誰が為に昇る日その2

 ―――数分後、早朝。王都アンバルシア中央区、リンデルマン侯爵邸付近


「聞いていいか?」


「……移動中ずっと黙っているというのも寂しいですからね。どうぞ。私の知っている事と、答えられる範囲であればの話ですが」


 馬車での移動中、ハンクはずっと1人で考えていた。向かい合って座るデニスは、外の景色からハンクへと向き直る。緊張で乾いた唇を舐めながら、ハンクが再び口を開いた。


「この馬車を見れば、君がリンデルマン侯の使いである事は明らかだ。疑いようもない。だが、君はジェローム卿を殺した。第3王女殿下の護衛であり、リンデルマン侯の配下である、あのジェローム卿を……」


「ほう。その口ぶりだと続きがありそうだ。では、私がジェローム卿を殺したとして……どうだと言うのです?」


「君が殺したとすれば、それはリンデルマン侯の指示だ。何故、ジェローム卿が殺されなければならなかったのか……そこでまさかとは思ったのだが、この王女誘拐事件の発起人。リンデルマン侯ではなくて、ジェローム卿自身なのではないか?」


「勉強になりますね。そして、その根拠は?」


「この王女誘拐事件の発起人は、資金と武力……その両方を持たない人間だ。もしそのどちらをも持つのであれば、己の力で王女誘拐をやり遂げるのが一番効率的だからだ」


「それはどうでしょう? リンデルマン侯が己の手を汚したくない。そんな選択をしたのかもしれません」


「だとしても、異端者であるカナーンを手駒に据えるのはおかしい。カナーンが動けばどうあっても異端審問官が動く。リンデルマン侯ならば他の選択肢もあった筈なのだ……教会を敵に回す事のない選択肢が」


「貴方がた、N&P社とカナーン。それぞれを繋ぎ合わせたのはジェローム卿……その時に気付くべきだった」


「つまりマクミランも俺も、あの男に騙されてたという訳か。ジェローム卿の経歴と、ありもしないリンデルマン侯の指示という言葉に踊らされて……こんなにも追い詰められてしまったのか」


 ハンクは自らの立場を自らの言葉で振り返りながら、自嘲じちょうした。力なく背もたれに身体を預けながら、天を仰ぐ。


「だが何故、リンデルマン候はジェローム卿を泳がしていたんだ? カナーンの教官役として君のような自分の息の掛かった手駒を忍ばせておきながら……いつだって、計画を阻止できたにも関わらず。いや、まさか……」


「おっと、着いたようです」


 天を仰いだまま独り言のように呟いていたハンクの疑問は、デニスの耳に届いていたが、彼はそれを無視した。デニスに従って馬車から降りたハンクは、広がる官邸の光景に、少し浮世離れした雰囲気を感じていた。


 その理由として、リンデルマン侯爵邸をハンクは遠目から見た事があるだけだったので、まだ辺りが薄暗く人気ひとけのないこの時間に、間近から建物を見上げても、本当にここがリンデルマン侯爵邸なのかどうか確証が得られなかったからだ。


 そんな浮き足立った心持ちのままデニスに着き従って邸内を歩くハンクは、その頭の中では渦巻く疑問を整理しきれずに悩んでいた。そして整理しきれないままに、最も気にすべき疑問が口から溢れ出す。


「なぁ、そろそろ教えてくれないか? どうして俺はここに呼ばれたんだ? まさか、俺もジェローム卿のように殺す気なのか? なぁっ、俺がなにをしたってんだっ!」


「おっと、まだ朝も早い。もう少し声を落として話しませんか? しかし、ふっふっふ……疑問は最もだ。さぞ不安でしょうな。私も同じ立場だったらと思うと、正気でいられるかどうか。だからこそ残念でなりませんよ。私では貴方の不安を取り除く事が出来ない」


 デニスの口ぶりはまるで、日常会話を楽しんでいるかのようにほがらかだった。本当にハンクの心中を案じているようには、到底見えない。しかし、それでもハンクにはこの場では彼しか頼る者がなく、悔しさに歯を食いしばった。


「さぁ着いた。この先に待つ人こそが、貴方の不安を取り除いてくれる唯一の人物。だから、余り失礼のないようにした方がいい」


 部屋の前に立つ見張りと2、3はなしこんだ後、開かれた扉の向こう側から軽く手招くデニスに、ハンクは疑いを抱きながらも、肝を据えて足を踏み入れた。2人が中に入った途端、部屋の扉は再び閉じられる。


「デニスだな。ご苦労だった」


「とんでもない。此方こそ、お休みのところ失礼します」


「よい」


 案内された部屋は寝室だった。デニスが話しかけた相手。その声の主は大きな天蓋てんがい付きベッドにいた。薄いカーテンに覆われている為、ハンクからは顔や表情などは分からなかったが、半身を起こして此方に顔を向けている事ぐらいは、そのシルエットで確認できた。


「そして、ハンク・パーソンズ。デニスを使ってお前を呼んだのは他でもない。お前には頼み事があるんだよ」


 自身の名も名乗らずに本題を切り出す早急さっきゅうさにハンクは戸惑いを隠せなかったが、相手がリンデルマン侯であった場合を考えると、その事を指摘するのを躊躇ためらわれた。


