お勤めは朝食の後にその1

 ―――翌日、午前中。王都アンバルシア北区、王女親衛隊兵舎


「んっ……」


 マテウスが重い瞼を開くと、そこは既に見慣れた天井だった。眠気を堪えながら目元を擦り、昨夜の事を思い出す。彼は昨夜、移動用の馬車をダグに用意して貰い、そのまま真っ直ぐ兵舎まで帰った。パメラは王宮に住み込みをしているので、途中で別れている。


 マテウスが兵舎に着く頃には深夜を回ろうかという時間になっていたが、帰ってきた兵舎の前では、レスリーがウトウトと舟を漕いで、膝を立てながらしゃがみ込んでいた。


 レスリーに話しかけて事情を聞けば、主人マテウスを前に自分だけ先に就寝など出来ないとかなんとか。昼間暖かくなってきたとはいえ、まだ夜は寒い。とりあえず彼女に今夜は休むように告げて、自分も眠りに付いたのが、昨晩の顛末てんまつだ。


(今日の予定は……)


 続けてマテウスは今日の予定を頭の中で並べながら、体を起こそうとベットに左手を着いた。そこでむにっと柔らかな感触が左手に広がる。枕だろうか? と、始めは思ったが、それは頭に敷いていたと思い直す。


「……ぁんっ」


 異変に気付いて、マテウスの頭に血が回り始めた。その左手で掛け布を掴んで剥ぎ取る。案の定というべきか……そこにはアイリーンが眠っていた。仰向けになって瑞々しい唇を震わせながら、健やかな寝息を立てていたが、掛け布を失ったのが気に入らないのか、暖を求めて寝返りを打ち、マテウスへと寄り添う。


 マテウスは左手で掴んだ感触がなんだったのかを悟ると同時に、その光景に理由を求めて放心していたが、本人に聞いたほうが早かろうと彼女の頬を軽く叩こうと手を伸ばした時……


「おはようございます、マテウス様。朝食の用意が……」


 レスリーが部屋に入ってきた。ベットの上で、マテウスが上になって覆いかぶさるようにして少女の顔に手を伸ばしている光景が、彼女の瞳にハッキリと焼きつく。


「いや、レスリーこれはな……」


「ひぃやぁぁ!? し、失礼しましたぁっ!」


 マテウスの言葉が単語1つレスリーに届く間もなく、レスリーは悲鳴を上げながら扉を叩きつけるように閉めて退室する。その騒々しさに、マテウスの隣の眠り姫が目を覚ます。彼の腕を勝手に掴んで上半身を起こし、眠そうな顔で両手を上げて背伸びをした。


「うーん……騒がしいわねぇ。あぁ、マテウス。おはよう」


 その騒ぎの中心に自分がいたとは考えてもいない寝惚けた表情から、にへらっと、更に頬を緩めて無垢な笑顔をマテウスへ向けるアイリーン。マテウスは朝から重い疲労がし掛かるを感じた。


「おはよう、アイリ。ところで、どうしてこんな所で寝ているんだ?」


「んー? んっと、確か……昨日の夜、パメラが遅く帰ってきて、今朝になって昨夜危険な目に遭ったって、聞いたの。それでマテウスが怪我してないか心配になって朝一番に来たんだけど、マテウスってば寝てるんだもの。最初は寝顔を見てるのも楽しかったんだけど、起きるの待ってたら私まで眠くなっちゃって、それでそのまま」


「分かった。次からは用件があるなら起こしてくれればいい。だから一緒に寝るような真似は控えてくれ」


「どうして? パメラとは時々一緒に寝てるわよ? それにマテウスいつも忙しそうで、あんまり私を構ってくれないし……でも、寝てる時ぐらいはゆっくりさせてあげたいかなって……」


「男女で同衾どうきんするのを同じように並べるな。婚約者を持つ身であらぬ噂が立つのは困るだろう、お互いに。それに君は狙われている身だ。ほとぼりが冷めるまでは、王宮から出るなと忠告したはずだが?」


 眠気が残っているのか、マテウスは自身の語気が少し荒くなっていくのをコントロール出来ずにいた。アイリーンが目に見えて両肩を落とす。


「だって、パメラもマテウスも私にとっては同じ……それに心配だったから。その、パメラと一緒に来たから安全かなって……でも私って、そんなに邪魔になってるの?」


「すまない、言い方が悪かった。アイリを邪魔だなんて思ってない。ただ、君の命にかかわる問題だ。もしまた、あの事件のような出来事が起こった時、俺が傍にいてやれなかったり、傍にいても守ってやれなかったりだとを思うとな……俺も君のことが心配なんだよ。アイリと同じだな」


