エピローグその3

「これからの……話?」


 アイリの瞳には戸惑いの色が浮かんでいる。他の者達も同様だ。一呼吸置いたマテウスは彼女達を見渡した後に、静かに切り出した。


「そう。これからの話だ。まだ正式な結成も済んでない時点でなんだが、君達の親衛隊には解体の話が持ち上がっている」


「なんとっ! それは、その、困るな……」


 声を上げて異を唱えたのはエステルだ。他の者も困惑していたが、どう言葉に表していいか、自分では分からないようだった。そんな彼女達にマテウスは丁寧に事情を説明し始めた。


 解体の話が持ち上がった主な原因は、テオドールとアイリーンの婚約が解消された件にある。これにより、親衛隊騎士がわざわざ女性である必要性がなくなったのだ。そこから、軍縮を政策の理念として掲げているのに、新たに騎士団を設立する事への批判が噴出し、実績のない女騎士見習い達などに王族の護衛という大役を奪われる、既存騎士団からの嫉妬の声が上がった。


「なにを今更……」


「第3王女親衛隊ともなれば、交渉次第で予算を引き出せるからな。軍縮のお陰で四苦八苦している騎士団達からすれば、垂涎すいぜんの役職だ。それに婚約が解消された今、君は王宮から出る事も多くなるだろう。新たな婚約者探し、王国の広告塔として……理由は色々だ。華やかな舞台に上る君を影から支える騎士団ともなれば、名声は上がっていく。名声が上がれば、更に資金を集める事が出来る。つまり今の君は、誰しもの注目株だ」


「マテウスは私に、私の事を王女だと、予算を引き出す為の道具だとしか見てないような人たちに守ってもらえって言うの?」


「言いすぎだ。彼等の中にも、君を守る為に身を投げ出す忠義を見せる者だっているだろう。君が望むような、本当の意味で君の味方になってくれるような友人を見つける事が出来るかもしれない。信頼の繋ぎ方は1つじゃない筈だ」


「それはそう、かもしれないけど……じゃあ皆はどうなるの? 親衛隊が解散しちゃったら皆とも、もう会えないの?」


「だから話を聞きたいんだ。君達はこれからどうしたいのか」


 アイリから視線を外して皆を見るが、誰もが答えをきゅうしていた。というよりも、どう答えを返した所でその大きな流れに逆らえると思えないのだろう。マテウスはそれに気付いて、一笑にした。


「あぁ、すまない。前提として説明したが、周囲のしがらみはどうだっていいんだ。言いたい奴には、好きなように言わせておけばいい。ただ、これから先も君達がアイリの護衛を続けるとして、そういうやっかみは続くだろうし、これ以上に危険な事件に遭遇するかもしれない。それでもやっていく覚悟はあるのかを問いたい」


 全てを言い終えると、マテウスは一歩下がって皆を見詰めた。また聞き手に回るつもりなのか、静かに腕を組みながら立っている。長くなるかと思われたこの沈黙を破ったのは、意外にもレスリーが最初だった。彼女はまた恐る恐るといった様子で手を上げながら切り出す。


「レ、レスリーには……レスリーにはここしかありません。まだ、アイ……王女殿下のお役に立てるほど強くありませんが、その、それでも……私にはここしかないんですっ」


「レスリー殿に先を越されてしまったが、覚悟なら私にもある。王女殿下を身辺をお守りするような騎士のほまれ、他の者に譲る気など毛頭ない」


「私は……正直、そこまでの覚悟はないよ。騎士に魅力がある訳じゃないし、王女様の事も、まだよく知らないし。ただ、だからって放り出されると行く宛てがないのはレスリーと一緒だし、それに……」


 言いながらチラッとヴィヴィアナが視線だけを向けて確認するのは、レスリーとエステルの顔だ。しかし、2人の視線がヴィヴィアナに集まると、頬を少しだけ赤く染めてプイッと顔を背けた。


