プロローグその2

「そろそろ、連絡の来る頃だと思ってました。義兄にいさん」


「という事は、自覚はあるんだな。全く……ややこしい事をしてくれたよ」


 アイリーンを見送り、朝食を終えたマテウスは、1人の時間を作って自室で女王特権を使い、女王ゼノヴィアへ通信していた。マテウスの手元、女王特権からホログラムのように映し出されたゼノヴィアの顔には、確信めいた笑顔が浮かんでいる。


「私としては、アイリが真面目に授業を受けてくれるようになるのなら、この話はそれだけで価値があるものでしたので。その上でアイリ自身も、自身を守る術を手に入れるのであれば、拒否する理由もないでしょう?」


「自分を守る親衛隊騎士の訓練に参加するあるじなんて、本末転倒もいいところじゃないか? 少なくとも、俺は聞いたことがない」


「では、今から断りますか?」


「いや……まぁ。1度引き受けたからな。やる事はやるよ」


「くすっ。義兄さんのそういう所、私は好きですよ」


「ハッ……冗談キツイぜ」


 ゼノヴィアのからかうような上目使いの視線から逃れるように顔を逸らし、誰にも聞こえぬように、小さく愚痴を溢すマテウス。勿論聞こえずとも、ゼノヴィアはこういう時のマテウスがなんと口にするかぐらい、大体を把握しているので、更に肩を揺らして笑った。


「もういいだろう? 報告するぞ」


「……わかりました。どうぞ、続けてください」


 マテウスがそう告げるとゼノヴィアは笑うのを止めた。衰えを知らぬ美しくも妖艶ようえん容貌ようぼうに、女王の威厳が宿る。その一言で国を動かす事も出来る、冷たく透き通った声でマテウスに命じた。


「俺の方で当たった薬屋の件は、やはり空振りに終わったよ。神経系の痛み止めにアオマダラグモの毒を取り扱っている店はそう多くなかったから、全て調べてみたが、どの薬師もここ最近は誰かに販売した記憶はないそうだ」


「そうでしたか。残念ですが、そちらの線での捜査は打ち切りですね」


「だが、パメラの方では進展があったよ。リスクガード本社、俺の元職場のザットを捕まえた。カール邸で襲撃に会った日以来、アポイントも取れず、連絡しても姿すら見せなかったアイツを、つい昨日パメラが捕らえた」


 マテウスが教師探しなどに奔走ほんそうしている間も、パメラは捜査を続けていた。彼女はアイリーンが外出している間は傍を離れる事は出来ないが、アイリーンが王宮内で警護を受けている間は、体が自由となる。その時間を使ってマテウスの指示の下に彼女は動いていた。


 パメラとマテウスがカール邸に移動したのをあのタイミングで知っていたのは、ザットだけ。2人の中で彼は重要参考人としてあがっていたが、正規の手続きでは体調が優れない等と適当な理由を使われて、あしらわれ続けていたのだ。


「それで、どうやって彼を捕らえたんですか?」


「会社付近でパメラに張り込んで貰った。姿を見つけたら、後は力ずくで」


「はぁ……そうならないように、女王特権を義兄さんに渡しているんですが?」


「仕方ないだろ? 俺はその場に立ち会えなかったんだから。ザットは相当な怯えようだったらしい。まぁパメラには適度に痛めつけるような加減は出来ないからな。すぐに吐かなかったらどうなっていたか……ザットの勘の良さに助けられた」


「せっかく見つけた足取りでもあるし……義兄さんを売ったとはいえ、余計に国民の血が流れるような事態は遠慮したいところです。それで、彼の背後には誰が?」


「マクミラン商会だ」


 マクミラン商会。王都でもその市場の15%近くを傘下に従え、各領地の市場にも影響を与える大商会の一角だ。当然リスクガード社も、マクミラン商会の傘下に当たる。ザットの立場を思えば、逆らう事が出来ないのは仕方のない事だった。


