認めがたい懺悔その1

 シンディーと別れたマテウスは、その足でレスリーとエステルの授業を見に行く事にする。レスリーの他にエステルが追加として授業を受けれるようにする為、教師であるモニカと契約内容の更新する約束を、取り付けていたからだ。


 向かう先は元々会議等に使われていたのであろう部屋。今はそのまま、教室と呼称している場所だ。 


 結局、シンディーはここでの回答は保留にし、上司に相談すると言って兵舎を後にした。マテウスは出来れば彼女に着いていって、上司の説得にも付き添いたい所だったが、そこまで出しゃばっては越権えっけん行為でいい顔をされないだろうと、遠慮する事にした。


 だが、これからの捜査においてシンディー、否、彼女の組織力は必要になるだろう。カナーンの協力者は、ゼノヴィアとマテウスの予想が正しいとするなら、議会派でかなりの権力者だ。その権力に対して、マテウス個人では太刀打ち出来ない場面がいつか来るだろう。


 その時こそ、クレシオン教会の組織力と後ろ盾を十二分に利用させて貰おうと、マテウスは考えていた。


 そうこう考えているうちに、マテウスは教室の前に着いた。同時に今は座学の時間の筈だが、中の様子が少しおかしい事に気付く。エステルが声を荒げているようだが(例によって幼い声なので、荒げているように聞こえなかったりする)、なにかトラブルでもあったのだろうか? と、とりあえずは扉を開いて、部屋の中へと入っていくマテウス。


「騒がしいようだが、なにかあったのか?」


「ごきげんよう、マテウスさん。ご用件は契約内容の事でしょうか? 今は、少しお待ちいただけますか? エステルさんへの授業中ですので」


 マテウスの質問に答えたのはモニカだ。高齢な彼女の顔は皺がより、髪は残らず白く染まっていたが、ピンと張り詰めるように伸びた背筋や、気品溢れる立ち振る舞い、上品で落ち着いた服装など、その年齢を感じさせない雰囲気を纏った女性だった。同時に彼女の声色は固く、厳格で気難しそうな印象を相手に抱かせた。


「マテウス卿、いい所に来た。卿は一体どういう契約を彼女と交わしたのだ?」


「どうって……普通だろう。1日4時間の授業で1ヶ月にセグナム銀貨3枚。少し高いがモニカさん程の実績なら安いぐらい……」


「では何故、レスリー殿にその授業を受けさせない?」


「レスリー? そういえば彼女はどうしたんだ? 姿が見えないようだが」


 指摘されて初めてマテウスはその事実に気付く。彼が教室内を見渡しても、どこにもレスリーの姿が見当たらない。本来ならば、彼女はここでモニカの授業を受けている時間だ。


「あのベルモスク混じりなら、出て行って貰いました。これから受ける授業の妨げになるので」


「ベルモスク混じり……レスリーの事か?」


 確認しながらも、マテウスは事態が飲み込めて来ていた。ベルモスク人……マテウスが生まれるよりもずっと前に、エウレシア王国によって滅ぼされた、ベルモスク王国の民だ。


 歴史をそのままに見るならば、彼等は最後の1人になろうとも、その誇りを抱いて抗戦を続けた、勇敢なる戦士の一族であった。だがその受け止め方は、人や時代によっては違ってくる。傷つきながら勝利を収めた戦勝国であるエウレシア王国の大半の人間には、こう受け止められているのが一般的だ。


 最後の1人なるまで無謀にも我が国に抗い、卑怯で非道な手段をもってしてエウレシアの騎士達の血を流し続けた、愚かで残虐かつ野蛮な民だと。


 ベルモスク人の特徴は褐色の肌と黒髪。今現在亡国の彼等は、男達は労働力として、美しい女子供は物好きな富豪達の性の捌け口として、その多くが奴隷や使用人に身を堕としている。


「他に誰の事だと? あのような者に語学や算術……ましてや礼儀作法を教えろなどと、侮辱もはなはだしい」


「しかし、モニカ殿。彼女は私の友人で、同じく王女アイリーン様を護らんとする、親衛隊騎士の一員だ。彼女を置いて私は授業を受けるなど出来ない」


 モニカの返答にマテウスが眉間に皺を寄せたまま声を失っていると、間にエステルが割って入ってくる。初対面からそうであったように、エステルにはベルモスク人への偏見はないようだ。


