郷に入って君に従ってその2

「はぁ~ぁ……笑ったぁ~。ねぇ? その格好で写真、撮っといてよ。姉さんとゼヴィさんに手紙で送るから」


 一頻ひとしきり笑った後、ようやく落ち着きを取り戻したヴィヴィアナが、笑い過ぎで眼尻に浮かんだ涙を、指先で拭いながら告げる。分かりやすい悪戯を仕掛ける子供のような笑顔を浮かべているあたり、本心ではなく冗談なのだろうという事が、その場の誰にでも読み取れた。


「止めておくよ。笑われるのは構わないが、積極的に笑いものになるつもりはないんでな」


「ヴィヴィ殿っ。程々にしないと、マテウス卿に失礼であろう。彼は正装に着替えただけだ」


「分かってるって。まぁでも、散々笑っちゃった後にこういうのもなんだけど、普段のアンタよりは全然マシね。普段からこれぐらいちゃんとしとけば、こういう時にも笑われないですむのに」


「分かってはいるんだが、手が回らなくてな。迷惑を掛ける」


 そうして、会話が途切れた隙を縫うようにして椅子から腰を上げたフィオナが、マテウスの全身を値踏みするように見上げながら、彼の周りを周回し始める。


「でも、これならドレスコードは合格そうやんね。ふふっ、笑ったお詫びにウチのエスコート、させたげてもええよ?」


 そう告げるフィオナは、膝丈のシースワンピースタイプドレスに着替えていた。前から見ると明るめの赤色をしたシンプルなワンピースで、彼女の白い肌がドレスの赤を更に鮮明にすることで、お互いを引き立たせている。


 更に、彼女がマテウスを覗き込む度に、ハートシェイプドネックから覗く鎖骨の間で、宝石を散りばめた首飾りの輝きが、より強調されているように見えた。


 そしてシンプルな前面に対して、背面の意匠いしょうは少し凝った造りになっており、背中の中央部が風通しの良さそうなレース生地になっていた。更に、そのふちをラッフルフリルが縁取っていて、これが、羽根のようにヒラヒラと、彼女が歩く度に揺れるのである。


 その上でフィオナは、今日はなにがあっても兜は被らない宣言とばかりに、髪の毛もパーティー用の編み込みアップにして、髪のサイドに花と宝石を散りばめた髪飾りを付けていた。


 まるで、自身が主役であるかのような気合の入りようだが、それはあながち間違っていなかったりするので、彼女の横柄な態度にも、マテウスとしては口を出し辛い。


 そして、フィオナからこんなにも分かりやすい態度で問い掛けられれば、そういうやり取りの解答に疎いマテウスでも、彼女がなにを求めているかぐらい、行き着く事は出来た。


「君のように素敵な女性のエスコートをさせて頂けるとは、光栄だな」


「ふっふーん。マテウスはんも、案外分かってきたやんっ? このこのっ」


 肘を使ってマテウスの脇腹辺りをつつくフィオナは、上機嫌そのものだ。ヴァ―ミリオン社の、この夏の新作ドレスを身に纏い、自分の好きなようにメイクが出来たのだから、彼女にとってはそれこそ赤鳳騎士団入団以来、最高の出来事に違いない。


「フィオナ殿。その服装で、装具をどこに吊るすのだ?」


「装具って、金剛なる鋭刃ダイヤレイザーの事……やんね?」


 フィオナのドレスを上から下まで注意深く観察していたエステルが零した不意の問い掛けに、彼女はマテウスの腰の左側を指し示す事で解答とした。普段、フィオナが下げているレイピア型の装具がマテウスの腰に下げられているのを見て、エステルが渋い表情を浮かべる。


「それではアイリ殿を……王女殿下をお守り出来ないのではないか?」


「ウチは別に、ヴァイゼクロースを使ってもええと思ったんよ? でも、マテウスはんが……」


「それはいいんだ、エステル。俺が許可を出したんだよ。今回はパメラが常に傍に着いてる事になるだろうし、俺も周辺で警戒する事が出来る。それに、彼女は両親と久しぶりに顔を合わせるんだ。そんな時ぐらい、大目おおめに見てやってもいいだろうと思ってな」