「この達と一緒になら、やれるような気がするから、やってみたい」


「そうか。パメラはまぁ……確認するまでもないよな?」


「王家の許しがある限り、アイリ様を最も近くで護衛するのは私です。それは、親衛隊がどういう形になろうとも変わりありません」


 マテウスに視線を返しもせずにパメラは答える。普段の彼女なら顔を向けるぐらいの礼は通す筈だが、とも思ったが、特に追求もせずにマテウスは視線を切って、皆の答えに顔を綻ばせるアイリーンへと運ぶ。


「だとすると、次はアイリの番だな」


「私? 私の答えはとっくに……」


「それはどうかな……こう言ってはなんだが、彼女達はまだ未熟だ。現時点で君の命を預けるなら、他の騎士団に任せた方がいいと俺は思っている。利害が一致している限りは、間違いなく彼等は君の味方をしてくれるだろう。その中には、前に告げたように、本当の意味で君を味方してくれる友人がいるかもしれない」


「だからそれはそうだけどっ、そうするとマテウスや皆と……」


「そうすれば彼女達をこれ以上、命の危険に晒さずに済むんだぞ? これから先、君が狙われるような事がないとも限らない。自分の傍に置く事で、命を危険に晒すような重荷を彼女達に背負わせる事になってでも、彼女達でなければならない理由や覚悟はあるのか? それを問いたい」


 アイリーンはマテウスに言われるまで、その事を考えなかった訳ではなかった。だが言葉として突きつけられて、考えないようにしていた事実に気付いて、顔を苦渋に歪める。


「ねぇ? マテウスはどうしたいの? もう私の傍にいてはくれないの?」


「今、ただの教官でしかない俺の事は関係ない。これは君と、親衛隊である彼女達の問題だ」


 すがるようなアイリーンに対して、マテウスは冷たく言い放った。彼女は脅えたように身を竦めた後、皆の視線が集まっている事に気付いて、それを避けるように顔を俯かせる。


 そして自らに問い掛けた。それはアイリーンにとって2度目になる、他人ヒトの命を伴う選択だった。ただ大きな流れに身を任せるか、それとも他人の命を危険に晒してまで、自らの意思を通すか……施政者しせいしゃとして、避けて通れぬ道。


 そうだ。今この時こそが自らの強さを示す機会ではないか。自らの覚悟を証明する瞬間にまで、マテウスにすがってどうする。自分が欲しかったのは、縋るだけではなく、支えあう事の出来る信頼だった筈だ。アイリーンはそうやって、心の中で己を叱咤しったした。


「ありがとう、マテウス」


 そう言葉にした時、アイリーンは心の内で覚悟が出来ていた。後は言葉にするだけだ。胸に手を当てながら深呼吸をして心を落ち着かせ、皆に向き直る。


「ずっと王女として育ってきました。王宮での暮らしは外と比べればとても満たされていて、何不自由ないものだったと思います。ただ1つ……何度か命を狙われた事を除いては」


 女王ゼノヴィアは政敵の多い女だった。打ち出す政策が有力者にとって都合に悪いモノが多い事が、大きな原因の1つだ。だが、彼女の命を直接狙う勢力は少ない。何故なら彼女が本当に亡くなってしまった場合、空席になった玉座を巡った争いを避けられないからである。


 時期国王と呼ばれる有力者は複数存在し、その実力は拮抗きっこう。互いが互いを牽制しあっているが為に、不本意ながらゼノヴィアに女王の座を譲っているのが現政権の状態である。


 そんな中、女王派が打ち出す政策への報復として、その度に命を狙われたのが、女王ゼノヴィア唯一の肉親として王宮に残る、王女アイリーンだった。


「初めて自分の命が狙われていると知ったのは8歳の時。パメラが食事中の毒見で倒れた時です。自分が王宮から出して貰えない理由も、その時に知りました」


 パメラは口を開こうとしなかったが、アイリーンの言葉によると通常の人間なら十分に致死量の毒だったそうだ。それに彼女は耐えた。リネカーの家系はそういう訓練も受けているらしい。


