穏やかな庭園その3

「興味ないですか? あの人がどういう風に女を抱くのか……」


 その言葉を聞いて、ゼノヴィアの背筋に嫌な悪寒が走った。どうして己は、今の今まで想像出来なかったのだろうか。男性であるからには、マテウスとて例外なく、ロザリアと関係を持つ可能性があるという事に。


 むしろ1ヵ月以上、同じ屋根の下で暮らしているのだ。1度や2度ではすまない程、行為を繰り返していても不思議ではない。


「お止めなさいと伝えた筈です。これ以上の下品な発言は、退席させます」


「分かりました。女王陛下なら御存知かと思ったのですが……残念です」


 ロザリアの言葉を、苦労しながら聞こえなかったのように振る舞うゼノヴィア。そして自身で会話を途絶えさせておきながら、ロザリアとマテウスが本当に肉体関係を持ったのかどうか……その答えが気になって仕方がなかった。


 マテウスの事を信用していながらも、ロザリアの見目麗しさを目の当たりにし続けていると、心が揺れ動しまう事を抑えられず、それを誤魔化すように紅茶を流し込む。しかし、その香りどころか味すらも、全く分からない有様であった。


「女王陛下、とても楽しい時間でした。では私は予定があるので、お先に失礼させて頂きます」


 カップを空にしたロザリアは、静かに席から立ち上がり、スカートの両端を持つ丁寧なお辞儀をしてみせた。そのまま背を向けて歩き出そうとしているロザリアへ、声を掛けるべきかどうか……掛けたとして、どう尋ねるべきか……思い悩むゼノヴィア。


 しかし、ゼノヴィアが行動に移す前に、急に立ち止まったロザリアが振り返る。


「お伝えし忘れていましたが……ご安心ください。マテウスさんと私はまだ、そういう関係にありませんので」


 それはゼノヴィアが喉から手が出る程、知りたかった内容だったが、望み通りの答えが聞けたにも関わらず、心の内側を覗かれたようで……歩き去っていくロザリアの背中に、不快感や小さないきどおりを抱かずにはいられない、ゼノヴィアであった。


 一方、涼し気な対応をずっと崩さなかったロザリアではあったが、内心では終始、猛獣の檻に手を伸ばすような緊張感から解放されて、安堵していた。


(今日は少し踏み込み過ぎたかと思いましたが……話に聞いていた通り、本当に優しくて、庶民的なお方なのですね)


 人を喰った態度の多いロザリアだが、別に相手を怒らせる趣味があるわけではない。むしろ、そうしていい相手かどうかを、慎重に選ぶタイプの人間だ。マテウスから事前に聞いていた話と、今日までゼノヴィアとやり取りを重ねて、ここまでなら大丈夫と線引きをしているのである。


 また、ゼノヴィアに招待されて王宮へ入ったロザリアだったが、議会派の人間に近づく為にも、ゼノヴィアとの関係は、むしろ不仲に見えた方が立ち回り易いと考えていた為、ああした態度を取っているのである。


 王宮に移り住む前日。控えめにだが、ハッキリと言葉にして女王陛下の味方になって欲しいとマテウスに頼まれ、ロザリアなりに考えての行動で、今に至っているのだ。だが、そういう算段とは別にしても、ゼノヴィアの事を好ましく思う日は、余りないだろうな、とも感じていた。


 たとえゼノヴィアにその気はなくとも、男子と女子のそれぞれ2子をもうけた上に、女王陛下という貴族社会の頂点のような立場で、気高く生きている姿を見せつけられる度に、貴族社会から蹴落とされた上に、子供1人産めない自身のみじめさを突きつけられ、その存在の全てを否定されているような気分になるのだ。


 そして、隠しているつもりなのだろうが、ゼノヴィアとマテウスが互いの事を語る様子から感じ取れる、家族に与えるものとは全く別の、深い愛情。それも、何人の男と身体を重ねても、ついぞロザリアには得る事が出来なかったモノで、自身が得られなかった全てを手にする彼女をうらやみ、ねたんでしまう気持ちを、抑える事が出来ないのである。


 そこまで考えた所で、ロザリアは気分が醜く沈んでいる事に気付き、このままでは駄目だとかぶりを振るう。自己憐憫じこれんびんに浸っていられる程、自身は暇ではない筈だと、無理矢理気持ちを奮い立たせた。


 当然彼女は、当初の目的を忘れてはいない。時間を見つけては書庫でフィオナの体質について調べているのだが、1人の作業では成果といえるほどの進展は難しかった。これについては誰かに協力を仰ぐ……という訳にもいかないので、中々骨の折れる作業になるだろうと、本腰を入れる機会を探っている段階である。


 唯一の進展と呼べる情報といえば、フィオナのように、人とは違う特別な能力を得た人間が、他にも確認されているという事だ。その者達は、授与者ギフトと呼ばれていて、強制的にクレシオン教会に管理されると記述されていた。


 この内容が真実なのであれば、フィオナは教会への強制連行を免れず、この事実がロザリアに他の誰かに協力を仰ぐという選択肢を奪っているのである。


 また、強制連行された授与者達の情報も少ない。教会にとって有益な能力を持つ者達は、なんらかの形で表舞台に出ているが、残りの授与者達がどうなったのか、そもそも何故、教会は授与者達を集めているのか……そういう記述が、ロザリアが手にした手記には一切記されていなかったのである。


(フィオナさんの力が、教会のタブーに触れるような事はないと思うのですが……どちらにせよ、彼女が望まぬ運命に流されていくのを見届けるしかないのは、忍びないですし)


 この事実を知った日にロザリアは、マテウスへと書簡を送っている。マテウスやフィオナがうっかり授与者体質であるという事を、教会関係者に漏らしたりしないようにする為だ。女王特権での通信が距離的に使えない今、彼との連絡には書簡をしたためるしかないのである。


 マテウスの手元に届くまでの時間は勿論、本当に届いているかの確認すら出来ないのは、仕方がないとはいえ、通信手段として不満を覚えた。そして、女王陛下の封緘ふうかん印で閉じた書簡が、誰かに盗み読まれるような事はないと思う一方で、盗み見られた時の事を考えて、その内容にも気を使う事も忘れてはいない。


 こちらは書簡1つ送るのに、こんなにも神経を使って、配慮を凝らしているというのに、きっとマテウスの返答は、味気ない言葉1つか2つなのだろうな、と思うと、文句の1つでも書き足しておけば良かったと後悔するロザリア。


(それにしても私……離れてみても結局は、多かれ少なかれ、あの人の事ばかりを考えていますね)


 マテウスに頼まれている事が多いからとはいえ、プライベートも……特に他の男に抱かれている時ですら、彼がよく浮かべる困惑した時のあの顔が浮かんでくるのだ。それに対してロザリアは、勝手に罪悪感を抱いてしまう事を含めて、滑稽こっけい過ぎて笑い飛ばす事すら出来ずにいた。


 だが、それも一時の事。幾人と幾夜に幾度も繰り返していけば、消え去っていく泡沫うたかたのようなものだ。なにせ、マテウスとロザリアはまだ、どんな関係でもないのだから。


 早く、このベタベタに汚れたドレスを脱ぎ捨てて、お湯に浸かって身も心も清めたいと思い、周囲の視線がない事を確認して、少しだけ歩を早める。ただ、浴場へ辿り着くまでのその間……旅立つヴィヴィアナに対して、気まぐれでふと告げてしまったお願いが、心優しく世話焼きな性分の妹の枷になってなければいいのだがと、少し心配するのであった。

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