第10話

放課後、いつもどおりの静かなテニスコートは、わずかに緊張感に包まれていた。


アップを終えた選手が、審判を努める二年生の指示に従って、コート中央に集合する。


ちひろは、他のマネージャー達と一緒に、コート脇のベンチの後ろに立って、見守っていた。見守っていたと言うより、山本の姿をひたすら追いかけていた。


テニスのルールはなんとなくわかったけれど、ほんとの試合を見るのは初めてだった。


4ポイントを取ると1ゲーム獲得したことになって、それを4ゲーム取ると勝ちという、シンプルなルールだ。サーブ権はゲームごとに代る。だから、サーブ権を最初に取ったほうが有利だと聞いた。


基本的にサーブを打つ人はペアの中で一人。


「後衛」と「前衛」がいる。山本は、前衛だった。


コートの横には、2年生の部員たちが何人か見に来ていた。ほとんどが、ちひろが初めて見る顔だった。


岡部、山本組のサーブで試合が始まった。


すごくかっこよく、山本が点をとって、あっという間に勝っちゃうだろう、と思っていた。


しかし、実際には、淡々と、山本がボールに触れる機会がほとんどなく、試合は進んだ




「… これで、2年生が2ゲーム連取。3年生、苦しいよ」


森田がささやくように教えてくれた


「え… ねえ、もりちゃん、どうなの? どうなってるの?」


「私もよくわかんない。レベル高くて。でも、ひとつだけわかるのは、2年生の方が、うまいよ。すごい」


「え。だいじょぶ、だよね。勝てるよね」


「…」


「ねえ、もりちゃん!」


つい、声が大きくなる。2年マネージャーが視線を動かさずに言った


「峯岸さん。私たちの仕事は、見守ることだよ。どちらも応援して。そして、どちらかだけを応援するなら、この場にはいられないよ」


「す、すみません…」


ぽん、と森田が肩を叩いた。


「信じな。山本さんの言葉を信じて。」


そっと、耳打ちをした


こくん、と頷いたが、コートに立っている山本の姿を見ることができなかった。






「おい、作戦通りやってるんだけど?」


ラケットを肩に担ぐような姿勢で、岡部が言った


「いや。まいったねどうも」


「まいったのはこっちだわ。なんだあのボールは。あんなのまともに返せねえよ」


「いや俺もまいってるんだよ。あの野郎、どこで何をやったのか知らないけど、フォームの乱れが少なくなってる」


「それなりに作戦たてたってことかね」


「いや違う。そんなに簡単にできることじゃない。あいつら、どっかで練習してやがる。しかも長期間、ちゃんとした指導者がいる」


「まじかよ」


「でなきゃ説明できないな。」


「てことは、これは無理っぽい感じか?}


「いやー。諦めたらそこで試合終了ですよってやつだ。とりあえず、長く説明してる時間ないから、次のゲーム、サイン出すから、大変だけどそっちに打ってくれ」


「マジかよ。重労働だな」


「できれば、ラリーが長いほうがいいんだ」


「なんかわかんねえけどわかったよ」


3ゲーム目が始まる。これを2年が取ればゲームカウント3-0になって、圧倒的有利になり、3年が取れば2-1となり、もつれる可能性が出てくる。


それまであっという間に2ゲームを取られた3年だったが、このゲームはラリーを長く続ける作戦に切り替えた。しかし、安定した2年ペアの攻撃の前に、3ゲーム目も落としてしまう


「ゲームカウントスリーゼロ!」


審判の声が響いて、コートチェンジのために選手がコートの外に出た




「やっぱり、ね」


「ここまで差があったなんて」


「これ、このままいっちゃう、かも」


2年生マネージャーたちが誰にともなくつぶやく声が聞こえた


ちひろは、目の前の景色がじんわりと滲んでいくのをぼうっと見ていた。


はたり、はたり、と、涙がこぼれるのを、他人事のように感じた


「ちひろ… 泣くのは早いかもよ」


森田が声をかけてきた


「見て。山本さんも岡部さんも、笑ってるよ。状況は圧倒的不利。でも、諦めてないみたい。ちひろはもうあきらめたの?」


ちひろは、ぐい、と涙を制服の袖でぬぐうと、まっすぐ、山本を見つめた。

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