頃気づくなんて……こんな距離で見つめられたら凡人には抗う術など残ってない。
ただただ魔女に取り込まれて意のままに動く木偶人形にされてしまうのです。
「桜里子よ銃を採れ」
「武装せよ女の子」
「武器は人の尊厳ぞな。何もせず侵略者に蹂躙されるなど、人の尊厳を捨てたも同然」
「人が人らしくあるためには、武器が! 鎧と殴り棒が必要なのよ!」
陶酔の認識を捻じ曲げ、陰謀の夢想を顕現さす。美と真実の境界が、消失する。
「――そのための贅理部よ」
「学下布武、武を以って学園を布く。贅理部とはそのためにある組織ぞな」
「あたしたちの身に降る火の粉を、払い除ける、あたしたち自身の手で」
「それが霞城中央高校 贅理部の果たすべき使命ぞな」
な……何を言ってるんですか? また悠弐子さんお得意の撹乱話術ですか?
嘘は言ってないけど話の構成要素をグチャグチャなスケールで混ぜ込みご飯してしまう。
「我々霞城中央高校贅理部は!」「わ!」
「悪の秘密結社が誘導する少子化謀略を誅し!」「し!」
「果断なる行動を以って正義を為す者なのである!」「――る!」
浮世離れ、という意味では絶世の美女に相応しい突飛さだったかもしれない。
「……………………少子化????」
「生物学的見地に立てば、あたしたち既に妊娠適齢期!」
「産めよ増やせよ地に満ちよ! 県犬養橘三千代!」
「日本を蝕む少子化問題は――我ら贅理部が解決よ!」
デカい! 悠弐子さんが口を滑らせてきた大言壮語の中でも取り分けデカいです!
そんなもんできるわけないじゃないですか。だって少子化は日本のみで特筆されるガラパゴスな問題なんかじゃありません。世界中の先進国が頭を抱えている事象ですよ。更に言えば少子化の原因を説明できるシンプルな理論も存在しません。色々な理由が複合的に影響しあって生じている問題です。
「だからそれが亡国結社【アヌスミラビリス】のせいなんぞな」
「…………」
「なにその顔?」
そんなこと言われましてもですね。
「桜里子も見たんでしょ?」
「あ……」
B子ちゃんのPCに映る、不気味な骸骨紳士。確かに見ました。ライブハウスからの逃亡中、街頭ビジョンのサイマルニュースに骸骨が映ってた。不思議なサングラスは奴らの正体を暴露してくれた。
あれは怪人だ、悪の怪人です。根拠はないけれど、私の中の本能が告げている。あんな醜悪クリーチャーが「正しい」わけがない。邪悪の塊と呼ぶに相応しい禍々しさを全身で表してました。
「で、でも!」
それだけで決めつけていいんですか? 倒すべき悪の秘密結社だと?
「確かめましょう桜里子。桜里子自身の目で検証するのよ!」
「検証こそ科学ぞな!」
ぴーんぽーん ぱーんぽぉーん。
『臨時正統生徒会より生徒の皆さんへお知らせします。全校生徒は講堂へ集合して下さい』
「検証ですね! いいでしょう!」
望むところです、白黒ハッキリ着けてしまいましょう。
この美少女どもの妄言、どこまでが真実なのか? 白日の下に晒してしまえばスッキリします。
「待って桜里子」
「……ヘルメットですか?」
保健室から場所を移してここは調理実習室。そこで悠弐子さん、私にヘルメットを手渡してきた。
色やディティールは見覚えがあります、あれです、裏山のキノコチェックゲートで見たやつ。アレと似ていますが形状が異なる。顔面が開放されているんですね。
「そしたらバイザー落として、ここをオン」
悠弐子さんが私のうなじを弄ると……バシャン!
頬の両側からシャッターパーツが飛び出して、口元を覆っちゃいましたよ?
「い、息苦しい……」
「つまり、『気密性が高い』ってこと」
てか、頭部を保護できる強度があれば、むしろ通気性いい方が快適なのでは?
「息苦しくないよ、ほらほら」
うなじ辺りのツマミを適当に弄られると、シューって口元へ風が送り込まれている感触。
気密性高いヘルメットに酸素供給システム? 水にでも潜るんですか?
「ダイビングには不向きぞなー、ボンベ容量的に」
背中のボンベはカセットコンロよりも小さい。スキューバの丸太サイズに比べたら緊急用っぽい。
「じゃあ何のために被るんですか?」
「だから気密性を得るためよ」
「びっくりするほど高気密!」
「気密性????」
だからそれが何のためなんです? 女子高生が求める気密性って何ですか?
コーホーコーホー……
どういう絵面ですか、コレ?
コーホーコーホー……フシュフシュ……コーホー……
不法占拠した調理実習室でフルフェイス状態のメットを被った女子高生が三人。
コーホーコーホーいいながら、ピンポン球ほどのカサカサした白い物体を握り潰す会。
グシャッ。ペシャッ。シャラシャラシャラ……
女の子の握力にすら耐えられない【そいつ】は、一撃で粉々になっていく。
グシャッ。ペシャッ。シャラシャラシャラ……
なんかもう、やってるうちに心がなくなるというか、無我の境地に達するというか。
グシャッ。ペシャッ。シャラシャラシャラ……
「せめてメットは脱ぎません?」
息苦しいったらありゃしない。わざわざレギュレーターで酸素を供給しなくとも、ヘルメットを脱げば普通に呼吸できるじゃないですか?
「ダメよ! 桜里子!」「それを脱ぐなんてとんでもないぞな!」
うなじ側のシャッター解除ボタンを押そうとした指を、左右から留められる。
「脱いだらヤバいわよ?」
「デロデロデロデロデーデンぞな?」
「そんなにヤバいんですか?」
「ヤバい」
「超ヤバ」
ピ。
「……警察ですか? 秘密裏にヤバい粉を精製してる女子高生が……」
ピ。
「桜里子……ダメそういうオイタは。迷惑でしょお巡りさん」
「イタ電イクナイ」
目にも留まらぬ反応速度で私の携帯を奪い取り、通報を遮る容疑者AとB。
「じゃ、いいんですか? 迂闊な呼吸も憚られる白い粉は?」
「落ち着きなさい桜里子。あなた疲れてるのよモルダー」
「お前ここ初めてか? 力抜けよ」
ガチムチ兄貴並みの包容力で誤魔化そうとしてもダメですよ? B子ちゃん?
「ダメなものはダメですから!」
法に触れるものなら山田、容赦しません! 犯罪に加担させられるなんて真っ平御免です!
「ばか桜里子」
コツーン。悠弐子さん優しくメットとメットをごっつんこ。
「粉の元はコレ」
調理実習室に備えつけられた冷蔵庫。業務用で使われる、ステンレス色のゴツい奴。
「これって……」
そこから悠弐子さんが取り出したのはキノコ。男子が山を駆けずり回って集めた希少キノコじゃないですか? 乾燥を防ぐ密封袋に入ったソレ、あのドギツい柑橘系色したキノコです。
「これと、これで、ビフォーアンドアフター」
素のまま冷蔵庫に放り込まれたものは傘がすっかり萎んでしまい、石膏みたいな色をしてて。
じゃあ私たちが作っているのは、キノコ粉?
「それのどこが危ないんですか?」
「え、ええとホラ…………粉塵爆発とかあるじゃない?」
「中二病患者が大好きな…………ぼかーんってね、ぼかーんって……あぶないそなね、うん」
顔を背けましたね? 嘘を言っていますね? 何か私に隠しごとしてますね?
ヘルメットのバイザー越しでも伝わってきますよ、誤魔化そうとしてるの!
「悠弐子さん! B子ちゃん!」
粉塵爆発なんて普通は起こんないですよ、よっぽど環境が整わないと!
「桜里子!」
カツーン! 今度は少しだけ仰け反る勢いで、ヘルメットアタックを食らわせてくる悠弐子さん。
「昔ね、とあるレコード会社の社長が言ってたわ」
そしてそのまま、私の首を抱いて囁く。
「あたしはスタジオレコーディングが楽しくて仕方がない。世界の片隅でコッソリ核兵器を作ってるみたいな、この感じが堪らないのって」
「悠弐子さん……」
「野心よ桜里子、大志を抱け。世の中アッと言わせられるのは、野心を抱いた女の子だけだから」
メットのバイザー越しに満面の笑み。
唆される。私この子に唆される。論理の裏付けもないまま言い包められる。
「亡国結社なにするものぞ!」
根拠不明の高揚感が汎ゆる正論をあやふやに溶かしてく。
「海行かば 水漬く屍 山行かば 草生す屍!」
私は迂闊になる。類稀なる美しさに丸め込まれ。美少女の口車へ何の気なしにライドオン。
「ゆきゆきて贅理部! 進め贅理部 火の玉だ!」
あるかもしれない、絶対にないとは言い切れない、微粒子レベルで存在する可能性。そんな泡沫候補をも当選確実と錯覚させてしまう。賭け金をベットさせてしまう魔力がある。彼女の話術には、得体の知れない力があるんです。
彼女(彩波悠弐子)はローレライ――真実の語り部を装った、正常化バイアスの権化です!
「さあ桜里子!」
悠弐子さんとB子ちゃん、左右から私の手をしっかと握り、
「今から一緒に」
「これから一緒に」
「殴りに行こうか」「殴りに行くぞな」
「……は?」
殴る?
「行こうか」「行くぞな」
よもや逃すまいと腕へ抱きつきながら促してきます。
(「殴りに行く」って誰を?)
……ま、まさか? 悠弐子さんのサングラス、あれで正体を見抜いた【骸骨】を?
あの気持ち悪い骸骨を殴りに行くんですか? 私たちが? 私も????
「無理無理無理! 山田は普通の女子高生ですから!」
人間、向いていることと不向きなこと、出来ることと出来ないことがあるんですよ!
(私が殴りに行けるわけがないじゃないですか! あんなの殴れません!)