「マテウス……」


「心配してくれてありがとう、アイリ。俺は大丈夫だから。だから、余り俺を心配させないでくれ」


 マテウスはそう告げると、アイリーンの肩へと右手を伸ばす。自然と彼女へ触れたくなったのだ。そうして伸ばした右手だったが、結局、彼女の頭に触れる直前になって、急激に引っ込めた。マテウスの腕があった場所を、黒い影が通過する。


 黒い影が通過した先で鳴る、カツンとした音。音の先を2人が確認すると。壁にフォークが突き刺さっていた。つまり、一般家庭のどこにでもあるであろうそれが、猛スピードで2人の間を切り裂くように通過したのだ。


「お食事の用意が出来ていますので、お・は・や・め・に」


「そういえば、君と一緒に来たんだったな。パメラ」


 半開きの扉の向こうから、眠たげな半眼の瞳を覗かせるパメラを見て、マテウスは急激に冷めていくのを感じる。ホラーさながらの殺気を飛ばすパメラは、彼にとっていい目覚ましになったようだ。


「パメラ、フォークを投げるのは危ないわよ。すぐ行くから先に降りていて」


 アイリーンは少し皺になった服をパタパタと両手で伸ばしてベットから降りる。それにあわせて部屋の外からパメラの姿が消えた。マテウスはベットから降りずにアイリーンを見送っていると、部屋の扉を開いた直後振り返った彼女と視線が合う。


「心配ってさ……させたくないけど、されると少し嬉しいね。心配してくれてありがとう、マテウス。でも、私は貴方が傍にいないと大丈夫じゃないし、心配なの。だからやっぱり、時々こうやって会いに来るね?」


 少し頬を赤く染めながらはにかむアイリーンに対して、マテウスは立場上、忠告を繰り返すべきだった。だが、彼女がその姿を消すまで口を開く事が出来なかった。


 アイリーンから暫く遅れて部屋を後にしたマテウスが、食堂へと入ると、そこはレスリーと2人だけだった普段に比べて、とても賑やかな光景が広がっていた。レスリー、エステル、それにアイリーンが同じ食卓に、向かい合い、そして並んで座っている。パメラはアイリーンの後ろに直立して控えていた。


 そういえばパメラが食事をしている姿を見た事がないが、普段どうしているのだろう? 機械染みた彼女なら、なにも食べずに生きていても余り驚かないだろうな、とマテウスは思った。


「こちらへどうぞ」


 マテウスの姿に気付いたレスリーが、慌てて席を立って彼の椅子を引いた。ありがとうと椅子に腰掛けるが、同時に気を使うなと忠告する。しかしレスリーは曖昧な笑顔を浮かべるだけだ。こうしていないと、落ち着かないのだろう。


「レスリー。さっきの件は誤解だからな。後、口外しないように」


「へっ? あっ、はい。マテウス様がそう仰るなら」


 マテウスは彼の正面に座るレスリーに釘を刺しておく。誤解であっても、王女がマテウスのような一介の騎士と同衾していたなどと、醜聞しゅうぶんはなはだしい出来事を、噂にでもされてはアイリーンに傷がつく。


「ねぇねぇ、マテウス。なんの話?」


「君の話だろうが」


 しかし、マテウスの右隣に座る当の本人アイリーンは至って気にしていないのだから、マテウスの気苦労は絶えない。マテウスに顔を寄せて耳打ちするようにして問い質すアイリーンの頭を、彼は軽く叩いて席へ座りなおさせた。


 頭部を押さえて拗ねた顔を見せながら、席へと座りなおすアイリーンの後ろから、冷気を帯びた視線を浴びせてくるパメラの存在にマテウスは気付くが、それに関しては相手にしない事にした。相手にすれば、食卓のスープは勿論、マテウスの肉体まで冷たくされかねない。


「ひとつ聞きたいのだが、彼女は誰なのだ? 市井の婦女子にしか見えないが」


 アイリーンを見つめながら質問したのは、レスリーの隣に座るエステルだ。彼女の疑問は最もで、いつもは下ろしている輝くような金髪を団子状に後ろで止めて、安手の生地で出来たブリオーと呼ばれるワンピースを着ただけのアイリーンの姿は、騎士に見えない上に、貴族の娘にも見えなかった。


 普段している化粧も薄めにしていて、王宮で出会う彼女とは見間違う程に違う。ただ、その美しさの質が変わっただけで、すれ違えば誰もが振り返る美しさは変わらなかった。むしろ、最初にこの変装をしたアイリーンを見たマテウスは、彼女の快活な内面がより輝いて見える風貌だとさえ思った。


 しかし、ここは女王親衛隊の兵舎。市井の婦女子が一緒に食卓を囲んでいい場所ではない。しかも、彼女は後ろに女使用人パメラを控えさせているのだから、初対面のエステルにとって、ますます謎は深まるばかりだろう。


