エピローグその3

「相手は、ドレクアンの誰なんだ?」


「テオドール様。テオドール=フォン・マンシュタインっていえば分かるかしら?」


「ドレクアン元首ボリスの息子か。次期元首の最有力者じゃないか」


「そう。何度かお手紙でもやりとりさせて頂いてるの。実はお互い、顔も見たことはないんだけどね」


 そう口に下アイリーンの寂しそうな笑顔は、マテウスの心に少なからず焼き付いた。しかし、マテウスはそれを言葉にしなかった。この時代に政略結婚など、世の常だ。


 彼女と血の繋がってない義姉達も、女王ゼノヴィアの意思で他国へと嫁いだ。彼女だけが特別扱いなど、出来よう筈もない。だがマテウスは、彼女がそれをどう思っているか、それだけは確認したい想いに駆られた。


「君はどう思っているんだ? 結婚について」


「誇らしいと思っているわ。お義姉様達の後に続ける事も。私の生活を豊かにしてくれた国民を、この結婚で豊かに出来る事も」


「……その通りだ。変な事を聞いたな、すまない」


 マテウスは自分が何故そんな質問をしたい思いに駆られたのか理解できずにいた。彼女に模範的な回答を言わせたかったのか? なにを期待していたのか? それとも、遠い過去と重ねようとしていたのか。


 後者だとするのなら、嫌悪感に反吐が出そうになる。皮肉な笑いと共に、それが込み上げるのを隠そうと、思いつきで質問を続ける。


「もしかして、ジェロームの推挙にはテオドールも関わっているのか?」


「ええ。彼との婚約が決まったのは1年前。その半年後、ドレクアンの特殊部隊フォルティクスから、私に護衛を派遣すると言い出したのは彼の方からよ。その人選に深く関わったのが、リンデルマン侯爵ね」


 マテウスの記憶が確かならば、特殊部隊フォルティクスと言えば、単独での斥候せっこう、破壊工作が主任務の、個人戦闘能力にも秀でたエリート部隊だった筈だ。


 およそ護衛に似つかわしくない経歴だが、ただ1人国外へその代表として戦士を送り出すというのなら、妥当な人選に当たるのかもしれない。


「それでジェロームが、お目付け役か。もしかして男の護衛が就けられない、止ん事無い理由というやつもそれなのか?」


「彼は少し情熱的なかたみたいね」


「ハッ……冗談キツイぜ」


 自らが女性親衛隊の教官などという回りくどい役目に就く事になった理由が、一国の主の息子による嫉妬からと知れば、マテウスでなくとも悪態の1つは零れよう。三美姫と噂だけが広まった顔も知らぬ相手に、幸せな思考をしているな、とも彼は思った。


 だが、男と女の愛憎が原因で壊れた国が、無数にある事もマテウスは知っている。これを飲み込むのが下としての役目なのだと割り切るべきだ。それにもう1つ、これがドレクアン側が婚約へ前向きな姿勢を見せる為の、パフォーマンスである可能性もあった。そんな政治的な理由であれば、マテウスも幾分か諦めがつくのだが……


 どちらにしても、ジェロームが親善の架け橋であった事は変わりない。彼の死が、ドレクアンとの国交に深い傷痕を残すのは避けられそうになかった。


「ジェロームが君に直接どうこうする事がない理由は分かったよ。彼は、テオドールとリンデルマン侯の顔役だ。その2人に泥を塗るような行為はしないだろう。だが、俺はここまで聞いて自信をなくしたぞ。本当にジェロームは、誘拐事件に関わっているのか?」


「あの事件の直後ね、私、実はマーティン様に手紙を出したのよ」


「なんだって?」


 マテウスは質問に対する答えの意図が掴めず反射的に聞き返すが、そこで思い出した。マーティン・コールズ。アイリーンが2人きりで話せると、約束を取り付けた人気男優だ。


「約束を破った事を謝ろうと思ったの。ジェロームは自分がするからって言ってたんだけど……内緒でこっそりね。そしたら、帰ってきた返事には2人きりで会う約束も、ジェロームの事も知らないって。あとね、あとね? 2人きりで会いたいのなら、いつでもどうぞって言われちゃって、うふふっ……」


「あーはいはい。つまり、君を孤立させる為の嘘を吐いたんだな、ジェロームは」


 彼女の以前に言っていた、思いあたる事とはこの事だったのかと、脱線しかけていたアイリーンを遮って確認するマテウス。王女としての覚悟を持ち合わせながら、有名男優とのやり取りを惚気るような市井しせいの娘となんら変わらない一面も持ち合わせているアイリーンが、少し微笑ましくもあったが、今それは本題ではない。


 結局、アイリーンのもたらした状況証拠を、マテウスは信用する事にした。そして、誘拐事件を指示したのは誰かを考える。テオドール、リンデルマン侯、女王ゼノヴィア。この3人は彼に強い影響力を持っている筈だ。


 だが現時点でその誰もが、アイリーンを誘拐する事によって、エウレシアとドレクアンとの国交が悪化させて利益を得るようには到底思えなかった。そしてもう1つの可能性を思いつく。


(誰からでもない、ジェローム自身の意思による誘拐事件……と言うのはあるのか?)