本能も理性も絶対拒否を貫こうとしても、拘束の手は緩まず、
シュタタタタタタタタ! バスッ!
窓のシェードが落とされて、灯りも消されちゃいました。これもB子ちゃんのハッキング?
妙なところまで自動化されてます新築の我が母校! リモートで簡易的な暗室が一丁あがりです!
「ひゃ!」
そこで私を戦車の超信地旋回みたいクルリ、脇に侍る二人が連携し……すると真正面に吊り下げ式のテレビが。半暗室の暗がりでブラックアウトした視界に、煌々と輝くテレビ映像。
「これって……」
見覚えあるカットです。入学式でもオリエンテーションでも見た。出来たてピカピカの講堂に、着慣れない制服の新入生たちが居並ぶ光景。実際に私もこれと同じ光景を眺めた。自分の目で。
おそらく客席中央に設けられた小さなPAブースからのアングルですね。小さくとも画角はバッチリです。演壇を正面に捉えられるので、臨場感たっぷり。回線越しでも特等席気分です。
「見事に女子ばかりですね……」
いくら探しても男子はいない。望都子ちゃんの彼を襲った「男子」など影も形も。
果たして鳥居さんたちは何を目論んでいるの?
公文書を偽造してまで訴えたいことって?
ジャジャァーン!
「!!!!」
突如として鳴り響く、ライブハウスも真っ青の大音響! イコライザが振り切れんばかりの!
荘厳華麗なパイプオルガンを皮切りに、非日常性を糊塗するグランディオーソ・シンフォニカ。重層な音の重なりに、観客は横っ面を引っ叩かれる!
「始まるよ桜里子!」
「えっ?」
「――――地獄の門が開く!」
全員が呆然と音の波に翻弄される中、
『臨時正統生徒会【フェミニーナ南高】推参!』
舞台と正対するダスティン・ホフマンの位置、扉が勢い良く放たれれば――逆光に映る「男の子」のシルエット。
「こいつ。桜里子見覚えない?」
悠弐子さんは監視カメラに映る学ランの【彼】を指して問う。
「…………んん?」
そういえば誰かに似て…………あ?
「鳥居さん????」
「一年五組 出席番号二十九番 鳥居ミサ、新歓オリエンテーション直後に反旗を翻し、屋上を不法占拠して正統生徒会の看板を掲げた反体制分子よ」
あの子が男性化させられたんですか? 悪の秘密結社によって?
確かに精悍な面構えには見えますけど……脳内で着せ替えすればセーラーを着てた時と、そこまで代わり映えもしていないような気も? 独特の美意識でカスタマイズされた学ラン、その視覚効果で勇ましく粗暴な印象を受ける、オラオラした押し出し感を演出しているだけにも……
「脅威の雌雄同体人間、虎の子として温存するかと思いきや……まさか初手から惜しげもなく!」
「亡国結社【アヌスミラビリス】! ――侮りがたし!」
悠弐子さんとB子ちゃんには一片の疑念も存在していません。
どれが正しいの? 何を信じればいいの?
『推して参る!』
困惑するの私を嘲笑うかのように、屋上生徒会のセレモニーは進む。
斯くもゴージャスな重奏を露払いにして花道へ躍り出る鳥居ミサ(だった男の子?)、威風堂々肩を怒らせながら先を征く。
彼(彼女)へ続く男子(?)は手に手に旗を掲げ、シンボルを誇示してます。
旗とは意思の表明。紀元前から現代のコンビニまで、意思を表明するのに最も簡便な道具です。
『臨時正統生徒会』
彼(彼女)が訴えるのは正当性、自分たちこそが正しき生徒の代弁者であると旗で訴える。
数にして野球チームを組めるほどでしょうか? 大した人数ではないけれど、女子の腕力ではよろけてしまいそうな旗が相当な威圧感を与えます。
やはりあの子たちは男の子なんですか? 背格好は女子と見紛わんばかりでも、大旗を掲げて堂々行進。あれは男子の筋肉量を証明する=つまり男子化した女の子なんですか?
実際問題、デコラティヴな特注学ランでは、体つきから性別を判定するの困難です。唯一露出している顔面は中性的、皆ボーイッシュの範囲内と言っていい。体育祭の応援団で男装する女子と何処が違うのか、私には全く見分けがつかない……
『――――生徒諸君! 哀れなる子羊の諸君たちよ!』
恭しく演壇に登った鳥居ミサが声を張り上げた。
『我々は大いに共感する! とかく虐げられた君たちに!』
自己陶酔に身体を震わせながら、学ランの彼(彼女)がマイクへ叫ぶ。
男装しても印象は変わらない。理知的な眼鏡の神経質そうな彼女(彼)は、女子力さえ備えていれば高感度爆上げしてもおかしくないくらいに可愛いのに……
『君たちは理不尽な貧乏籤を引かされている! 望まぬ運命を押しつけられている! 輝かしいキャリアを為すチャンスを奪われて、お仕着せの価値観を強いられている!』
軛を外された自由を満喫するかのごとく爛々と輝く目で、
『それは何故だ? 誰のせいだ?』
『男だ!』
間髪を入れずに重ねられる合いの手は、学ランの男子(元女子?)たち。
『君ら女子は高校に上がるとメッキリ成績が落ちる傾向にある。それは何故だ?』
作られた低い声たちを援護射撃に、弁は更に熱帯びる。
『希望を失ってるからだ! 頭が良くても何も得しないと悟ってしまう! どんなに成績が良くても愛されなければ無意味、結婚を前提としない人生は失敗、という都合のいい観念の奴隷だからだ!』
上から目線のアジテーションと、
『それは誰だ? 誰の都合だ?』
『男だ!』
端的で明け透けに交わされるレスポンス。
『男とは!』
屋上生徒会の格好はアナクロ、時に滑稽なほど時代錯誤であっても、威圧感には目を見張る物があります。オリエンテーションで登壇した、どの「部長候補」さんよりも力強く見える。
『存在自体が邪である!』
舞台装置や照明、小道具、そして衣装に至るまで、全てがアグレッシヴでマッシヴ。【暴威で貴様らを支配する】と言わんばかりの自己演出で観客へ迫る。
『男とは!』
『身勝手で享楽的で、欲望を留める術を知らない! ――劣等種である!』
ヒステリックであっても理性の枠内に留まっていたのに、オリエンテーションの時は。
『男とは!』
だけど今の彼(彼女)は逸脱を躊躇わない。極論と差別感情を開けっぴろげに、傲慢不遜。
『己を律することもできぬ劣った生き物である!』
それは彼女に内在する黒い澱。
『穢らわしく薄汚いもの! 生物学的に欠陥品である!』
『fuckin' phallocentrism! fuckin' phallocentrism! fuckin' phallocentrism!』
エフワードの禁忌すらお構いなしで言いたい放題です。
『君たちは! 邪悪なる男根支配を脱し、自立した女性たらねばならない!』
「なんなんですか、このサバトは?」
もしも私がこの講堂に座ってたとしたら、「聞くに堪えない」と席を立ったでしょう。
オリエンテーションの男子たちみたい直接ヤジで不満表明しなくとも、黙って席を。
「桜里子」
B子ちゃんのPCには別角度の監視カメラ映像が。舞台側から客席を映すアングルです。
「え?」
入学式で並んでいた前途洋々の顔でもなければ、オリエンテーションの消沈、あるいは全校規模の学級崩壊の体でもなく。いずれとも違う様子の同級生(女子)たちが映っています。
「なんですかこれ?」
ヒステリックな偏向演説に辟易してるというよりは、何か別の不快感に身悶えしているような……
「新築の気密性を利用してるのよ」
「ワザと空調を切って、気づかない程度に酸素を足りなくさせとるんぞな」
それだけじゃない。ブゥゥゥゥーン……と鳴り響いてくる重低音。刻まれる一定のリズム。規則的な振幅へ不規則な揺らぎを重ねた怪しげ環境音(ミクスチャー)。
照明は黄昏色、夕焼けのフィナーレよりも来るべき闇を感じさせる、不安の昏さ。
蒸れる人いきれは換気されることもなく滞留を続け、不快指数を上げていく。まさに新築の気密性が仇となり。極上の座り心地だった真新しい椅子も、イヤなベタつきが肌を蝕んでいく。
今、この講堂に心安らげる要素は一つもない。
ひたすら心と体の不安定だけが右肩上がり、来いよ来いよとバッドコンディションを手招きする。
「……なんなんですかコレ?」
カメラ越しでも分かる。沈んでいた不快の澱を無理矢理撹拌するような、最低の刺激。
トラウマのかさぶたを触れ触れと嗾ける、エデンの毒蛇。
「下拵えよ――固化した心を強引に解して不安の海へと漂流させる」
「それいったい………‥ひゃぁ!」
「気を確かに持って、桜里子」
そして彼女は言うのです――悪い未来の訪れを予感さす言葉を。
「来るぞな」
「来るって何が…………ひっ!」
「牙を――剥いてくる!」
あからさまに興奮の爆発点を明示する、リズムとメロディの煽り。
『fuckin' phallocentrism! fuckin' phallocentrism! fuckin' phallocentrism!』
単調な繰り返しも徐々に徐々に忙しなく感情を追い立て、
『fuckin' phallocentrism! fuckin' phallocentrism! fuckin' phallocentrism!』
今か今かと解放のタイミングを探る。鬱屈を肥大化させながら。
『fuckin' phallocentrism! fuckin' phallocentrism! fuckin' phallocentrism!』
『【立ち上がれ同志たち!】』
鳥居ミサの合図で「おあずけ」が解かれれば、
ワァァァァーッ!
講堂中のオーディエンスがええじゃないかええじゃないか踊り狂うドロップのタイミング! 予定調和の感情爆発! パーティーモンスターたちが野生へ放たれる一気呵成!
