お勤めは朝食の後にその2
賑やかな食卓が終わった後は兵舎を出て、野外訓練場を使った鍛錬の時間になる。その時間はマテウスにとっても、同様だった。レスリー等と一緒に訓練場から兵舎までを、ランニングで周回して体を温める。この際、本当ならアスレチック施設を使いたいのだが、まだ補修作業が進んでいないので今は使っていない。
レスリーの息が切れるまで走った後は、一休み置いてからすぐに木剣を使った練習に入る。最初は素振りから入ったレスリーも、今では一応マテウスに打ち込む練習にするまでには、成長していた。
だが、実践的な練習にはまだ程遠い。マテウスが片手で少し力を入れて木剣を払えば、レスリーは両手で掴んでいた剣を取り落とす。アドバイスを2、3言告げた後にもう一度剣を握らせて、また打ち合いを始める。
これらの鍛錬をレスリーは重い鎧を纏いながらやっていた。鎧や剣は以前から兵舎の武器庫に眠っていた物や、マテウスが使っていた物の流用品で、レスリーの身体に合うまでに削り、改修して使っている。
マテウスが資財を投じれば、彼女の為に新しい装備を用意してやる事も出来たが、まだ隊としての予算も決まってない現状で、それを行うのは
「腕で振ろうとするな、腰を使え。腰を使いたいのなら、重心を前にだ。そんなにおっかなびっくりでどうする」
「は、はいっ」
「ほら、バインド(剣と剣が触れ合う状態)が始まったぞ。剣を返すのが遅い。今ので君の指は飛んだ。剣は離さず間合いを離せ。格闘戦に持ち込まれると、君の力と体格では、不利になる」
「やっ、ちょっ……きゃっ!」
「また、剣を取り落としたな。君の力で正面から受けようとすると、手首を痛めるぞ? 昨日のエステルのようにな」
マテウスによって弾き飛ばされた剣を視線で追うレスリーの頭部を、十分に加減しながら木剣の切っ先で軽く叩く。それでも痛いものは痛いので、両手を頭に当てながら、膝を屈してしまうレスリー。そんな彼女を見てマテウスは予感した。これはそろそろ、いつもの奴が始まるかもしれないと。
「うぅ……やっぱり、レスリーには王女殿下をお守りするなんて無理なんです。もうすぐマテウス様もレスリーの事を見捨てて、相手をしてくれなくなるんです。それでレスリーは夜の御奉仕で気を引いて食い繋ぐしかなくなって、でも夜の御奉仕ですら何度やっても満足に出来ないレスリーを、遂に我慢できなくなったマテウス様は道具のように激しく犯して、最後には……あうっ!?」
「ほら、またここら辺から妄想が垂れ流れてるぞ。さっさと剣を拾いに行くんだ」
「ひぃぃーんっ」
マテウスはレスリーの頭に拳を落として、手を貸して無理矢理立たせると背中を押して剣を拾いに行かせる。フラフラとした足取りで歩くレスリーを見送っていると、後ろに人の気配を感じて振り向いた。
「誰が手首を痛めただと?」
振り返った先にはエステルが立っていた。彼女の姿もレスリー同様鎧を纏った姿である。昨日と同じ装備だ。彼女の装備は、レスリーの装備重量と比べて倍はあろうが、レスリーと同じだけ走った後でも、息ひとつ乱していなかった。
見た目こそレスリーより幼いが、やはり騎士になるべく育てられただけあって鍛え方が違う。
「昨日の最後の一突き、強引に受けただろう? まだ痛む筈だが?」
「これぐらいの痛みで鈍るような鍛え方はしていない。試してみるか?」
「いいだろう。元々これは、その為の時間だ」
エステルを相手にする時、マテウスはレスリーの時とは比べ物にならない程に集中力を注ぐ。木剣で彼女のソードブレイカーの相手をするのは、流石に堪えるからだ。左手に痛みを抱えている筈の彼女の剣捌きは、中々に見事だった。
「ゴードン卿……御父上の事はもういいのか?」
そんな打ち合いの最中、マテウスがエステルに向けて話しかける。彼女は朝食後、1度宿屋へと引き上げようとしていた。しかし、それをマテウスが止めた。エステルにマテウスを恨む理由は多々あれど、マテウスに彼女を恨む理由はないからだ。