 自国のエリート部隊から脱退し、国の代表として与えられた任務が小娘のお目付け役。彼はそれを誇りに思ったのか、それとも……マテウスが、ジェロームの心中を探る為には、彼の情報が少なすぎた。だから、マテウスはそれ以上はこの場で考えようとしなかった。


 ―――1日後。同場所、王宮内神殿


「どうしたの? マテウス。終わったわよ?」


 マテウスが昨日の出来事を反芻はんすうしている間に、叙任式の全てが終わったらしい。瞳を開いて左肩に手を伸ばす。新しく刻まれた刻印の凹凸がハッキリと確認できた。


「あぁー、すまない」


 マテウスは一言で謝罪するとすぐに立ち上がって、祭壇から立ち退く。入れ替わりに祭壇へ上るパメラに睨まれたような気がしたが、彼女の半眼はいつも通りなので、考えすぎだろうという事にしておいた。


 続けてパメラの叙任式が行われるのを、マテウスは直立したまま見守っていた。パメラは刻印を刻まない、儀礼的な儀式で済ませる予定なので、マテウスほどの時間は取らない筈だ。


 結局今まで、マテウスは誘拐事件の首謀者を絞りきれないでいた。殺人事件の方については検討もつかない状態だ。こんな状態で、単独での捜索を進めなければならない上に、親衛隊運用の立案、隊員の教育までもしなければならないのか、と彼は気が重くなっていた。


 過去の叙任式ではどうだっただろうか? と、振り返ってみたが、ゼノヴィアに刻まれた刻印の痛み、所属先での人間関係の億劫、装具運用に発生する費用の懸念、等々のネガティブな思い出しか出てこないので、自身の成長の無さに、気付くだけの結果に終わった。


「また、難しい事を考えてる顔してるわね」


 気付けばアイリーンは、彼のすぐ傍に立っていた。叙任式で使用した剣は後ろに立つパメラに持たせている。マテウスが彼女に終わったのか? と、確認すると、コクりと首を縦に振って答えた。


「そうでもない。俺は単純だからな」


「また嘘吐いた。あと私、気付いたんだけど、右肩そっちの火傷みたいな痕。あれってファッションじゃなくて、刻印を潰した痕じゃないの? また、私を馬鹿にしたんでしょ」


「気付いたのか。だが、馬鹿にはしてないぞ。教訓を与えただけだ。人の話を簡単に鵜呑うのみにするな、勉強になっただろ?」


「うぅ、今度は誤魔化そうとしてるー。ちょっと心配したのよ……その、痛くなかったのかなって」


「そりゃまぁ……」


 右肩に触れながら当時を振り返ろうとして、気付く。今でも身体中に傷痕を残す懲罰ちょうばつを受けても、犯罪者同様の焼きごてを押し当てられても、なにひとつ痛みを覚えていなかった事に。


「忘れたな。大したことなかったんじゃないか?」


「もう……心配して損したわよ。でも、私の刻印は絶対忘れたり、消したりしちゃ駄目だからねっ」


 マテウスの正面から背中へ、自身が打った刻印の痕を確かめると、今度は滑るように彼の横に並んで腕を引くアイリーン。まるでじゃれつく子犬のようだな、と主人に対してそんな感想を抱くマテウス。


 そして彼女の笑顔を見て、ゼノヴィアも同じような笑顔を浮かべていた事を思い出す。だから理解した。懲罰や焼き鏝に比べれば、蚊に刺されたようなその痛みを、何故今でも覚えていたのかを。


『義兄さん。今日という大切な日を、ずっと覚えていたいですね』


 ゼノヴィアの言葉が今でもハッキリ思い出せる自分は、やはり単純なんだろうとマテウスは思う。そして、今日の感じた痛みも、また忘れられそうにないだろうとも。


「忘れないだろう、多分。こんなに痛いんだからな。あぁ痛てー。夜眠れそうにないな、これは」


 大きく声をあげて左肩を大げさに撫でながら、神殿を後にする。横に並ぶアイリーンは笑顔は直ぐに曇り始めた。気遣わしげな視線を送って、左肩に手を伸ばそうとするが、マテウスとの身長差で歩きながらでは届かない。


「嘘? 本当に? ……どうしよう。冷やした方がいいのかしら?」


「さぁな。そんな事で治るか……っ痛! ってーな。無言で蹴るなって、何度もっ!」


「どうですか? 痛みは消えましたか? マテウス


「おう、お陰様だわ。ありがとうパメラ。だが、気遣い方を学べ」


「もう、2人とも。お互い騎士として認め合ってるなら、少しは仲良くしなさいよ」


 アイリーンが間に入る事によって、パメラはマテウスの尻を蹴る事を止めた。そこで話が途切れたので、マテウスはふと思い出した事を尋ねる。


「……忘れていたと言えば、アイリ。口上を間違えていなかったか?」


「礼儀正しく、信念を持ち、勇ましく、誠実であり、優しく、忠誠であれ……でしょう? 忘れてないわよ。でも、あれはあれでいいの」


 アイリーンが言い淀む事もなく発した口上は、エウレシアでの騎士叙任式に使われる一般的な誓いの言葉だった。騎士が持つべき代表的な美徳を、主人の言葉でもって誓うのである。誓わされると言い換えてもいい。


 彼女はこれも、昨日のうちに一通り覚えていたのだが、故意に礼儀正しく、という一文を抜いたようだった。


 蹴られた腰から尻にかけてを撫でながら歩くマテウスを、アイリーンは振り返る。身を屈めて後ろ向きで歩くという、悪戯な子供のような仕草をしながら、次のように語った。


「だって礼儀正しかったら、こうやって冗談を言い合えないじゃない。だから、いいの」


「……そうか」


「そうよ。模範的な騎士が欲しいなら、マテウスを選んだりしないわ」


「はっ、そりゃそうだ」


 アイリーンはそれ以上自分の求める騎士像を語るような事はなかった。もしかしたら、彼女自身考えていないのかもしれない。暢気な彼女らしい答えだな、とマテウスはそう考える。


 前途は揚々とは行かず、問題は山積みだ。進むべき先に展望はない。だが、だからこそ、2度目になる目指すべき騎士像ぐらい好きに選ばせてもらおうと、気楽な主人にあやかる事にしたマテウスだった。

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