『【祓え! 祓え! 穢れを祓え!】』
舞台演出技巧を凝らした悪趣味なサバト、その不快がベースラインとするなら、
『【我ら! 求め! 訴えたり! エロ忌む! エロ忌む めっさ忌む!】』
この変調は稲妻のギターソロ! 気を抜くと胃の内容を洗い浚い吐き切ってしまいそうな!
『【求めるぞ!】【求めるぞ!】【求めるぞ!】【求めるぞ!】【求めるぞ!】【求めるぞ!】』
「なに…………これ????」
一斉に焚かれた激しい明滅で足元も覚束なくなり、悠弐子さんへ縋りつくしかなくなる!
「ここよ」
平衡感覚を失った私に彼女は【原因】を指す。演台背後のスクリーンへ投影される「何か」。
散漫な注意力では見逃してしまうほどの点滅で、現れては消えていく文字の列。
【男子、感じ悪いよね】【保育園落ちた、男死ね】【男を除ければ地上の楽園への道が現れる】
どれもこれも偏った悪夢のリフレイン。
【男子、感じ悪いよね】【保育園落ちた、男死ね】【男を除ければ地上の楽園への道が現れる】
目を背けたくとも背けられない、
【男子、感じ悪いよね】【保育園落ちた、男死ね】【男を除ければ地上の楽園への道が現れる】
知らず知らずのうち意識へ刺さる、思想の橋頭堡。
これはまさに精神攻撃! 弱い心では抗えない、悪意のガングニール。
果たして私、哀れ山田桜里子も最低の洗脳インプラントに冒され………………………………
「がじ」
かけるとこでしたよマジで!
「がじがじ」
雌ライオンに首筋を噛まれる錯覚で意識を取り戻しましたよ、半洗脳の泥沼から。ディカプリオとケイト・ウインスレットな姿勢で何とか卒倒を免れました。
「想像以上にヤバかったわ……」
あの悠弐子さんですら事切れる寸前の遭難者状態で、B子ちゃんのPCへと指を伸ばしてました。
ギリギリ手遅れになる前にフィルタを掛け、洗脳波を無力化する。すりガラス式の画像マスクとボイスチェンジャー、こんだけ「距離」を採れば平常を保てます。
「現代の安楽椅子探偵は虚弱じゃ務まらない……」
霞城中央のミスバイタリティも青い顔。私の身体に寄りかかって重い息を吐いてます。
(恐るべし怪電波攻撃!)
『男はー!』
『敵だー!』
マスク越しの中継映像では、奇妙な事態が起こっています。
我も我も内府様にお味方仕る、まるで小山評定でも見ているかのようです。講堂の各所から屋上生徒会に対する賛意が沸き起こってるじゃないですか?
『諸君! 我々の力で理想郷を打ち立てよう! Show your Girl's Power! 皆の女子力で!』
『Girl's Power! Girl's Power! Girl's Power! Girl's Power! Girl's Power!』
比較的染まりやすい子から順々に、伝染していく狂躁の熱。それはやがて講堂を全体満たし、思考停止の共感が性倫理の全体主義(ファッショ)を祀り上げる!
「ヤバいです……」
空調も音響も照明も、遮るものも何もない講堂では避けようがない!
こうなっちゃいますよ、思想的共鳴なんてなくとも!
謎の共感と根拠レスな問題意識が、思想誘導のレールへと背中を強く押すのです!
「見て桜里子、これは女じゃない」
「えっ? やっぱり脅威の雌雄同体人間なんですか?」
「こいつらは女子のナリをした男ぞな!」
「過度の好戦性という男の悪い部分を増幅した女! 精神性が男のデッドコピー。余計質が悪い!」
「いやもう男でも女でもどっちでもいいので警察に連絡しましょう悠弐子さん!」
「桜里子」
スマホを持つ私の手首を握り、悠弐子さん、
「動いてくれると思う? ありのまま馬鹿正直に話したとして、信じてくれると思う?」
……思えません。
男子の居ぬ間に脅威の雌雄同体人間が発生して、学園支配を目論んだとか、
洗脳サバトで女子たちへ偏向思想を植えつけようとしてるとか、
もし私が一一○番のオペレーターなら、ガキンチョの悪戯電話と決めつけてしまうでしょう。
「でも!」
このままじゃ手遅れになります! 霞城中央が危険思想者の巣になってしまう!
これはガチの洗脳儀式です! 塗り潰された心を元に戻すのにどれだけの手間と時間が必要か!
そんなくだらないことのために立ち止まり続ける高校生活とか目も当てられませんよ!
もはや恋愛理想郷でも何でもない! 精神的な牢獄です!
「させないよ」「させんぞな」
「ですよね!」
「では校長先生、この書類へ判子頂けますか?」
他の部屋とは隔絶した重厚な調度が居並ぶ部屋で、
「これが在校生の総意です」
女の子一人では持ちきれない量の紙束を机へドスン!
説得力の塊を盾に、冷徹な視線の眼鏡(元)少女&その取り巻きたちが校長へ迫る。
『生徒会長』鳥居ミサ以下、全員が学ランを着用した男装の集団――屋上生徒会。
「元々ボクらは南高へ入学するはずだったんだ!」
「男子という穢(ケガレ)から隔離された学舎で有意義な三年間を過ごせたはずなのに!」
「横暴でぇす!」
「横暴!」「横暴!」「横暴!」「横暴!」「横暴!」「横暴!」「横暴!」「横暴!」「横暴!」
校長を取り囲む(元)女子たち、次々に絶叫のリンチを浴びせ掛ける。
「無視すんなよ! 全生徒の総意だぞ!」
乱暴に紙束を叩きつけ、威圧する学ラン男子(元女子)たち。
そもそも悪夢のサバトで前後不覚となった子たちに書かせたであろう署名に何の効力があるのか?
一部始終を観察していた者ならば一笑に付せるシロモノなのに。強引に校長室(鳥籠)へ押し込められた校長先生には確認の取りようもない。
「待ちなさい君たち、今回の高校再編措置は君らのことを思ってだね……」
「嘘つけ!」
校長の弁明を遮って非難轟々、野蛮な罵声が乱れ飛ぶ。
「子供をダシにして土建屋からタンマリとキックバックを貰ってんだろ?」
「資本主義の犬! 既得権益の亡者! 恥を知れ老害!」
校長先生、反論したくとも孤立無援、実に見苦しい人民裁判になっちゃってます。
「校長」
血の気の多い手下たちを制して鳥居ミサ、努めて冷静な口ぶりで尋ねる。
「君らのため――――そう仰いましたね?」
「そうだ!」
そこを汲んでくれ、と校長先生は椅子から身を乗り出しかけるものの、
「ならば入学する生徒からもヒアリングを行いましたか?」
眼鏡さんの疑問も尤もだけど……無理があります、常識的に考えて。高校の新設計画ですよ? 一朝一夕でどうなる話じゃありません。シムシティの市長さんじゃないんですから。
「お、行ってはおらん……」
それでも校長の旗色は悪い。悪くさせられちゃっている、強引な「世論」形成によって。
「子供のため? 耳障り良い言葉を並べながら、結局は大人の利害調整だけで決める!」
言葉尻だけを採り上げて一方的なレッテリング。
「アンフェアな大人に従う謂れは我々にはありません!」
傍から見ればアンフェアなのはどちらか分かりそうなものだけど……
「Don't Trust Anyone Over30!」「Don't Trust Anyone Over30!」
ここぞとばかりに拳を突き上げ、屋上生徒会は瑕疵を論う。普段なら冷静に去なすであろう校長先生も完全に萎縮させられてる。
「これより学校運営は我ら屋上生徒会が執り仕切らせて頂きます」
目論見通り主導権を奪った鳥居ミサが恭しく申し出る。
「これが臨時正統生徒会(我々)の所信表明です」
ぞんざいに手下の一人が投げつけた紙束。署名の厚みから比べれば随分と薄い。
「『霞城中央高校男女別学化アクションプラン』に従い【生徒が臨む環境】構築に執り掛かります」
「……!!」
「伝統校の格式を保持して生徒のバリューを高める、これが屋上生徒会の指針です」
校長の机に広げられたイラストには笑顔溢れる女の子たちの理想的学園生活。
それはいい。何の問題もありません。
ただ一点、問題は【壁】、生徒たちの背後にそそり立つ、異様な高さの壁。狂おしいまでに断絶を欲するコンクリート建造。
「完全なる隔絶こそ伝統美の担い手! 男女の住み分けが正しく為されていた状態を再現します!」
鳥居ミサに傅く屋上生徒会、ヤンヤの喝采で首領を讃えます。
「待ち給え諸君、そこまでの権限を生徒に許すことなど……」
「鹿嶋、作戦開始」
慌てる校長に対し、これ見よがしに鳥居ミサは携帯へと命じる。
「な、何をする気だね?」
シャーッ!
学ラン男子の一人がカーテンを開けば、教室棟の昇降口へ生徒が降りてくるのが見えた。
『積み上げろ!』
赤腕章の学ランに指示されるがまま、一般生徒たちは机や椅子を積み重ね始めた。数十人規模の生徒たちが甲斐甲斐しく働けばアッという間に障害陣地の出来上がりです!
「な、何のつもりだねこれは? 彼女たちは?」
分かります校長先生、相当薄気味悪く映っていることでしょう、先生の目には。
人は過程の見えない話を受け入れがたい生き物です。それが突飛な行動であればあるほど、無様な狼狽へと追い込まれるんです。足元を突き崩され、自分のペースを喪失する。
「我々臨時正統生徒会は生徒の権利を行使します! 我々が為すべき本当の生徒自治を!」
普段なら一笑に付せるはずの小娘の戯言にさえ狼狽える。見事な手際のマウンティング。
いや、ちょっと待って下さい?
これは一介の女子高生が編み出した「技術」なのでしょうか?
いや…………かなりの確率で誰かの入れ知恵に思える。講堂の洗脳儀式と同じく、裏で糸を引く誰かに操られていると考えるのが妥当では? それが【悪の亡国結社】かどうかは確認のしようがありませんが……でも不自然です! 何らかの『手引』がなかりせば、こんなにも大胆不敵な乗っ取り計画とか実行できますか?
