最上たる誉れその5

 レスリーを背負って通路を歩き続けるマテウス。その間、2人は直前の戦闘について会話をしていた。


「君の筋力であれだけ踏み込んで、自重を乗せて突きをいれれば、ああいう結果になる。剣を力任せに振り切らないように、と教えただろう? あれと同じだ。剣を振るう時は、止める時を考えて振れ」


「そうしないと、剣に振り回されてしまうから……ですね」


「そうだ。剣の重さが乗った分、動かす時より止める時の方が筋力が必要になる。それを忘れてがむしゃらに振れば、自らの剣にたいを崩されて大きな隙になるし、自らの剣に切り付けられる事だってある」


「槍でも突いた時より、ひ、引く時の方が筋力がいるのですか?」


「……そこはまた、やりようになるんだがな。ただ、ああして力いっぱい突きを入れて肉に喰いこんでしまった槍は諦めた方がいい。エステルから意識を逸らすという目的を達したのなら、さっさと槍を手放せば良かったんだ」


「そ、それはその……でも、黒閃槍はマテウス様の大切な物で……ああいう時、どうすれば良かったのでしょうか?」


「……ふむ。黒閃槍なら理力解放ぶっぱなすというのが一番だが、まだ君はアレを扱いきれていないからな。他の方法というと喰い込んだ槍を引き抜く技術が幾つかあるが……」


「お、お願いしますっ。れ、レスリーは、覚えたいです」


「さっさと手放してしまうのが1番安全なんだがな。まぁいい……」


 そう前置きをしながら説明を重ねるマテウスの言葉に耳を傾けていたレスリーであったが、ふと通路を歩く騎士達の視線が、自分達に集まっている事に気付く。その奇異の視線にたまれなくなって、マテウスの首に視線を落とすが、今度は嫌味な陰口が聞きたくもないのに聞こえてきた。


「なんと無様な格好だ」「あれが元将軍か」「女子供に騎士の真似事など……」「よく見れば、あれはベルモスクか?」「まるで子守だ」「あのような騎士団、王女殿下のお遊戯相手だろう?」


 多分、それらは医務室を出た時からあった筈だ。この時まで、レスリーが気付かなかっただけの事。だが、1度気付いてしまうと、それらが気になって仕方なく、どうしようもない申し訳なさと、気恥ずかしさに襲われた。


「あ、あの……マテウス様。レスリーはもう大丈夫ですのでっ、降ろして……」


「……なんだ? 今更、気になったのか? 俺は君に頼まれて教えていたんだが、それよりも気になるのか?」


「あっ、そのっ。すいませんっ、すいませんっ……レスリーは、その、あのっ!」


「冗談だよ。今、続けても頭に入らないだろう。また今度改めて教えてやる」


 そう言ってマテウスが押し黙ると、更に大きくレスリーの耳に陰口が響いてくる。こういった陰口に自分は慣れていた筈ではないか? なのにどうして? スリーは理由が分からず、ただただ苦しくて、辛くて、悔しくて……


「言いたい奴には言わせておけばいい」


「え?」


 一際大きく響いたマテウスの言葉に、レスリーは現実へと引き戻される。


「ああいった手合いはな、なにも知らないだけだ。君がこの日の為にどれだけを成したかをな」


「れ、レスリーはなにも……レスリーはそう、ただ、レスリーの所為で他の方々や、マテウス様までが……」


 言い訳染みて聞こえるだろうか? だが、言葉にしてやっとレスリーは分かった。長い間、悔しいなどという感情は覚えなかった。既に諦めていたから……だが、赤鳳騎士団の面々やマテウスまで、それに巻込まれる事が耐えられなかったのだ。


「そうか、優しいな。だが無意味だ。あいつ等の、なにも知らない、無責任な陰口に、この俺がブレると思ったのか? いいか、レスリー。ああいった手合いの評判に耳を貸す必要はない。何故ならあいつ等に、君の全ては知りようがないからだ。そんな評価が正確な訳はなく、そんな不確かなモノが上がろうが下がろうが、君の実力に影響を及ぼさない」


「そうなの……でしょうか?」


 レスリーは自らの評判が上がるような事は余り想像出来なかった。掌を返したかのように賞賛されるよりは、このままさげすまれていた方が彼女にとっては気が楽だ。だがマテウスの実力は正しく評価されるべきだし、認めてもらいたいと想いを拭い去る事は、中々出来なかった。