「わ、私でお役に立てるのでしたら、なんなりと……」


「殊勝だな。では言葉通り、この事件の一切を背負ってもらおうか」


 **********


「宜しかったのですか? ジェローム卿のように口を塞いでしまった方が……」


「西ドレクアンの草(スパイの事)と、愛すべき我が国の人民を同じにするのは、どうかな。まだ役に立つ価値もあろうというものだ」


「はて? どちらも貴方の掌の上で踊らされていたという点でいえば、さして違いはないような……」


「殺すつもりなら最初から奴をこの場に呼ぶような真似はしない。どうせ奴が教会になにを零そうとも、わしおびやかすような事はない。それに、奴には楽しませて貰ったからな……心ばかりの御礼だよ」


「穏やかになられたものだ。私が将軍の下で働いていた時の貴方は、もっと冷徹に、苛烈に事を推し進めるような人だったと記憶してます」


「戦場を離れれば丸くもなる。身体の自由は利かなくなって来るし、最近などは物忘れも多くなるし、近づく死の足音に身を震わせて過ごす時間も多くなった……ただの老人だ」


 この部屋からハンクが姿を消した直後。夜の闇と朝霧に覆われていた庭園に日差しが差し込み始める様子を眺めながら、デニスともう1人の声の主、ハインツ・リンデルマンは笑った。


 ナイトガウンに身を包み、片手のグラスで水を飲む今のハインツの姿は自分で零したように、どこにでもいる心穏やかな老人にしか見えなかった。大柄な身体で背筋は歳相応に少し曲がっており、普段撫で付けている白髪は寝癖で跳ねていた。


 だからこそ、御伽噺おとぎばなしに出てくる魔女のように立派な鷲鼻わしばなと、ぎらついた瞳をデニスに向けて、顔全体をクシャッと潰す笑顔だけは異質で、人をゾッとさせる容貌ようぼうだった。


「この歳になっても、計画1つ思惑通りに動かせんとはな」


「ドレクアンとの同盟は無事に無期限破棄、外交を刺激する事なくジェローム卿には退場していただいて、体良ていよく王女殿下と御子息を引き合わせる事も出来たし、王都で石の力を試す事も出来た……弱気な事を呟いておいでですが、大方は貴方の思い描いた通りに運んでいるではありませんか」


「だが、何度となく邪魔をしてくれた最大の障害は残った」


「将軍の事ですか。そもそもどうしてこのタイミングで帰ってきて、エイブラム劇場に居合わせたのか……ふふっ、そう考えるとかなり間の悪い人だ」


「もう奴は将軍ではない。まさか今夜の件、情が移ったのではなかろうな?」


「まさか。私はマリルボーン孤児院側の指揮を執っていましたが、将軍と顔を合わせるタイミングがなかっただけですよ。ドミニクも今は騎士鎧ナイトオブハートの神経制御を失って、将軍に負わされた傷で半死半生を彷徨さまよっている。情を移す余地がない」


 ハインツに睨まれるが、デニスは慌てた様子もなく淀みのない口調で返す。仰々しく片膝を着いてこうべまで垂れて見せた。


「将軍と呼ぶのは癖のような物でしかない。この身は刻印と剣を授かった時より、貴方の騎士だ。義娘むすめ達共々、貴方への変わらぬ忠誠を誓っています」


「もうよい……言葉ではなく、これまで通りに功績を重ねる事だ」


「はい。主の望むがままに」


 投げやりな主の言葉に、苦笑いを浮かべながら飄々とした態度で姿勢を戻す。実際の話、デニスは深い感謝と忠誠をハインツに抱いていた。ベルモスク人であり、元々敵対していた自身を身近に置いて、騎士鎧まで与える彼の度量の広さに敬意すら覚えている程だ。


 しかし同時に、猜疑心さいぎしんが強く、本当に心を許す相手を作らない彼に、この想いを正しく伝えるのは一生叶わないだろうとも理解していた。その上、使える者であればベルモスクであろうと、下賎の血であろうと、異形アウターであろうと使う、名門貴族らしからぬ固執こしゅうを見せぬ合理主義。


 そんな在り方は、デニスに以前共に肩を並べた上官の姿を彷彿とさせた。


「勘違いしてもらいたくないのはな……別にあの男や女王陛下の事を、儂は嫌いではないという事だ。むしろ我が息子のような、権力の使い方を知らぬ愚か者どもに比べても、好ましいとさえ思っている」


「権力の使い方ですか?」


「権力は己の身を守る為の盾ではない。己の意思を貫く為のやりだ。己の保身にしか興味がなく、国を淀ませるだけ諸侯に対して、あの2人はそれをよく分かっている」


「その割に、国に大切な矛の扱い方が、少し手荒いのようにお見受けしますが」


「矛だけを何本も抱える強い戦士がいるか? それと同じ事だ。国に強い矛は1本あればそれでいい」


「成る程。どちらかが折れるまで……と言ったところですか」


「だが、儂が本当にし折ってやりたいのは、もっともっと大きな矛よ。この身が滅ぶ前に、この世界で最も大きく、目障りなソレを圧し折ってやらなければ、死んでも死に切れん。その為に準備を重ねて、計画を動かし続けてきたのだ」


 そう言ってぎらついた瞳を光らせるハインツは、先程までのどこにでもいるような老人の気配とは打って変わって、一国を動かす重鎮然とした覇気を身に纏っていた。


 どんなに口の上で隠居した老兵を気取ろうとも、彼の内に未だに衰えぬ野心があって、それが彼を突き動かしている事と、それに自分が魅せられているという事をデニスはよく理解していた。


「また日が昇り、私に死が近づいたよ、デニス。私が折れるのが先か、貫くのが先か……結果はどうあれお前には証人として、最後まで見届けて欲しいものだな」


「仰せのままに」


 デニスが朝の日差しを受けるハインツの横顔を盗み見たとき、彼は楽しそうな笑顔を浮かべていた。

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