姫騎士物語

くるー

序章 不出来な騎士像

プロローグその1

 時刻は18時を回ったところだ。暮れなずむ街が、次第に夜へと変化していく。広がる闇の中、動く8つの人影。頭目とおぼしき男が7人を振り返りながら、静かに告げた。


「では、手筈通りに」


 言葉なく、皆が一同に頷き返す。覆面を深く被り直して、人目をはばかりながら路地裏を駆け抜けた。風のように路地裏から、屋根。屋根から屋根へと。訓練された一糸乱れぬツーマンセル。


(やはり素晴らしいな、この装具)


 覆面の下の口元を思わず緩めて、何の変哲もない自身のブーツを見やる。8人の流麗ともいえる動きは彼らの訓練の賜物たまものだが、常人離れした加速を体現するのは彼等が履く、革靴の力によるものだ。


(前払いでこの羽振り。成功報酬も期待して良さそうだ)


 覆面の下で誰にも気づかれずにほくそ笑み、彼は空を舞うようにして姿を消した。



 ―――同時刻。王都アンバルシア北区、エイブラム劇場前



「なぁ先輩。名前、なんつったっけ?」


「ん? 俺か? マテウスだが」


 まだ青年と呼ばれる年頃の男が、一回りは年上であろう中年期を迎えた男へ尋ねた。マテウスと名乗った男は意表をつかれたような表情を浮かべて振り返ったが、別に青年の乱暴な口調に驚いたのではない。まさか、並び立って警備をする相方の名前を覚えてもいない怠惰な男が、自分以外にもいた事に驚いたのだ。


「あぁ。そーだったのか……でよ、先輩。この劇場に外から覗ける場所があるのを知っているか?」


「いや、知らないな。詳しいのか?」


 先を促すマテウスだったが、青年の話に特別な興味はなかった。その上、教えた名前が使われない事や、やけに遠慮のない口調に対しても、苦言する気力すらなかった。


「実はここら辺、俺の地元でな。この界隈かいわいはもちろん、この劇場にも結構くわしいのさ」


「そうだったのか。それで?」


「案内してやるからよ、行こうぜ一緒に。どうせここにいても退屈だろ?」


 青年の言う通り、舞台が始まってしまえば玄関口付近の警備など、退屈そのものだ。彼の悪魔の囁きのような言葉をとがめる者は勿論の事、人影ひとつ見当たらない。


「しかし、ここに誰もいなくなるのはな……」


「なんだよ、先輩。悔しくねーのか? 中で警備してる奴らは楽しんでるっていうのに、俺たちだけよー……」


「警備配置は、少しの経験と上司との多大なコネだ。俺みたいになりたくなかったら、ここは大人しくしておくんだな」


 マテウスの愛嬌あいきょうとは程遠い、冷たく厳しい彫りの深い目鼻立ちと、顎下に残った不精鬚ぶしょうひげを自身で撫でながら、意図して表情筋を使って柔和に緩めて見せて、これで話を切ろうとした。しかし、青年は諦め切れてないようだ。警備員共通の紺色の制服を探り、ポケットからコインを1枚取り出すと軽く弾いて上に飛ばし、マテウスの眼前で掴んで、掌を返して拳を広げてコインを見せる。


「コイツで決めよう。こっちが表な。当てた方が楽しい巡回ツアーだ」


「おいおい、俺は舞台に興味はないんだ。それに、一人だけ持ち場を離れたって、残ってる方にも責任がだな……」


「つまんねー事言うなよ。それにバレたって用を足しに行っただとか、適当に言っとけばいいんだよ」


 青年の言動に、マテウスのそこにいるだけで相手を威圧するような190を越える巨躯も幾分か縮こまって見えた。制服を押し上げる厚い胸板を静かに膨らませて深い溜息を零す。


 青年は再び右親指で弾いて、コインを空へと打ち上げた。高い放物線を描いて落ちてきたコインを、右手の甲で受け止めて同時に左手を被せて隠す。左手にはマテウスと同様に、警備の際に支給された白銀の篭手型装具こてがたそうぐが鈍く光る。その下に隠れたコインへ、2人の視線が集まった。


(これ以上は言っても仕方がないな。好きにさせるか)


 マテウスはそう考えると諦めもついたのか、特に迷うこともなくあっさりと告げる。


「裏だ」


「裏か……表来い、表! ……かぁーーっ! ツかねぇー。裏かよー。先輩ツいてんなぁー。まぁ仕方ねーか。1時間ね1時間。それで交代って事で 」


 青年がメモを取り出して、なにやら地図を書き出した。例の覗けるポイントを示すモノだとは分かるが、1時間という提案が引っかかる。


(それだと、肝心な部分が俺は見れないんじゃないのか?)


