偶には必要な事をその4

「そうならない為にも、商会から商会への移籍や新たな入会。これらの簡易化を行って、労働者にもっと自由に職を選択する権利を与えたいのですが……」


「それも現状だと難しいだろうな。商会のパワーバランスが崩れると、領主への納税額も大きく変わって来る。そもそも商会と領主達は、深く繋がってるからな。商会同士、お互いが労働者に対してサービスを向上させて、競い合うようなシステムに形は取り繕ってあるが……今の体制なんぞ出来レースみたいなもんだ」


「手に着いた職を奪われ、教会に異端の罪を問われ……こんな状況までに追い詰められれば、どんなに誠実に生きてきた者でも歪んでしまうのは無理からぬ事です。そうなる前に、本当になんとかしてあげたい。でも、出来ないんです」


 肩を落として深い吐息を落としたゼノヴィア。互いに掛ける言葉も見つからないような重苦しい沈黙が続くが、2人の関係はそれに気まずさを覚えるような間柄ではなかった。


「結局……私はなにも変わってないんでしょうね。義兄さんと2人だけで旅をした、あの時のなにも出来ない私のまま。いっそそれなら、あのままずっと2人だけの旅を続けていられれば良かったのに。そう出来ていたのなら、こんな所でこんな事に悩まなくて…………ごめんなさいっ。私ったら酷い事をっ」


 ハッと自分の発言の愚かさに気付かされるゼノヴィアに、急にマテウスの手が伸びる。彼は自らの胸にゼノヴィアの頭を抱え寄せた。そのままの体勢で彼女の頭頂部に額を乗せて、頭に回した手を横頬にまで伸ばして優しく撫でる。


「ここで話した事は聞かなかった事にしてくれと、最初に言ったのは君だろう? だからいいんだよ、ゼヴィ」


「でも私は、こんな酷い愚痴を聞かせる為に義兄さんを呼んだわけじゃ……」


「そうだとしても、零れてしまうくらいに辛かったんだろう? 聞かなかった事にしてやるから。聞かなかった事にして……全部受け止めてやるから。好きなだけ語るといい」


「義兄さん……私、私っ……」


 それからゼノヴィアがワッと涙を流しながら言葉を吐き出した。男尊女卑だんそんじょひの激しい世界で、陰湿な皮肉や陰口に晒されながら、頼るべき味方もなく、自分より一回り以上も年上で、幾人いくにんもの老獪ろうかいな賢者達を相手に気を張り続ける事が、どれほど彼女の心を痛めつけたか。


 吐き出された言葉は、ゼノヴィアにとってはもう1度繰り返す事をはばかられる、子供の我が儘のような内容だった。議会の老いぼれ達の視線が耐えられないだとか、国なんて本当はどうなったっていいとか、父が生きていた頃に帰りたいとか、義兄さんに字を教えている時間が1番好きだったとか、義兄さんと婚約者であった時にどこか遠くへ連れ去って欲しかったとか、女王なんて好きでなった訳ではないとか、アイリーンにだって同じ想いをさせたくはなかったとか……


 だが、それらの全てをマテウスは静かに受け止めて、ゼノヴィアの言葉に繰り返して同意し続けた。マテウスはこれらの言葉がゼノヴィアの本心であると同時に、女王としての立場上、言葉に出来ずに、ずっと心の内に仕舞い続けていた事を知っていた。これらは全部この場だけの事……だからこの時だけは、許してやって欲しい。マテウスにただ1人残された、唯一の家族と言えるべき存在に代わって、誰ともなく懺悔ざんげした。


「グスッ……ズスゥ……すっ。あー……恥ずかしい」


「落ち着いたか?」


 言いたい事を言いたいだけ言って、思いっきり涙して……暫くの間、静かに鼻をすすっていたゼノヴィアが、正気を取り戻したような台詞を口にする。自身の腕の中のゼノヴィアをマテウスは覗き込もうとするが、彼女はマテウスの顔を片手で押しのけるように制しながら、マテウスの胸板に顔を埋めて隠した。


「今は見ないでくださいっ……絶対見せられない顔なんで。あー……もうっ、なんでこんな……」


「使うといい。ふかし芋を食べた後に使った奴で良ければだが」


 そう口に下マテウスがゼノヴィアの顔を見ないままにハンカチを差し出すと、彼女はそれを受け取ってゴソゴソと動き始めた。覗き込まれないようにマテウスの胸に額を擦りつけたままだったので、なにをしているかの詳細まではマテウスに知りようもなかったが。


「ごめんなさい。私、沢山酷い事言ってしまいました」


「なに、気にするな。普段の小言に比べれば大分マシだ」


 マテウスがそう告げると、ゼノヴィアは顔をマテウスの胸に押し付けたまま両腕を上げてポカポカとマテウスを叩き始める。マテウスは暴れる両手をそれぞれの両手で掴んで止めて、ゼノヴィアの頭頂部に鼻先を触れさせた。


「……後5年、誰にも聞かせずに我慢する予定だったんですよ? 今日の事も、いつもの小言だって、全部全部義兄さんが悪いんです」


「君の特別になれるなら、悪事の1つや2つはな」


「馬鹿っ。こんな子供を2人も産んだオバさんを、からかわないでください」


 そう言いながらゼノヴィアは、降ろした両腕を再びマテウスの背中に回す。マテウスも自然と同じように腕を回した。


「……もう少しだけこのままで。そうすれば、後は元通り。いつもの私ですから」


「そうか。それなら……安心だな」


 マテウスはサラッと自分の口からこぼれた嘘にこそ、安心を覚えた。ずっとこのままでいたいなどという本心は、隠しておいた方がいい……だが、もしあふれ出してしまった時には、今晩と同様に彼女にこそ受け止めて欲しいとも思った。


「長居したな。そろそろいくよ」


 しばらくしてゼノヴィアが身体を離した後、居住まいを正すのを眺めながらマテウスはそう告げた。わかりましたと頷くゼノヴィアは視線を合わせようとせず、伏し目がちだった。まだ、自身の顔がどうなっているか確認できていないので、面と向かい合うのが恥ずかしいのだ。


「そうだ。忘れていました」


「なにをだ?」


「義兄さんを呼んだ本題です。ヴィヴィアナとロザリア……2人の姉妹について、調べがついたので報告をしたかったのです」


 ゼノヴィアの言葉を受けて、あぁそうだったなと、マテウスは思い出した。ヴィヴィアナは自らを詮索せんさくされる事を嫌ったが、正式にアイリーンの身辺警護をするのであれば、流石にそのままという訳にいくまい。そう思ってマテウスは、事前にゼノヴィアに調査依頼を出していたのだった。


 調査依頼を出していたのは随分と前の話だったが、お互いが事件直後に騎士団査定の準備や事件後の対応に追われていたので、報告が伸び伸びになってしまっていたのだ。


 報告が後回しになったという事は、アイリーンを狙った刺客であるとか、そういう危険性がないと判断されたからだろう。マテウスはそう予想して気軽に尋ねる。


「助かるよ。それで、一体何者なんだ彼女達は?」


「妹のヴィヴィアナ。彼女の家名はカラヴァーニ。あのカラヴァーニ商会会長、ジャコモ・カラヴァーニの次女です。そして、姉のロザリア……15歳の時カラヴァーニ家の長女としてアスユリ領主ボッシーニ侯爵家に嫁いでいます。ですが、その5年後……」


 ゼノヴィアの言葉はそこで少し途切れた。どう言葉にして伝えていいのか迷っているようだった。


「記録上では、出奔しゅっぽんした事になっています。勿論、離婚した上に、家名を剥奪されて……です」

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