 彼女が若いからという理由もあるが、それ以上に彼女が理想の騎士を目指しているから、というのが、理由として大きいだろう。弱きを助けるのが騎士。その精神が、彼女の心の深くに根ざしているからだ。


 マテウスにも偏見はなかった。元来彼の性格が合理主義であるからというのもあるが、戦場でベルモスク人と肩を並べて戦った事が、理由として大きい。彼等は優秀な戦士である事が多く、下手な矜持きょうじだけに固執こしゅうした、貴族騎士共よりかは、いくらか戦場で役に立つ事が多かったからだ。


 それはレスリーを入隊させた理由の1つでもある。マテウスは少しだけではあるが、彼女の成長に期待を寄せていた。


 アイリーンはどうだっただろうか? 彼女は初対面のレスリーの顔を、あの好奇心旺盛な笑顔で覗き込んで、ペタペタ両手で触りだした事をマテウスは思い出す。その積極的な話術で、一瞬にしてマテウスよりレスリーとの心の距離を詰めているように見えた。


 もしかしたら、ベルモスク人という言葉すら知らないのかもしれない。だが、もし知っていたとしても、彼女なら変わらぬ対応を取りそうだともマテウスは思った。なにせ、マテウスに纏わりつく変わり種である。


 パメラに関しては考えるまでもない。彼女にとって、王家アイリーン以外の全てが、同様に価値がない。マテウスだろうが、ベルモスク人だろうが、そこらを舞う羽虫だろうが、それがアイリーンにとって害であるかどうか。それが彼女にとっての価値観の全てだ。


 マテウスはこうして冷静に考えてみて、初めて自分の愚かさに気付き、モニカの名前を出した時にレスリーが浮かべた、青ざめたぎこちない作り笑顔を思い出す。


(俺達が特殊なだけで……これがレスリーにとっての通常だったんだな)


「ベルモスク混じりを親衛隊騎士に? なにを仰るかと思えば、エステルさん。それこそが礼儀作法以前の不敬だと、何故理解出来ないのですか? いいですか、エステルさん。あれは同じ人ではありません。異形崩れとも呼ばれています。博愛主義は大変尊い考えですが、分ける所は分けなければなりません。王宮にあのような異形崩れが立ち入る所を想像しただけで、私は背筋が凍ります。そもそも野蛮で分別のないベルモスク混じりに語学や算術を理解する知能など……」


「モニカさん、モニカさん。ご高説どうもありがとう。俺もエステルもよく分かりました」


 怒涛どとうの勢いでくし立てるモニカに、今度はエステルが声を失う番だった。マテウスが間に入ってようやくモニカは口を閉じて、それでもまだ言い足りないのか、荒い鼻息を1つく。


「モニカさん。貴女を雇って今日で何日目になりますか?」


「6日目になります。ようやく人間の教え子が姿を見せたので、ホッとしましたわ」


「つまり、レスリーにはなんの授業もほどこしてないわけですね?」


 マテウスの質問にモニカを眉を潜めるだけだ。なにを当たり前の事を……マテウスはそういった様子の彼女を見て、言葉にして聞かずとも答えを理解して頷いた。


「分かりました……エステル、今日の所は君1人で授業を受けてくれ。俺は今からレスリーを探してくる」


「なっ!? レスリー殿を探すのなら、私も行くぞ?」


「いや、俺1人で十分だ。彼女なら兵舎の外に出たりはしてないだろうしな。それとも、君は座学や礼儀作法の授業が必要無いほどに優秀だったりするのか?」


「それは……その、礼儀作法は……多少な、多少。座学はその……なっ?」


 マテウスの質問にエステルは、彼女にしては珍しく不明瞭ふめいりょうな返答をした。気まずそうに目を逸らし、両人差し指を擦らせる仕草は、彼女の姿そのままに子供のようだった。


「なら、大人しく授業を受けていろ。モニカさんは実績がある。言う事をよく聞くように」


「しかし、友人をあのようにけなされて黙って……」


「それとこれとは別だ。今はレスリーや君の心情ではなく、君の教養の話をしている」


 エステルはマテウスの語気の少し荒くなった声に、言葉で返せずに立ち尽くす。と言うのも、彼女にはマテウスが苛立っているように見えたからだ。エステルの言葉を最後まで聞かずに遮った辺りにも、それが現れている。


