認めがたい懺悔その2

 マテウスは己を恥じていた。一体なにを感情的になる必要があったのだろうかと。別にモニカを解雇した事に関しては、彼はなんとも思ってはいない。レスリーに座学と礼儀作法の授業は必須だ。それをレスリーに対して行わないモニカに、商品価値はない。


 そう……商品価値がないものを返品するだけのただの作業だ。それを、少しだけ感情的になって、余計な一言付け加えてしまったが為に、タークス大銅貨2枚もの損失になってしまった。その上モニカから、この事を商会に報告でもされれば、これからの求人に影響が出る危険リスクもある。


 感情的になり、目的に支障をきたすなど、愚か者のする事だ。マテウスはそう自戒じかいして、かぶりを振るう。これ以上は後悔しても仕方がないと、今はレスリーを探す事に専念しようと、頭の中を切り替えた。


 マテウスが始めに立ち寄ったのはレスリーの部屋だ。扉をノックしてみるが返事はない。寝ている可能性もあるからと、少し心苦しいが無断で中へと入っていく。


 中にはやはり、誰もいなかった。質素な部屋で、なんの飾りっ気もない。そんな室内で、1番に目立つのはレスリー用のベット。偶々この部屋のベットは痛んでいたので、別の部屋から入れ替えてやった物だ。レスリーは涙を流しながら、大袈裟に感謝していた。


 備え付けのテーブル。その上の理力に反応して火を灯すランタンは、夜に不便であろうと、マテウスが買い与えた物だ。これにもレスリーは大袈裟に感謝していた。


 マテウスはそれらを、別に感謝される為にしたのではない。彼女が不自由なく暮らす為の環境を整えるのが、彼の仕事だからそうしたまでだ。彼の立場なら、誰もがする当たり前の事。それらに過剰な反応を示すレスリーを変な女だと思っていたマテウスだったが、今は少しだけ違う印象を抱いていた。(まぁそれを除いていも、少々変わり者なのは、間違いないのだが)


 もう1度確認の為に、部屋中に視線を廻らせる。他に目に付く物といえば、壁に掛けられた数着の女使用人服だけ。ドイル家からは、それ以外にレスリーは私物を与えられなかったそうだ。他に与えられた物といえば、入隊試験当日に着ていたドレスだったのが、理由ワケあって今はもう失われている。


 とにかく、この部屋にレスリーの姿はなかった。ならば次の場所を探す必要がある。マテウスはそう考えて部屋の扉を閉めて次に向かう先、訓練場へと足を運んだ。


 何故マテウスが、次の捜索場所に訓練場を選んだのか。その理由はマテウスが、レスリーは努力家だと、認識していたからである。まだ数日しか彼女に指導していないマテウスであったが、彼が見ていない部分でも、確かに剣を振って成長を遂げている。彼はそういう感触を、彼女に何度か覚えていた。


 だから今日も空いたこの時間を訓練に費やしているのでは? と、考えたのだ。そして案の定、レスリーの姿を見つける事が出来た。


 しかし、レスリーの練習風景はマテウスが想像していた物と、少し違っていた。マテウスは初め、レスリーが片手剣を振っていると思っていた。マテウスが最初に彼女に握らせて、今日まで彼女と訓練してきた武器が片手剣だったからだ。


 だが、レスリーが手にしていた武器は黒い槍だった。あれは、マテウスがエステルと決闘する時に使った上位装具オリジナルワン黒閃槍シュバルディウス。武器庫に置いていたのを、彼女が勝手に持ち出したのだろう。


 黒閃槍はマテウス用に作られた上位装具である。当時まだ女王ではなかったゼノヴィアの父セドリックから、マテウスが勲功くんこうを重ね続けた事への恩賞に、あずかった品だ。


 マテウスが騎士としての称号を失った日、国に一緒に取り上げられたのだが、騎士として再び歩みだした日に、ゼノヴィアより再びマテウスに託された……そんな経緯のある上位装具だった。


 その造りは一般の槍とは大きく異なる。理力解放の引き金となる装飾の彫られた柄は、一般の槍より一回り太く、重い。穂の補強(刃と柄を繋ぐ部分)と石突き(刃とは逆の柄尻の部分)には、攻撃の威力を高める為にと、おもりが仕込まれていて、特別に固く重く仕上がっていた。勿論、穂自体も一級の理力石より取り出した加工品である。