『私にもあったからね、結構前の話だけど。それに……今回、思い当たる事もあったし』


 これは、アイリーンと初めて2人だけで話した夜の言葉。マテウスはそれを思い出して、すべての事情を察知する。何故ゼノヴィアはジェロームという他国の男が護衛に着けたのか? 内戦が耐えないような他国ドレクアンをアイリーンの嫁ぎ先に選んだのか? を。


「いままで笑顔で近づいてきた人達の全てが、敵であるか味方であるか分からない事を知り、王宮でのますますの自由を奪われた私を救ってくれたのは、ジェロームという護衛の存在でした。彼は私に束の間の自由を与えてくれました」


 ドレクアンとの婚約が定まり、他国の人間でリンデルマン侯爵が後ろに控えるジェロームという男が傍にいる間は、どの派閥もアイリーンへ迂闊に手出しが出来なかっただろう。しかし、そのジェロームも……


「しかしそのジェロームも最後には、私の味方にはなってくれなかった。ただ誘拐されそうになったあの日にマテウスと出会えて、私はようやく気付けました。与えられた味方じゃダメなんだって。私の味方は、私が手を伸ばして掴まないとダメなんだって事を……だから、これから先は王女としてではなく、私アイリーン個人の我が儘として聞いてください」


 言葉を切って居住まいを正したアイリーンが頭を深く下げた時、マテウス以外の皆は大いに戸惑った。アイリーン個人として前提を置いたとはいえ、王族である彼女が頭を下げる姿を、想定していなかったからだ。


「これから先、皆をまた危険に晒す事になると思います。ですがお願いします。私の味方になってください。たったひと時とはいえ、王女としての私を忘れさせてくれた皆と一緒に、友人として……私は強くなりたいの」


 アイリーンのその姿を確認するとマテウスは、戸惑うロザリアの背中を叩いて、顎で付き合うように促した後、部屋の外へと歩き出す。廊下にはアイリーンの護衛が道を塞いでいたが、内から外へと出る分には咎められる事もなく、すんなりと通り抜ける事が出来た。


「マテウス卿」


 そんなマテウスを、部屋の中から真っ先に追って声を掛けてきたのは、パメラだった。彼が呼んだ筈のロザリアは、その後ろで2人の話に割って入っていいのかどうか、様子を伺っていた。


「先日の件、1つ借りとしておきます」


 その言葉だけでマテウスは、パメラがなにを言わんとしているのか伝わった。彼女の治療して、連れて帰ったあの日の事だ。彼はあの日以来パメラと顔を合わせていない事を思い出し、苦笑いを浮かべた。


 普段から敵対している相手に命を救われ、最後に交わした会話がマリルボーン孤児院でのあのやり取りでは、さぞやバツが悪かろう。マテウスは先程、パメラが視線を交わそうともしなかった理由に、触れたような気がした。


「そうだな。まぁ君の命たった1つだ。見返りはそれなりでいいぞ」


 マテウスが飄々としながらそう伝えると、これまで無表情だったパメラの眉間に、少し皺が寄ったように見えた。その上でほとばしる殺気は相変わらず本物だ。しかしそれ以上彼女が口を開くような事はなく、踵を返して病室に戻った。


「いいんですか?」


 代わりに近づいてきたのはロザリアだ。マテウスはそれに答えず病室を背にして歩き出し、彼女が付いて来てるのを確認して口を開く。


「いいんだよ。君は知らんかもしれんが、俺とパメラはいつもこんなものだ」


「それもですが、最後まで見なくていいんですか? という事です。そして、私だけを呼び出して何処に連れて行くつもりなんです? デートのお誘いには、シチュエーションが悪すぎですよ」