「これは我々学生の自主権なのです、校長。己の価値を高めることは我々が保有する権利です。何人足りとも権利を阻害することは許されませんので」
「しかし……」
『本日よりこの校舎は女子校舎となる! 男は何人たりとも立ち入ること能わず!』
昇降口を占拠した赤腕章の尖兵、学ランの彼(彼女)が高らかに叫ぶ。
「大政奉還なさって下さい校長……無血開城こそ無駄な血が流れずに済む、懸命な選択です」
貴様に選択肢はない、そう顔に書いてあります鳥居さん。
「大人の干渉は余計なお世話なんだよ校長ちゃん!」
「老兵は去るな、惨たらしく野垂れ死ね!」
年長者への敬意など欠片も感じさせない傍若無人ぶり、さすがについてけません。
「ここへ」
蛮勇の屈服行為に酔う手下どもとは一線を引いて、慇懃に校長を促す鳥居ミサ。
「判子を頂きさえすれば」
だけどその書類は毒リンゴ、常識では考えられないほどの校内自治権を委任する罠文書。
「折角ここまで積み上げたキャリアでしょ? 台無しにしたくないですよね? 校長ちゃ~ん?」
「晩節を汚して無念の免職とか、取り返しのつかない汚点じゃない? ネェ~?」
恫喝口調で煽り立てる屋上生徒会に、校長は為す術もなく。
「…………」
観念して持ち出す。鍵の掛かった引き出しから、立派な印鑑を。
そして朱に染まった印を屋上生徒会の書類へスタンプ…………する寸前で逡巡する。
「…………」
「まどろっこしい! 押せばいいんだよ押せば!」
堪忍袋の緒が切れて暴発する学ラン男子、
「ペタンって押せば終わりだっつーの! 無駄な抵抗すんなクソジジイ! 死ね!」
判子を握る手を力ずくで誘導する!
「ま、待ちなさい話せば分かる! 暴力は止めなさい暴力は!」
老骨に鞭打って抵抗を見せる校長先生、
「うわっ!」
勢い、押さえつけた男子共々椅子から転げ落ちちゃいました……校長先生ナイスファイト!
「神聖な学舎が暴力に屈することなどあってはならん!」
乱れ解れた髪も構わずに、男らしい気概を叫んだとこまでは良かった。そこまでは。校長先生。
「神聖な学舎ですか……」
校長を囲む屋上生徒会たち、汚物を見る目で老教師を見下した。
「はっ!」
原因は校長先生の足元にあった。転倒の巻き添えで机から散乱してしまった書類や書籍類、それらの中に私物の男性向け週刊誌が紛れ込んでいたのが運の尽き、間の悪いことに、ペラリと開かれたページには大人向けのグラビアが載ってまして。イクナイ、それはイクナイ。校長とんだトバッチリです!
「これだから、これだから男って生き物は!」
【それ】が彼女に火を着ける。高みの見物を決め込んでいた鳥居ミサの感情が反転する!
「汚らわしい!」
バシャァァァァァァァーッ!
怒りに任せて花瓶の水ブッカケちゃってます! 一抱えもある花瓶を花ごと!
あまりの凶暴さに取り巻き男子たちも退いてい……ませんね。むしろ憐れな校長を嗤ってる、ヤンヤヤンヤと喝采で。ヘラヘラと嘲笑を浴びせながらパシャパシャと「証拠」を連写しつつ。
なんて集団ですか屋上生徒会! 元女子高生とは思えない野放図な攻撃性!
これは放っておいたら大変なことに! 盛る一方の攻撃衝動が一線を越えかねない!
「待てぇぃ!」
バコォォーン! 重厚な校長室の扉を蹴破り一気に中へ押し入る!
「な、何者だ?」
「悪党に名乗る名などない!」
いや、むしろ名乗りたくない! こんな格好を人前に晒しといて自己紹介とかしたくない!
だってだってほぼ水着じゃないですか! 水泳の授業でもないのに、ほぼ水着!
悠弐子さんがウイドーメイカー号の収納スペースから引っ張り出してきた、三人分のウエットスーツというかレオタードというか何でしょうこれは? ウエットスーツ式に首から爪先に至るまで包まれているんですが、肌触りはむしろ水着っぽい。ぴっちりと肌に吸い付くみたいな着心地なんです。
なのに水着とは決して断じることは出来ないのはディテール。用途不明のモジュール的なギミックが至るところに配置されて、何だかよく分からないのに機能的に見える不思議なデザイン。なのにそれらは肝心な部分を隠してくれなくて。女性らしい身体のラインが丸わかりで……これはダメですよ、裸眼で裸体を推察できてしまうじゃないですか! これは処女(おとめ)が着ちゃダメなヤツ! 着てもいいけど人前に出てはいけない、夏の有明とか、ああいうハレの場でしか許されない格好です!
かろうじて正気を保てているのは、このメットのお陰。このメットが人相を隠しているからこそなんとか人前に出られるんであって、匿名性を投げ捨てる自己紹介とか狂気の沙汰です! 名前を知られたら最後、女子高生生命が死んじゃいます。男の子たちの彼女候補のリストから除外されちゃいます! 男の子全員のリストから抹消されます
「…………とは思ったけど」
悠弐子さん!? また常軌を逸した行動に出る気ですか、この暴走女子高生は?
「思いの外、良い名前が挙がったので聞かせてやらんこともない!」
「吝かではない!」
B子ちゃんまで! 止めて下さい早まらないで!
「我々は! 日本衰退の元凶たる少子化に挑む、正義の私的制裁執行機関!」
あああああああああああああで掻き消せたらいくらでも叫ぶのに。
いくら私が足掻こうと彼女の声は軽々と上書きする。人心を惑わす魅惑のボーカルが塗りつぶす。
無駄無駄無駄無駄、泣いても喚いても彼女には敵わない!
「少子化克服エンジェル!」
「「We're――――――――ゆにばぁさりぃ!」」
…………へ?
「そ、その名前は……」
「採用よ桜里子!」
「満場一致ぞな!」
ちょちょちょちょっと待って下さい!
「寝てたんじゃないんですか?」
狸寝入りだったんですか?
「壁に耳あり障子にブラッディメアリー」
「デビルイヤーは地獄耳って言うじゃない?」
意味が分かりません。そりゃ二人は前世が斬首女王でも堕天使でも不思議はない美女ですが。
「とにかく、あたしたち!」
「少子化克服エンジェル――ゆにばぁさりぃ!」
うへぁ眩しいぃ! 体内に自家発光組織でも組み込まれているんじゃないかってくらい眩しい! 決めポーズがビシっとキマった美少女って斯くも神々しいものなんですか?
「桜里…………!」
「わーわー! 分かりましたから!」
それ以上名前を連呼するのは止めて下さいぃ! バレる! バレちゃいますってば!
「ゅにばぁさりぃ……」
促されるまま決めポーズに加わってみる。お刺身の菊っぽく。
自分でも場違いだって自覚してます、場違いに決まってます誰がどう見ても。
「これまでなーんか足りなかった、最後のワンピース!」
「ラストワン賞!」
「それがあなたよ――――山田……」
「わぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
だから止めて下さい本名は! 私の女子高生生活がサドンデスです!
というかとてもそんな御大層なピースには思えませんけど? マイセルフ。
光り輝く姫と姫の間で劣等感のブラックホールに押し潰される。計り知れない質量が光をも取り込んで観測も不可になる。消えるんですよ、二人の光が眩しすぎて私は消える。擬似透明人間ですが。
「天下に覇を唱えるスーパーユニット爆誕よ!」
なのに悠弐子さんもB子ちゃんもお構いなしで、
「我ら、生まれた時は違えども!」
「少子化克服エンジェル!」
「We are!」
「「ゆにばぁさりぃ!」」
ご満悦です。ウットリと陶酔の朱で頬を染めながら見得を切るのです。
「なんだ貴様ら? 邪魔すんなら殺すぞァアァァァーッッ?」
学ラン男子に凄まれても、どこ吹く風で。
「場違いなのはあんたたちよ!」
「邪悪教義に取り込まれた痴れ者ども! 性教分離せよ!」
性教分離…………上手いこといいますねB子ちゃん?
「ほら、桜里子も言ってやんなさい!」
「私もですか?」
ちょっとそういうのは不得意分野なんですけど、山田的には……煽りマイクとか私の領分では……
「桜里子、こいつらは歪な思想で学園を分断しようとする大悪人よ?」
「男女別学とかいう新たなる監獄学園の創造主ぞな!」
そ、それはダメだ! 悪です! 決して許されざる者です!
何のために必死に受験勉強して霞城中央に入ったのか分かんないじゃないですか!
ここは選ばれし男女の花園、かけがえのない恋愛理想郷だったはず!
「か、勝手な性道徳を押し付けてくる人は……全て悪です!」
「拠って殲滅に異議なし!」
「バルタザールメルキオールカスパー! 三賢者(トライソフィニカ)システム!」
「【 悪 】認定完了!」
「――喰らえ正義の鉄槌を!」
バタァーン!
「そっち!?!?」
一気呵成に大将の首を獲るタイミングですよね、今の?
なのに二人はバックステップをキメて、扉を両側から閉めています。さっき蹴破った扉を律儀に。
私だけが、おっとっとと前へ突貫して馬鹿みたいじゃないですか!
(てか!)
「……し、閉めちゃうんですか?」
一網打尽しようってことですか? できるんですか? 向こうは私たちの倍以上いますけど?
閉め切られた空間に、この人数の差。致命的だと思うんですけど常識的に考えて?
もしかして二人は何か体術を会得している? マスターなんちゃらとか免許皆伝の実力者ですか?
「……桜里子、やっぱりあんた漫画の読みすぎよ……」
「ゲームと現実の区別つかない人間ぞな」
この期に及んでも失敬、本当に口さがない美少女どもですよ、まったく!
