愚者は声高にその2

 ツバキと呼ばれた着物少女は、男の質問に答えようとはせず、無言で短刀を引き抜く。そして近づこうと一歩踏み出した所を、オイゲンが制止した。


「なにをしようとしてるんですか? 教官殿。物騒な物は納めてください」


 ツバキは一体どうして? と、理解出来ないような表情を浮かべるが、オイゲンの鋭い視線を浴びて、仕方なしに短刀を納める。


「……それで? ジャック。君はここになにをしに来たんだ? まさか、盗み聞きする為に足音を殺しながら、ここまで来た訳ではないんだろう?」


「ここに来たのは、増援の要請で……いや、そうじゃないっ。先に俺の質問に答えてくれてよ、オイゲンさん。俺達の目的はニュートン博士や仲間の解放だった筈だろう? ここの施設を破壊したりしたら、それこそ俺達の行き場がなくなるじゃないか。俺達の要求もちゃんと伝えてくれたんだろう? なぁアンタ、やっぱり王宮に忍び込んだ時辺りから、少しおかしいぞ」


「口を開けば質問とおねだりばかり。ジャック、君はまるで子供のようだな。教官殿、行ってくれますか?」


「……分かったよ。後は任せるぜ、オイゲンさん」


 ツバキは微笑を浮かべながらオイゲンの言葉に小さく頷くと、ジャックの脇を通って、部屋の外へと歩き去っていく。その様子を怯えた眼差しで見送るジャックだったが、彼女が姿を消すとすぐさまオイゲンに詰め寄って、襟首に掴みかかる。


「おい、アンタ。本当にどうしちまったんだ? まさか、アイツ等に脅されたりしてるのか?」


「そんな訳ないだろう? 教官達は私達に協力してくれているんだ。あまり悪く言うものじゃない」


「確かに……奴等が理力石と工房を用意してくれたから、俺達だけでも装具の製造も出来たし、戦い方だって少しは身に着いた。けどよ……ここは俺達の帰る場所だ。この研究所を吹っ飛ばす手伝いをさせられてるっていうのに、アンタなんでそんなに平然としてるんだよ?」


「教官殿が吹っ飛ばすと言ったのは最悪の場合の話だ。もし、私達の要求が通らず、教会や治安局が押し寄せてきた場合、私達が生きてここから出る為には仕方がない措置だろう?」


「そんな事したら、ニュートン博士や他の仲間を解放出来たって、結局俺達に行き場は残されてないじゃないかっ。これじゃあなんの解決にもなっちゃいないっ」


「だったら、あのまま教会の理不尽な裁判を待つだけ日々を過ごしておけば良かったのか? それじゃあ駄目だから、教官達に力を貸して貰ったんだろう? 他にどんな手段が俺達にあったって言うんだ?」


 堂々巡り。そんな言葉が似合っている会話だとロザリアは思った。だが同時に、これだけ真剣に会話をしているなら、少しだけ顔を出して相手の顔を伺う隙ぐらいあるのではないか? とも思い、静かに布団の中から這い出て、ベットの陰から顔を少しだけ覗かせる。


「なぁ……おかしくなったのは俺なのか? アンタなのか? 暁の血盟団は、理力に傾倒し、教会の言いなりになったこの国を、どうにかする為に立ち上がったってのに……一体いつからこんな……やっぱり、儀式だなんて言いながら、あんな人殺しをし始めた頃から、もう俺達はおかしくなってたんじゃないのか?」


「何事にも練習が必要なように、人を殺すにも練習は必要だろう? あの儀式があったからこそ、俺達の結束は強くなり、初めての実戦でありながら躊躇ためらいなく人を斬る事が出来る戦士になれたんじゃないか。それに、殺した殆どの人達は不法入国者やベルモスク人。貧民街の連中だ。なにをそんなに悔やんでいるんだ? ジャック」


「結束? あんなもの、人殺しの罪を共有させられただけじゃないかっ!? それに、最後まで抵抗したあの背の高い女は、白狼騎士団の騎士だったって聞いたぞ? それを寄ってたかって……あんなむごい……」


