川辺に来りて槍を振るその3

「よしっ、いい転身だっ。もう少し早く、低くすれば申し分ないっ」


「はぁ、はぁっ……はぁ……は、はいっ」


 レスリーが身を沈めて、右小脇に黒閃槍シュバルディウスを挟みながら、それを右薙ぎに振り払い、間合いを広げる為に後退するのを見て、マテウスは声を上げる。


 その流麗な動きに初見で反撃しうる者はそうはいまい。マテウスの動きを模しながらも、レスリーの身体に合わせて彼女自身で技術を昇華した結果が、そこにはあった。


 戦いにおいて間合いの管理は重要だが、槍は特に必要な場面が多い。槍を使うにあたって、最大の利点である得物の長さを活かすには、敵との間合いが肝となるからである。斬りかかろうとする敵、突き刺そうとする敵、組み付こうとする敵、その全てを先んじて制するが究極である。


 では、接近を余儀なくされる場面での戦いでは、不利なのか? レスリーがそれにどう対するか。今は、その為の訓練をしていた。


 レスリーが必死な思いで広げた間合いを、マテウスはズケズケと大股で真っ直ぐ歩きながら詰めていく。当然、レスリーはそれを制する為に槍を振るのだが、マテウスを簡単にそれをなしていく。


 槍には相手の武器を絡め取るように払い取る技術や、相手の呼吸に合わせて持ち手から叩き落すような技術まで、枕をおさえる(先んじて相手を制する事)為の技術があるが、付け焼刃であるレスリーのそれでは、マテウスには通用しない。


 その上、マテウスが握る得物は、少し造りのしっかりとした、つばも着けていない、1m半程度の木材なのだから、その実力差が推し測れようというものである。


 レスリーはマテウスの教え通り、相手を制する為の動きをしようと心掛けているのだが、その全てがマテウスに誘導されて、打たされているだけなのである。だがそれは同時に……


(いい目だ。こちらの動き出しを、良く見ている)


 相手をよく見ているからこそ、正しく誘導される。上級者同士になれば、誘導フェイントも駆け引きの一部になるのだが、彼女がようやくその一歩へ踏み込み始めたという証でもあった。


 後はその視野が何処まで広げられているか……マテウスはそれを試す為に、踏み込む足を使って足元の砂利じゃり石を蹴り飛ばしてレスリーにぶつける。マテウスの腕の動きに集中し過ぎていた彼女は、その痛みに意表を突かれて顔を下に向ける。


(あっ……ダメッ)


 レスリーがそう思って顔を上げようとした瞬間に、マテウスの木材がレスリーの左肩に打ち落とされていた。それは、砂利石を蹴り飛ばした時点で、レスリーが顔を下に下げるだろうと予期し、振り下ろしていたからこその速さだった。


 レスリーは大きくよろめいた。マテウスはその隙に更に間合いを詰めようと一歩を踏み出すが、その瞬間、レスリーが弾かれたように動き始める。槍を持つ左手を穂先付近へと少し滑らし、上手うわてに握ったまま自らの左肩の上方へ引き込むように動かす。


 それと同時に、右手は逆方向の石突き(槍の底部)付近へと滑らせて、上手に槍を握り締めながら右肘から先を押し出し、石突きを使って下からマテウスの顎をかち上げるように振り抜く。


 しかし、黒閃槍はマテウスを捉える事が出来ず、無情に空を切り裂いた。軌道に沿うように身体を最小限に反らしてその一撃をわしたマテウスは、がら空きになったレスリーの右下脇へと左手を、彼女の喉下へ、木材を握ったままの右前腕を伸ばして、そのまま軽く突き飛ばす。


 合気道の天地投げに似た動きのそれをマテウスがする事により、レスリーの体重などないもののように彼女は空中へと放り出されて、背中から真っ逆さまに落下する。


 下は大きな石もまばらにある砂利石だらけの地面……それを思い出したレスリーは、受け身のタイミングを図るが、彼女が受け身に入るよりも早く、水中に叩き込まれて頭の中が真っ白になった。


「……ゲホッ! コホッ、コホッ……ハァッ、ハァ、ハッ……はぁ……はぁ……」


 レスリーは想定外の事態に水を沢山飲んでジタバタと溺れかけるも、そこが膝上程度の浅瀬だと気付くと、川の中にペタリと座り込んだまま、大きく呼吸を繰り返して落ち着きを取り戻し始める。


 そこでなにかを思い出して、再び慌てながら右手へ視線を落とし、その手に黒閃槍がある事を確認すると、また安心したように、深い吐息を落とした。


「その様子だと、川に追い詰められている事に気付いてなかったようだな」


「は、はい……す、すいません……その……その、すいません」


「なんだ? なにか言いたい事があるんだろう?」


「えっ……やっ、その……その、近づかれると……下が、その……」


「あぁ、上に目を慣らされた後に下から仕掛けられるのを、見てから反応するのは難しいだろうな。一点に集中するのではなく、相手をボンヤリと視界全体に納めるのが理想なんだが、まだそれは君には難しいだろう? だから、今は先に仕掛けるように心掛けろ」


「先に、し、仕掛ける……んっ、ですか?」


 川にしゃがみ込んだまま動かずにいるレスリーに、マテウスが手を差し出す。それに釣られて、手を伸ばそうとしたレスリーだったが、自らの手がずぶ濡れになっているのに気付いて、慌ててそれを引っ込めた。それを見たマテウスは、川に入っていくと、無理矢理彼女の腕を掴んで、立ち上がらせる。


「あっ、あのっ……ま、マテウス様が汚れてっ……」


「気にするな。続けるぞ?」


「はっ、はぅっ! あのっ、レスリーのような下賤げせんが、マテウス様のお言葉を妨げるなどっ、すいません、すいませんっ。そのっ、既にレスリーの全身は、濡れそぼってい、いますのでっ、マテウス様のどんなお仕置きでもっ、受け止める準備は万端っ。どうかっ、御自由にレスリーの身体をマテウス様の欲望のけ口っ……ぁうっ!!」


「つ、づ、け、る、ぞ?」


 レスリーの希望通り、マテウスの左拳おしおきが彼女の頭部に叩き落される。マテウスからの再度の問い掛けに、彼女は瞳に涙を溜めて、上目遣いに見上げながらコクコクと首を縦に振った。


「以前教えたように、せんを制しようとしているのは伝わるが、それにこだわるあまりに後手に回っていては、本末転倒だ。折角、相手より長い得物を持っているんだから、先に仕掛けて、相手の反応の先を制する事を意識するんだよ」


 ジッとマテウスを見上げたまま、小さく頷き返すレスリー。マテウスは貸してみろと告げて、彼女から黒閃槍を受け取り、実演を交えながら会話を続けていく。


「最後に君が放った技もそうだ。自ら下がって、相手の前進を誘い、それを制するように下から石突きを使って突き上げる。教えた覚えはないが……また、見ていたのか?」


「そのっ、エステル様と……く、訓練されているのを見ていまして……そ、そのっ、すいません。すいませんっ」


「いいんだよ。よく出来ていたが、あの技にはまだ先があるんだ。ただ、今日はこの辺にしておこうか」


「えっ、その……もう、ですか? そのっ、もう少しっ……もう少しだけ、その……」


「今は普段と違い、護衛中だ。これ以上に体力を消耗して、いざ襲撃を受けた際に疲労が残っていたとしたら、護衛失格だ。それに、料理が炊き上がるまでという話だったしな。そろそろ頃合いだろう」


 黒閃槍を再び手渡して、歩き去っていくマテウスの背中を、物足りなそうな表情を浮かべたままの見送るレスリー。彼女にとって、宝石のように輝かしいこの時間より優先されるものなど、ある筈がないのに……そんな想いを秘めたまま、黒閃槍を両腕で抱きしめて、トタトタとマテウスの背後へと駆け寄っていった。

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