第25話
「みちくん、ご飯食べた?」
「ああ。なんかテキトーに済ませてきたよ」
「よかった。私達も軽く食べちゃったから」
言いながら、ここ、とちひろが言った。閑静な住宅街の普通の、2階建ての家だった。綺麗な家だなあ、と思った。
ガチャ、と扉の開く音がして、ちひろはスタスタと玄関に入った。
ちょ、はやっ! と思いながら、一呼吸してつづく。
ただいまー、とちひろが慣れた様子で言う。キッチンかリビングから、おかえりー、と声がした。森田さんの声と、おそらく、森田母の声だった
「お、おじゃましますっ!」
と元気よく挨拶し、靴を揃えてちひろに続く
広々としたキッチンに、母娘が立っていた
「はじめまして。おじゃまします。山本と申します」
緊張してひきつった顔で言う。隣でちひろがくすくすと笑った。
「いらっしゃい」
元気な声で森田母が入った。「どうぞごゆっくり」
と、キッチンから出ていこうとしたので、俺派慌てて
「あ、あのっ」
と呼び止めた
「はい?」
と森田母は驚いて立ち止まった
「あの、これ、あの」
俺はカバンを開けて、いかにもおみやげ物です、みたいな箱を取り出して、平らにして差し出した
「つまらないものですがっ」
「あ、はい」森田母が言う。
「え?それは」森田さんが言う。
「え?それ?」ちひろも言った。
「あ、はいあの、今日、ケーキで、甘くて、で、コーヒーとか、考えたんですけど、それはあるかなって思って、思いまして、で、それならしょっぱいものとかがいいかな、と、それでどうせなら堅いものとかの方が、よいのでは、と思いまして…」
「プッ」と森田さんが笑った。
ちひろはきょとんとした。
「山本くん、よね。それで、おせんべいを持ってきてくれたってわけね?」
「はいっ」
「あっはっはっ! ごーかく、もう、合格よ」
森田母が爆笑しながら言った。
「いやー、ちひろちゃんの彼氏が来るって言うから、どんな男の子かちゃんと見てあげないと、って思ってたんだけど、山本くん、あなた、おもしろいわ。ちひろちゃんのこと、よろしく頼むわね」
「やー。さすが先輩ですね。まさかいきなり合格とは思わなかったです。私このおせんべい大好きなんです。ありがとうございます」
母と娘に立て続けに言われ、事態が飲み込めない俺は、ははは、ありがとうございます。と笑ってみた。
なんだかよくわからないけれど、森田母に気に入ってもらえ、ちひろも、森田母にほめてもらって安心したみたいで、俺もとにかく安心した。
「みちくん、あの、家に来るときは、お土産は私に相談してね。」
とちひろにこっそり言われたのは少しショックではあった。
結局、4人でテーブルを囲んでちひろのケーキを食べた。
コーヒーと紅茶を森田母子が出してくれて、学校のことやテニス部のこと、あと、俺とちひろのことなんかの話をしながら、すごく楽しく時間が過ぎた。
ちひろのケーキはおいしかった。
いちごがすっぱかったから、少し甘めにしたの、と言っていた。
すごくおいしくて、あっという間になくなってしまった。
「つくるのは大変なのにね。食べるのはすぐだね」
なんて言って
「でも、こうやって楽しく食べたら、その時間はずっと思い出に残るからね。素敵なことだよ」
なんて話したりした。
ほんとにそうだなー、と思った。ちひろは、魔法使いみたいだな、と思った。
それから、森田母は出かけ、3人でテスト勉強をした。
コピーしてきたレポートを二人に渡した。
「これ、多分、ここが理解できれば数学と理科Ⅰはいけると思うんだよね。ちょっと読んで」
2人に目を通してもらいながら、日本史のノートを借りた
「読めた? じゃあ、説明するね」
一通りの説明をした。説明と言っても、教科書に書いてあることの再確認と復習みたいなもの。その後で練習問題を解いてみる。2人とも、半分以上は簡単にできた。
「ああ。大丈夫だよ。ちゃんと理解できてるできてる。そこが抑えられてれば平気だと」
「あー、なんかわかった」
ちひろが言う
「すごい。今まで全然だったのが、半分くらいわかった。なんで?」
「一番基本的な部分を再確認しただけ。そこが理解不足だったんだと思う」
「では次日本史は、これとこれ覚えとけば30点は固い。あとはてきとーに覚えとけば半分は軽いとこ」
「へーそーなんだ。すごい」
「そんなのなんでわかるんですか?」
「ああ。あの先生、テストに出すとこは自分の好きなとこだから。一昨年も去年もコレ出てるのよ」
「はー…」
2人とも出来が良くて、夕方になる頃には一通りの勉強を終えた。
俺とちひろは、森田さんの家を後にした。
「思ったより早く終わったね」
「うん。すごくわかり易かった。びっくりしたよー」
「ちひろ、基本ができてるから、良い生徒さんでした」
「えー、そう? うれしー」
「あ、ちょっと、座る?」
公園の前で俺は言った。
ちひろは時計を見て、うん、と答えた。
公園の入り口で自転車を止めて、2人で歩いた
ケーキ、ほんとにおいしかったよ。
お茶もおいしかったね。
うん。でもケーキ、おいしかった。
えへへ。ありがと。
前を向いたまま二人は歩いて、そして、俺は、左手でちひろの右手をつかまえた。
ちひろの肩が一瞬びくっ、としかけれど、ちひろはそのまま、前を向いて歩いた。
俺は、すげードキドキした。何も話せなかった。ただ、ちひろが、嫌がらずにいてくれたことに安心した。
2人は、何も話さないまま、ベンチに座った。手は、つないだままだった。
俺は、少し、左の方を向いた。視界の左端に、ちひろの顔が見える。
もう少し、左の方を向く。ちひろの顔が、すぐそこにある。
ちひろは、俺の視線に気づいて、右を向く。
一瞬、2人の目が合って、弾けるように視線を外す。
2人して、へへっ、と笑った。
「手、つないじゃった」
俺が言う
「うん」
ちひろが答える
「あのね」
「ん?」
「好きだよ。ちひろ」
へへっ、と笑う。
ちひろも、へへっ、と笑った。
また一瞬だけ目が合って、
「わたしも。好き」
ちひろが言った。
公園の前を犬を連れたおじさんが通り、2人はパッと手を離した。
「そろそろ、帰らないと。遅くなっちゃうね。送るよ」
「うん。今日はありがとう」
2人は、ちひろの家へと自転車を走らせた
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