灼然たる朱き紅その1

 ―――2日後、午前。王都アンバルシア中央区、ダードリー公園


 その日、エステルはダードリー公園を1人で走っていた。それは彼女にとって軽い訓練だった。本来ならばマテウス相手に剣を振るい、本格的な模擬戦等に打ち込んでいる時間であったが、マテウスは昨日、今日と、午前中から姿を消していた。


 実はその行き先についても、エステルは聞き及んでいる。彼女とレスリーの座学の教師となれる存在を、商会という所で探しているのだそうだ。商会というのがエステルにはなにか、深く理解できなかったが、マテウスの説明で、そこで教師等、全ての人材を紹介して貰うのが一般的なのだと、おおよそで理解した。


 マテウスの説明は、エステルにとってとても退屈な時間だったが、レスリーは目を輝かせながらマテウスの言葉に聞き入って、質問を返していた。そんなレスリーを見てエステルは思い返す。モニカが退職した当日、夕暮れ時になってようやく帰ってきた2人の事を。


 その時、明らかにレスリーは泣き腫らした顔をしていた。レスリーが止めようとしなければ、エステルはマテウスを激しく糾弾きゅうだんしていただろう。


 その日以来、レスリーとマテウスの2人の関係にヒビが入る……ような事はなく、エステルから見ると、2人の関係は余り変わったように見えなかった。時折ギクシャクとした2人の姿を見かける時があったが、前述したように、なにか話題があると楽しそうに会話をしているので、エステルには正しく彼等の関係を把握する事が出来なかった。


 おそらく一般的な女性なら、そこでマテウスやレスリーのどちらかに、なにがあったのか問い詰めたりするのだろうが、エステルは細かい事の気にならない大雑把な性格だった。男女関係の機微にうつつを抜かす時間があるのなら、身体を動かして己を鍛える事を優先するのが彼女だ。だから、レスリーとマテウスの関係が見た目に良好なら、それでいいと考えていた。自分の目指すべき場所は変わっていないのだから、と。


 頭の中でマーチを奏でながら気持ちよくランニングを続けていたエステルは、不意に並木道の向こう側の光景に足を止める。エステルから見てその光景は、1人のうら若き女性が、複数の柄の悪そうな悪漢に囲まれているように見えた。


 囲まれた女の格好はホットパンツにチューブトップシャツという、刺激が過ぎる装いなのは、この際置いておこう。そのホットパンツの女は、男が掴みかかろうとしてもサッと身を引き、エステルの耳に届く程に男達から怒鳴られようとも、決して怯んでいるようには見えなかった。


 だが、多勢に無勢だ。彼女達の間で、なにがあったのかエステルは想像出来なかったが、多勢に無勢である……その1点だけで、エステルはどちらに加勢するかを決めた。騎士として弱きに味方をするのは当然であるからだ。


「待て待てぇいっ! 悪漢共っ! 可憐な女性によってたかってなんたる狼藉ろうぜき。恥を知れっ、恥をっ!!」


「あぁーっ!? っだてめぇは? 邪魔を……いや、ガキ? 女?」


 男達の後ろから颯爽さっそうと呼びかけて、いさかいの間に割って入ったつもりのエステルだったが、すぐに渦中の女を含めて、全員の視線が困惑を帯びているのに気付いた。


 心情の機微に疎いエステルであったが、これに関しては流石の彼女も慣れているので、彼女等の心情が正確に伝わって来た。老若男女問わず、今まで出会った全ての人間が、初対面のエステルへと浴びせる視線が、そうであったからんだ。


 それは、エステルが今のように全身装具に身を包み、剣を携え、大盾を背負った姿であっても変わらない。


 しかし、それは仕方のない事だった。なにせエステルの体は小さく、声は幼女を思わせる程に幼い。それは彼女自身、良く自覚していた。彼女は五体満足にせいを授けてくれた両親に深い感謝を抱いていたが、こればかりは少しだけ不服だった。なぜ自身を男に産んでくれなかったのか、それは出来ずとももう少し身の丈と、勇ましい声と、豊かな胸を……


(いや、胸は関係ない。胸はっ。騎士になるべくにして必要ないからなっ! それにまだ私は若いからっ)


「……っぷ。ちっさ」


「ちっさくなんかないもんっ! 成長過程だもんっ! もっと大きくなるし、っていうか、騎士としての器は既に大きいしぃっ!!」


(あ、本音漏れちゃった)(無理だろ)(無理だな)(つか、器も小せーし)(幼女? 幼女キタ?)