「どんな達人でも対複数処理には限界があるわ。多数側にファランクス戦術を採られたら」
「徒手空拳では為す術なしぞな」
「じゃ、負け確定じゃないですか!」
自らの行動範囲まで縛る閉鎖空間(クローズドサークル)を作った時点で敗退行為ですよ!
「ところがぎっちょん」
「勝ち目があると?」
「ある!」
フライング・ダッチマン並みの身のこなしでダッシュ&ダッシュ!
瞬く間に私の傍へ飛んできた彼女は、kick meを貼り付ける勢いで私の背を叩いた。
プシャー! メットのシャッターが閉じると同時に背負ったボンベから酸素が送り込まれ始める。
潜水レディの体勢が整いましたよ、簡易的な。水なんてどこにもありませんけど?
これからこの校長室へ大量の水が雪崩れ込んでくるんですか?
不利な戦局を一気に引っくり返すほどの?
いやいや無理です。膝まで貯まる前にボンベの酸素が切れます。魔宮の伝説並みでもない限り。
「桜里子――水なんかなくとも人は溺れるものよ」
「水がなくても?」
意味不明の禅問答を呟き、悠弐子さんは再び見得を切る。
「少子化克服エンジェル ゆにばさぁりぃ――――――――オンスティージ!」
ブシャァァァァァァァァァァーッ!
彼女の合図で天井から! 埋め込みタイプのエアコンから大量の白煙が吹き込まれる!
ちょっと待って下さい私たち自称正義の戦士ですよね?
横暴なる悪漢を打ちのめす武器じゃなくて、これ舞台演出ですよね?
俺の歌を聴け方式で戦闘を止めさせる算段ですか?
てかこの煙! 煙多すぎませんか? もはや視界は数メートルもありません!
舞台演出として失敗ですよねこんなのは! 多すぎます煙! 多けりゃいいってもんじゃない!
ゆ、悠弐子さん? どこにいるんですか悠弐子さん? 私を置いてかないで下さい!
RageAgainstTheLowBirthRateProblemUniversallyRageAgainstTheLowBirthRateProblemUniversally Rage Against The Low Birth Rate Problem U n i v e r s a l l y ……………………
「……………………はっ!」
トンでいた意識が戻ってきた。
「何事!?!?」
確か私は校長室で――――同志と共に【霞城中央 浄化作戦】の最終段階に在ったはず?
予定外の邪魔が入ったところで、所詮は多勢に無勢。問題なく鎮圧できた……はずなのに?
どうして私は意識を失ってしまったの?
気絶するほどの打撃を受けた覚えもないまま、意識が途切れるなんてことがある?
催眠術的な暗示、怪しげな術を知らぬ間に仕掛けられた?
いや、そんな素振りは覗えなかった。
人の意識へ楔を打ち込むには用意周到な環境が要る。現実という大地から切り離し、遥か無重力状態まで意識を放り投げなければ、暗示の浸透など覚束ない。それほどに現実という基準点は確固で、常識という判断装置が頑なに効き続ける。
そのための【決起集会】だった。あの舞台を構築するのに、どれだけ下準備が必要だったか。
だからこそ、あんな陳腐な乱入劇に騙されない。まるで場末のヒーローショウ。あんなのが催眠術として機能するなら各地の遊園地は週末ごとに阿鼻叫喚となってしまう?
「平塚? 鹿嶋?」
破廉恥極まる校長を陥落寸前まで追い詰めた栄光の処女騎士(バージン☆ナイツ)たちは?
ブルッ!
「寒!」
それに頭痛が酷い。ハンマーがあれば自分の頭遺骨を叩き割りたいほどの痛み。
これは【敵】の攻撃? 何らかの毒が体を蝕んでいる?
「くっ!」
痛む関節を堪えながら立ち上がろうとしても……膝から崩れ落ちる。
身体がいうことを利かなくなってる。自分が思うよりずっと、平衡感覚が抜け落ち、当たり前のことが当たり前にできなくなっている!
どうして? さっきまで私は快調そのもの、バランスボール並みの花瓶ですら持てたのに。
『この煙には毒性などない』
五里霧中の先から届く女の声。
険しき稜線の向こう側から届くようにも、すぐ耳元で囁かれているようにも聴こえる声。
ナチュラルなリバーヴとコーラスが掛かったみたいな、不思議な声。
それでいて一音一音、粒だった音色をしていて、ある種の神々しさすら感じられる……
神の…………声?
(いやいやいやそんなのあり得ない!)
こんなのはマヤカシよ! デジタルエフェクトで作り上げた「神様っぽい」マヤカシ!
「ならなんなの?」
『汝、己が胸に手を当て顧みよ』
思い出せ? …………何を?
『頭痛、目眩、悪寒、鼻炎、関節痛、喉の違和感……複合的に体を蝕み、健康を阻害する』
経験したことのあるバッドコンディション……もしかして?
「風邪?」
自力歩行も覚束なくなるほどの重篤な?
『たかが風邪と侮るなかれ。熱と免疫の低下は想定以上の機能不全を招く』
これは本当に風邪? ここまで何もできないなんて!
「誰か! 誰か!」って叫びたいのに喉が掠れて声にならない。
無知蒙昧の衆愚を導いてきた自慢の喉が! ゼーゼー喘鳴を響かせるだけで屁の役にも立たない!
「鳥居さん? 鳥居さん?」
スウゥゥッ……
まさか喘鳴が吹き飛ばしたわけでもあるまいに。謎の霧は消え去り、私の現況が詳らかとなる。
「!!!!」
一寸先も覗えなかった濃いガスが、みるみる霧散すれば――周りは精密装置の森。林立する医療機器群に私は埋もれていた。
「鳥居さん? 鳥居さん?」
私を呼ぶ声の主、鹿嶋でも平塚でもなく、白衣を着込んだ女医だった。
「鳥居さん? 鳥居さん?」
ベッドサイドから体を揺さぶりながら私へ呼びかける。難しい顔を浮かべながら私を。
「残念ですが…………ご臨終です」
(待ちなさいよ! まだ死んどらんわ!)
「……鳥居ミサ死亡、っと」
とか呟きながら事務的に死亡診断書にサインしてるし!
私の身体が利かないからって、いい加減な診断しないでよ!
(殺すぞ! ヤブ医者!)
だけど届かない。沸騰する怒りも熱が手段を奪い、最低限の意思疎通もままならないのだ。
「看護婦くん、御家族への連絡を」
「連絡してよろしいんですか?」
反対側のベッドサイドには髪ナース、小首を傾げて女医へと尋ね返す。
「普通するでしょ死んじゃったんだから?」
「でもこの患者さん、生前、仰ってましたよ先生?」
「なんと?」
「『大人の干渉は余計なお世話』」
「ほう」
「『自分たちだけで何でもできる、大人の力は借りない』」
「ふむふむ」
「下手に親切心でも起こそうものなら偽善者の汚名を着せられます」
「訴訟リスクは可能な限り回避するのが現代の医療者従事者だな」
ウンウンと頷きあう女医とナース。そんな悠長に会話してる暇があったら私を治療しなさいよ!
私は死んでない! 死んでないんだから!
「ならば故人の遺志の通りに」
「ですね先生」
「ご家族には……そうですね『来なくていい、むしろ来るな』とでも」
「はい」
「『年上の人間は生きているだけで大迷惑なので、早く墓へ入れ』とかね」
やめて! 何を打っているの?
私には親が必要なの! そんな拒絶は望んでいないのに!
ナースがフリックするスマホを奪い取るべく、残る生命力を振り絞って身体を起こそうとした。
したのだけれど、
「あ」
ツー。そしたら息も絶え絶えの鼓動が……突然の限界で事切れた。
Reprise -- RageAgainstTheLowBirthRateProblemUniversallyRageAgainstTheLowBirthRateProblemUniversally Rage Against The Low Birth Rate Problem U n i v e r s a l l y …………
再び途切れた意識のストリーム――
ウイルスに機能を阻害された感覚器、それらが一気に正常へ立ち戻れば、
「ひっ!」
肝心なものが無いじゃないの!
それは親の愛でも、健康な肉体でもなく――――重力と釣り合う私の所在地。
「!!!!」
文字通りの―― ク リ フ ハ ン ギ ン グ !
今度は声が出ないんじゃない……出せないの!
縮み上がったのは肝のみに非ず、横隔膜も声帯も全てが恐怖で固化してる!
掴んだ枝を離せば、私は一気に数十メートルを落下。水面でもヘタな落ち方をすれば死を招く、骨折程度で済むならラッキーと思える高さだ!
そしてその「着水点」は更に不都合な事実を私に突きつける!
ザバァァァァァァァァァッ!
天頂の太陽が川面へと落とした影。その影が『 食われた 』!
「ひっ!」
作り物ではないのに作り物に見えるのは、大きすぎるから。巨大生物は認識を歪ませる。
剥き出しの牙が樹脂に見えたとしても鱗が人造の皮革に見えたとしても、それは正常化バイアス。野生の臨機応変を再現する域まで、まだテクノロジーは辿り着いていない。
「!!!!」
川面へ落ちた影にさえ牙を剥く、捕食獣のバイタリティ。
いや、もしかしたら歓喜のダンス? ほどなく落ちる果実を、今か今かと待ち受ける喜びの舞い?
しかも何頭も折り重なって、上顎と下顎のシザースをバクバクとデモンストレーション!
あんなとこへ落ちたら絶対助からない! 助からないどころか、最悪の死を迎えてしまう!
野生動物に残酷性の謗りなど通用するものか。獲物の意識があろうがなかろうが、捕食者は素っ気なく食欲を満たすものだ。
「「捕まって!」」
絶望の耐久戦を覆す救いの手(グレートアップセット)が!
「君!」「ミサ!」
しかも同時に二つ! 右から見知らぬ男、左から平塚の手が差し伸べられた!
