プロローグその2

「とにかく、訓練用の軽装ぐらいは用意させてくれ。そうしないと、俺が色々と困るんだ。資金面が気になるなら、君に給金が発生した後にでも、分割にして返してくれればいい」


「はうっ……レスリーのような役立たずの底辺に、住む場所と食事だけではなく、衣服まで与えていただけるなんて。感激です。生涯を賭してお仕えします」


「まぁ君が仕えるのは俺ではなく、王女だがな。今は作業を手伝ってくれると助かる」


「あっ、はいっ! レスリーにお任せください」


 両手を握り締めたまま腕を開いて小首を傾げながら、身体を縦に揺らして返事をするレスリー。その表情に先程までの憂いは残っておらず、降り注ぐ太陽の光に負けないぐらいに輝いていた。


 浮き沈みこそ激しいものの、精神的には強い部類なんだろうな、とレスリーの事を好意的に捕らえることにして、マテウスは中断していた作業を再開する。


 レスリーはマテウスが話しかけない限りは滅多に話しかけようとしてこない。マテウスも必要最低限の会話しかしない。だから必然と、作業は静かに進行した。


 また、静まり返った兵舎に金槌を叩く音だけが響いていく。そうやって複数あった補修箇所が全て終わったのを見計らうようにして、静寂を破る声が響いた。


「頼もー! 頼もー!! 誰か、誰かいないのかぁー!?」


 その声量こそは、2階建ての木造兵舎の屋根の上で作業する2人に届くほど大きかったが、声質はといえば、声変わりを終えていない幼女のようだった。


 マテウスとレスリーは、後片付けの手を止めて、少しだけ身を乗り出して階下を見下ろす。声を発していたのは、二足歩行の大盾カイトシールドだった。いや、違う。大盾を背負った少女だ。


 背格好からして150cmを切るぐらいだろうか。そんな彼女が大きさ1mはあろうかという大盾を背負って歩いているものだから、その後ろ姿が大盾に足が生えて歩いているように見えるのだ。


 今日の空と同じような青色の大盾に、三つ編みにした輝く金色のおさげが垂れて、揺れている。そして大盾の中央には、両翼を広げた鷲の紋章が黄金の線で描かれていた。


「ここだ。ここにいるぞ。なんのようだ?」


 マテウスが声を上げて呼ぶと大盾少女が振り返る。彼女は胴に鎧を装着していた。両手の篭手こて、履いているプレート付きの長靴を含めて、どれも装具。見紛う事なき騎士の装いである。その幼い風貌と、声以外はだが。


「おぉ! そこにいたか。だが、貴殿は大工か? ここの責任者は何処にいる?」


「俺だ。親衛隊の教官だが、ここの責任者も俺が兼任している」


「なに? では、けいがマテウス・ルーベンスかっ? ええいっ、降りて参れ!」


 先程までの穏やかな様子は一変。少女は感情を露にし、両手を振りながら声を荒げる。しかし繰り返すが、彼女の声は非常に幼かった。そんな声でこの口調なので、幼子が無理に背伸びをしているようにしか聞こえない。


 なんの迫力も感じないが、彼女が声を荒げる理由についてはマテウスは予想ができていた。作業も丁度終わったところだ。素直に屋根から下りようと道具を片付け始めて気付く。レスリーがオドオドと顔を青ざめて震えていることに。


「君は、まさかあれも駄目なのか?」


「ひうっ!? あの、あのマテウス様。大丈夫でしょうか? あの騎士様、かなりお怒りのご様子ですが、まさかレスリーがなにか無礼を?」


「君とは一言も喋ってないだろう。原因は俺だよ。あの紋章には心当たりもあるしな」


「マテウス様がそう仰るなら……あの、レスリーはなにかお手伝い出来ますか?」


「そうだな。さしあたり道具それを持って下りてくれると助かる。足を滑らせるなよ」


「はいっ、レスリーにお任せくださいっ」


 2人が道具を下ろして片付けるまでの間、小さな女騎士は律儀に待っていた。なんなら、レスリーが荷物を抱える姿を見て……


「女性に重い荷物を持たせるなど、騎士として見過ごせないな。私も手伝おう。何処に運べばいい?」


 などと、手伝いを申し出るほどには律儀だった。勿論、彼女が女として庇ったレスリーも騎士見習いなのだが、見た目が女使用人では説得力もあるまい。そうやって片付けを全て終えてから、再び3人で訓練場へと集まる。


