立ち行かずままならずその2
「いえ、アイリさん。レスリーさんには遠慮してもらいますよ?」
「……え? なにをですか? まさか、撮影の事を言っているんですか?」
「はい。そうですけど……えっ? だって、当り前じゃないですか。彼女はベルモスク人ですよ?」
「でもっ、だってっ。レスリーも赤鳳騎士団の騎士ですよ?」
「それはそうですが、別に彼女がいなくても、今回の撮影もこれからのモデルの仕事にも影響はありませんし、むしろヴァ―ミリオン社の製品のイメージを
「そんな事っ!」「あっ、あの、アイリ様。その、もういい……もういいですからっ」
アイリーンの服の袖を掴んで引っ張るレスリー。振り返ったアイリーンの瞳に写ったレスリーの顔は、彼女がよくアイリーンに対して向けて来る、少しの羨望を帯びた、諦めきった表情だった。それを見たアイリーンの感情に火が
(レスリー。いつも、いつもっ、いつもっ! 貴女はそうやって勝手にっ……私の気持ちも知らないでっ!)
「これは、王女殿下の御命令です。レスリーも私達と一緒に撮影してください、ナンシーさん」
怒りを抑えきれない声でアイリーンはそう告げる。その言葉に慌てたのはナンシーだ。雇い主である王女殿下の命令とはいえ、そんな社を傾きかけない非常識に対して、首を縦に振れる筈もなかった。
「今回の撮影だけというのなら、私としても構いませんが、まさかそれはこれから先のモデルとしても、彼女を使えという事ですか?」
「そういう事です」
「冗談じゃありません、そんな契約っ。モデルの件はこちらの意向に従って貰うのが筋です。そもそも、その言葉が本当に王女殿下のお言葉かどうか、証拠を提示して
「証拠ですか。いいでしょう。少しお待ちください。パメラ。持って来ていたわよね?」
「はい、ここに」
「ええっと、化粧は……ロザリアさん。力を貸して貰えますか?」
「はい。仰せのままに」
そうして少し離れた場所へと、化粧箱を下げたパメラとアイリーン、ロザリアの3人で移動していった。その様子を見守るナンシーは、アイリーンが放つ空気に飲まれていた。先程までは騎士とは思えないぐらいの愛らしい女の子であったのに、今では自らとは別次元の高みに存在する神のような近寄り難さを覚えたからだ。
自分の方が10歳近く年上なのにと、流石に少し腹も立ったが、ウィッグを被って化粧を終えて戻って来たアイリーンを見て、
「アイリーン……王女殿下?」「えぇっ!? アイリちゃん……あれ? ホンマに?」
「説明する手間が省けて良かった。レスリーと私で、同じ写真に写ります。宜しいですね?」
「は……はい」
いや、はいじゃないだろう? そう思いながらも、ナンシーは自然と着いてしまった膝と、下げてしまった頭を上げる事が出来なかった。本物の王族を前にして、口を出すなどと……そんな大それた事が一介の市民であるナンシーに出来よう筈がなかった。しかし、そんな中でレスリーが一歩前へと歩み出る。
「あ、あの……アイリ様っ。レスリーはその、やっぱり遠慮した方がいいと、お、思います」
「……どうして?」
「すいませんっ、すいませんっ。でも、その……だって、ベルモスクですし、それにっ……顔には傷があるし、モデルなんて無理です……出来っこ、ないです」
「ねぇ? レスリー。私が初めてレスリーに会った時に貴女に言った気持ちは、今も変わってないよ。だから、やっぱりベルモスクなんて関係ないし……その傷だってっ。ナンシーさん、今ここに治癒系の装具、
「えっ!? 私ですかっ? あっ、治癒系……ある事はありますが」
「今すぐ、ここに持って来てください」
彼女達がそんな一幕を繰り広げている最中、ようやく着替えを終えたマテウスは1人のそのそと部屋へと戻っていた。着替えも随分前に終わらせていたし、すぐに戻る事も出来たが、どうせ女性達が集まって着替えをしようとすれば時間は掛かるだろうし、その間は部屋からは閉め出されるだろうからという予想を立てて
彼からすれば、結局自らに選択権のない制服の良し悪しなどに興味が湧く筈もなく、この建造物の複雑な構造の方が余程に興味をそそられたので、散歩をするなどして時間を潰していた所だった。その間、幾人かの人とすれ違う。研究員風の男、技師風の男、警備風の男……人の行き交いが結構多いなとぼんやり眺めていた。
(そろそろ戻るか)
もう彼女達の中で話が纏まっていてくれれば楽なのだが……と、期待しながら部屋に戻ってノックして呼びかける。間もなくして扉を開いてくれたのはロザリアだったが、中の空気が異様に重い。なにがあったんだと部屋を見渡して、まず気付いたのはアイリーンがウィッグを着けて王女の姿を晒している事だった。
そして、彼女とエステルに挟まれるようにして、痛むのであろう額を押さえながら
「すまぬ。痛かったか?」
「いえ、そのっ。こちらこそ、ご心配お掛けして……す、すいません」
なにをしているんだ? マテウスがそう声を掛けようとした近づいた時、3人が近づく気配と声に気づいて振り返り、レスリーの左頬を覆っていた彼女の掌が下がる。彼女の左頬にあった筈の傷がなくなっているのを見て、マテウスは全てを察した。
「どうして、こんな事になったんだ? アイリ、君か?」
「ちょっと、マテウス……なんで私が悪いみたいに」
「今朝、俺と約束したばかりじゃないか。知らない装具を使う時は、俺に相談するって」
「使ってるのは私じゃないわ。治癒系装具を使い慣れたエステルなら問題は……」
「使うと決めたのは君だろう? 大体、俺がなんで彼女の傷に理力を使った治癒をしなかったのか、理解出来ているのか? 君は」
「そ、そんな事……聞いていない私が、分かる訳ないじゃないっ」
なにがあったのかはマテウスには知る由もなかったが、何故か既にアイリーンが感情的になり始めている事に気付く。それに釣られて自分も声が大きくなり始めているのに気付いて、頭を冷やす為に一呼吸置いた。
レスリーには説明を繰り返していたが、確かにアイリーンには説明不足だったかもしれないと反省して、やり方を変えようと考え直す。
「治癒系装具は確かに便利だ。だが、使用は極力控えるべきなんだよ。今から理由を見せる。ヴィヴィアナ、ナイフを貸して貰えるか?」
「別にいいけど……なにをしようっていうの?」
別にいいけどと口にする割には、酷く不満そうな顔でヴィヴィアナはマテウスへと、腰に回したホルスターに下げていた大型ナイフを投げて渡す。当然、マテウスなら持ち手の部分を選んで掴む事も出来たが、敢えて彼は左手で刃の部分を選んでガッチリと掴んだ。
「ちょっと! えっ!? 嘘でしょ?」「マテウスッ、怪我っ……」「マテウス様っ」
皆が声を上げたり、失ったりと、それぞれの反応を見せる中で、マテウスはナイフの刃の部分を更に強く鷲掴みながら、右手で引き抜いて掌に大きな一筋の傷を作って見せた。ポタポタと彼の掌から血液が垂れていくのを、皆が唖然と見守るしか出来ない中で、真っ先に動いたのはレスリーだった。
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