川辺に来りて槍を振るその1

「エステルッ。そっちは深いから、あまり近づかない方がいいよっ」


「泳ぎの心得ぐらいはあるぞっ。心配するでないっ……全く、ヴィヴィ殿は私をなんだと思っているのだ」


 ヴィヴィアナの忠告を無視して、真っ直ぐと川の中央へと向かって歩いていくエステル。彼女の小さな体はすぐに全身が水の中へと沈んでいくが、首から上をフヨフヨと水上へ浮かせたまま、突き進んでいく。


「へぇ……意外。本当に泳ぎは結構出来るのね。教えてもらおうかな……」


 ヴィヴィアナはその様子を眺めながら、それでもエステルがなにかをしでかさないだろうかと不安で、しばらくの間ずっと彼女の動向を無言で眺めていた。


 地上へと降り注ぐ、肌を焼くような強い日差しはそのままだったが、今のヴィヴィアナは川の浅瀬に棒立ちになっていたし、濡れてもいいように制服を脱いで、胸部を覆い隠す黒いフィットネスブラと、膝上まで伸びた同素材のスパッツ姿になっているので、吹き抜ける風が涼しく、全身に張り付くように流れていた汗は既に引いていた。


「ヴィヴィちゃんっ、なんて格好してんっ」


 エステルの姿を目で追うのも飽きて、川の水で顔を洗い、赤く反射する長髪を梳かしていたヴィヴィアナの背後から、悲鳴にも似た甲高い声が上がる。振り返ると、顔を真っ赤にして我が事のように恥ずかしさに両手で目を覆っている、フィオナの姿があった。


「どうしてアンタがそんなに恥ずかしがってるのよ、フィオナ。別に周りに私達の誰かがいる訳じゃないし、そんなに気にする必要なくない?」


「なに言うとんっ。街道からそんな離れた場所やないから、普通に覗かれるかもしれへんし、輸送用の船やって行ったり来たりしとったやんっ。そもそもマテウスはんが、すぐそこにおるしっ!」


「あぁ……そうだった。エステルにあんま中央に行かないよう、言っとかなきゃだ」


「そーやのーてっ! ……って、エステルちゃんはどこにおるん?」


「あそこ」


 ぶっきらぼうにヴィヴィアナが指差す先を、既に嫌な予感しかしていないのか、青ざめた顔をしながら目で追いかけるフィオナ。彼女が顔を向けた先で、バシャバシャと派手に水を撒き散らしながら、自由自在に泳ぎ回っているエステルの姿があった。


「はぁ~……あの娘はほんま。ほんまっ!」


「その気持ちは、すっごい分かる」


「ウチからしたら、ヴィヴィちゃんだって変わらんよっ! もうちょっと、女らしくせなっ」


「うぇぇっ、止めてよね。そういうの。そもそも、男は裸のまま我が物顔で水浴びする癖に、なんで女はあいつ等の隙や顔色を伺いながら、こそこそしないといけないのよっ。ほんと、男って嫌いっ」


「……前になんかあったん?」


「あったんもなにも、大アリよっ。異形狩アウターハントりの時の話、聞きたいっ?」


「……やめとく」


 ヴィヴィアナが浮かべる険のある顔つきから、一切楽しい話ではなさそうなのを察したフィオナは、聞いてもないのに気分悪そうにして、視線を反らす。その所為で、発散先を失ったヴィヴィアナは、腹に抱えた苛立ちを乗せるように、両手で水を掬ってフィオナへと浴びせかけた。


「ちょっ。冷たっ! なにするのんっ?」


「なーに、1人で澄ました顔してるのよっ。こうしてっ、ずぶ濡れになっちゃえばっ、アンタだって脱ぐしかないでしょっ」


「ちょっとっ。待っ……髪が濡れるのはほんまっ。このっ……ええ加減にしときっ」


「アハハハッ、そんなんじゃ、気持ちいいだけだよっ」


 そのまま2人は水遊びへと移行する。互いに遠慮なく水を浴びせ合い、ずぶ濡れになった所で、フィオナがたまらずヴィヴィアナから距離を置き、水で重くなった制服を着たまま、上着の裾を軽く絞る。


