第32話

「いーなーそーゆーの」

 ひかるさんは空を見ながら言った。

 渡り廊下脇のベンチで、ひかるさんがジュースをおごってくれて、私はなんとなくひかるさんに打ち明けた。

 最初は、私が質問した。岡部さんと付き合い始めた頃って不安じゃなかったんですか? 会えない時とかどうしてたんですか? って。ひかるさんは笑って答えた。

「あたし、たかちゃんのこと好きなんだよね。ずっと。だから、会いたいと会いに行くの。会えない時は電話したなー。今?今は別に、1週間くらい音沙汰なくても気づかないかもね。でも、たかちゃん、あたしのこと守ってくれるのよ。よわっちーんだけどね。あたしがふにゃふにゃでどーしよーもない時には黙ってそばにいてくれるんだよね。それ以外の時は大体、あたしが押しかけてるかなー」

 それを聞いた私は

「すごい、うらやましい……」

 とつぶやいた

「ちひろちゃんは、ちがうの? 山本は、やっぱ鈍いの?」

「えっ、と……」

 私は何から話していいのか、どこまで話していいのかわからずに言葉をにごした。

「あ、山本からは何も聞いてないよ。あいつ、ほんとに何も言わないのよね」

「すごく、優しいです。いつも私を見てくれて、気にしてくれてて」

「ふーん」

「私はいつも甘えてばっかり。私ばっかり癒されて。山本さんにおんぶにだっこで、、、」

「そんなことないよ」

「え?」

「あいつ、ちひろちゃんに相当助けられてるよ」

「...私に?」

「なんていうか、余裕が出てきた。さっき、優しいって言ったけど、優しくなったの。変わったよ。ちひろちゃんのおかげ」

そう言われても実感ない。私には分からない山本さんがいる。

「初めて、心許せる人に出会えたんじゃなるかな。私にも、タカちゃんにも立ち入らせない部分があるの」

「私に? 山本さんが?」

「そ」

「でも、山本さん、すごくカッコよくて、人気あって、一年生でも知らない人はいないし、なんか私から見たら雲の上の人で、私なんかが…… みちくんの力になれてるとは…… 思えなくて……」

「みちくんかー。あのね、これは言っていいのかわからないから内緒ね。」

 ひかるさんはウインクをした。私は大きく頷いて、なんでもいいから、私の知らないみちくんのことを教えてほしいと思った。



「あいつ、あなたと付き合い出してから、私に連絡してくることが少なくなったんだ。特に最近は生きてるか死んでるかも分からないくらい」

 私は首を傾げる。どういうことだろう?


「うーんと……」


 ひかるさんは何から話そうか、と言いながら、話してくれた。


「私とあいつは、一年の時からなんだかんだ付き合ってるの。クラスが同じになったことはないんだけど。えっとね、最初は、私の好きな人があいつのクラスで、あ、タカちゃんじゃないよ、ほかの人。それで、あいつがそれに気づいて私に声をかけてくれた。なんかさー、そーゆーとこ鋭いのよ。変に。


 あの頃の私は、今よりもっとふにゃふにゃしててさ」


 私は、えー、意外、と思った。


「今でもね、あ、さっきも言ったか。ふにゃふにゃになるのよ。やっぱり一人だとダメね。今はタカちゃんがいるから山本には頼らない。でも、あの頃は誰もいなくて。


 私こーゆー性格だから、あんまり友達って多くなかったの。女子同士のあーゆー緩やかな馴れ合いの世界がニガテで。でも、突っ張ってるつもりはないんだけど、弱いところを出せなかったのよね。弱いのに。山本はそれ、知ってたのよね。ろくに話したこともないのに、あんまり無理するなよって言ってきた。最初はムカついたのよ」


 ああ、なんかわかる、と思った。みちくんと一緒にいると「あれ、私そんなことまで言ったっけ?」と思うようなことがよくある。


 ひかるさんは続けた


「クリスマスの頃だった。私、好きな人にフラれて。その頃には山本とはなんとなく仲良くなってて、色々相談乗ってもらってた。あいつは、やらなくて失敗しないよりやって失敗したほうが何十倍もマシだってのが口癖でね。人は先に進まなきゃいけないんだから、そのためにも一歩踏み出さなきゃダメだよって何度も言った。」


 私は頷く


「告白しなくて友達でいるより、振られてもいいから告白しなきゃダメだって。あとからわかったんだけど、あいつはその人には別に好きな人がいるって知ってた。それでも、私に自分で告白しなさいって言ってたのね。もちろん、玉砕。そしたら、山本、クリスマスパーティしようぜて、2人で過ごしてくれた。独り者どうしだからさ、とか言って。スーパーで焼き鳥買って、ホットケーキ焼いてクリーム塗って食べたりした。あー、あの時すごい泣いたなー。バカお前のせいで! って、山本のことをすごく責めた。あいつは笑ってたかな。」


 ひかるさんの方がみちくんのことをよく知ってる。当たり前だけど。胸が痛い。


「しばらく立ち直れなくて。学校も行きたくなかった。冬休み前だったから助かったんだけどね。学校に行けば元気なひかるでいなきゃならないし、家に帰ればさみしくて死にそうだし。そんな私のことは誰も知らない。山本だけが知ってた。何度も泣いた。私があんなに泣いたのは、タカちゃんの前でもないなー、山本だけだわ。誰もほんとの私をわかってくれない。私は強い女じゃないのにって。なんだろねー、恥ずかしいなー」


「ひかるさんでも、そんなことあるんですか……」


「うん。あるの。あったの。今でもある。そのときさ、あいつが言ったのよ」


 みちくん、なんて言ったの?


