エピローグその1

 ―――数日後、昼。王都アンバルシア中央区、ノリッジ病院


「面会を願いたいんだが」


「はい、どちら様の面会ですか?」


「第3王女親衛隊騎士」


 マテウスがその名前を出した時、その瞬間まで愛想のいい笑顔を浮かべていた看護師が、眉間に皺を寄せてマテウスの顔を険しい表情で睨み上げてきた。


「貴方……彼女達の保護者かなにかですか?」


「いや、違うな。彼女達の保護者はこれから後に来るロザリアという名前の女性だ。俺はエステルの知人で見舞いに来ただけだ」


 なにかいやな予感がしたマテウスは、適当に後から病室で合流する予定のロザリアの名前を出してやり過ごす。そうすると看護師はなにか言いたげな言葉を飲み込むようにして押し黙った後、無愛想に何号室かを告げて仕事に戻る。


 マテウスが目的の病室の近くまで辿り着くと、表札を確認するまでもなくその場所が何処であるかが知れた。廊下にまで彼女達の会話が響き渡っていたのである。


「あはははっ、アンタ馬鹿でしょ。病院で怪我悪化させるとか、逆に器用っていうか……やっぱ馬鹿よっ、ふふっあはっ」


「むっ、そんなに笑う事ではないではないかっ。その、一刻も早く身体を治して、騎士としての復帰すべくだな……」


「だからって普通、折れた腕使って腕立てとかしないって。更に復帰伸びてるし……ふふっ、くくくっ、もう止めてよ。私までまたお腹痛くなったらアンタのせいだからね?」


「あの……その、もう少し声を落とさないとまた……えっと、その……」


 開放された病室の中を覗き込むと、並んだベッドの上で半身を起こしたエステルとヴィヴィアナ、そして2人の間に入ってあたふたと涙目になったレスリーがそこにいた。マテウスには気付かぬままに会話を弾ませているようだ。


「だ、だがな、パメラ卿は同じやり方で既に退院したのだぞ? なら私にだってやって出来ない事はないではないかっ」


「あー、あれは別にあの娘が勝手に病院抜け出しちゃっただけから、退院っていわないんじゃないの? そもそもここに運ばれてきた時には1番重症だった癖に……あの娘の身体、どうなってんのよ?」


「くっ……やはり身体かっ! この小さな身体がまた私の騎士道をっ」


「あの、そ、その、エステル様……それは少し、違うような」


 会話の内容と、何時までも会話が終わりそうにない様子を見たマテウスは、ナースがなにを言いかけたのかをさっした。このまま暫く彼女達の自由に会話させてやっても良かったが、この後にも予定が控えていたので仕方なく壁を強くノックする事で、彼女等の注目を集める。


「マテウス卿」「アンタか……」「あっ、マテウス様っ」


 3者がそれぞれ別の反応を見せる中、真っ先に身体を動かしたのはレスリーだった。マテウスに近寄って、彼の持つ手提げ袋を受け取ろうと手を伸ばす。


「あのっ、お持ちします」


「中身は見舞いのオレンジだよ。皆に切ってくれるか?」


「はいっ。レスリーにお任せくださいっ」


 オレンジを受け取って早速、果物ナイフと小皿を用意しに行くレスリーの代わりに、エステルとヴィヴィアナ、2人の間に座椅子を運んで腰掛けるマテウス。


「久しぶりだな。元気にやっているようで安心したよ」


「元気だったらこんなとこいないよ。私は治癒系理力解放の合併症でもう数日は自由に身体を動かせないし、ご覧の通りエステルなんかは、まだ腕が折れたままだし」


 ここでいう合併症とは、治癒系理力解放を受けた者に対するリスクの事だ。体力と免疫力が極度に低下する為、体中が痺れたような間隔を残して自由に動かせなくなったり、免疫力の低下から様々な病気を患う可能性が高くなる為、基本的には絶対安静が推奨される。


 つまり、パメラとエステルはこの状態で筋力トレーニングをしたらしい。その上パメラなどは出歩いているのだから、どちらも常軌を逸した行動……もしくは回復力といって差し支えない。


「なに。騎士鎧ナイトオブハートと戦ってこれぐらいですんだのであれば、運がいい方だ。だが次はマテウス卿の力を借りずとも、1人で勝ってみせる」


「アンタはもう少し学習をしなよ」


「うむ。はやくコイツを治して、身体にあの速さを覚えこませねば……」


「いや私が言いたいのは、そういう学習じゃなくてさ」


 まだ肩から吊るされたままの左腕を無理に動かそうとするエステルと、それを気遣わしげに止めようとするヴィヴィアナ。騎士鎧と肩を並べて戦った数分と、並んで入院生活を送った数日が、2人の仲を大分深めたようだった。


 もう少しその様子を観察していたかったが、マテウスはその為にここへ訪れた訳ではない。言い出しにくい用件ではあったが、頭を少しだけ下げながら切り出す。


「もう少し早く顔をだすべきだったんだが……色々と事後処理が多くてな。すまなかった」


「別に私はアンタの顔なんか見たくなかったけど」


「ヴィヴィ殿、先ほどからマテウス卿に当たりが強くはないか? 彼はこの度の件では私達の命の恩人だ。感謝して然るべきだと思うが」


「エステルは人が良すぎだよ。本当に感謝すべきかどうかは、あの日なんで私達が狙われたのか……それを聞いてからでも遅くない。違う?」


「そうだな。まずなにから話せばいいか……」


「あの、そ、それでしたらレスリーからいいでしょうか?」


 マテウスが言葉に詰まって考え込んでいると、マテウスの横でオレンジを切っていたレスリーが、作業の手を止めて会話に入ってくる。マテウスが話の先を視線で促すと、エステルとヴィヴィアナも異論はないようで、黙ってレスリーに視線を向けた。