「もう諦めて、脱ぎなさいよ」


「ぜーったいっ、脱いだりせーへんっ。ロザリア姐さんだって、ウチとおんなじ筈やしっ」


「ハイハイ。姉さんはアンタの味方よ」


 女らしさや礼儀作法で注意を受ける事が多いヴィヴィアナは、そういう時だけは姉であるロザリアが少しだけ疎ましかったのだが、フィオナはロザリアの言葉に素直に従うので、最近は彼女と比べられる事が多々あった。


 その時の事を思い出したヴィヴィアナは、姉が取られたような分かり易い嫉妬の感情が沸き起こって、しかし、それを素直に表に出すのもはばかられるので、詰まらなそうに顔を背ける。


 そうしてヴィヴィアナは顔を背けた先で、偶然にもマテウスとアイリーンが並んで腰かけて、談笑している姿を見つけた。


 ヴィヴィアナは特に理由もなく、そのまま遠目から2人の事を眺め続けてしまう。談笑するアイリーンの姿は、同性のヴィヴィアナの目にも、同じ制服を着ているとは思えない程に美しく、隣に座る熊かゴリラのような男とは対照的で、お世辞にもお似合いの2人とは言い難かった。


(それでも……自然体には、戻ってるみたいね)


 理力付与技術エンチャントテクノロジー研究所での事件以来、少しぎこちなかった2人が、普通に話している姿に、ヴィヴィアナは小さな感心を抱く。


 あの後、ヴィヴィアナは言い過ぎた事を、アイリーンには勿論、レスリーにも改めて謝罪はしたが、発言の内容を撤回したりはしなかった。言い方が少し感情的になっていたのは否めないが、間違っている事を口にしたつもりはなかったからだ。


 だからそれによって、彼女達とマテウスとの関係が壊れてしまっても、それまでの関係だったのだと居直ってやろうとすら思っていたのだが、ヴィヴィアナの目論見通りには事が進まなかったようだ。


 そうなった要因の大半は、マテウスから根気強く彼女達と接し、優しく解きほぐすように対話を繰り返したからである。これまでに、そういう光景を幾度も見かけたヴィヴィアナは、そこに優しさではなく、彼が内に秘めるすべきを為す時の誠実さを感じた。


 それは、同じ光景を見ていたロザリアの言葉や、ゼノヴィアの手紙から知った、マテウスの人となりから得た答えなのだが、事実、限りなく正解に近い答えであった。


 その後、遠くからでも分かる位に重い空気のやり取りを終えて、レスリーとマテウスの2人が、アイリーンを残して離れていく姿を見て、ヴィヴィアナは少しだけ心を痛めた。彼女は、アイリーンとレスリー……2人の関係が、未だに改善されない事に関しては、責任を感じているのだ。


 何故ならヴィヴィアナは、理力付与技術エンチャントテクノロジー研究所の現場にいた時、3人で話す機会があったにも関わらず、間を取り持つような話をしてあげれなかったと、悔いているからである。


 あの時のヴィヴィアナは、そこに気を回す余裕がなかったし、2人の関係がここまでこじれたままに進むとは、予想出来なかったのだ。


 大抵の事は時間が解決してくれるが、時間を掛けるほどこじれが増していく事もある。ヴィヴィアナは2人の件が、後者であるようにしか思えず、もう1度3人で話し合えるような時間が作れれば、今度こそ2人の仲を取り持ってあげたいと考えていた。


「あんまり、ええ雰囲気やないね。前は結構2人で話してたのに……最近は全然見んよーになったなぁ」


「ていうか……避けてるよね。お互いに」


 そして、ヴィヴィアナの後ろから同じ光景を見ていたフィオナも、2人の関係が改善されない事に、気を揉んでいる者の1人であった。

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