両方掴めれば最高だけど、間隔が広すぎて、どちらか一方しか縋れない――排他の位置。
「早くしろ!」
私が掴む枝は強度の限界を迎えようとしている。危機的状況は火を見るより明らか。
(どっち? どっちに?)
右は屈強な男、左は平塚、私と大して変わらない体格と筋力の女子高生だ。
「ミサ!」
彼女は私を引き上げられるだろうか? 女子高生の筋力で私を引き寄せる力が出せる?
「君!」
右は大柄でガッシリとした骨格の男性、太い首周りは馬車馬の逞しさ。
(どうする? どうしたら?)
「「早く!」」
メキメキメキメキメキ! 破砕の絶望ファンファーレが最高潮を迎える寸前、
「……!」
咄嗟に飛びついた! 白く美しい女子高生の手に!
「くぁぁぁぁぁっ!」
ゾッとした。だって悲鳴を上げているの! 筋肉や腱や骨が限界を訴えてくる! か細い腕からの絶叫が握った指を通して伝わってくる!
「頑張って平塚!」
まるで不治の患者に「早く良くなれ」と言っているようなものだ。避けられぬ不幸を知りながらの励ましほど、偽善と絶望で黒く染まったものはない。
「どうしてそっちを掴むんだよ! こっちだろ常識的に考えて!」
「うるさい!」
頭を抱え嘆く男へ絶叫する。
「汚らわしい! 男なんて全員汚物よ!」
駄々っ子に困り果てる親の顔なんてしても無駄よ! どいつもこいつも女を馬鹿にしてる奴ばっかりなのよ、男なんて! 端っから見下して、最後は腕力で従わせようとする野蛮人ばっかり!
嫌い嫌い嫌い! 誰が男の手など借りるか!
男に阿るくらいなら死んだほうがマシ……………………あっ、
「!!!!」
握力の限界は唐突に訪れた。
意地や主義主張などでは覆せない、筋肉の限界。離すまいと念じても離れてしまう、手と手。
「鳥居ぃいぃぃぃぃいぃぃいぃー!」
加速度つけて遠のいてく平塚(我が同志)。哀れ私は悔恨の果実。堕ちて彼らの糧となる。
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「力が、力が欲しい……」
汚らわしい手を借りずとも生きていけるだけの力が欲しい。
それが私の切望。弱々しい過去の自分へ、復讐を遂げるには力が要る。
強き力よ。どんな束縛や干渉をも跳ね除けられる。
「はっ!」
この世のものとは思えない巨大水棲爬虫類から、奪い合うように身体が引き千切られていく……そんな残酷を覚悟していたのに。
「え????」
五体満足で私は在る。居る。侍っていまそかっている。
「えっ? えっ? えっ?」
というか、なんだこの環境は????
人食いワニの川縁で足掻いたはずじゃないの? つい今の今まで?
崩れそうな断崖で究極の選択を迫られていたはずなのに。
気がつけば精密機器に囲まれてる。文明の粋を集めた集積回路が上上下下左右左右BAと敷き詰められた球体空間? ICUに寝転がされた時も相当サイエンスフィクションな光景だったけど、レベルが違ってる。足元から天頂までグルリと見渡せる曲面のモニタとか。
「でも、それよりも……」
根本から違っている。
これは生き残るためのシステム。抵抗する他者を踏み潰してでも己が生き残るための威力装置。
死にゆく者へ、せめてもの手向けとして誂えられた部屋などではない。
ピピピピピピピ!
「!!!!」
アラート! 天頂に赤文字が明滅し、耳を劈く警告音!
本能が頭を守り、亀の姿勢を指向すれば!
メキメキメキメキ! 全天モニタが大きく傾き、同調して私の平衡感覚も揺さぶられる!
ズォォォォォォォォム!
壁越しに聞こえる重厚な着弾音。すぐ傍に何かが落ちた?
ザザッ!
ノイズに覆われたモニタが一拍置いて回復(リカバリ)すれば……
「!!!!」
薙ぎ倒された街路樹、原形を留めぬ乗用車に、瓦礫と成り果てたビル。濛々と立ち込める煙。
(何? 何なの?)
ピピピピピピピピピピピピ! 間髪を入れず警告が再び天頂方向から!
「!!!!」
何かを突き立てられる! 亀の甲羅を突き破って柔らかい腸(ハラワタ)を抉りに来る!
(ヤバい! 死ぬ!)
鋭利な何かを取り返しのつかない場所へ撃ち込まれて――『私』は死ぬ!
正確には、私ではない何か、私が匿われている何かがバラバラに壊れ、最悪誘爆に巻き込まれて消し炭になってしまうかもしれない。圧死だろうが焼死だろうがショック死だろうが大差はない。そんな自覚のない生の途絶なんて選んだ覚えはないのに! そんな死に方!
こんな目に遭うくらいならICUのベッドの方がマシだった!
戻して! あそこまで戻して頂戴!
ピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピ!
ビャースビャースビャースビャースビャースビャースビャースビャースビャース!
今まで聴いた中でも最悪のアンサンブル! けたたましい警告音の狂躁曲が最高潮を迎えると、
「!!!!」
凄まじい閃光が私を包む!
ザーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ! 全天モニタを覆い尽くす砂嵐。
こんなつまらない景色が人生最後の光景なんて、勘弁してもらいたい!
……とか呪詛の言葉を吐けるのは意識が「ある」からだ。
「え?」
甲羅は頑丈だった。地下壕を抉り壊す悪魔の兵器にすら耐えてしまった。
殻も無事なら中身も無事だ。蛋白質を炭化させる熱も、人間跳弾としてコクピットを朱色スムージーで満たす衝撃も、伝わってこない。
「……………え?」
発狂する砂嵐のモニタが再起動されれば――めり込んだのかと思った。土中へ「殻」ごと埋め込めれたのかと。だってモニタは埋め尽くされていたから、土の色で。大小色んな大きさの石で。
でもそれは正しい把握ではなかった。
…………ペリッ。カラッ、カラカラッ……
剥がれてく。モニタを覆い尽くした土塊が一つ、また一つと重力に導かれ。
私は生きたまま土中へ埋葬された可哀想な私じゃなかった。強制的な圧力に押さえつけられ、理不尽にも自由を奪われてしまった私じゃなかった!
スクリーンを埋め尽くしていたのは瓦礫のパッチワーク。破壊行為で生じた砂礫と破砕片が寄せ集められた暴力的なアートワークだった。
ガラガラガラガラガラガラ……
正直全く分からない。どんな絡繰りで自分が助かったのか。あらゆる構造物を完膚なきまで粉々にする破壊兵器を浴びても私は健在。それが夢物語ではないことは周囲を見渡せば分かる。街は骸骨だ。柔らかい部分が猛々しい勢いで毟り取られ、骨組みしか残っていないではないか。
そんな猛威を私は耐え抜いたのだ。いや、正確に言うなら「殻」、私を包む脅威の「殻」が暴力的な干渉を耐え抜いたのだ。内に包まれた私へ指一本触れさせず「殻」は猛威を跳ね除けた。
バラバラバラバラバラ……
それでも半信半疑のまま、蹲っていた姿勢から立ち上がってみれば、スクリーンへ張りついていた破片は一気に崩れ去る。
「卵…………」
私は見た。人の子には終ぞ体験できぬ、孵化の光景を。
私は見た。祝福されし誕生の瞬間を。
Hello World。私、大地に立つ。
「わ……わはははははははははははははは!!!!!」
――産まれた! 私は産まれたぞ!
新たなる「生」として、何者をも寄せつけぬ御意見無用の自我として!
「私TUEEEEEEEEEEE!!!!」
力よ! 力さえあれば何者にも阿る必要はない! 癪に障るゴミどもは踏み潰してやればいい!
足底でプチン! プッチンパポペ、エブリハディプリンプリン!
ぷち、ぷち、ぷちぷちぷちぷちぷちちちちちちちちちちちちちちち……
「あははははははははは!!!!!」
私たちの意に沿わぬ都庁も! 国会議事堂も! 防衛省も!
「粉砕! 粉砕! 跡形なきまでに!」
破壊の限り尽くし、その後で、瓦礫に花を咲かせましょ!
理想郷を生むのです。これが究極のクラッシュアンドビルド、万人理解の分かりやすさ!
「排除! 排除! 粛清! 粛清! 粉砕! 粉砕! 排除粛清粉砕砕! 排除粛清粉砕砕!」
嫌な奴らは除け者にして 作り上げましょ理想の都!
新たな名を与えましょう生まれ変わった都市に。
差し詰めトリイグラードとでも。百五十年ぶりに名を変えるのよ、この都市は。
鎌のMIYAKO 槌のMIYAKO 赤のパラダイスよ 華の東京ォー!
「あはははははははは! あははははははは…………あ?」
止んだ? 残飯を漁る蝿の如き戦闘機や、ダニの鬱陶しさで刺してくる装甲車も退いてしまった。死に物狂いの狂騒がいつの間にかチルアウトしているじゃない?
「なに? もう降参?」
抵抗など無力と悟った?
賢明ね。額を地に擦りつけて恭順を表すなら、汲んでやらんこともないけど?
キュラキュラキュラ……攻撃行動が止んだ戦場で一両だけ響く無限軌道。砲塔のハッチから半身を晒して単身突出、馬鹿が戦車でやってくる。
『鳥居ミサ!』
(あの女! 見覚えがある!)
あれは私の死を宣告したヤブ医者! というか校長室へ乱入してきたコスプレイヤー!
また私のことを邪魔する気?
「……あんたなんかね……」
今の私は無敵の私、いけ好かない女など赤子の手を捻るより簡単に潰せるぞ!
『鳥居ミサ…………いや、トリイジラ!』
私が威嚇の拳を振り上げても、軍服の生意気女は平然と叫び返してきた。
「えっ?」
するとその瞬間、私と彼女を遮るものが ―― 全 て 消 え 去 っ た 。
有り体に言えば失くなったのだ。私を包んでいたはずの「殻」が見当たらない。
どういうこと? どういうことよ?