 訓練場と言っても別段特別な物があるわけではなく、打ち込み用の木材が立っていたり、長年放置されて崩れ落ちそうなアスレチック施設(これもマテウスが少しずつ補修している)が外周を覆っているだけの広場みたいなものだ。


「久しぶりだな、マテウス卿。私を覚えているか?」


「アマーリア家には随分助けられたが……すまない。君には覚えがないな。ゴードン卿の娘か?」


「なっ……幼少のみぎりに何度か剣の手合わせをした、エステルだ。エステル・アマーリアを忘れたか?」


「剣の手合わせ? あぁ、もしかしてあの時の。男だと思っていたんだが女だったんだな」


 バンロイド領主アマーリア侯爵家。<エウレシアの盾>の二つ名を有する武門の名家で、彼女の父ゴードン・アマーリアとは、マテウスが将軍時代、肩を並べて勲功くんこうを競った好敵手であり、歳の離れた友人でもあった。


 そんなアマーリア家に何度か顔を出す度に、ゴードンの子供に相手をせがまれて、遊び半分に鍛錬たんれんの相手(手合わせというよりはお遊戯に近い)をしてやっていたのだが、マテウスは当時4、5歳程度のエステルを男だと思っていた。


「むぅ……確かに、少年のような格好をしていたが、エステルという名前から分かるであろう。この馬鹿者っ」


「悪かったよ。今の君なら間違えようもないんだがな。(声質的にだが)それで、今日は何の用でここに訪れたんだ?」


「当然、女王陛下の布告に応え、王女殿下の御身を私の盾で守る為に」


「親衛隊に入隊希望か。アマーリア家なら申し分ない。後は書類申請が必要だ。こっちに……」


「待て。こちらには申し分があるぞ、マテウス・ルーベンス。これは忘れたとは言わせない。父上を見殺しにした男が、何故今も騎士として王家に仕えている?」


 会話の度に大袈裟な身振り手振りを交えるエステル。動く度にパタパタとおさげも跳ねるので、小動物のような愛くるしさがあるが、話の内容は剣呑けんのんだった。


 彼女の言う通り、マテウスは12年前にゴードンを見殺しにした。マテウスが大戦犯として名をせる事になった戦場での出来事で、マテウスが一生背負っていかないといけない、罪の1つだ。


「非才の身ではあるが、成り行きで女王陛下に拾われ、もう1度お仕えする機会を与えてもらっただけだ。君の御父上、ゴードン卿の件については……俺からなにを言っても言い訳にしかならないだろう。俺の力不足だ。すまなかった」


「それを聞いて私に納得しろと言うのか? 卿は。非才で、力不足の卿が、これから王女殿下の親衛隊になろうという騎士に、なにを教えると言うのだ?」


「護るすべと、生き残る術を」


「その術があって、何故父上は死ななければならなかった!?」


「……すまなかった」


 マテウスはそれきり喋ろうとしなかった。多くを語ろうとせず、悪役にも、ましてや善人をも演じようとしない彼を前に、エステルは当て所の無い怒りに震える。そんな様子の2人を前にして、レスリーは1人、会話に口を挟めずにオロオロとするより無かった。


「本来アマーリアの名を持つ者として、女王陛下の布告に応ずる誉れに、真っ先にせ参じるべきだった。それを教官役としての卿の名を聞いて、今日の今日までどうするべきか、ずっと悩み続けていた」


 両手をギュッと握り締めたまま、俯いているエステルの独白に掛ける言葉は見つからず、それでも視線は反らすべきではないと、彼女をジッと見つめるマテウス。


「どんなに悩んでも答えなど出なかった。しかし、向かい合えば、話せばなにか開けるかと思って、今日ここまで足を運んでみた。結果がこれだ。やはりなにも分からない。だから……」