 助けようとしたホットパンツの女が思わず漏らした独り言に、全力で金髪お下げを振り乱しながら反応を示すエステル。この抵抗は事実無根の風評被害を防ぐ為であって、決して彼女の器量が小さい為ではない事をここに記述しておこう。


 とにかく、男達は想定していなかった奇妙な横槍に、総じて脱力していた。1人の男がエステルを手っ取り早く追い払おうと彼女に近づいて、加減した前蹴りを放つ。


「はいはい。騎士ごっこのしたいガキはよそ……でぇっ?」


 エステルは蹴り出された右足を、右に1歩流れるだけの自然な動作で回避し、右足膝辺りの衣服を左手で掴んで引き上げる。当然、男の軸足はバランスを崩し、よろけた。そこを目掛けてエステルのローキックが放たれて、男は無様に地を舐めた。


「喧嘩ごっこの蹴りが、騎士に届くと思ったか?」


 地べたに這いつくばる男を見下ろすエステルの視線には、しっかり怒りが篭もっており、騎士ごっこと揶揄された事に対しての恨みが残っているのは疑いようもない。やはりこの少女騎士見習い。器が大きいというには、少しばかり短気なようだった。


「てめぇ……優しくしてりゃあよぉっ!」


 無様にもエステルに倒された男は、一瞬で激昂した。彼女の手から足を振りほどいた彼は、起き上がった直後の低い姿勢のまま突進して、エステルに体当たりを食らわせようとする。


 しかし、エステルは男が起き上がった直後に先んじて踏み込んでいた。男が顔を上げて視界を広げた瞬間には、既に眼前には彼女の右腕の篭手しか映らないほどに、接近を許していた。


 男はあえなくカウンター気味にエステルの篭手に顔面から正面衝突して、その鼻っ柱を物理的に折られる。普通の少女相手になら彼の体当たりに軍配が上がったのだろうが、なにせ今回の相手はマテウスの突きを受け止めたエステルである。その突進力も生半可ではなかった。


 男の体がなにかの冗談のように宙に舞い上がり、地に転がる様子を見て、残りの男達3人の空気にも緊張が走る。男がまた1人エステルに詰め寄り、その右腕を横殴りに振り抜く。エステルはそれを身を竦めるだけで回避した。


 右、左……交互に繰り出される拳を紙一重で回避し続けるエステル。回避される男の顔には、目の前でなにが起こっているのかよく分からないような、焦燥が浮かんでいた。そんな迷いを帯びながら放たれた拳打が見せる隙を、エステルが見逃す理由ワケがない。


 エステルが放った右拳が、男の下顎を捉える。硬い篭手で固められた拳で、男の踏み込みに合わせて打ち抜くような、絶妙のタイミング。結果、男はたったの一撃で派手によろける。続けてエステルは懐へと潜り込み、よろけた男の襟元と腕を掴んで背負い投げを繰り出した。


 男に抵抗する気力が残されている筈がない。受け身も取れずに背中から芝生の上へと叩きつけられて、彼は意識を失った。


「クソォ、やってくれたなっ!」


 3人目の男は、彼等の中で1番体躯の大きな男だった。その体躯を十分に活かし、エステルに助走をつけながら襲い掛かる。背中から襲い掛かられたエステルだったが、その距離感を見誤る事はなかった。振り向きざまに身を屈めて、低い姿勢のまま迎えるように突進する。男の両腕を掻い潜り、鳩尾みぞおちに右肘を深くねじ込んだ。