「ほら、これで分かるだろ? そこを出て左の路地裏からはコイツを見ればいい。先を譲ってやってんだから時間厳守で頼むぜ」


 最初から最後まで青年に乗せられているだけではあったが、ここで仕事の尊さを諭する程、マテウスもこの仕事に対して情熱を宿してはいない。ここは乗せられておこうとメモを受け取って一瞥した後に、自身のポケットへそれをしまう。


「あぁ。1時間後だな。行ってくる」


 外に出ると太陽は沈みかけて、街灯がともり始めていた。理力を使って灯されるその明かりは、貴重な資源を垂れ流しているようにしか見えないが、劇場のような娯楽施設があるここら一画には、貴族達のような富裕層が立ち寄る事も多いので、インフラが推し進められるのも当然の事なのだろう。


 マテウスはその明かりの下でメモを開いて行き先を再度確認すると、目的の路地裏へと足を踏み入れる。ここまで足を踏み入れれば、理力の光は届かないようで、辺りは薄暗かった。だから、始めにそれを目にした時、彼はなにが起こっているのかを理解出来なかった。黒い人影が2つ、白いなにかを抱えて歩いているような……白いモノ、あれはモノだろうか? なにか身じろぎするように動いているような……


(いや、人か? これは……誘拐? さて……どうやら、本当にツいてないのは俺の方だったらしいな)


 そうと分かってしまえば、マテウスには、暗がりの中でもハッキリとその全景が理解出来た。黒ずくめの覆面をした男達が、2人で白いドレスの女を担いでいる。口元になにかを噛まされているのか、声が発せないようだ。その時、偶然にも白いドレスの女とマテウスの視線が絡み合う。白いドレスの女の瞳には希望が宿り、彼女は顔を上げて更に身動みじろぎする。そうして、必死にもがいて口元の異物を吐き出し、大きな声を上げた。


「うぐぅっ! むーーっ。むぅーー……ぷはぁっ! たすけぇっ!! むぐぅ……うぅーーー! 」


 しかし、また直ぐに異物を押し込められる。派手に暴れて抵抗を繰り返しているが、男2人に押さえ込まれては、彼女だけではどうしようもあるまい。


(……分が悪いな)


 この緊急事態を目撃して、マテウスが抱いた感想はそれだけだった。自身の武装は、腰に備えている暴徒鎮圧が精々の警棒状の装具が1つ。左手の篭手はただの護身用。ブーツはちょとした移動補助程度。対して相手の武装は、この距離では製造元こそ確認できないが、見るからに殺傷能力の高そうな小剣が2つ、防弾用の籠手状のモノが2つ、サスペンダーを使って背中に背負っているのは小銃型装具と、その理力倉カートリッジだ。


 その上に、この距離からでもハッキリと確認出来る、軍で正規採用されている革靴型装具。それは、マテウスが装備する移動補助に毛が生えたような装具ではなく、文字通り空を飛ぶような速さで移動できる、上物である。


 マテウスが遠目に見て確認出来たモノだけで、これだけの武装差。それが2人。その数もまた、一目で確認出来ただけの数字である。誘拐犯達が2人だけと油断する程、彼は楽観的な男ではなかった。


(申し訳ないが、ここは応援を呼ぶか)


 マテウスがそう判断するまでに数秒。判断した直後に踵を返して、ここから離れようとしたその時。彼はドス黒い殺気を浴びせられて、瞬時に体を動かした。


 **********


 時は少しだけさかのぼる。場所は、エイブラム劇場の屋上。


(何故、この場所に警備員が?)