「ハッ、冗談キツイぜ……いいんだよ、別に。言っただろう? あれは王女殿下とその親衛隊の問題だ。俺達は部外者だからな。あの場にいても邪魔になるだけだ。だが方針が定まったなら、部外者なりにやってやれる事は色々ある」


「やってやれる事……まさか、私達で親衛隊を継続する為に動くんですか?」


「さっきはああ言ったがな、幸い俺達の背後には強力な味方ゼノヴィアがいる。異端者と騎士鎧ナイトオブハートをも彼女達が退しりぞけたとすれば、実績も十分だ。だがそういった正攻法だけでは、どうしようもない事ってのはいくらでもあるだろう?」


「その為にやれる、根回しや事前交渉という事ですか」


「そういった些事さじで、彼女達の志や覚悟を汚すのは惜しい。こういうのは志や覚悟をなくした、俺のような老兵や、君のような大人の仕事だ」


「私はまだまだ女の子のつもりなんですけどね。それにしても……ふふっ」


 口元を隠しながら笑うロザリアは、それでも吹き出すのを抑えきれずに肩を揺らしながら笑っていた。振り返ったマテウスが見たロザリアの顔に浮かんでいた表情は、ゾッとするように美しいあざけりであった。


「なくしたのではなく、志や覚悟から逃げたの間違いでしょう? あの時のアイリさんの質問の答え……今なら聞かせて貰えますよね?」


 ロザリアが、その美しくも大きな瞳を三日月のように細めて笑うと、彼女の泣き黒子ぼくろが少しだけ上へと動くのだ。そんな事に気付いてしまう程に、マテウスは彼女に魅入られ、質問にきゅうしていた。


『ねぇ? マテウスはどうしたいの? もう私の傍にいてはくれないの?』


 あの時、マテウスが答えを返せばそれは、彼女の答えを左右するかもしれない事ぐらい、マテウスにも想像出来た。だからこそ冷たく突き放して、アイリーン自身の覚悟を試した。だが、それが全てではない。


「あの時の質問に答えを返してあげるだけで、アイリさんの背中を押してあげる事も出来た。それを避けたのはアイリさんの覚悟を確かめる為? いえ、それだけじゃないですよね? マテウスさん。実は貴方自身がどうすべきか正しいのか、迷っていただけでしょう?」


 カナーンの残党、騎士鎧を操る存在、バルド・リンデルマンにもいい感情を持たれなかっただろう。ゼノヴィアとの過去をなぞるように、自身がアイリーンの傍に仕える事で逆に多くの敵を作ってしまう事への迷いを、マテウスは未だに引き摺っていた。その迷いを払うのに、自身よりも1回りは幼い14歳の少女の覚悟と志に、彼は縋ったのだ。


「私の言葉が違うと仰りたいのなら、今からでも、教えて貰えますか? あの質問の答えを」


「……人を見る目はあるようだが、問題は生徒に見合った物にすべきだな。新米教師」


 戦場での正しさなら、身に染み付いている。どんな困難や苦境であれ、覚悟を持ってそこを目指すだけだ。だが、それ以外の正しさをマテウスは知らなかった。剣を振る事しか脳のない男は、正しさがなくては志や覚悟を立てる勇気もなく、奴隷のようにただただ状況に流されていく。


「誤魔化す事ばかりが得意な問題児は、私の生徒にはいませんので……ふふっ。勘違いしないでくださいね? 私はマテウスさんの事、好きなんですよ。そういう、姑息で卑怯で臆病な所も含めてね」


「そいつはどーも。俺の代わりにせいぜい好きでいてやってくれ」


 マテウスは横から上目遣いに腕を絡めてくるロザリアを見ようともせず、少しだけ足を速める事で僅かながらの抵抗とした。頭の中で思い起こされるのは、騎士鎧の女に告げられた正しさの奴隷という言葉だ。正しさがあろうともなかろうとも、自身がその枠から逃れられない事に気付いて、彼は苦笑いを浮かべるより他なかった。

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