 エステルは身を屈めると同時に右腕を背中へと回す。次の瞬間、大盾を右腕に装着して前へ、腰を落として構えていた。背中の大盾を構えるまでの流れるような挙動は、僅かに一呼吸。居合い抜きを彷彿ほうふつとさせる速度に、彼女の研鑽けんさんが伺える。


 そして対照的に今度はゆっくりと、右腰の脇に吊るした剣を左手で引き抜く。刀身に大きな凹凸が並んでいる刃渡りの短い剣。ソードブレイカーと呼ばれるそれは、名が体を現すとおり、先端こそ刺突しとつ用に尖っているものの、くぼみで剣を受け止めて武器を奪う、もしくは武器の破壊をむねとする、盾代わりに発展した武器だ。


 それをマテウスへと真っ直ぐ向けて、高らかに宣告する。


「私と決闘をしろ、マテウス・ルーベンス。卿の罪を許す事は出来ないが、それでも女王陛下にお仕えするというのなら、今の力を私に示せ。卿が勝てば、教官としては認めよう。そして卿が負けたならば……この場で死んで頂く。父の仇として、私の剣のさびとなれ」


「……力のない教官など無用という事だな。分かった、受けて立とう」


「その意気や良し。装具を用意しろ。それまで待っておく」


 その言葉に頷いてマテウスは姿を消す。途中、レスリーが彼に駆け寄ってなにかを伝えようとしたが、マテウスは手で遮る仕草だけでそれを制した。彼女はそこに立ち尽くし、エステルと2人きりで残される事になる。


「……あ、あの」


 長い沈黙を破ったのはレスリーからだった。彼女が自分から初対面の相手に話しかけるのには大変な勇気を伴ったが、それでも伝えねばならない事が彼女にはあった。


「ま、マテウス様のお命を奪うのを、考え直して頂けませんか? 詳しい事情はレスリーには分かりませんが、その、マテウス様がいなくなってしまうのは……こ、困ります」


「これは騎士同士の決闘だ。女が口を挟む事ではない。しかし1つ聞きたいのだが、貴女はマテウス・ルーベンスのなんなのだ? 使用人にしては、少々服装が過激なような気がするが……」


 エステルの反応にレスリーは一先ず胸を撫で下ろした。エステルが自分の肌の色に対して、会話を拒否する程の嫌悪感を抱いてないようだったからだ。


(まだ安心しちゃ駄目よ、レスリー。ご機嫌を損ねるような事があれば、あのトゲトゲした剣で切り捨てられるかも……やだなぁ。痛そうだなぁ)


 などとレスリーは思っていたが、これは流石にレスリーの過剰な被害妄想に過ぎない。ただ、彼女の肌の色を嫌って、敵意を剥き出しにするような輩が多くいる事は確かな事実。彼女はそんな緊張感を抱えながら、恐る恐るエステルに向けて言葉を続ける。


「わ、私は、ここで騎士見習いとして、マテウス様のお手伝いをさせても、貰っている、レスリーと申します」


 既にレスリーは目に涙を浮かべかけていた。しかし、引けない。マテウスは彼女にとって恩人で、仕えるべき対象だった。彼がいなくなった後、自分は寄る辺を失ってしまう。


 実際にマテウスが亡くなろうと、女王ゼノヴィアは後任を立てるだけなのだが(勿論大いに悲しむ事は確かだ)、少なくともレスリーはそう考えていた。マテウスが死ぬ時が、役立たずの自分がドイル家に送り返される時だと。


 彼女はそれをなんとしても避けねばならなかった。だが、レスリーの想いとは裏腹に、エステルは妙な勘違いをし始める。 


「なにっ? マテウス・ルーベンスは騎士見習いにそのような格好で訓練させているのか?」


「へっ? そんな、違っ……これは、私が落ち着くので普段着として勝手に……」


「普段から女使用人服を着せて、もてあそんでいるのか!? おのれ、マテウス・ルーベンス! やはり負ける訳にはいかない。ここで私が必ず切り捨ててくれるわっ」


「ひぃぃぃーん。違う。違うんですってばぁぁー」


 レスリーの悲痛な叫びが響く。マテウスの預かり知らぬ所で、状況は悪い方向へと転がっていた。

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