「むぅ……マテウス卿っ、代わりに私も護衛に参加させてくれっ。フィオナ殿が抜けた穴をきっと補ってみせるぞっ」


 エステルがフィオナに喰って掛かるような態度を示したのは、この提案に行き着く為だったのだろう。そう察したマテウスは、内心では少しは頭を使うようになった(褒められた方法ではないが)エステルの成長に感心しつつ、しかし、そんな内面をおくびにも出さずに、にべもなく首を横に振る。


「駄目だ。待機も重要な任務だと伝えただろう? 赤鳳騎士団ウチは小規模だ。護衛を持ち回りにするにしても、1人1人の負担や責任が多くなってくる。必ず君にもそれを任せる時は来るから、それまでは準備を怠らずにしておくんだな」


 そんな2人の会話に、突然ヴィヴィアナが口を挟む。


「待機、じゃなくてさ。せめて息抜きに、外出許可を出して欲しいんだけど? 連日の雨で私達、船に乗る約束も守って貰えないまま、ずっと閉じ込められてるんだよ? 流石に可哀想じゃない?」


「そう言われてもな。連日の雨は俺の所為じゃないし、河川の増水で、観光船の1つも動いていないんだから、約束の守りようがないんだが」


「誰もオジサンの所為って言ってないでしょ。可哀想な私達に、オジサンからもうちょっと別の、優しい言葉やねぎらいがあってもいいんじゃない? って言ってるの」


 マテウスは深い溜め息を落とすとともに、額に手を押し当てる。彼は、そこに普段とは違う感触がする事に驚いて顔を上げるが、すぐに自分がカツラを被っていた事を思い出した。


 その仕草を見てフィオナが吹き出しそうになるのを堪える為に、マテウスから視線を大袈裟に外したが、一方のヴィヴィアナはジッとマテウスを見詰めて返事を待ち続けていた。


(流石、ロザリア殿の妹……とはいえ、2人はマテウス卿に甘えが過ぎるのではないだろうか?)


 人間関係に余り興味を抱かないエステルですら、そんな疑問を抱く程には、最近のマテウスに対する2人……特にヴィヴィアナの態度は、変容していた。男嫌いで、攻撃的で、姉の前ではしっかり者の妹として振る舞っていた彼女が、まるで血の繋がった兄に対して、我が儘なお強請ねだりをする、甘え上手な妹のような態度を取っているのである。


 そして、それ以上に彼女にとって理解出来ないのが、ヴィヴィアナのこういうお強情りに、マテウスが折れる事が多いという事実である。マテウスの性格上、ヴィヴィアナとエステルへの扱いに差を着けるような事はしないと分かっていても、それを見る度にエステルは釈然しゃくぜんとしない想いを胸に抱くのであった。


「分かったよ。許可しよう。ただ、3人一緒に動いて、トラブルはなるべく避けてくれよ」


「いいねっ。でも、私が欲しいのは、優しい言葉と、ね、ぎ、ら、い、なんだけど?」


 右手の親指の先と人差し指の先を繋いで円を作り、ヒラヒラと動かしながら上目遣いにマテウスを見上げるヴィヴィアナ。マテウスは少しの間、なんの事か分からずに、怪訝な表情を浮かべていたが、彼女の手の形を見てその要求の意味に気付くと、頭痛を堪えるような難しい顔になる。


「……セグナム銀貨2枚」「セグナム銀貨6枚」


「吹っ掛け過ぎだ。セグナム銀貨3枚」「そっちこそ、セコ過ぎて話になんないって、銀貨5枚」


「3人で半日だろ? 銀貨3枚に大銅貨6枚でお釣りが出る」「折角、普段来ない場所に来てるのに、ショッピングぐらさせてよっ。銀貨4枚と半っ」


「交渉の余地がないというのは、俺だって考えを改めるぞ? 銀貨3枚に大銅貨12枚」「……まっ、ここあたりで手を打ってあげようかな?」


 上出来な戦果を得られた事で、上機嫌なヴィヴィアナは、まるで敗残兵のように金庫へと向かうマテウスの背を見送った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る