「バカだなお前は。学校にいる元気なひかるさんも、ここにいるふにゃふにゃ泣き虫ひかるさんも、どっちもひかるじゃないか。どっちもほんとの自分じゃないか。って。


 お前はどっちかのひかるが好きで、どっちかのひかるが嫌いなのか? どっちもほんとなのに? それはおかしいだろ。って。


 人に好きになってもらう前に、自分で自分のこと好きになってやれよ。自分が好きになれない人のこと、どうやったら他人が好きになってくれるんだよ。って、ね。」


 どきん、とした。


「どっちも自分。どっちもひかるじゃないか。胸張ってりゃいい。受け止めてあげたらいいよ。そのひかるのこと好きだっていう人が絶対にいるんだから。 なんて言うのよ。」


 それ、もしかして…


「私、その時になって思ったの。こいつもしかして私のこと好きなのかもって」


 あ、ヤダ。聞きたくない。


「事実俺は両方のひかるが好きだよ。とか言うし。えーどうしようって思った。確かに山本はいいやつだし、当時は今みたいに人気者じゃなかったけど、でも、ちょっとちゃんと考えようと思ったのよ」


「あ、ありがとうございますひかるさんあのっ」


 私は無理やり割り込んだ。これ以上聞きたくない。今それを聞いたらひかるさんのことを嫌いになる。逃げたくなった。


「あーちがう、違うの。ごめん。関係ない話しちゃった。山本は私のことなんか全然想ってなかった。本当。他に好きな子はいたけどね。でも私じゃない。そんな気持ちは全然なかったのよ。それなのに、それなのにね?」


 私は、はい、と返事をして、話の続きを聞いた


「私を助けてくれたのよ。最初は友達でもなんでもなかった私のことを、自分が嫌いだった私のことを、救ってくれたの。私それ以来、しんどい時はしんどいって言えるようになったし、元気がないときに元気なふりするのもやめられたの。だから山本には感謝してるの。私にとって大切な人なの。」


 すごい人だな、と思った。みちくんも、ひかるさんも。すごい大人だあ。


「あ、なんか、ごめんね。勝手にベラベラと喋って。とにかくね、私は、あいつに、あなたみたいな素敵なカワイイ彼女が出来て嬉しいの。絶対に、あなたたちは幸せになれるよ。なにかあったら私にいつでも言って来ていいんだからね。そして」


 ひかるさんは立ち上がって私の前に来ると膝を落とした。うつむいた私を下から見上げるように、ひかるさんはまっすぐに言った。


「会いたくて、会えなくて、寂しくて、潰れそうで、でも、わがまま言いたくなくて我慢して、自分のことが嫌いになりそうになっても、あいつはね、そういう部分もひっくるめて、ちひろちゃんのことが好きなのよ。間違いない。表面だけ見て人のことを好きだとか言わない。これは絶対ほんとだよ。」


 ひかるさんの人差し指が、私の鼻先をちょん、と触った。


「ひかるさん……」


 私は裸の私をまじまじと見つめられているような、恥ずかしい気持ちになった。でも、恥ずかしいはずなのに、勝手に自分で分厚く着込んでいた全然オシャレじゃない服を脱ぎ捨てたような、そんな気分も、私の中に見えてきたような気がした。


 昼休みの終わりの予鈴が鳴った。あと5分で午後の授業が始まる。


「ごっめーんちひろちゃん、長々話しすぎた。山本に会いに来たんだよね!」


「い、いえ、大丈夫ですあの、すごく素敵なお話が聞けて嬉しくて、ありがとうございます」


 私は笑顔になれた。みちくんに会いたい! と思った。


「そ。おばちゃんだから余計なおせっかいしちゃうけど、許してね。とにかく、ちひろちゃん、山本のこと好き?」


「はい!」


 思い切りうなずいた。ひかるさんはクスッと笑って


「あなたが大好きな山本が、あなたのことを好きだと言ったのよ。あなたの大切な人が選んだ人のことを、あなたは誰よりも好きになってあげないと、ダメよ」


 と言った。


「みちくんが、選んだ人のことを…… 」


「あなたのことよ!」


 ひかるさんは私の顔を両手でぐちゃぐちゃってした。


「きゃーっ! 」


 ひかるさんは笑いながら手を離して立ち上がって、よしよしと頭を撫でてくれた。


「好きになってあげるのよ。ほら授業始まる。行こう」


「私が、私のことを好きになる……」


「全部自分なの。ほんとの自分。これ、山本が言ったんだからね。あなたは、山本の言うことは信じられるでしょ?」


 階段を上ったところで、じゃあねと手を振ってひかるさんは3年生の教室に消えた。


 私は、みちくんの言うことなら、誰よりも信じられます、信じられるよ。と、ひかるさんの話をひとつひとつ思い出した。

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