愚者は声高にその3
カツンカツンと足音を鳴り響く度に、ロザリアの心臓は跳ね上がりそうになる。オイゲンは2歩進んで再び立ち止まる。しばらくの静寂。彼は一言も口にせず、なにかを探すように周囲を見渡す。
まさか、ここにいるのがバレているのだろうか? ロザリアの頭にそんな思いがよぎるが、だからといって今は身動きを取れる筈もない。そんな僅かな音ですら、オイゲンに聞き取られるかもしれないのだから。
……カツン……カツン
再び足音が鳴り響く。少しずつ、少しずつ自身へと近づいてくる足音に、ロザリアは呼吸すら忘れ、歯を食いしばる。音もなく
……カツン……カツン
足音はロザリアのすぐ傍で止まった。オイゲンはひっくり返されたベットに手を掛けて、その裏側……ロザリアが隠れている場所を覗き込む。掛布を被ったロザリアには、当然オイゲンがなにをしているかは分からない。だが、視線を一身に感じたし、身動き一つで命を失う可能性があるのは十分以上に分かっているので、ただただ息を潜めて、この場をやり過ごせる事を祈った。
「これで数は合いますね。やはり皆、死んでいるようだ」
オイゲンはロザリアのすぐ隣に転がる死体の前で膝を落として、その首に指を触れて脈を確認する。もう助からない死体である事を確認すると、すぐに興味を失って再び立ち上がってその場から離れていく。
……カツン……カツン
少しずつ離れていくオイゲンの足音。そして部屋の扉を開く音、閉じる音。廊下を歩き去っていく音。そこまで聞き届けて、ロザリアはようやく呼吸を再開した。
「はぁ……はぁ、はぁ……はぁぁ~」
もう少しオイゲンがこの室内に長居していれば、心臓が止まっていたかもしれない。ロザリアはそんな感想を抱く程に緊張し、じっとりと
彼女は心を落ち着かせるために、ツバキという着物少女やジャック、オイゲンの会話を
彼等がこの建物に爆発物を仕掛けている事。その他にも回収と呼ばれる作業をしている事。襲撃者達は、その
少ないがこれらの情報を持ち帰れば、マテウスが女王ゼノヴィアに報告する際に役に立つはずだ。一刻も早く無事に皆と合流したい所だが、慌てて動いても襲撃者達に捕まるだけ。ロザリアが慎重に行動しなければならないのは、先程までと変わらない。
落ち着きを取り戻したロザリアは、マテウスの怪我の治療に使った救急箱を持ち出す。応急処置程度にしか使えないが、それでも皆が怪我をしていた場合は役に立つはずと考えての事だ。救急箱を片手に外への扉に近づいて、外に人がいないかどうかを確認する為、音もなくゆっくりと扉を開いていく。
だが、それは突然の出来事だった。扉を開いているロザリアの手首を掴み、男が強引に部屋から彼女を引きずり出したのだ。マスクと頭巾に隠された顔から覗く視線を浴びながら、ロザリアは自身の失態を呪う。
「ほう……盗み聞きをするような人がどんな人か。気になったので罠を張ってみれば、なかなかどうして……美しい女性だったとはね」
その声を聞いて、ロザリアは相手がオイゲンと呼ばれていた男だと知る。あれだけ、注意深く隠れていたというのに、この男は気配だけでロザリアの存在に気付いたのだ。そして気付いていながら、足音を使って立ち去ったかのように装い、ロザリアをあぶり出す為に外で身を潜めていたのである。
「その……盗み聞きするつもりはなかったんです。もし、都合が悪いようでしたら、話の内容は全て忘れます。他にも私に出来る事であれば、なんでもします。ですから、どうか命ばかりはお助け下さい」
ロザリアの
後は、オイゲンが振りかぶった剣を振り下ろすだけで、ロザリアの一生は終わりを告げる筈だった。
「ん? 貴女、何処かでお会いしましたか?」
オイゲンは振り下ろす筈だった剣を止めて、ゆっくりと刃先をロザリアの頬へと伸ばし、彼女の顔を自身へと見上げさせる。
「そういう口説き文句は、出来れば剣を下ろしてからにして頂きたいのですが」
オイゲンはロザリアの言葉には反応を示さずに、剣をロザリアの頬から顎下へと移動させて、色んな角度から彼女の顔を見詰める。
「あぁ、ようやく思い出しました。将軍の所の教師でしたか。そうすると、貴女を助ける為に将軍は剣を下ろした……という事かな?」
「将軍? というと、マテウスさんの? 確かに彼は私を……」
オイゲンは自分の口元を隠していた覆面を剥ぎ取った。その下に隠されていた顔を見て、ロザリアもようやく思い出す。エステル達と酒場に行った帰りに会釈を交わした、酒場の元常連……あの酒場で代筆をする男の名前が、確かオイゲンだったという事に。
「貴方は確か、酒場でお会いした事のあるっ」
「覚えていましたか。あの一瞬で顔を覚えるだなんて、なかなか記憶力のある方ですね」
あの酒場の常連であれば、また顔を合わせる事もあるかもしれない。そんな程度の認識で会釈を交わし、オイゲンの顔を覚えていたロザリアだったが、こんな形で出会う事になるとは当然予想だにしていなかった。
そして彼に口振りから、マテウスと
「助けていただけるのですか?」
「そうですね……ここの職員達であれば、余計な事を知らないままであれば、手を出すつもりはなかったんです。皆、1階に人質として集めるように手を回しています。そもそも、容易にこの建物に入る事が出来たのも協力者がいた……おっと、またお喋りが過ぎたようだ。これから死に逝く人にとっては必要のない事」
「そんな……どうして? 本当に、助けていただけるなら、私なんだって……」
「貴女には到底理解できないでしょうが、一言で表すなら、そう……補佐としての役目、ですよ」
咄嗟にオイゲンの脇を抜けて逃げ出そうとするロザリアの手首を掴み手繰り寄せて、彼女の腰辺りに小さな針を刺す。ロザリアの身体にチクリと痛みが走ると同時に、一瞬にして身体が動かなくなって前のめりに倒れる。
「アオマダラグモの毒です。どんなに微量でも、人を死に至らしめる事が出来るこの毒……将軍には愛用している者がカナーンだけではない事を、これで思い出して頂きたいですね。さぁ、貴女はこれを握って」
ロザリアは自らを死に追いやろうとしている毒針を右手に握らされて、その髪を掴まれて顔を上げさせられる。オイゲンは笑顔を浮かべながら、ロザリアの生気を失った青くなっていく顔を見て、今まで通り上品に語り掛ける。
「死に逝く前に少しだけ……特別に貴女を殺した男の正体を教えておきましょう」
そう告げるオイゲンの顔がロザリアの前でみるみる内に変貌を遂げていく。白い肌は褐色に変化し、名前通り西よりらしい厳めしい顔立ちだった筈の顔は、
知っていた筈の男の顔が、知らない男のそれへと変わっていく様を見せられながら、ロザリアは自分の意識が途絶えていくのを感じる。目の前の変貌を驚くよりも、ただただ身体が寒く、熱い……死にたくない。助けてと口を開こうとするが、それすら叶わない。
「私の名前はデニス。将軍の副官をしていた男です」
その台詞を聞き届けた直後に、ロザリアは静かに瞳を閉じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます