クレシオンの猟犬その1

「はぁ……もういいです。義兄さんのそれは、今に始まった事ではないですし。それに、本当に怪我もないようで安心しました。今朝パメラから、カナーンに襲撃されたと報告を受けましたから」


「大した相手ではなかったがな」


 カナーンの襲撃よりも、ゼノヴィアの小言と相対する方が、マテウスにとっては余程の労力だったようで、話が逸れた事に彼は晴れ晴れとした表情で、事もなげに答える。対してゼノヴィアの顔色は、曇ったままだった。やがて言葉にしづらそうな雰囲気を抱えたまま、何度か躊躇ためらいながら口を開く。


「その、義兄さん。これ以上の捜査は更なる危険を伴う事でしょう。義兄さんが手を引くと仰るなら、私はそれでもいいと思っています」


「なにを言い出すかと思えば……藪を突いたら蛇が出てきたくらいで、捜査を止められるか。この程度で止める気なら、最初から引き受けたりはしない。そもそも君は、誰の差し金か大方予想がついているんじゃないのか?」


 マテウスの質問に、ゼノヴィアは緊張を走らせながら言葉を選んで語り始める。


「余り先入観を与えたくなかったので伝えなかったのですが、こうなってしまっては、伝えた方がいいかもしれませんね。私はこの件、議会派が絡んでいると思っています」


 この場でゼノヴィアが議会派と称するのは、議会の中でも未だに軍国主義を根ざして、彼女の政策に反発を示す右翼貴族達の事だ。逆に彼女の政策を認める貴族達も議会の中にはいるが、女王派と呼ばれる彼等の数は、議会派のそれと比べて圧倒的に少ない。


「そう考えているからこそ、俺に捜査を命じたのか。議会派であるリンデルマン候、捜査能力に限界がある治安局、そして君の権力が及ばない、実行犯を狩り尽くす事が目的の異端審問局……そのどれもが、君の為に事件の黒幕まで暴いたりはしないだろうからな」


 まぁその黒幕とやらもいるとすればの話だが、とマテウスは一呼吸置く。そもそもどうして議会派が犯人だという考えに至ったか。彼はその根拠を率直にゼノヴィアへ問い質した。


「このタイミングで、アイリが狙われた事です。事件の1ヶ月前、アイリの結婚式の日取りが正式に決まりました。議会派はその主義からドレクアン共和国との正式な同盟に否定的です。それまでも様々な妨害は受けてきましたが、今回の件はいよいよに迫られての蛮行だったのではないかと」


「確かにそれだけ聞くと辻褄つじつまは合うが、少々強引じゃないか? 報告したと思うが、この誘拐事件はジェロームが実行犯であるカナーンと内通していた可能性が高い。彼はドレクアン人でリンデルマン候の息がかかった人間だ。エウレシアとドレクアン、二国の不和の為に動くとは考えづらい。そもそも、リンデルマン候はドレクアンとの同盟に反対しているのか?」


「……彼は議会派の先鋒ですが、今回の同盟に限っては私に同調しています。理由として考えられるのは、ドレクアンと再び開戦するような事になった場合、彼が所有するラーグ領が戦地となるのは、避けられないからです」


 軍国主義を貫きたいが、想定される一番の被害が自身の領地であるとなると、また話は変わってくるだろう。だからこそゼノヴィアはその親善大使に、リンデルマン侯を指名した筈だ。


「つまり整理すると、君のいう議会派の男は、議会派の重鎮であるリンデルマン候の意思に逆らい、彼とドレクアンの息がかかったジェロームをどうやってか服従させ、異端審問局に目を付けられる危険リスクを犯してまでカナーンを使って、国家反逆おうじょゆうかいの罪に踏み切ったようだが……割に合うと思うか?」


「思いません……ですが、議会派であるという事は間違いない筈なんです」


「そこには俺も同意だ。アイリーン誘拐の最大効果メリットが、婚姻の決裂だ。ただの身代金目的なら、もっと適任がいるからな。そもそも今回の事件、金銭目的ならどれだけの身代金を……」


 マテウスはそこまで告げて、はたと言葉を止める。彼等の使っていた装具達、グランディッヒ社製のドラゴンイェーガー、ハイフリューゲル、リデルカース社製のLFM5……この、どれもドレクアン共和国に会社を持つメーカーで、エウレシアでは入手困難な、一線級の装具達。


 ジェロームというドレクアン人が手引きした事。そして、カナーンというテロリストのような背景をもつ宗教団体の為に余り気にしていなかったが、これらの装具を実行犯全てに訓練が行き渡るほどの数を用意するのは、相当額の資金が必要な筈だ。


 それは訓練の度に消耗する理力層カートリッジにしても同様だ。使用者の錬度によって数発単位の変化はあるが、LFM5は理力層1つにつき80発の火球を秒間6発で発砲できる。


 およそ13秒もあれば理力層を空にできる計算だが、この理力層1つにセグナム銀貨2枚というのが現在の相場だ。13秒でレスリーの家庭教師であるモニカの1ヶ月分の給料に、近い額が消える。


 ドラゴンイェーガーに至っては、理力層1つにつき6発程度の発砲が限界で、しかもその値段がセグナム銀貨10枚はするのだから、身代金目的に使うには高価が過ぎるといえよう。


 マテウスはカナーンを新興宗教と聞いたが、ならず者の集まりになっているカナーンに、それだけの資金を用意する事が出来るとは思えなかったし、ジェローム個人が奴等の資金源に成り得るとも考えられなかった。