 男は口の端から彼が今朝食べたのであろうなにかを溢れ出し、両腕で腹を抱えながらヨロヨロと崩れ落ちる。視線は虚空を見詰め、地獄の苦しみに身体を震わせていた。


「く、くるなぁっ! ガキがぁっ……てめぇ、俺達が誰だかわかってんのかぁっ!? マクミラン商会のもんだぞ!? おい、こらぁっ?」


 最後に1人残された男は、右手にナイフを構えて、軽く振り回しながら威嚇してきた。しかし、その威嚇がエステル相手に意味があろう筈もなく、言葉の内容すらも彼女は理解してなかった。彼女が理解したのはただ一点、相手が得物を手にしたという事だけだ。


「なにを言っているのかよく分からんが、騎士相手に抜いたのなら覚悟は出来ているんだろうな?」


 右腰脇に差していた鞘から、ソードブレーカーを引き抜く。その剣先をビッと顔に向けられただけで、男は萎縮した。臆した理由は、その凹凸のある剣身にか、はたまた自身のナイフより長いリーチにか……


「ひっ、ひぃ……ちくしょう……ちくしょぉぉぉおー、おっ?」


 うろたえていた男だが、奇声を上げながらなんとか己を鼓舞してエステルへと一歩を踏み出そうとしたその時、情けない声と共に意識を奪われる。男には自身になにが起こったのか理解出来なかっただろうが、エステルは一部始終を見ていた。


 男の後ろからホットパンツの女が、側頭部を刈り取るような後ろ回し蹴りを放ったのだ。それは、女自身の身長よりも10cm以上は上に離れた男に対して放たれた、見る者を魅せるような美しさと、成人男性を一撃で沈める威力を秘めた蹴りだった。


「助太刀は感謝するが、後ろからは卑怯ではないか?」


 エステルは振るい所のなくなった剣を鞘へと納めながら、女へと歩いて近づいていく。そこで吹いた風が通り抜け、女の背中まで届く長髪をなびかせた。靡いた髪は朝日を反射し、エステルの目には光の加減から真っ赤に映った。


 エステルにとってそれは初めての体験で、少なからず神秘的な出来事だった。彼女とは比べ物にならない程に大人びた顔立ち、目尻の釣りあがった意志の強そうな鋭い瞳。女性らしさを帯びた上で低く、よく通る声で、赤毛の女からエステルへと話しかける。


「卑怯っていうか……勝手に入ったのはアンタが先じゃん。私1人でなんとか出来たのにややこしくして。どーすんの? これ」


 この言葉にエステルは不満だった。赤毛の女の言葉は強がりなどではなく、確かに正しいのだろう。彼女の動きを見る限り、男達よりかは余程体術の心得があるように見えた。だが、どうして絡まれている所を手助けした自身が責められる理由があるのか理解出来ずに、腹さえ立った。


「確かにいらん助力だったかも知れないが、悪漢をぎ払っただけでどうしてそこまで言われる理由がある? 礼には及ばんが、叱責を受けるいわれはない筈だ」


「悪漢って……アンタ本気で言ってんの? この男が最後に言ってた事、聞いてたんでしょ? 商会相手にこんな事して、ただで済むと思ってんの?」


「商会? あぁ……あぁ、それな。ほら、教師の沢山いる……なっ? はて? その割には彼等は教師に見えないが……」


「……マジか、この子。早くなんとかしないと……もういいよ。とにかく場所を変えよう? 人目につくともっと面倒だし」


 赤毛の女は頭痛を堪えるように額に指先を押し当てながら、空いた片手でエステルの手を引いた。だが小さなエステルはその体躯に見合わず、赤毛の女の力ではビクともしない。


「なにを言う。このエステル・アマーリア。人目をはばかるような行為は断じてせん。理由を教えてもらおうっ」


「アマーリアって……本物の騎士の家系じゃん。騎士ってマジだったんだ……とりあえず、それは置いとくとして、とにかく後で説明するから今は言う事聞いてよ」


「……致し方ない。だが、相手に名前ぐらい名乗ってもいいのではないか?」


「そうか、自己紹介まだだったね。私の名前はヴィヴィアナ。それじゃ、いくよエステル。道具とか持つの手伝って」


 エステルは得心いかぬままにヴィヴィアナと名乗る女の言う事に従って、布の巻かれた木の棒を担いで、彼女の後を追う事にした。

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