「その……ですね。アイリ様は本当は、何者なんでしょうか? やはりエステル様が仰る通りに……」


 他の者の疑問も同様だったようで、皆の視線がマテウスへと集まった。


「そこからか。パメラには聞かなかったのか? 暫くこの部屋で一緒に入院していたんだろう?」


「パメラ卿は、結局なにも教えてくれなかったよ。私から言える事は、なにもないそうだ。アイリ殿に仕える者である事だけは言明してくれたが、そこから先はアイリ殿やマテウス卿に直接聞いてくれと言っていた」


「そうか。俺の口から言ってもいいか難しい所だが、どうせ彼女もそろそろここに訪れる予定だからな。先に告げて覚悟して貰った方がいいか……」


 エステルの言葉に、マテウスも一呼吸を置いて覚悟を決める。これはアイリーンが望んで始めた嘘だ。その終わりを決めるのも彼女がすべきかもしれなかったが、それに加担したのは自分も同じ。これが少しでも彼女の罪悪感の肩代わりになるのであれば、マテウスにとってそれ以上の事はなかった。


「エステルがあの日の敵から聞いた通り、アイリの正体は君達の護衛対象。王女殿下その人だ」


「やっぱりそうなんだ。なんだか間抜けな話よね……私達、護衛対象の顔も知らずに一緒に訓練してただなんて」


「そもそも政治的意図で彼女は外交での露出が少なめだったし、王宮から姿を見せる事も稀な存在だったからな。本来なら、まだ正式に稼動もしていない親衛隊騎士が謁見を許される存在ですらない。そんな彼女が身分を偽ったのは、彼女自身の性格や事情からだ。俺はそれに加担していた」


「しかし、どうしてアイリ殿……いや、アイリーン王女殿下はそんな嘘を? もしそれが、事前に分かっていればもっとやりようも……」


「それは……俺の口からではなく、この後にアイリーンの口から直接聞いた方が信用できるだろう。俺から言えるのは、君達を騙した上に、それが原因で怪我を負わせるような事になってしまったのは、俺の油断からだという事だ。本当にすまないと思っている」


「いや、私のほうこそ言い訳染みた事を言ってしまってすまない。彼女の事をアイリーン王女殿下だと分かっていたからといって、あの騎士鎧ナイトオブハートを前にして、未熟な私ではどうにか出来ていたとは思えないしな」


「じゃあさ、あの敵がなんだったのかぐらい教えてよ。そしてあれからどうなったのか、もう私達は襲われる心配はないのか」


 レスリーが皆の前に切ったオレンジを小皿に載せて配る。それぞれがテーブルやベット脇にそれを置いて、レスリーがマテウスの横に座りなおすのを確認してから、マテウスは再び口を開いた。


「彼等はカナーンという異端認定されているカルト教団だ。だがその実態は傭兵崩れ達の犯罪組織で、以前から俺とパメラは2人で彼等を追っていた。彼等には王女誘拐未遂の実行犯の容疑が掛かっていて、その背後関係を探る為の調査中だった」


「パメラ様と2人でお出掛けしている姿はっ、その、何度か見ましたが……そういう事情があったのですね」


「そういう事だ。次はあれからどうなったかの話だったな。少し長くなるぞ」


 その後カナーンは、構成員の大半と数名の幹部を治安局、異端審問局に捕縛され、組織としての体裁を保てなくなるほどの壊滅的な打撃を受けた。代表は取り逃がしたようだが、後は放っておいても自然消滅するであろうというのが、大方の予想だ。


 また、捕らえたカナーン構成員の自供と奪った武装から、N&P社との繋がりが露見。そこからN&P社が崩壊するまでの様子は、ダムの決壊を見守るかのようだった。彼等の営業利益に関する虚偽報告や脱税、ドレクアン反体制側である西ドレクアンへ装具の密造、密輸をした証拠などが、あれよあれよと溢れ出して来たのである。


 多くの者が異端者として次々と捕らえられる中、これらの犯罪と王女誘拐を企てた中心人物として名の挙がったN&P社長、ハンク・パーソンズだけは依然行方不明のままだった。彼の夜逃げの跡が残った屋敷には、その足跡となるようなものは他に残っておらず、未だに捜索が続いているという。


 つまりこの事件では、ゼノヴィアの最初の予想を大きく裏切り、リンデルマン侯爵は勿論、反女王派である議会派の誰1人として、その関係性を見出す事が出来なかったのである。


 しかし、ゼノヴィアは失意に暮れる間もなく、女王としてN&P社崩壊に伴い、溢れ出した労働者達の対応に追われていた。そんな中で、今回の件で西ドレクアンや、影からアイリーンを狙うような者達の、大きな財源の1つを潰せる事が出来たと、マテウスを気遣うように前向きな評価を下す彼女を見て、彼の方が情けない自責の念に、頭を下げたくなった。


 これ等の説明を終えた後、部屋は静寂に包まれた。レスリーは自分の意見を黙して語ろうとせず、ヴィヴィアナは事情を理解しながらそれでもどこか釈然としない気持ちに視線を落とし、エステルは半分ほどしか理解できなかったようで首を傾げていた。


 後で時間をとって、もう少し簡単に説明してやると伝えてやると、エステルは恥かしげに頭を掻く。そんな彼女の様子に苦笑いを零しながら、さて次をどう説明すべきか考えていると、外から近づく足音に気付く。


 皆がその足音に入り口を振り返った先で、開かれたままの扉から姿を現したのは、ロザリアであった。

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