「なにか分かったのですか?」


 ゼノヴィアの問い掛けにマテウスが顔を上げる。それで彼は自分が少し考え込んでしまっていた事を気付かされる。


「いや……まだ分からないが、足跡ぐらいは掴めそうだなと思っただけだ。それより、毒の件はどうなった?」


「ジェロームを死に追いやった毒の事ですね。分析の結果、あれはアオマダラグモの毒だと分かりました」


「まだ現存していたのか。その異形アウター


 アオマダラグモといえば、白い体毛に覆われた2m~5mはする全長を持ち、名前のが示す通り青い斑点を体中に残している大蜘蛛の事である。砂地や背の高い茂みに身を隠して、獲物を襲う習性を持つ異形の一種だ。


 昔は旅の者達がその道中、被害にあったという報告を何度か聞いたが、ゼノヴィアの政策であるインフラには、勿論そういう被害を抑える事も目的の1つとして掲げていた。積極的な異形討伐アウターハントにより、彼等は棲家を追いやられて久しい。


「街道を外れれば、まだまだ異形の姿は確認されています。国内の異形はいずれ根絶すべきだとは考えていますが……話が逸れましたね。とにかく、アオマダラグモも未だにそう珍しい固体ではありません。ただ、この王都にその毒を取り扱っている薬屋があるかどうかは……」


「わかった。今日はその辺りもあたってみるか」


 暗殺用の毒など自前で用意している可能性の方が高いだろうが、なにしろ手がかりが少ない状態だ。少しでも可能性がある所から潰していくしかない。


「じゃあそろそろ行く。またなにか進展があったら、報告するよ」


「進展がなくても連絡ぐらいしてください。夜であれば、受信を出来る状態にしておきます」


「進展がないのに、なにを話すんだ?」


「今日1日なにをしていたとか、なにを食べたとか、2人の思い出話とか……なんでもいいんです。私はこんな報告や連絡だけじゃなくて、他愛のない話だって義兄さんとしたいんですっ! 義兄さんはそういうの……なさそうですね」


「ま、まぁ善処するよ」


 マテウスはまた状況が悪くなるのを察知して通信を切りたくなったが、さてどうやれば通信が切れるのかを彼は知らなかった。思いつきで手帳を閉じてみたら、あっさり通信が切れてホッとする。


(しかし不思議なもんだ。理力層カートリッジがこっちでは不要みたいだが、騎士鎧ランスロットと似たような原理なのか?)


 彼は兵舎へと足を向ける間、手帳を頭上へ掲げたり、目前で角度を付けながら眺めたりと調べてみる。その最中に通信手段も知ることが出来た。中身を調べていたら、あっさり書いてあったのだ。


「それは女王特権ですね? ということは、貴方がマテウスさんでよろしいですか?」


 その声はマテウスの正面から掛けられた。彼の数歩先から歩み寄ってくる女性。顔に少しそばかすが見て取れるが、ハリのある肌は20代前半だろう。鋭い眼差しを向けながら、黒縁の眼鏡の位置を右手の人差し指と中指を使って直す仕草は、神経質な印象をマテウスへ抱かせる。


 そしてなにより、彼女の頭に乗っているふちが青色の白いベレー帽と同色配分のポンチョを羽織った姿に、マテウスは眉を潜める。マテウス側からは見えないが、ポンチョの背中側には金の刺繍でクレシオン十字(普通の十字の交差点に、斜めに長めの棒が交わるようなシンボル)がほどこされていた。


「ちょっと、勝手に歩き回らないでください……おぉ、マテウスさん。突然の訪問をお許しください」


「確か、ダグだったな。それは別に構わないが……彼女は君の知り合いか?」


 マテウスにとって女の方は初対面だったが、彼女の後ろから駆け寄ってきた男には見覚えがあった。昨夜カール邸で別れたばかりの治安局の元兵士、ダグだ。


「知り合いといいますか、見ての通り彼女は異端審問いたんしんもん局の人でして、今朝方に昨晩の事件を聞きに治安局ウチに来たんですが、マテウスさんの話が出ると、会いたいから案内しろと言い出して……」


「後は私から伝えます。案内ご苦労様でした、ダグさん。貴方には理力の光の導きがあるでしょう」


 ダグに振り返ってそう告げると彼女は胸元でクレシオン十字を描いて、親指を内に折った右手の平で、クレシオン十字を切った場所を上から下へ撫でるような仕草する。


 クレシオン教での慣習的な動作だったが、基本的には十字を描いて終わりだ。最後まで丁寧に描く人物を、マテウスは初めて見た。どちらかといえば、故意的にそういった人種と関わらないようにしてきたと、いったほうが正しい。


「初めまして、マテウスさん。クレシオン教会異端審問局より参りました、第2級異端審問官シンディー・ロウと申します。少しお話を聞かせてもらっていいですか?」


「あぁ、マテウスだ。初めまして、シンディー。勿論断るような事はしないが、少し待っていて貰っていいか? ダグと話があるんだ」


「……分かりました。待ちましょう」


 シンディーと握手を交わしたマテウスは、離したその手でダグを指し示す。突然指名されたダグは及び腰だ。シンディーはマテウスとダグを見比べて、ひとまず素直に頷いた。


 それを確認するとマテウスは、ダグの肩に腕を回してそのままシンディーから少し離れた場所まで移動するのだった。

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