 この名前を耳にしたゼノヴィアは一瞬意外そうな顔をする。彼女の期待した議会派貴族の名前ではなかったからである。だが、暫くして顔色を変える。その動機に思い当たる事を見つけたのだ。


「まさか……ノーランパーソンズ社ですか」


 ノーランパーソンズ社(N&P社)。マクミラン商会傘下の会社で、かつては同商会内でも大きな影響力を誇り、商会の幹部を次々と輩出していた大企業であるが、今はその経営が急速に傾いている。


 その原因の一端にゼノヴィアが存在していた。というのも、N&P社が扱う商品が、理力付与エンチャント製品であり、その中でも軍用としての下位装具ジェネラルに力を入れていたからだ。


 ゼノヴィアの夫、アーネスト王時代では、N&P社製品とレイナルド社製品の両社を国軍で採用して、技術競争を促す事で、他国との技術力に一歩でも差を広げようと、理力付与技術エンチャントテクノロジーの向上に力を注いでいた。


 N&P社の栄光の日々。だが、それはゼノヴィアが女王に就任し、国の方針が軍縮へ動き出す事で終わりを告げる。国としての焦点が理力付与技術の向上から、コスト削減へ移ったのだ。


 そんな削減の対象として、選ばれたのがN&P社製品だった。それは議会の私利私欲、商会同士の思惑など、様々な政治抗争が繰り広げられた結果だが、とにかく今現在も国に正規採用される装具の全ては、レイナルド社に預けられる事になった。


 ゼノヴィアはその政治抗争とやらに関与はしていないが、最初の方針と、最後の裁定を下したのは彼女だった。N&P社の失墜の原因は彼女にあるといっていい。その責任の一端を彼女は否定しようもなく、重く受け止めていた。


 しかし、N&P社の名前を口にしたゼノヴィアは、その顔に影を差す事すらなく、毅然とさえしていた。何故なら彼女自身が削減した予算をインフラに、教育に、あらゆる国民の為に使うと選択したからだ。彼女は得失とくしつのない選択などありはしない事を、その選択を今更になって後悔する事の愚かさを、施政者しせいしゃとして十分以上に理解していた。


「N&P社とマクミラン商会。確かに君の敵に回る十分な理由は持っているし、それなりの金でもって議会派の誰かにそそのかされれば、積極的に手駒としての役割を果たすだろうな」


「私の選択が、私をさいなむ事について覚悟は出来ていましたが、アイリの身にまで危険が及ぶ事になるとは。これも因果と呼ぶべきなのでしょうか……」


「因果なもんか。せいぜい、とばっちりって所だろ」


 女王として全てを背負い込み過ぎた結果だろうか? 感覚の鈍くなったゼノヴィアは浴びせられる敵意すらも、諦めきった自嘲的な笑みを浮かべて、真摯に受け止めようとしていた。


 マテウスはそれを鼻で笑い飛ばす。どんな理由があろうとも、こんな敵意の表し方が認められる理由ワケがない。そんなものまで義妹に背負わせようとする敵に、黒い感情すら抱く。だがそれは決して表に出される事なく、彼の飄々とした態度の下にくすぶって消えた。


「まぁいいさ。分からない事は色々あるが、相手はハッキリしたんだ。後はこっちで上手く叩いてみるさ」


「余り事を大きくしないでくださいね? では、こちらからも報告を1つ。ジェローム卿の死に対して、ドレクアン共和国側からの回答がありました。繊細な問題のゆえ、リンデルマン候自らがおもむいて、折衝せっしょうを重ねていたが為に、時間が掛かってしまいましたが……義兄さんの耳にも入れて置いた方がいいと思いまして」


「君がそういうなら、聞こう」


「結果からすれば、ドレクアン共和国と外交関係の維持には成功しました。ですが、ジェローム卿は護衛中、アイリから目を離した自らの責任を決闘裁判での敗北により晴らせなかった為、自責の念と悔恨かいこんに駆られて自殺した……という事になりました」