私は全天モニタのスフィア式コクピットに座っていたはず? 今の今まで最新兵器をも跳ね除けるスーパーパワーを「操縦」していたはずなのに? 貫通爆弾の直撃すらも耐える「盾」を纏ったのに!
なのに気がつけば――――私と彼女を遮る壁も鎧もありはしない。
唇と唇は同じ空気に触れてる。瞳と瞳は同じ光を受けている。
私は――剥き出しだ!
「……!!!!」
しかも『手』が! モニタ越しに操っていたのは特殊合金マニピュレーター、複雑な人体の動きを精巧なアクチュエーターで再現するワンオフの機体――――だったはず。黒光りする鋼の手を。
「ひっ!」
なのに、今は! 有機的な……それも人類のスタンダードからは大きく逸れた種のサーフェス! 肌と呼ぶのも憚られる、むしろ鱗とでも呼んだ方が的確な。
現行兵器を過去にする、兵器体系そのものを激変させる革命的な兵器を操ってたはずなのに! それを操って悪の米帝や憲法違反の自衛隊を蹂躙していたはずなのに!
私が? 私自身が 怪 獣 に な っ て ?
まさか? まさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさか!?!?!?!?!?
こんなのあり得ない! 嘘に決まってる!
『あんたにとって平和とは何よ? トリイジラ?』
眼下には見渡す限りの焼け野原。栄華を誇った首都東京は灰燼に帰した。
『これがあんたの実現したかった平和?』
ピンポイントな悪の選別など口先ばかりで、何もかにも一緒くたに破壊の限りを尽くした跡。
「……私のせい?」
そんなの信じられない! 何かの間違いよ!
『平和平和と叫び散らかす輩に限って並外れた攻撃衝動を持て余してる!』
『――去勢すべきは我に在り!』
パカッ! と別のハッチを開いて金髪美少女モグラがこんにちは。
『革命家など化けの皮一枚剥がせばこんなもん』
『なんのことはない、親の教育が失敗してるぞな』
『癇癪の発散法を教えてもらえなかった哀れな子供、その成れの果てよあんたは!』
青少女の主張をアンサンブル@バトルフィールド闘強導夢。
『我慢を覚えることが大人になるってことじゃないぞな! 正しい発散法を覚えることぞな!』
『ゾンビに返り血浴びてこそ、架空世界の通行人を轢き殺すことで識れることがある!』
いつ放射能火炎を吐かれてしまうのかヒヤヒヤしながら、私もハッチから頭を出してみると、
「攻撃性は太古の昔から連綿と仕込まれてるの、ヒトのDNAに」
怪獣何するものぞ、と胸を張る悠弐子さん。
「人は嫌でも飼い慣らしていかなきゃならないのよ桜里子――己の内に棲む猛獣をね」
靡く黒髪は英傑の証。無骨な草色の軍服に白き肌が輝く。
「それを理性で簡単に馴致できると思っているなら……浅はか、尊大、横柄、不遜――――舐めきってるわ、人間というものを!」
ガッ! ミニスカ軍服をものともせずハッチを踏み越えていく少女コマンドー。
「だからあたしは斬る! 舐め腐ったその人間観を斬る!」
砲塔上に生身を晒した彼女は、手にした刀を掲げて、
「偏執狂の去勢主義者をたたっ斬る!」
跳んだ!
いや、跳んだというより飛んだ!
装甲車のサスペンションを底まで目一杯! 時価数十億のロイター板を踏み台にしてテイクオフ!
てか飛び過ぎです! 親指姫スケールでいうところのバッタくらい飛んじゃってます!
なんですか? バグズ手術でも受けた人ですかあなたは?
妖しく艶めくブラックウイングをはためかせながら、悠弐子さんは怪獣を斬った!
The end of Rage Against The Low Birth Rate Problem Universally.............
「オキシジェンデストロイヤー、悪を撃てぃ!」
空中を漂っていた微粒物質が粗方床へ沈殿した頃、悠弐子さんは号令を下す。女子高生が求める高気密ヘルメットを脱ぎ捨て、虚空へと叫ぶ。それはあたかも、女優が別撮りで臨む、抜きのショット。クロマキー背景を背に、架空舞台の登場人物を堂々と演じきる。
とはいえ、彼女を囲む監督やカメラマン、撮影スタッフは一人もいません。討伐指揮官演じる彼女の前には学ランの少年(少女)が横たわっているだけです。黒革張りのソファに仰向けの彼(彼女)はアイマスクならぬヘッドマウントディスプレイで目元を覆われて、B子ちゃん謹製の映像ドラッグを強制鑑賞させられているらしい。
……らしい。
分かりません。だって覗いたことないですし、そんな物騒な機械は。覗く気にもなれませんよ。
「ぎゃああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
キノコ粉末を吸い込んで前後不覚に陥った上で、視覚を奪われた鳥居ミサさん、謎の怪光線に悶絶しています。実際には何も浴びていませんが。悠弐子さんが何か光線を発射してる体で演技しているだけですが。
果たして強制VR環境を強いられた脳内では、どんな光景が構築されているんでしょうか?
脈絡もない抽象映像が切り替わっていくだけでも――それでも脳は意味を求める。どうにかして意味づけできないか試行錯誤を繰り返す。そこが付け入る隙、オートマティックに働く正常化バイアスを方向づけしてやるんです。脳の自動補完シークエンスへ干渉するシステムらしい。
「これぞ秘術☆夢曼荼羅!」
そこはかとなくブードゥーオリエンタルなポーズを決めながら悠弐子さん。ダルシム的なムーブでも美しく見えるってどういうこと?
「正義の業火に焼かれて眠れ! トリイジラ!」
容赦なし、夢の操り手(ミスドリームウィーバー)彩波悠弐子、ここぞとばかりに責め続ける。
「うぎゃぁぁ!」
大掛かりな舞台装置も薬物も脳内快楽物質の力も借りずに引き起こされるバッドトリップ。視覚に代わって認識の舵取りを担う聴覚中枢、それを惑わす。音情報だけで認知という船を難破させる。
となれば悠弐子さんの独壇場ですよ。五体満足五感良好でも惑わされる声ですしね。
現実の足場を失った意識ならば、いとも容易く絡め取られちゃいます。
「放てミクロオキシゲン! 巨大怪獣から市民を守れ!」
要は方向づけ、『何か凄いことが起こってる』という信憑性さえ刷り込めれば、あとは脳が勝手に具体性を構築してくれる。たとえそれが実体験とは掛け離れた舞台であっても、脳がリアリズムのお墨付きを与えてしまう。今の彼女(鳥居ミサ)は虜。悠弐子さんのセカイに溺れた漂流者です。
ドリームウィーバー彩波悠弐子には抗えない、この状況(シチュエーション)では誰もが決して。ナチュラルボーンの劇性ボイスで、オーソン・ウェルズの真実を付与して回る。むしろ真実よりも鮮やかな色彩すら帯びさせて。
「いや! いやぁぁぁぁぁ!」
ですが悠弐子さん無理ですよ、いきなり「戦車を運転しろ」とか言われても。ワニの鳴き声とか知りませんってば。医療専門用語なんて咄嗟には出てきません。
なのに「さぁ合わせろ」とでも言わんばかりにエチュードを始めちゃうんですよ、この二人。
「司令官殿ー! ディメンションタイドもブチこんどきますか!」
「……かまわん、やれ!」
しかも普段の不仲が嘘みたいに阿吽の呼吸で。なんなんでしょう、この二人は?
「ぎゃああああああぁぁぁぁぁぁ!」
ソファで極限まで海老反った鳥居ミサ――――――――遂に事切れた。
「勝った……」
敵の首魁が失神したのを見届けると、勢い良く二人ハイタッチ。
「流派多産豊穣!」
「王者の風よ!」
なんか勝利のセレブレーション始めちゃってますよ……?
「産めよ増やせよ!」
「欲しがりません勝つまでは!」
「「見よ! 兎の眼は赤く燃えている!」」
朱く燃えているのは学ラン男子の頬ですけどね。
散々な悪夢に翻弄された彼(彼女)は、息も絶え絶えソファにグッタリ。
(…………男子?)
悠弐子さん曰く、亡国結社【アヌスミラビリス】によって雌雄同体人間の能力を覚醒させられ、『男が失われた世界での男的存在』として学園の支配を目論んだ……男子?
勇ましい講堂でのアジテーションや校長先生への恫喝、それらは確かに男っぽくあった……
(でも、こうして見ると……)
汗の浮いた肌はきめ細やか、いかにも化粧ノリが良さそうなサーフェスですよ? 皮下脂肪の薄い感じも思春期の女子っぽいし……よくよく見ればなんとなぁ~く胸の隆起もあるようなないような……
「桜里子!」
モヤモヤした疑念も吹き飛ばす、情熱のハグ。
「初陣飾ったわよ!」
おでことおでこがごっつんこ、で咲き誇る――向日葵の笑顔。まとめて憂慮をBy the wayする忘却の旋律。華やかなファンファーレで舞台転換を招く、人間トランジションエフェクト、彩波悠弐子。
「ここに幕開け! ゆにばぁさりぃの愛天使伝説!」
でも確かに、夢も希望もない高校生活の地獄からは解放されました、それは違いない。県内屈指の恋愛理想郷は枯れずに生き永らえました!
「これでもう安心ですね!」
もう危ないことはしなくていいんですね?
「まだぞな!」
B子ちゃん、マイケルのムーンウォークよりも滑ってる感たっぷりのムーブで向かってきた!
「吸引力の変わらない、たった一つの自律型掃除マシン!」
に乗って校長室内を暴走してます。ルンバ猫ならぬ、ルンバ美少女。知らぬ間に何台ものマシンが放たれて床の掃除を始めてます。倒れている学ラン戦士をマッピングしながら、清掃活動してます。
「B子ちゃん、それ人が乗れるんですか?」
「乗れる!」
その顔は使用契約書に遵守してませんって開き直った顔ですね?
