幼き蹉跌その3

 ―――同時刻、理力付与技術エンチャントテクノロジー研究所アンバルシア支部、4階会議室


「いつまでそうしているつもりだ? アイリ」


 歩み寄って来たマテウスに話し掛けられたアイリーンは体をビクッと震わせながら、顔をゆっくりと上げる。彼女は少しだけ顔を上げるが、マテウスの顔をチラリと見上げただけで、再び顔を伏せてしまった。


 マテウスの顔を見るとどうしても彼の右手小指に視線が向いてしまい、自らの罪悪感に圧し潰されそうになってしまうからだ。


 アイリーンは今日1日をやり直したい……そんな後悔ばかりで一杯だった。朝の訓練中にマテウスに強く叱られた事を皮切りに、レスリーに勝手な判断で治癒をほどこして叱られ、強く反発してその場から逃げ出して、その結果、突然の襲撃者相手に戦力を分散した状態で闘う事になってしまったし、彼女の発言を切っ掛けに別行動で警備室に向かった職員達も、マテウスの話を聞く限り捕らえられているに違いない。


 そして極めつけに、彼女の迂闊うかつな行動が原因で、マテウスの指を失わせてしまった。それら全てを振り返りながら、アイリーンは弱々しく呟く。


「全部……全部、私の所為せいだ。ごめなさい、皆。ごめんなさい、マテウス」


 誰しもなにをやってもダメな厄日とは往々にしてあるものだが、その初めてをこんな形で経験したアイリーンは心折れて、全てを放り出して逃げ出したい心持ちであった。


「気持ちは分からんでもない。だが、まだ事件は終わってないんだ。無理にでも切り替えるしかないぞ」


「切り替えたとして……今の私になにが出来るの?」


「立ち上がって、自分の足でこの研究所から出る。それだけ出来るなら十分だ」


「……この研究所から出るって、1階に集められているっていう人質はどうするの?」


「余力があるならば人質の救出はすべきなんだろうが、事情が事情だからな。次第に良くはなっているようだが、ロザリアの容態も気になるし、ヴィヴィアナも背中に傷を負っている。その上、俺達には君という最優先護衛対象もいる。であるならば、まずは安全な場所まで一時避難して、立て直すのが先決だろう。救出はその後からでも出来る事だ」


「そっか。そう……だよね……」


 やはり、3階で遭遇したあの5人の職員達を、自分は見捨ててこの場から逃げ出す事しか出来ないらしい。マテウスの口から語られる事によって、より、自分の無力が現実である事を突き付けられているようだった。


 沈み込むアイリーンの様子を見下ろして、マテウスは最悪の場合は抱えて脱出する必要がありそうだな、などと考えながら、彼女に聞かせないように、小さな溜め息を落とす。


 その溜め息は落胆を意味していた。つまり自分は、14歳の少女に負わせるには過酷な経験だと思う反面、アイリーンならば……と、少し期待していたという事だ。マテウスはそう気付かされて、自らの甘えに恥じる。


(ロザリアの前では、期待していないだのと口にしながら、これだ。笑えるぜ)


 口許を少しだけ歪めて笑いながら、しばらくアイリーンを頼むと、フィオナとナンシーの2人に告げると、そのままロザリアとヴィヴィアナの下へと向かう。顔色こそ普段と同じぐらいに戻ったものの、やはり体に思うように力が入らないのか、壁に背をもたれさせてグッタリとしているロザリアと、その隣に並んで、手を握りながら腰掛けるヴィヴィアナ。


 2人が近づいてくるマテウスを見上げたと同時に、マテウスから話しかけた。


「体調はどうだ?」


「少し暑いのと、体を動かす事が億劫おっくうな事を除けば、普段通りです。私の方より、ヴィヴィとマテウスさんの方が……」


「安定しているなら、いい兆候ちょうこうと見るべきだろうな。俺の方は御覧ごらんの通りだよ。この程度は気にするな。ヴィヴィアナ、君の方はどうだ?」


 ロザリアの視線が、自身の痛々しく赤く染まった右手小指に動くのを見て、マテウスは胸元で軽く右手を閉じては開いてと、して見せながら、続けてヴィヴィアナの方へと話しかけた。


「は? 私? 別に……血は止まってるし、見た目よりそんなに深い傷じゃないし、大丈夫だけど。そんな事よりもさ、姉さんは本当に大丈夫なの? はやく医者に見てもらいたいんだけどっ」


 ロザリアはまだ気怠そうな部分を除けば、ほぼ普段通りの調子に戻っていたが、それを見守るヴィヴィアナは、自分の背中の傷が気にならない程に心配なようだ。止血剤も効いているようで、応急としてシャツの上から体に巻いた包帯には、血の一滴もにじんでいる様子がなかった。


「そうだな。アイリにも話したが、まずは君達とアイリの避難を優先させたいと思っている。外まで移動する事になるが、自分の足で走れそうか?」


「歩くのは出来ると思いますが、走るとなると……少し難しいかもしれません」


「大丈夫だよ、姉さん。私が背負うから」


「君は怪我をしてるだろう? 無理をすると、また傷口が開くぞ。ここに来るまでとは違い、今は護衛をパメラとエステルに頼める。だから、走るのが無理だというなら、俺が背負っていこう」


「はぁ? アンタだって怪我してるでしょ? それに、アンタに頼むぐらいなら、怪我してたって私が姉さんの事……」


「あらあら。マテウスさんが、私を取り合って争ってくれるなんて……こんな役得が体験出来るなら、1度くらいは死にかけてみるものですね? ふふっ」


「姉さんっ!」「……やっぱり、自分で走ってもらうか?」


 そんな冗談を言い合える程には弛緩しかんした空気が流れ、余裕が生まれかけていたその時、ゴウッという地鳴りのような轟音と共に、立っている者がよろめく程の激震が室内を襲った。


 一体、なにが起こったのか? 皆が理解する前に、廊下をガチャガチャを重いなにかが歩行する音が響き、全ての元凶が扉を突き破って室内へと押し入って来る。


 扉の内側に立っていたパメラとエステルの2人は、破片に巻き込まれないようにと、咄嗟に後ろに飛んで回避。その2人がいた場所へ、巨大な黒い影がヌッと現れる。下半身は蜘蛛。その上に人の上半身という異様な形をした騎士鎧ナイトオブハート、<パーシヴァル>であった。


「ハ~イッ! 皆さんお元気~っ!?」


「なに、あれ……?」「異形アウターが、喋ったっ?」


 異様な容貌の騎士鎧ナイトオブハートから響く、野太いながら極端に明るい声。余りの異様さに、騎士鎧ナイトオブハートだと認識できないヴィヴィアナやフィオナには、街中に場違いな異形が現れたのかと錯覚におちいる。


「それじゃあ俺達から、元気な皆さんが元気じゃなくなる素敵なおまじないっ。受け取ってくれっ!」


 フラムショットガン……理力解放。


「皆、伏せろっ!!」


 マテウスは叫ぶと同時に、敵から奪った片手剣型装具、ズィーデンブレードを片手に<パーシヴァル>に向けて駆け出した。

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