「勝手な評判が先行して、周囲が君の足を引っ張る事もあるだろう。だがそれでも、我成す事は我のみぞ知る、だ。自らのは自らが正しく把握していればいい」


 マテウスの言葉を噛み砕こうとするレスリーは押し黙ってしまう。彼が将軍として英雄とまで呼ばれる最高の評価を得て、その評価を裏切り者として地の底まで落とした事を、レスリーは知っていた。そんな彼の言葉であっても……いや。言葉であるからこそ、その内容に寂しさを覚えるのだ。


「それと……君の成した事ならば、俺は知っている。この1ヶ月近く、ずっと見ていた。筋力が増えて体つきが良くなった。体重も。始めは2食で体調を崩していたが、今では3食を残さずに食べている。そして、最初は剣を振るのも危なかしかった君が見せた、ワイルドバイソンを相手にエステルをフォローする為の反応。あれは俺の期待以上の働きだったよ」


「そ、それは……素直に喜んでいいのですか? なにやら、は、恥ずかしいですっ」


「俺は、当時の君と今現在の君を見比べて、責任を持って、正しく評価するだけだ。君が喜ぶべきかどうかは、俺の知る所じゃない。ただ、無責任な赤の他人の評判に耳を傾けるよりかは……信頼して欲しい所だがな」


 回りくどいマテウスなりの励ましは、これで何度目だろうか? そう想いを巡らせるレスリーの耳には、既に陰口が届かなくなっていた。


「それに、言い忘れたが……君が成した事を知る者は他にもいる」


 マテウスの言葉に、再び顔を上げたレスリーの瞳に映ったのは、既に私服へと着替えを終えた、一緒に戦闘を生き抜いた3人の姿だった。


「レスリー。大丈夫なの? 歩けないなら私が肩貸すから、オッサンから降りたら? 恥ずかしいでしょ?」

「レスリー殿っ! 私の代わりに傷を負わせてしまって、申し訳ない。レスリー殿は命の恩人だ。この借りは必ず返す。いつでも、なんでも言ってくれ」

「レスリー、さん。意識、が戻って良かった……です」


 ヴィヴィアナ、エステル、フィオナ……3人はレスリーのこの姿を見て笑ったりはしなかった。それを見てようやくレスリーは理解する。この3人は確かにレスリーの目から見ても、マテウスの元で強くなった。彼女はそれを良く知っている。それは赤の他人がどう評価を下そうが、なによりも確かな事実ではないか。我成す事は我のみぞ知る。だがそれ以上に……


(確かに互いに命を掛けて、一緒に戦ったこの方々の御言葉以上に、価値のあるものはありませんね)


「皆様……その、あ、ありがとう御座います。ヴィヴィ様、レスリーはこのままで大丈夫ですので、もう少しこの……このままで」


 3人が声をかけてくる度にレスリーはそうやって丁寧に答えを返した。マテウスの視線から見下ろす彼女等は小さく、少し不思議な気分になった。レスリーが元気な事を確認すると、やがて3人の話題は明日の休日の話になる。


 エステルが提案し、ヴィヴィアナがそれを止めて、その少し離れた距離でクスクスと声を漏らしなが笑うフィオナ。レスリーはその見慣れた光景を眺めていると、自然と笑顔を浮かべる事が出来るようになっていた。これも小さな変化。最初こそ戸惑ったものの、今となっては自然と受け入れる事が出来る。


 この時のレスリーはそうやって、心が緩んでしまっていた。だから、マテウスにだけ聞こえるように声を抑えて、こんな事を言ってしまったのだろう。


「あの……マテウス様の成した事は、レスリーが見ています。その、あの……お嫌でなければですが、その……ずっとお傍にお仕えして、ずっと見ています」


「馬鹿。君が仕えるべきは俺じゃなくて、王女殿下だろう?」


「すいませんっ、その……でも、それではマテウス様が……」


「心配するな。いい大人になればな、そういうモノとの折り合いの着け方なんて身に付いてくるもんなんだよ。それよりも……」


「?」


「いや、これは言っても仕方のない事だな。忘れてくれ」


 その言葉の内容では、レスリーにはマテウスの意図の全てを汲み取れなかった。それ以降、複雑な表情を浮かべた彼は押し黙ってしまい、レスリーにそれ以上の言葉を口にする事を躊躇ためらわせた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る