 そんな女子供では逆に振り回されてしまいそうな一品を、レスリーは気持ち良さそうに振り回してた。片手剣ではあれ程腰が引けていたにも関わらず、槍の扱いは基本が出来いた。腕ではなく、身体全身を使って支え、突きと殴打を放つ姿はまるで舞踊ぶようのようだった。


 その光景を暫く眺めていて、マテウスはある事に気付く。レスリーの動きは自身のそれに似ているのだと。というよりも、マテウスとエステルとの決闘を1人で模倣もほう、再現しているのだと理解した。だから基本が出来ていたのだ。


 感心しているマテウスの前で、レスリーは訓練用の木人ぼくじんの腹部を蹴り、反動を利用、駆け上がるようにして宙に舞って1回転してみせる。マテウスがエステルの盾を蹴って宙に舞った動きを、焼き直して見せた。


 ……ただ、彼女の女使用人メイド服であの動きは、辞めさせた方が良さそうだ。ただでさえ短いミニスカートの中身が、ハッキリとマテウスの脳裏に焼き付いてしまっていた。


 とにかく、マテウスの動きを1度見ただけで再現してみせるセンス。運動神経はいい。体力も筋力も、鍛えれば伸びそうだ。反射神経も悪くはなかった。後に必要となるのは、技術、経験……そして決断力といった所だろうか。


「レスリー」


「えっ? へっ、わっ……マテウス様っ!? きゃぁっ!?」


 胸中にどう言葉を掛ければいいか、などと考えながらとりあえず名前を呼びかけたマテウスに、初めて彼の存在に気付いたレスリーが振り返る。その一瞬で彼女の力が抜けたのか、槍の重さに振り回されて、体勢を崩し、上半身から無様にすっ転んだ。


「やっ、嘘っ……マテウス様。お出かけになったのでは? あの、これは、その……勝手に持ち出しまして、その……申し訳御座いませんっ! マテウス様の品に手を出すような真似をしていましましたっ! 弁解のしようもありません。すいません、すいませんっ。どうか、どうかお許しくださいっ!」


 マテウスに気付いたレスリーは、この世の終わりを迎えたかのような表情を浮かべた。うつ伏せに倒れていた体勢から、足や両手に着いた土汚れには気にも留めず、顔面を蒼白にしたまま、黒閃槍シュバルディウスを両手で抱えて立ち上がり、すぐに腰深く曲げて頭を下げる。


 カタカタと身体を震わせて、唇を恐怖に噛み締めて、怯えるように強く強く黒閃槍を両手で握り締めたまま動かなくなったレスリーへ、足音を鳴らしながらマテウスはゆっくり近づいていく。


 いよいよ自分はクビを言い渡されるかもしれない。レスリーは瞳を強く閉じて、涙を堪えた。彼女にはマテウスが近づく足音が、宣告までカウントダウンにしか聞こえない。


 せめて最後には、マテウスに対してこれまでに良くして頂いた礼をしたかったレスリーだったが、ベルモスク混じりの自分では、なにをしてもマテウスの力にはなれないだろう。そう思うと余計に黒く、暗澹あんたんとした感情に沈むのだ。


 そんな悲壮な覚悟を抱いているレスリーの前でマテウスは足を止め、膝を曲げてしゃがむ。彼女の膝や腕に着いた土汚れを払ってやりながら一言尋ねた。


「随分派手に転んだが、どこか痛めた所はないか?」


「へっ……その、ぜ、全然……大丈夫です。こ、これぐらいなら」


「そうか。咄嗟とっさの受け身も取れるようだな」


 恐る恐る顔を上げたレスリーを、マテウスは顎をしゃくりながら感心した様子で見つめている。レスリーは唖然とするよりなかった。彼女の見る限り、マテウスの表情に変化はなかったからだ。彼が与えた命令を無視し、彼の私物を勝手に持ち出して、サボっていた自分を前にしてである。


「あぁー……その槍、気に入ったのか?」


「へっ? あ、そ、その。勝手に持ち出しまして、この件はどんなお詫びをすればよいか……どうぞ、今からこの槍でレスリーの衣服を切り裂いて、身体を打ちのめして、それからそれから、マテウス様のアツいモノでご満足頂けるまで、存分に貫いて頂いて結構ですので、どうかお許しをっ!」