 上から辺りを警戒していた頭目だったが、フラフラと所定の持ち場を離れた警備の男がこちらに近づいてくるのを見て、仲間達に作業を急がせる。警備の男が現場へ近づく前に、男へ警告を投げ掛けても良かったのだが、彼の目的を頭目は知らなかったし、このまま路地裏に入らなければ、気付かれないままに作業を終える事が出来るので、様子を見る判断を下したのだ。


 トラブルがないまま終わるのならそれで良かったのだが、頭目の選択は最悪の結果に転んだ。勿論それは頭目達にとってではなく、警備の男……マテウスにとってである。マテウスに誘拐の現場が見つかったと判断してからの、頭目の行動は迅速だった。傍らに控えていた仲間に対して、静かにハンドサインを送る。


 頷き返した仲間が小剣を構えて、マテウスに目掛けて飛び降りた。仲間の小剣は、マテウスに声を上げる隙も与えずに串刺しにする……筈だった。殺気を浴びたマテウスは、考えるより先に身体が動いていた。すぐに身を屈めるようにして、後ろに下がる。その動作に加えて、彼が履く革靴を理力解放インゲージ。バックステップで、頭目の仲間の背後へ回り込んだ。


 慌てたのは、必殺の筈だった強襲をかけた男である。彼は、勢いの余り地面に突き刺さった剣を、引き抜きながら振り返ろうとしたが、その右膝裏をマテウスは、右足裏で踏みつけるようにして蹴り落とす。


 無様に背を向けたまま片膝を着いた男の後ろで、マテウスは蹴り足をそのまま地面に下ろして、同時に警棒を抜き放ち、後ろから男の延髄目掛けて、力一杯に振り下ろした。男の首から、骨がきしむような音を上がり、彼の動きが止まる。マテウスは、そこから更に容赦ない追撃を加える。首後ろに押し当てたままの警棒を理力解放させたのだ。瞬間、男の体に高電流が駆け抜ける。痙攣けいれんを起こした全身を震わせた男は、電流が止まるとあっさり頭から前へと倒れた。


 この一連の展開に、頭目は目を疑った。倒された男は彼等、誘拐犯の中でも腕利きの部類だった。その男が先手で奇襲をかけたにも関わらず、瞬きする間の返り討ち。騒ぎを起こす前に標的マテウスを始末するどころか、声を上げる隙すらも与えて貰えずに、倒されたのだ。


 倒れた男が手離した小剣を拾おうと、マテウスが腰を落とす。偶然であれなんであれ、あの標的に武器を与えるのは不味い。そう判断した頭目は、誰かに指示を与える間すら惜しんで、自らが飛び降りた。短刀を引き抜き、自身の革靴を理力解放する。


 頭目は空気を蹴って、更なる加速を得ながらマテウスの視界の外から飛来するが、それをも彼は察知した。頭目の斬撃に対してマテウスは、振り向きざまに斬撃を返す。その斬撃は、頭目の剣筋を確認もせずに放たれたものだったが、頭目の短刀を見事に弾き飛ばした。


 しかし、これに対して頭目は落ち着いていた。着地した彼は、マテウスが放つ追撃を回避し、靴型装具の機動力差を活かして飛び退きながら、投げナイフを続けざまにマテウスへ向けて2本投じる。


 かすり傷でも負わせれば全身を痺れさせるそれ等を、マテウスは1本を小剣で打ち払い、もう1本は身体を反らして回避する。少し距離を離したとはいえ、この至近距離で、予定調和であるかのような正確な彼の斬撃と、反応速度に、頭目は内心で愕然がくぜんとした。


(あの籠手型装具を、使わせる事も出来ないとはっ!)


 後ろに飛び退いた頭目は、両手足を使って着地。それに合わせて、マテウスは距離を詰める。移動補助程度の性能とはいえ、彼が足に装備する靴型装具を使えば、このような近距離であれば、頭目が装備する靴型装具との性能差は微々たるものだ。


 マテウスが自身の篭手型装具を理力解放してて、小盾を開かなかったのは、この素早い反撃を成功させる為である。


 マテウスは突進の勢いと共に小剣をしならせて、生きた蛇のような曲線を描く、鋭い一突きを繰り出す。それを回避しきれぬと判断した頭目は、自らも距離を詰めて、敢えて左肩を差し出した。当然の結果として、左肩口を貫かれ、激痛が頭目を襲う。しかし、彼は歯を食いしばる事によってこらえながら、自らの身体を捻ってマテウスから小剣を絡めとった。


 同時に頭目は、マテウスからは完全なる死角である、右の小脇に抱えた小筒しょうつつを理力解放。彼は体勢をあえて崩す事によって、マテウスをおびき寄せ、死角を作り、必殺の1撃を繰り出す機会を狙っていたのだ。