「自殺だと? それでいいのか? 確かにあれは殺人だったんだぞ?」


「私は義兄さんの証言を信じていますが、あれだけの聴衆ちょうしゅうがいたにも関わらず、犯人の姿を目撃したのは義兄さんだけというのでは……犯人が今現在も見つからない以上、外交上都合のいい選択として、犯人をいないモノにしたリンデルマン侯の判断は、私も妥当だと判断します」


「まぁ毒針で命を断った事実以外は、俺の証言だけだからな。俺が嘘吐きになるだけで国が救えるなら喜んで……待てよ? そうなると、リンデルマンが動いているというジェローム殺害事件の捜査は、打ち切られるのか?」


 リンデルマン候が犯人捜索に乗り出す最大の理由は、ドレクアン共和国への義理立てだ。ジェローム推挙すいきょに深く関わった者として、1人の戦士をあずかり受けた国の代表としての説明責任が、彼にあるからである。


 だが、リンデルマン候の作り話の中では、ジェローム殺害の犯人は存在しない。彼が殺人という悪を許さぬ信念を持っていたり、ジェロームに特別な感情を抱いてない限り、真犯人を追及する意味がない。


「はい。といいますか、そもそも彼はまともに犯人捜索に乗り出していません。彼が本気で捜索すれば、王都中をその私兵で虱潰しらみつぶしにも出来た筈です。それをしなかったという事は、元よりこう話を進めるつもりだったのでしょう。近日中に、捜査権は治安局に移る予定です」


「捜査初動を自分の権力で奪っておいて、今更勝手に捕まえろって事か。証拠なんぞ残ってないだろうな」


「その上でリンデルマン候は、婚約解消と同盟決議の延期と見直しを申し出たそうです」


「はん? どうしてそんな事に。そもそもそんな重要な決定を、女王である君を差し置いて……いいのか?」


「いいも悪いも、リンデルマン候はそれが出来る男です。議会は彼の判断を妥当だと賛同しました。誘拐犯を差し向けた者を突き止めない限り、我が国の政情の安寧あんねいはあり得ません。お互いが政情不安を抱えたままの同盟に未来はなく、利する所が少ないのでは? という会談内容だったそうです」


「誘拐犯をロクに捜索してない現状に、議会の都合に沿った会談内容……ハッ、冗談キツイぜ。リンデルマン候はドレクアンとの協調路線には、賛同していた筈じゃないのか?」


「その筈で、利害も一致していたから彼に任せていたのですが……ドレクアン共和国側と合意した今となっては、私もこの件に関してこれ以上の口出し不可能です。勿論、休戦の協定までは揺らぎませんでしたが、ここまで何年もの時間を掛けて、ようやく辿り着いた同盟の機会をこんな形で……」


 ゼノヴィアがドレクアン共和国との同盟に向けてこれまで歩んできた道程を、傍にいなかったマテウスには知りようもなかったが、その失意の程度ぐらいは彼女の表情を見れば悟る事が出来た。しかしここで一緒になって落ち込んでやるのが、マテウスの役割ではない。


「リンデルマン候の狙いがなんであるかは置いておくとして、ここで俺が主犯格としてカナーンを捕らえれば事足りるんじゃないのか?」


 リンデルマン候がなにを考えているかは分からない。ともすれば、ここまでの全てが彼の手の平で動かされている事なのかもしれない。だが、ゼノヴィアが保険としてマテウスを使って事件を捜査させていた事までは、彼の想定の外の筈だ。ならば、そのように動けばいいだけの話である。


「そうですね。義兄さん頼みになる上に、私からはこれ以上具体的になにか力になれる事はなにも……」


「気にするな。事情は確かに変わったようだが、やる事に変わりはないのであれば、なんの問題はない……すまん、誰か来たようだ。通信を切るぞ」


 ゼノヴィアはまだなにかを言いたげだったが、マテウスは女王特権を閉じて無理矢理通信を切断した。通信中に継続して近づいていた足音がマテウスの部屋の前で止まって、同時にノックの音が響く。

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