「しねーから。俺の槍はそんな事には使わん」


「そ、そうですね。レスリーなんかの身体を貫いたら、マテウス様のご立派な槍がけがれてしまうかもしれませんよね。で、でも槍だなんて、そんな……少々過大申告では?」


「穢れてるのは君の頭の中だ、この馬鹿。なにを勘違いしている。この黒閃槍の事だよ」


 言いながら立ち上がったマテウスは、彼の股間をチラチラ覗くレスリーの頭を軽く引っぱたく。叩きながら、彼は複雑な心境だった。レスリーが全くもって普段通りだからだ。そう……やはり、彼女にとってあの扱いは、普段通りの出来事なのである。


 頭を抱えて薄っすらと涙を浮かべるレスリーに、マテウスは再度同じ質問を繰り返した。


「もう1度聞く。黒閃槍、気に入ったのか?」


「えっ……その、うっ……実は、武器庫に入らして頂けるようになった日から、気になってまして……その、マテウス様がこれを使って闘っている姿が目に焼きついて、は、離れなくて……昨晩から触れさせて貰ってます。す、すいませんっ。すいませんっ」


「いいから。気にしてないから、謝るな」


 また何度も頭を下げて謝り始めるレスリーを前に、マテウスは溜息を吐いた。こんな時に、どういった言葉をかけてやるのが正しのか? 正解など分かる筈もない。だから彼は、ただ率直に己の思うままの要望を口にする。


「今度から使う時には俺に一言言ってくれ。時間が許すなら傍で見ててやるし、使い方も教えてやる。あれは色々特殊な槍だ。1人で使って、先程のような事で君に怪我でもされたらかなわん。それとモニカさんの事も……ああいう事があったら、俺に相談してくれればいい。なるべくだが早急に対処していく」


「あ、ああいう事? 対処って……な、なにを?」


「君に必要な教養の取得を妨げるような行為だ。ひとまず対処として、モニカさんにはやめてもらった。これから君にも教育をしてくれる人材を探す予定だ。暫くは不便を掛けるが……」


「モニカさんを解雇なさったのですか? どうしてそんな……モニカさんはなにも悪くないんですっ! あれはレスリーが悪かったんですっ。レスリーがこんなだから、当然なんですっ。だってこんなに醜い肌の……」


「レスリー。もういい、レスリー。少し黙っていてくれるか?」


「あ、はっ……うぅー。すいません、すいませんっ!私がマテウス様に意見するような差し出がましい真似をしてしまいましたっ。申し訳ありませんっ!」


 マテウスはその返答に、何故か気持ちが深く沈み、再び深い溜め息を落とした。彼にはモニカの思想が悪いかどうかなんて、分からない。そんな事に興味もない。だが、そんな彼でも1つの確信を抱いていた。


 今回の件、レスリーは悪くない。なにも悪くないのだ。彼女は教養を取得し、王女殿下の親衛隊騎士として役目を果たす。その為に必要な事をしているだけだ。なにを謝る必要があるのだ。


 だが、そんな言葉をレスリーに伝えた所でどうなる? 決して受け入れられはしないだろう。そんな行為はマテウスの自己満足で、自分都合で、彼女に対する欺瞞ぎまんに過ぎず、彼女が歩み続けた15年間の現実を否定する行為だ。どんな言葉で取り繕おうとも、事実として彼女は、その肌と髪の色で排斥はいせきされ続けて来たではないか。


 もし、そんな言葉をかけるタイミングがあるとすれば、レスリー自身が彼女の現実に疑問を抱いた時だ。そしてその時を掴むのは、やはり彼女自身が手を伸ばすしかない。

 

 そして、レスリーがそうあるべきであるように、マテウスも彼の役目を全うしようとしているだけである。教官役として、レスリーが親衛隊騎士としての役目を果たせるように、強くする為の道具ツール。それが彼の筈だった。


 しかし今のマテウスは、目の前のレスリーを救う事も出来ず、謝罪という名の自傷を続ける彼女を、黙らせる事でしか止める事が出来ない自身に、至らなさを覚えていた。


 だが、そんな感情すらも彼女に対しての侮辱ではないのか? と、マテウスは自己嫌悪の袋小路にさえ陥りそうだった。道具如きに彼女の内へ踏み込む役目や権利など、あろう理由ワケがないのにも関わらず、だ。


 そうしてマテウスは、考えあぐねて1つの回答を手に入れる。ありもしない恐怖に震えるレスリーの両肩に手を乗せて、腰を下げて視線の位置を合わせてから、ゆっくりとこう告げた。


「今日は2人で買い物にでも行こうか」

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