 ロザリアはハッと声を上げそうになる口を、両手で塞ぐ。親の仇ならまだしも、無関係な人々を殺すという行為はどうしても勇気がいる。普通の人間であれば、これまでの道徳や理性から、拒否感を覚えるのが当然なのだ。


 それらを儀式という言葉で罪の意識を覆い隠し、リンチという形にする事で皆に嫌悪感を分散させて、人殺しを日常化する為の訓練を、彼等は繰り返していたのである。


 ロザリアは話の内容から儀式の概要をそう予想して、その犠牲者になった白狼騎士団の騎士ドリスの事を想い、激しい怒りを覚えた。そのような酷い行為に及びながら、涼しい雰囲気のオイゲンにも、まるで人間であるかのように苦悩しているジャックにも、強く腹を立てていた。


 だが、怒りのままに詰め寄った結果は火を見るよりも明らかなので、それらの感情を押し込むように、口を塞ぐ両手に更なる力を込めて、身を伏せながらジリジリと前腕を使って這いずり、顔だけをベットの横から覗かせる。そうしてロザリアが見たものは、ジャックに詰め寄ったオイゲンの後姿だった。


「今更だな、ジャック。俺達じゃどうしようもなかったから、教官達に力を借りてここまで来たんだろう? 大丈夫さ。博士も仲間達も必ず戻って来る。その為にも、さぁ早く。教官達に言われた事を続けるんだ」


「だけどよ、オイゲンさん。俺は教官達に誰も犠牲は出ないって聞いたから協力したのに……もう、随分と話が違うじゃないか。やっぱり、俺達が帰る場所を爆破だなんて馬鹿な真似は止めよう。治安局が来ていない今ならまだ間に合う。ここから引き上げ……おぅふっ」


 ジャックは己の腹に冷たい痛みが走ったのい気付いて、話を中断する。彼は、自分の腹部を見下ろした時に広がった光景を、実際に目の当たりにしながら理解が追い付かなかった。N&Pノーランパーソンズ社で長く一緒に働いてきた親友が、自分の腹に剣を突き立てるだなんて……そんな事、あるわけがないと。


 だがオイゲンは、現実にジャックへ突き刺さした剣を無造作に捻って体の内部を抉り、突き刺した時と同様に、鍵穴から鍵を抜くような気軽さで剣を引き抜く。ジャックは口から血塊を零し、膝から崩れ落ちるようにして床に倒れる。


「ぐふっ……はっ、オイゲン……さん、なんで?」


「なにも考えず、言われた通りに動くのは楽だったでしょう? 仲間の為に、博士の為にと、理由を付けて操り人形でいるのは、さぞ甘美だったでしょう? 犠牲が出ない? まだ間に合う? ここまでの事をしておいて、そんな都合のいい未来に辿り着ける訳がないじゃないですか?」


「お……おぉ……お前、誰……だ?」


 オイゲンの口調と声色の変化に、ロザリアは気付いた。そして、ロザリアが気付く程の変化なのだ。当然、長い付き合いだったジャックも当然のように気付いて、信じられないモノを見るような眼差しで、目の前に立つオイゲンを見上げる。


「最初に囁いたのは確かに私達です。だが、選択したのは貴方方あなたがただ。これ以上の世迷言は、先にあの世で待つオイゲンさんとゆっくりとどうぞ」


 うつ伏せのジャックの背中へ、もう1度剣が突き立てられる。それがトドメになってジャックは息を引き取った。オイゲンがジャックの背中から剣を引き抜く光景を見たのを最後に、ロザリアは再びベットの陰へと隠れる。


 ロザリアにとっては、自らの心臓の鼓動すら煩く感じるような静寂。オイゲンは何故か部屋から出ようとしない。周囲を見渡して、なにかに疑問を抱いたのだろう。部屋の奥、ロザリアが隠れている方向に向かって、一歩一歩ゆっくりと近づいていった。

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