むしろ、彼女の父であるゴードンに対して、マテウスは恩義すら感じている。そんなゴードンの娘を兵舎から放り出すような真似、出来よう筈もなかった。騎士としての腕前はあるとはいえ、見た目が幼い子供そのものなら、最近巷を騒がしている誘拐事件に、巻き込まれないとも限らない。
そんな心配をするぐらいには、エステルの事を気に掛けていたマテウスだからこそ、エステルがなにを思って彼の申し出を素直に承諾したのか、やはり気になった。
「見殺しにした事ならば、まだ恨んでいる。だが、教官である事は決闘に誓って認めよう。それが騎士たる者の
マテウスはエステルの突きを受け止め、剣を打ち返しながら、懐かしさに思わず笑みを溢してしまった。エステルの物言いが、彼女の父親のものと似通っていたからだ。
「御父上によく似ているな」
「当然だ。父上こそ私の
意外な答えにマテウスは、剣を止めて間合いを取る。構えを解いてエステルを見返せば、エステルも剣を下ろして、肩で息をしながら額に纏わりつく髪を指先で拭った。
「……どういう意味だ?」
「自覚がないのは昔からだな。この国の者で、卿の武勇に憧れを抱かぬ騎士はいない。それは、幼き頃に卿から直接、その逸話を聞いた私も同様だ」
エステルの言葉でマテウスは思い出す。彼女が幼少の頃に、それこそレスリーを相手するような要領で稽古に付き合い、休息の合間には決まって縋り付いてくるので、
「だからこそ許せないし、恨む。私の内にある2人の英雄を汚す、卿の事をな。いつか私の剣で打ち倒し、卿の口から洗いざらいを聞き出してやる。だから今は、教官として務めを果たしてもらおうか?」
エステルは再び剣を持ち上げて、挑発的に剣先をマテウスへと向けた。少女のように幼い体から溢れ出る気迫に、マテウスは少しだが気圧されてしまう。
「ハッ、調子に乗るな。先はまだ長いぞ」
「望むこところだ。長いからこそ歩みがいがある」
マテウスの斬撃がエステルに向かって振り下ろされる。その一刀には、より一層の力が込められていた。
**********
訓練開始から数時間後。時刻は昼になっていた。ひとまず訓練を終えたマテウスは、1人で井戸水を浴びていた。上半身だけ裸になって、下に履く丈の短めなブレ(安手の布で出来たズボンのようなもの)が濡れてしまうのも構わずに、屈んだ姿勢で上から2、3度水を被る。
そして持ってきたタオルで顔を拭おうとするが、置いていた場所にその感触がない。ウロウロと伸ばした手を彷徨わせていると、後ろから忍び寄った気配に頭からタオルを被せられた。
「アイリか?」
「正解っ。良く分かったね?」
「君しかこういう事はしないからな」
そして、一番こういう事をすべきではない存在なのだが、ここにおいてはアイリーンの好きにさせるマテウス。アイリーンは頭から、顔へ、肩から背中へタオルを使って拭くが、そこでマテウスは彼女からタオルを奪いとった。
「十分満足しただろう?」
「もう、最後までやりたかったのに」
マテウスが衣服を肩に掛けて、前半身を拭きながら歩くのを、後ろから子犬のように背中を見上げて着いていくアイリーン。口では拗ねてはいるが機嫌は良さそうだ。遠慮をせず、されず。そんな時間がアイリーンにとって貴重なのであって、結果的に意にそぐわなかろうと、彼女にとっては
「ねぇ、マテウス。やっぱり私も一緒に訓練したいわ」
「その話は前にも断った筈だが?」
タオルで拭っていた顔を覗かせて、鋭い視線をアイリーンへと送るマテウス。それだけで彼女にしては珍しく、両肩を竦めてしまう。マテウスはタオルを肩に掛けて、足を止めて振り返った。
「でも皆、私の為に訓練してるんだよね? それなのに、私は見てるだけなんて……」
「そうだな、これは君を
「うっ……それは、その」
「俺達以外の騎士も今頃、君のような仕えるべき主人を護る為に剣を振るっているだろう。では騎士の命を護る装具は誰が作る?
