暗然に並ぶ墓標その1

 ―――当日、夜。王都アンバルシア中央区、王宮隠し通路


 外界の明かりの一切が通らない暗闇の地下通路は、耳が痛くなるような静寂に包まれていた。暗闇は人に悪い物を連想させ、ありえない物を幻視させる。湿気とカビと埃に塗れて淀んだ重苦しい空気は、呼吸する事さえも躊躇ためらわせるようだった。


 だが、そんな環境であっても、マテウスは表情1つ変えずに歩みを進めていく。ここは王族だけに伝わる、複数ある緊急避難用の隠し通路の1つ。女王ゼノヴィアとの連絡を取る為に彼は、彼女から直接この通路の存在を教えてもらったのだ。マテウスのような存在が、秘密裏に女王陛下に接触する為には都合のいい手段といえた。


 マテウスが右手に持つ理力付与エンチャント製ランタンの小さな灯りが、彼の足下を僅かに照らす。彼の歩みに驚いた鼠が、その足下を駆け抜けて再び闇のとばりの奥へと姿を消していく。そんな様子にもマテウスは無反応。今の彼の意識は、現状よりも先程までのゼノヴィアとの会話内容に割かれていたからだ。


出奔しゅっぽんか。理由はおおむねね察する事が出来るが……)


 出産。それはこの時代、嫁ぎ先の女性が求められる最も重要な役割だ。義務と言い換えてもいい。相手が名立たる貴族の名家であれば、尚更なおさらだろう。代々続く家名を守り、続けていく為には特に男児の出産が必要不可欠だ。


 だが、ロザリアには5年の結婚生活の間に出産した記録がなかった。そして、ボッシーニ家は後妻を招き入れる選択をする。選択が功を奏し、後妻は2児の出産に成功した。いずれも男児である。5年間義務を果たせなかった故の冷遇、それをあっさりと成し遂げる後妻の存在……彼女に圧し掛かる苦悩、煩慮はんりょ憤悶ふんもんをマテウスは想像出来なかった。


『私は、少し分かる気がします』


 それはゼノヴィアの言葉だ。彼女も後妻というロザリアとは逆の立場で名家に嫁ぎ、出産を期待されて、苦悩し、苦労した経験から出た言葉だった。それでも彼女は女児と男児をそれぞれ1人ずつ授かっている。恵まれていると自身を称した彼女は、内心を偽っているような少し複雑な笑顔を浮かべていた。


 子供は天からの授かり物。勿論、この世界でも月のモノとの関係性など出産に関する研究はされている。相性や巡り合せという事もあるだろう。


 しかし、5年という月日の間に1人も授かる事が出来なかった事実を、それだけで説明出来るだろうか? どんな馬鹿でもその残酷な答えに辿り着く。ロザリア・カラヴァーニには、妊娠する機能が備わっていないと。


(そちらは、深入りする話でもないな)


 その後、マテウスはあっさり考える事をやめた。ロザリアの当時の心境を深く考えた所で、現状は改善されないからだ。幸い、ボッシーニ、カラヴァーニの両家から、彼女達の捜索依頼が出ているような気配はないという。


 家名に泥を塗ったロザリアと、跳ねっ返りの強いヴィヴィアナ……どちらも不必要だと評価されているのかもしれない。だが、赤鳳騎士団にとって2人の存在は必要で、それが全てだった。


 ひとつ問題があるとするならば、彼女等に自分達が素性を調べ上げたかどうかを伝えるか否かである。ヴィヴィアナは少々? 短絡的な所があるので、彼女に伝えると、途端に姉を連れてここから姿を消す可能性があるから、マテウスはこれを却下した。


 だが、ロザリアに対してはどうすべきだろうか? さといロザリアには隠していても、気付かれる可能性が高そうなので、先んじて此方から伝えてしまった方が、利害をお互いに理解しあって良い方向に転がるのでは? とマテウスは考えていた。


「もう帰るのか?」


 それは突然の出来事だった。間近で声を掛けられて、マテウスの心臓は跳ね上がる。相手はなんの気配もしなかった暗闇の向こう側から、急に声を掛けてきたのだ。


 サッと声の方向を振り向きながらカンテラを向けると、相手は手をお互い伸ばしあえば届くような間近に姿を見せる。場にそぐわない上等な燕尾服えんびふくをたなびかせながら歩き、猛禽類もうきんるいのように鋭く攻撃的な瞳で見上げてくる男。パメラの義兄、王家の守護者リネカー家の長。オースティン・リネカーその人である。


「ご苦労な事だな。こんな所まで巡回か?」


「ふんっ。巡回など……何処にいようともこの城への侵入者なら、気配ぐらい追える」


「ハッ……冗談キツイぜ」


 マテウスは軽口を叩きながらも、未だに早鐘を打つように鼓動する心臓を、抑えるのに努めていた。何故なら彼は、ここまで距離を詰めらるまで、相手の気配の一切を感じないなどという事が、今までになかったからだ。


 今は全身に好戦的で刺すような殺気を纏わせているオースティンを見て、ここまで気配というものがコントロール出来るのかと、感心すらした。


「その割りに、行きには姿を見せなかったようだが?」


「主が招いた客人と、主に仇成あだなす賊の区別ぐらいつくよ、マテウス殿。いや……騎士となったのなら、卿とお呼びした方がいいか?」


「好きにしてくれ」


「では、これからはマテウスと」


「……呼びやすくていいんじゃないか? 随分、親しみが増した。後はその剣呑けんのんな気配も納めてくれれば、なおいいが」


 だがマテウスの出した提案にオースティンは取り合おうとせず、鼻で笑って聞き流した。随分嫌われたな、とマテウスは思ったが、その理由がある程度想像は出来る。


 それはまだ、マテウスが将軍職にあった頃の話だ。その活躍から諸侯は当然、ゼノヴィアとの間柄を疑われて、仕えるべくアーネスト王からも煙たがられていたマテウスに持ちかけられた腕試し。先代リネカーである、アドルフ・リネカーとの決闘。


 周囲は当然どんな形であれ、マテウスが戦場に2度と帰れない姿になる事を望んでのものだったが、当時の彼はそれに真っ向から挑み、アドルフを相手に勝利を収めてしまったのである。


 今の彼が同じ立場に立たされたならば、腕の1本や2本を差し出して降参し、とっとと退役をしていただろう事を思うと、若かったな……等と、柄にもなく振り返ってしまう出来事だった。


 リネカーに公式の場で唯一泥を塗った相手が目の前にいれば、その名を継ぐ家長であれば好戦的になるのは仕方のない事だ。マテウスにとってはいい迷惑ではあったが、ゼノヴィアに客人だと念押しされ、手を出さぬようにと言明されている彼にとっても、似たようなものだろう。


 汚名をそそぐ機会を目の前に吊るされたまま、待てを出された獣はなにを思うのか。マテウスにとっては余り考えたくもない命題で、今はそれよりもなぜ彼がここに姿を現したかの方が気になった。


「それで? なにか用か?」


 口に出した瞬間、馬鹿な質問だったとマテウスは自らの愚かさを笑う。こんな場所にリネカーが姿を見せるなど、理由は1つしかないではないか。近づいてくる複数の足音、そして闇を照らす幾つものあかり。オースティンは答えるまでもない質問には口を開かず、スッとマテウスの隣に肩を並べた。


 それが敵対行動ではないにしろ、味方として信用していいかどうかは別問題だという事を、マテウスは十分に理解していた。この男を前に油断はしない。マテウスは全身の毛を逆立てるように神経を集中させながら、近づいてくる侵入者達へとカンテラを向けた。

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