 刀剣の柄だけをくり抜いたような小筒から、火柱が吹き出る。一浴びするだけで肌がただれ、例え命を取り留める事が出来たとしても、生涯痕に残るであろう強烈な火柱が、マテウスの視界に広がった。


 しかし、これすらも読んでいたかのように、マテウスは火柱をさばいてみせる。あらかじめ理力解放しなおしていた左の篭手型装具から、小盾程度の面積を持つ輝く障壁を顕在けんざいさせて、これを使って火柱を受け流したのである。


 見事に火柱を受け流した彼は、受け流す為に身を引いた体勢からそのまま、左側に身体を捻り、頭目の左側面を狙って右蹴りを放つ。その蹴りは、狙いすましたかのように、小剣が突き刺さったままの頭目の左肩へと吸い込まれる。


 頭目は必殺の筈の1撃を、またもや回避された事に対して大きく動揺し、再び襲う意識を吹き飛ばすような左肩の激痛に対して、踏み止まる事すら出来ず、されるがままに壁へと叩きつけられた。マテウスは横壁に弾かれてよろめく頭目の顔に、追撃の右掌底をちかまして、そのままもう1度壁へと顔を押しつぶす。


 ゴシャっと頭蓋が潰れたような音を立てて、壁に亀裂が走った。ズルズルと壁に血痕を残しながら、力なく頭目が沈んでいく。


「あー、すまん。力が入り過ぎた」


 発せられたマテウスの声は、場に削ぐわぬほどにのんびりとしたモノだった。白いドレスの女を抱える頭目の仲間……誘拐犯の2人が、息を呑んで唖然あぜんとする中、彼はゆっくりとした動作で頭目の左肩から小剣を引き抜き、2人へと向き直る。


 そこまできて、マテウスの動向を見守るだけであった誘拐犯の2人は、ようやく動きだす。2人の内の片割れが、マテウスの構える小剣と同サイズの小剣を片手に構えながら、歩いて距離を詰めていく。


「もういいだろう? 他になにか用件でもあるのか?」


 じりじりと距離をつめてくる男に対して、マテウスは及び腰だった。結果的に2人を返り討ちにしたものの、それは運が良かっただけだと、彼自身は考えているたからだ。未だに人質(マテウスに彼女の命を助ける義理があるかどうかは別として)を取られている上に、装備においても人数においても、相手との戦力差に変化がない。彼は現状に対してそう分析していた。


 マテウスは出来る事ならば、路地裏ここから出ようと視線を出口へと送って、その結果に絶望を覚えた。出口をさえぎるよう、前にいる誘拐犯2人と同じ装束の男が、更に2人、姿を現していたからだ。


(これで計6人か。女1人の誘拐に、何人用意してるんだよ)


 マテウスは内心、現状に吐き気を覚えたが、なんとか頭を働かせて状況を整理し始める。そもそもなぜ、彼らは距離を詰めてくるのだろうか? マテウスは前の2人が小銃型装具を背負っているのを確認済みだった。その上、後ろの2人の内1人は、既にそれと同じモノを抜いて構えている。彼がアウトレンジから、自身を蜂の巣に仕上げれば、誘拐犯達の勝利である。


 だが、誘拐犯達はその簡単な勝利を投げ出して、自身を挟むようにして距離を詰める選択をしている。前から1人、後ろからは2人。その内、小銃型装具を構えるのが1人。その全員がにじり寄って来ているのだ。


 このまま誘拐犯同士で近づけば、射線上の仲間も、誘拐した女までも巻き込む同士討ちが発生してしまう。それらを踏まえてマテウスは、最早小銃型装具は構えているだけで使用される可能性が低く、誘拐犯達は自身に対しての近接武器での戦闘を挑もうとしているのだと、予想した。


(発砲音を嫌っているのか? それにしたって目的の女はとっとと連れ去ればいいじゃないか)


 前から近付いてくる男の後ろ。白いドレス女を抱えた男は固唾を飲むようにして、こちらを見つめている。女といえば、暴れ疲れたのか、男の腕の中で静かにしていた。彼女の希望にすがるような視線を感じるが、マテウスとて今は自分の身の事で精一杯なので、どうしようもない。


 しかし、マテウスは誘拐犯達の視線を意識して、ふと、ひとつの事実に気づく。ただの思いつきではあったが、このままなにもしないよりはマシだろうと、構えていた小剣を静かに下ろした。

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