「私の……」
「訓練をしなくたって、君は守られている。住家も立派な王宮が用意されているな。食事だって君が手を出さなくても、食卓に並べられる。そうして余った時間を、どう費やす? いつまでもここにいていいのか? 俺には、訓練よりも先にやるべき事はあるように思うが?」
マテウスが言い終えた時、アイリーンの顔は目に見えて沈んでいた。彼は少し言い過ぎたかと、視線を外しながら上着を着なおす。襟口から再び顔を出した後、一呼吸置いて再びアイリーンに話し始める。
「たまに息抜きしに来るぐらいならいい。そういう時間も必要だからな。ただ、あんな事件のあった後だ。しばらくは王宮で君の役目を果たしていた方が、安全だし、俺達の訓練に
「……わかった。今日はもう帰るね」
アイリーンはマテウスに向けてそう言うと、項垂れたままマテウスの横を通って兵舎の方へとトボトボと消えていった。マテウスはその小さくなった背中を追えずに、棒立ちのまま見送る。
(普段は
次、会った時にまだ落ち込んでいるようだったら、その時は少し甘やかしてやろうと、反省を込めながら沈みそうになった気持ちを切り替えるマテウス。そうしていると、自らの腰辺りが少し震えながら光っているのに気付く。
マテウスは、一瞬なに事かと驚いたが、その場所に心当たりがあったので落ち着きを取り戻して、光源を探った。彼が探った場所から出てきたのは、女王特権。普段はただの黒い手帳状のそれが、理力解放した時と同じように光っていて、しかも断続的に震えている。
疑問を抱えたまま手帳を広げると、紋章が浮かぶはずの場所に少し戸惑った顔をした、女王ゼノヴィアのバストアップ肖像が浮かんでいた。マテウスが仕様変更でもしたのか? などと、疑問符を浮かべていると、ゼノヴィアに笑顔が浮かび、口を開く。
「
「ゼヴィか。あぁ、聞こえている」
「そうですか? あの、変に映ってませんか? 大丈夫かしら? 化粧もしたし、ドレスも着替えたし……」
「それも大丈夫だ。よく似合っていて素敵だな」
「やだ、そんな。素敵だなんて……」
ゼノヴィアは両手で頬を挟んで、顔を赤らめながら左右にイヤイヤと振る。手の平サイズのゼノヴィアがそうやって動く
「はっ!? 騙されるところでした。義兄さん、どうして連絡をしてくれなかったんですか?」
「事件の
「そちらではなくて、私生活の方です。定期的に連絡するようにと伝えた筈ですが?」
「あぁ……それは、まぁ。忙しくてな?」
このように、マテウスにはゼノヴィアに対して負い目があった。ゼノヴィアと長い付き合いである彼らしく、話を逸らしつつ機嫌を取っておこうとしたのだが、長い付き合いはお互い様だ。すぐに誤魔化そうとした事が露見してしまった。
続くゼノヴィアの言葉がなんとなく想像できたマテウスは、苦い顔をしてしまいそうになるのを、口元に手を当てて覆い隠す。
「そうですね。義兄さんがひとつの事を始めると、私をないがしろになるのはいつもの事でしたよね。昔からそうでした。手紙を送るのはいつも私の役目で、義兄さんは返信をしないから届いているのかすら分からないし、気まぐれで返事をよこしたと思ったら、必要な用件を2、3行綴っただけの簡素な物ばかり。幼い頃もそう。例えば……」
「あぁー、そうだったな。しかし、最近の
止めなければ、そのまま2人の過去の源流まで、永遠に
「この通信の使い方も説明した筈ですが、もしかして聞いていなかったのですか?」
胸を持ち上げるようにして腕を組みながら、ジト目でマテウスを睨むゼノヴィア。口元のすぐ横にある
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