「初めまして。私の名前はアイリ。ここに資材とか食材の配達でお世話になってます。マテウスとは友達だから、こうやって時々遊びに来てるの。よろしくね? えーっと……」


「エステルだ。王女アイリーン様の親衛隊騎士……に、なる予定だ。しばらくはここで厄介になる。よろしく頼む」


 テーブルを挟んで2人は握手を交わした。因みにアイリーンが話した作り話カバーストーリーは、彼女が考えたもので、レスリーにも同じ説明をしている。いずれ明かす事になるだろうが、王女である事を最初は伏せておきたいと言い出したのはアイリーンだった。


 護衛対象や王女としてではなく、距離の近い友人としての付き合いを望んでいたアイリーンたっての希望を、マテウスは好きにさせる事にした。アイリーンが護衛対象だと知らずに、関係が悪化する可能性も考えたが、それで護衛任務に支障が出るとも思えなかったし、アイリーンにしてもいい勉強になるだろうと思ったからだ。


 まぁ、彼女に対してその心配は杞憂きゆうだろう。そう思っていた次の瞬間にマテウスを裏切るような爆弾を、あっさりとアイリーンは投じた。


「こんなに小さな騎士って私、初めて。可愛いわね」


「な、なにをー!?」


 アイリーンの悪意のない率直な感想によって、一瞬にして顔を赤くして立ち上がるエステル。だが、騎士としての振る舞いを最も気にする彼女の意思が、なんとかその先を踏み止まらせる。


「ま、まぁ婦女子である貴女には、目に見えぬ私の騎士としての大きな器に気付けないのも無理はない事だからな……はははっ」


「でも、椅子に座ると足が届いてない所とか可愛いっ」


「届くもんっ! まだ成長期だから、明日には届くようになるもんっ!」


(この場合、身の丈にあった野望というべきなのか)(私も足が届かぬように切り落とせば、アイリ様に褒めて頂けるのでしょうか?)(レスリーは、エステル様を応援してますからねっ!)


「その、傷つけてしまったならごめんなさい。でも、可愛い騎士の方が王女殿下も喜ぶんじゃないかしら? それに、エステルのその格好。どうしてレスリーさんと同じ女使用人メイド服を着ているの?」


 マテウスはあえて触れなかったのだが。アイリーンの指摘したとおり、エステルは女使用人服を着用していた。ノースリーブの肩口を片手で無理に伸ばそうとしては、ずれる平らな胸元を気にして支えたり、膝上のミニスカートと居心地悪そうに正しながら、顔を赤らめて俯いている。


 つまり、この部屋の女性4人中、3人は女使用人服だ。確かここは、王女親衛隊用兵舎の筈なのだが……いよいよ、ここがなんの為の場所だったか、マテウスには分からなくなってきていた。


「こ、これは。そこの男との決闘に負けて無理矢理。くっ……殺せっ!」


「おい、なんでそんな話になってるんだ?」


「えっと、その、マテウス様。レスリーは何度も説明したのですが、エステル様が騎士に二言はないと言って聞いて頂けなくて」


「騎士に二言はないというか、その格好だと騎士辞めてるじゃないか」


「な、なにを言うっ! これがこの隊の正式装備なのだと卿が言うから、私は恥を忍んでっ!」


「マテウス。貴方ってそんな趣味があったの? 言ってくれれば私だって着替えるのにーっ。私だけ仲間外れだなんて、ずるいっ」


「そんな事は言ってないし、そんな趣味もねーよ。なんの話だよ」


「首にしましょう。いや、首だけにしましょう、アイリ様。この男はこういうやからなのです。私を含め、親衛隊に入隊した女性に拒否権がないのをいい事に、自分の好きな衣装を無理矢理。因みに世間ではこれをコスプ……」


「お前のは元々じゃねーか。後、アイリに変な入れ知恵をして遊ぶな」


「マテウスってパメラに対して当たりが強いわよね。もう少し優しくしてあげないと、パメラだって傷つくと思うわ」


「パメラから俺への当たりの方が、よっぽどキツイだろうが。俺が真っ先に物理的に傷つけられてるのを見ているだろう? 君も」


「ちょっ、ちょっと待ってくれ。では私が恥を忍んで、レスリー殿にお願いしてサイズを直して貰ったこの服は……む、無駄だったのか?」


「だ、だからレスリーが、何度もご説明させて頂いたじゃないですか~っ!」


「そうだな。そんな愕然とするなよ、なんか気の毒になるから」


 こんな調子で食卓が進むので、食事を終える頃にはマテウスの疲労は食事を取る前よりも色濃くなっていた。

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