「ついてこいよー ついてこいよー」
ABCABCハァーンとでも言わんばかりにB子ちゃん、廊下へルンバサーフィン!
「ついてこいってB子ちゃん、どこ行くつもりですか?」
放流された改造ルンバから一匹を取り上げ、私も彼女の後を追います!
「ヒーローの! 嗜みぞな!」
嗜み? なにを言ってるのこの子は? また何ぞよく分からない美少女語なの?
「美しきフィナーレがヒーローには必要なんだぞな!」
「あのB子ちゃん、もっとちょっと分かりやすく噛み砕いて…………ひぃぃぃぃぃ!」
人の生理など無視して廊下を直角に曲がっていくルンバちゃん!
佐渡のたらい舟ポジションで必死にしがみつく!
男の子がいなくて良かった! とてもじゃないけどスカートで乗れるビークルじゃないです!
「とうーちゃぁーく!」
魔改造ルンバ、私たちを馴染みのない校舎前へと連れてきた。そりゃそうです、だってここは部室棟ですから。まだ正式な創部認可も部屋割りも為されていないんですから、当然蛻の殻のはず……
「へや!」
ばっこーん! バースデイブラックチャイルドの問答無用キックで白日の下に晒される、
「これが屋上生徒会(奴ら)の悪行ぞ!」
部室棟最奥の部屋に据えられていた大型犬用のケージには、犬ではなく人間が入れられていた。
(酷い!)
アイマスクに猿轡、手足の自由も奪われた男子が窮屈な檻の中に! これじゃ水や食事を摂るどころか排泄だってできませんよ! 有岡城の土牢へ幽閉された黒田官兵衛の方がマシです。
(よくもこんなことを屋上生徒会! 血も涙も人権もないじゃないですか!)
「平和とか 言ってるくせに 火炎瓶」の標語通りの悪行三昧です! 美辞麗句を叫びながら、裏では非人道行為も厭わないとは! どんだけ面の皮が厚かったら、こんなに露骨なダブルスタンダードを駆使できるのか、私には理解不能です!
「錠を放て!」
振り返れば奴がいる。
バスティーユを解放するオスカル・フランソワ・ド・ジャルジェの勇ましさで。
彩波悠弐子がそこにいる。
でも、引き連れていたのはフランス衛兵隊ではありませんでした。彼女らは女子挺身隊、屋上生徒会の意を受けて教室棟の封鎖を担った実行部隊です。二の腕に着けた腕章で一目瞭然。土曜【洗礼】を受けるまでは普通の女子高生だったのに……率先して屋上生徒会の蜂起に従った、特に深刻なマインドコントロール下にある子たちです! そんな子たちをこんな所へ連れてきてしまったら!
「何のつもりですか……悠弐子さん!」
男は穢れ! と刷り込まれた子たちの前へ衰弱しきった男子を晒すとか!
「男……」
彼女たちの目を見て下さい! 格好の贄を前にヘイトフルな感情がグツグツ煮立ってます!
色がヤバいです、理性の色をしてません!
「男……」「男……」「男……」「男……」「男……」「男……」「男……」「男……」「男……」
今にも罵声と暴力の箍が外れてしまいそうな不穏な空気が漂い……世紀末救世主伝説やマッドマックス並みのバイオレンスを感じますよ! 吉原炎上事件で逆上したパーリーピーポーさんたちより!
「悠弐子さん!」
このままじゃ邪悪な集団心理の餌食にされちゃいます! 彼が嬲り殺しにされかねない!
「…………」
それでも彼女は厳しい顔のまま微動だにせず。噴火寸前の同級生たちを背に仁王立ち。
「悠弐子さん!」
彼は見殺しなんですか?
憎しみの必然として遺されるグロテスク、それを自覚させるための生贄(スケープゴート)なの?
「…………」
いえ。違ってました。悠弐子さんの目論見は私の想像を越えてました。
――「待て」と。
ヒーローの見せ場はここからだ、と人差し指チッチッチ。ダンディな微笑まで浮かべながら。
ガルルガルガル捕食獣の嘶きも受け流し、暴発寸前の彼女らへ向き直る。
(な、何をおっ始める気ですか?)
B子ちゃんが言ってた「嗜み」なるものを披露しようって腹ですか?
すぅ……深く息を吸って悠弐子さん、満を持して牙を剥く、人心惑わすアジテーターが牙を剥く、
「――――――――ジュンジ!」
予定だったんでしょう、おそらく。
「……は?」
ところが、実際は遮られてしまいました。無粋な闖入者によって彩波悠弐子劇場の幕は。
「ジュンジー!」
一触即発を切り裂いた声。私もよーく知っている、あの子の声。
「望都子ちゃん????」
私たちへ危機を訴える電話の途中で「消された」彼女、まさか女子挺身隊に加わってたなんて!
やっぱりあの洗脳儀式は只事じゃなかった。被害者である望都子ちゃんまで転向させるとか!
「心配したんだから……」
「……望都子?」
あ? アイマスクと猿轡を取り去れば、囚われの王子は望都子ちゃんの彼氏さんじゃないですか?
ちょっと考えれば分かりそうなものをすっかり失念しておりました。
なのに望都子ちゃん、人相が隠された状態でも愛しい彼氏と気づいたんです。
愛の力ですね……虐げられた彼氏を見つけるなり望都子ちゃん、一目散で駆け寄りました。忠誠の証である赤い腕章も破り捨てて衰弱した彼を抱き留めます。
なんて美しい光景……愛が邪悪な思想強制を跳ね除けた!
ベキ!
「は?」
只ならぬ破砕音に振り返れば、暴発した感情が手にした旗を叩き折っています!
【男子排斥!】【男女別学化は生徒の総意!】とかアピールする旗をボキボキと!
ヤバいです悠弐子さん! 更に火に油を注いでます! 余計、事態が悪化……
「何よ! 何なのよあんたたちは!」
(…………あれ?)
「抜け駆けズルい!」
(感情の圧は変わらないけど……そこへ込められた【念】の質がガラッと変わっていませんか?)
「入学したばっかで見せつけてんじゃないわよ!」
「悔しいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」
弁士悠弐子さんを素通りして牢屋のカップルへ飛んでく――嫉妬の矢が雨霰。
熱く抱擁を交わす校内唯一のカップルに対して、焼き餅のマシンガン。
「望都子……」「ジュンジ……」
望都子ちゃんが愛しい彼の胸で頬を染めれば、
「……!」「……!」「……!」「……!」「……!」「……!」「……!」「……!」
濁った瞳に光が灯る。歪んだ狂躁の澱みから邪の気配が消えてくじゃないですか!
みるみる憑き物が落ちていきますよ! 潤んだ瞳でやるせない溜息を漏らしてます。唇を噛んで地団駄踏んでます。袖の赤い腕章をかなぐり捨て、さながら長州力並みのストンピングを踏んでいます。
(普通! みんな普通の子へ戻りました!)
イデオロギーに汚染された工作員から普通の女子高生へとグレートカンバック!
「やりましたね悠弐子さん!」
これぞ浄化です、確かにヒーローの持ち分です! 愛を取り戻せ、です!
「ちっ」
なのにどうして素行不良のスノーボーダーみたいな舌打ちしてるんですか? ドス黒い洗脳に染まりかけてた子たちを救出したんですよ?
「浄化の儀式は失敗よ!」
「甘いぞな!」
「そうですか?」
もはや誰も【男子を排斥してしまえ!】とか目を三角にしていません。誰一人とて【男は穢れ!】とかヒステリックに叫んでませんよ? マトモな女子高生に戻ってます。完璧ですって。
「あらゆる【洗脳】、こびりついた乙女の垢を根こそぎ削ぎ落とすチャンスだったのに!」
「……乙女の垢?」
「ロマンティックラブイデオロギーよ!」
ほ、本気だったんですか? あれって本気だったんですか?
今の今までずっと冗談だと思っていたのに! 人を煙に巻くレトリックではなく、まさか額面通りの行動目標だったんですか?
「ロマンティックラブイデオロギーを殺せ!」
「殺せー!」
人の恋路を邪魔する奴は、ルンバに乗ってやってくる。
持たざる者が持てる者を殺してでも奪い去りたい、その感情を嫉妬と呼ぶのなら、嫉妬から最も遠いとこにいるのが彩波悠弐子とバースデイブラックチャイルドです。嫉妬とは無縁の美を備えるからこそ世界を否定し、焦がれもしない。
そんな恋愛ゲシュタポどもは、嫉妬に嫉妬する。そういうことらしいですよ二人の不機嫌は。
「ロマンティックもラブも幻想よ! 愛と幻想のフェミニズム! 邪悪な外来思想なの!」
「性教分離せよ!」
女子挺身隊を一網打尽、根底から偏向思想を覆してやる。
そんな目論見を抱いていた女子高生アジテーターの算段は、ロマンティックラブ・イデオロギーという強固な共有概念から手柄を横取りされてしまいました。
(悠弐子さん曰く)日本を混沌へ導く悪のイデオロギーだったはずが、逆に過激な急進思想を是正する秩序回復装置になってしまうとか……なんとも皮肉。
そりゃ少女戦士(ガールズソルジャー)には忸怩たる思いでしょう。竜頭蛇尾の極みですよ。最後の最後で画竜点睛を欠くとか、ヒーローに有るまじき痛恨事ですよ。
「あんたたちには本物の浄化が要るのよ!」
戸惑う(元)女子挺身隊たちに向かって吼える、悠弐子さんとB子ちゃん。
だけど収まるべき所に収まっちゃったなら、世界は均衡して動きません。そんなこと彼女たちのIQなら承知済みのはず。
「目を覚ませ女子高生!」
それでも抗い続けるノートリアス・プリティ&キュート。
彼女らの心象を推し量れるとしたら、イカロスかドンキホーテくらいでしょうか?
「ロマンティック・ラブイデオロギーを殺せー!」
凡人には! 私みたいな凡人には全く以て理解などできかねます!
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