 エステルの幼少から再会までの記憶を振り返って見ても、マテウスが苛立っている姿を見るのは初めてだった。エステルの記憶の中の彼は、いつも冷静で飄々としていたので、素直に意外であった。


 モニカはそんな2人のやり取りを静かに見守りながら、我が意を得たりと深く何度も頷いている。マテウスに自身の優秀さ、ベルモスク混じりに対する憤りが伝わったのだと、胸中に感動すら覚えていた。


「モニカさん、彼女の授業を頼みました」


「えぇ、お任せください」


 そう言い残してマテウスは教室を出ていった。エステルはそれを不満げに見送る。あの瞬間は驚きが先立って、声を返す事が出来なかったが、やはりマテウスの言い分に納得などしていなかった。


 勿論、モニカの言い分にもだ。そんな彼女の授業など、どうして素直に受けれようか。この思いは彼女が座学が苦手だとか、礼儀作法が退屈だとか、そういう感情とは関係ない……多分。そう、一切。


 そうこうエステルが考えている内に、教室の扉が再度開く。入って来たのは、またもやマテウスだった。エステルとモニカが意表を突かれた表情で振り返る最中、彼はモニカを前にしてテーブルの上に硬貨を丁寧に並べて置いていく。


「あの……マテウスさん? なんですか? これは」


「タークス大銅貨(セグナム銀貨1枚につき、タークス大銅貨15枚に相当)7枚です。貴女を今日まで拘束させた時間と、今日のエステルの授業料。妥当な金額だと思うがどうでしょう?」


「え、えぇ……ですが、給金の支払いは月末に商会を通しての筈では?」


「今日で貴女には辞めて頂く事になりました。本来なら払う必要もない金ではありますが、余計な迷惑を掛けたので、俺からの心ばかりのお礼です」


「辞めてって……クビと言うことですか? 何故私が? マテウスさんも先程仰ってくださったではないですか。優秀な私の何処に不手際が?」


「別に不手際なんてありません。貴女はいい教師なんでしょう。次の雇い先で頑張ってください。それと、これはこれから掛ける迷惑料です。追加しておきます」


 そう口にしてマテウスは、タークス大銅貨を1枚1枚、合わせて2枚を静かに並べる。テーブルの上に並べられた9枚のタークス大銅貨。モニカはまるで理解できなかった。自分が突然クビになる理由。これから掛ける迷惑料? なにも分からない。名家に足を運び、幾人もの紳士淑女を育てあげた優秀なモニカにとって、あってはならない事だった。


「これから掛ける迷惑……とはなんですか?」


 その高いプライドを圧し折られた事に対する怒りや悲しみを抑えながら、ようやく震えた声で発したモニカの言葉はマテウスへと向けられたものだ。だが、マテウスは質問に答えずに、いきなり彼女の頭を右手で鷲掴む。


 そうしてマテウスはモニカの頭を彼女が爪先立ちになるまで強引に引っ張り上げ、鼻先が触れそうな距離から、モニカの瞳の奥をその鋭く冷たい眼差しで見下ろす。その瞬間、モニカの心は先程までの怒りを忘れて、恐怖に凍りついた。


「俺の教え子に好き放題言ってくれるなよ。次、俺やレスリーの目の前であんな台詞を吐いてみろ。この右手の力加減、間違えるのは避けられんと思え」


 マテウスはそう低く抑揚のない声で伝えると、モニカの頭を解放し、すぐにきびすを返して教室を出ていった。モニカはその背中を視線で追う事も出来ずに、腰を抜かしてよろよろと崩れ落ちる。


 そんなモニカの肩を叩くのは、一部始終を傍観ぼうかんしていたエステルだ。モニカが顔を上げた時、エステルは満面の笑みを浮かべていた。


「さぁ、モニカ殿。授業を始めよう。時間は有限だ。私は算術が苦手でな。そこを厳しく頼む」


 今日1日の間中エステルは、苦手な算術の授業を終始笑顔で受ける事が出来たらしい。

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