第4話

 中学生のときから素行不良だった健太だが、まさか二十歳を過ぎて尚、そんな馬鹿なことをしていたということを知ったとき、パピ子は呆れる。悪い先輩との付き合いが続いているのは知っていたし、パピ子の心配の種の一つだった。

 今回の窃盗もそんな悪い先輩からの誘いだったという。深夜の家電量販店に集団で忍び込んで、商品を持ち出した。そういう事件だった。

「馬鹿――」

 週が明けた月曜日。留置場で、パピ子と健太は再会する。前もって面会室まで案内した警官に、十五分間だけだと言われていた。三十分くらい出来るのかと思っていたので少々面を食らった気分だった。

「ごめん」

 健太はつぶやいた。彼の向こうに立つ看守の視線が気になるが、十五分というタイムリミットのことを考えると、そういったことに気を取られている場合ではないことはわかっていた。パピ子は努めてその存在を忘れようとする。

 面会室は、透明な強化プラスチックで仕切られており、その二つの空間にそれぞれパピ子と健太がいる。壁は白いが、清潔さは感じない。軽々しく笑うことができない雰囲気がそこにはあった。

「色々持ってきたから」

 彼の部屋から生活に必要そうなものを調べて持ってきていた。事前にインターネットで情報収集をしたので、看守に取り上げられてしまうようなものは差し入れていない。

「ありがとう」

「ほんと馬鹿」

 会話は弾まない。二人を仕切る強化プラスチックのせいじゃない。もっと言うならそこで目を光らせている看守のせいでもなかった。

 パピ子は昨夜考えたことを伝えようとしていた。

「反省してる」

 健太は呟く。そりゃそうだろう、とパピ子は思う。

「ほんと?」と、パピ子。

 六年も付き合ったのだ。懲りない男なのは知っている。

「今回ばかりは本当」

 俯く健太の姿が痛々しい。服は土曜日のその日のままだった。着替えも持ってきたのでこれからはもう少し元気になるだろう。

「そっか」

 それから沈黙が流れる。時間にして十秒もないくらいだろう。これまでお互い黙っていても気にならないような仲だったはずだったのに、今度はそれがとても重くパピ子に圧し掛かる。何気ない言葉の意味を邪推されてしまいそうで、次の台詞が出てこない。

 その理由は簡単で、もう二人の関係はそれまでのものと変わっているからだった。二人はもう手を伸ばせば届く距離にいる、土曜の夕暮れ時の関係ではなくなっていた。

 つまり、パピ子にとっての健太とはもう手を伸ばしても届かない、目に見えるけど振り返らなくては見えないような過去の人なのだ。

 昨晩、一人になった日曜日、彼女はずっと自宅で考えて導き出した答えがあった。朝、健太の部屋に彼のための差し入れを纏めているときもその思いは揺るがなかった。

 いや少しは揺れた。やはり二人の間には六年の記憶と、初めての恋人だったという事実がある。初恋ではなかったが、恋愛をしたのはパピ子にとって健太が初めてだった。

 だがもう潮時なのだろう、そういう想いのほうが強かった。

 恋人が苦境に立たされているのはわかっていた。愛している人、という位置づけの健太が自分の助けを必要としているのも。

 きっと付き合ったばかりの頃なら、こんな想いにもならなかっただろう。

 だがもはや惰性で付き合い続けているようなパピ子は、夢よりも多く現実というものを見る。

「ねえ――」

 彼女は話を切り出す。別れ話である。

「ん?」と、健太。

「もう別れよう」

 健太の反応を見るのが辛かったのは、まだ愛情が残っていたからじゃない。同情からだった。再び訪れる沈黙。それを嫌って彼女は、「ごめん」と謝る。

 健太は根が腐っているような人じゃないのはわかっている。今回だってこれほど大事になるとは思ってなかったのだろう。先輩からの誘いを断れず、ただ少し危ない儲け話に乗っかったくらいにしか思っていなかったに違いない。つまるところ彼は馬鹿なのだ。

「え?」と言ったその声から、健太がパピ子のそんな言葉を予想もしていなかったということが窺えた。「本気なの?」

「うん」

 今度は少しの間もおかずに即答するパピ子。

 言ってしまえば、健太はこれから裁判にかけられて犯罪者になろうという男である。きっと仕事もクビになるだろう。実刑は免れるかもしれないが、そんなことならいっそ塀の中に入ってもらったほうが良い。執行猶予となって出てきて、またこの関係がだらだらと続けるのか、と考えたら、やはりパピ子は現実を見てしまう。

 今までだって何度もこうした機会はあった。何度も喧嘩をして、一ヵ月程度連絡を取らなかったことだってあった。それでも関係は続いていたが、今回は本当にお仕舞いなのだ。

 喧嘩をして別れるかと思ったときは涙したものだったが、いざ本当にその時が来ると全く何も瞳から零れはしない。

 ただ理由もなく流れる時間に身を任せて、相手の返事を待つ自分にパピ子は気付く。恋人と別れるのも彼女にとって初めてのことだった。面会の残り時間を見る。まだ十分以上残っていた。

 話すまでは十五分だと少ないかな、と思ったものだが、いざ健太と対面するとそれは十分過ぎる時間だった。愛が枯れるとはこういうことなのだろう。付き合い始めた頃はいるときはもっともっとと欲しがっていた時間なのに、今では十五分程度ですら持て余すことになるのだ。

「そっか。わかった」

「うん」

「差し入れありがとう」

「ごめんね。鍵は出てからまた返すから」

「そう」

 ぽつり、と落とすように健太は呟いた。結局、そのままパピ子は面会を終えてしまう。

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