第5話 キス

君と一緒に昼を過ごすようになって、3月に入ったあたりだった。

11月下旬から、よく続いたなぁと思う。

なんとめぐるましく過ぎて行った日々のことか。


「なあ、大森ってもう大丈夫なんかな?」


「ああー、復帰してるよなー」


数学の授業中。

とはいえ授業を聞いているものは本当に稀で_悠真は一応その中の一人であるが。

前の席の男子の会話が聞こえてしまった。

___大森。誰だ?

脳内で人名辞書を繰る。

だが、出てこない。

そしてやっと気づく。

これが__彩佳の、苗字・・・?


そう思ったが、男子たちが下の名前を呼ぶことはなかった。

いや、呼んだとしても、彩佳ではないはずなのでわからないことには変わりないが。

いい加減幸運で名前くらい知るころあいだと思うのだが、悠真は相変わらず彼女の本名を知らない。

そんなに気になるのであれば、尋ねてみればいいだけなのだが、そうする勇気もない自分が恨めしい。


「あの子、めちゃくちゃたくさん薬飲んでるよな」


「大変そうだよなぁー、ほんと可哀そ、あんな可愛いのに」


「そうだよな」


会話に入りたい。

それは誰についてなのか。


単語:もう大丈夫・復帰・薬。

その単語が何を意味するのか、悠真はもう分かりかけている。

彩佳は、つまづいたり、転んだり、よろけたりすることがよくあった。

欠席の回数も多く、その理由を尋ねても、親戚の法事だったのだと言われるのだ。

なんだか怪しいなぁとは思ったものの、聞くことが躊躇われた。

悠真は強引に思考を中断する。

___そんな訳はない。彩佳は彩佳だ。



***



いつもの昼食時間。

いつもの屋上入り口前で、悠真たちはお昼ご飯を食べていた。

しかし、いつもとは違うことが一つだけ。


肩が、触れ合った。


「あ、やっ、ごめん!」

「ご、ごめんね・・・・」


少年少女は意識しあうが、離れることはなかった。

もう、距離は15センチなんかじゃない。

彩佳は、弁当を忘れてくることはもうなく、自分のお弁当箱を持参している。

悠真は相変わらずコンビニ弁当だ。


「ねえ悠くん、友達出来た?」


突然そんなことを聞かれ、悠真はとまどった。

___答えにくい。


「・・・いや、別に・・・彩佳はいいよなぁ」


「なんで?」


「だって、友達いるじゃん。前クラス覗いた時、楽しそうに喋ってたじゃん・・・」


恨みがましくそう言うと、彼女はぶんぶんと首を横に振った。


「違うよ!友達なんかじゃないよ・・・。だって・・・遠すぎるよ」


「え・・・?」


困惑すると、彩佳は笑った。


「ごめん、何でもない。_じゃあ、練習しよう!人に話しかける練習」


「・・・いや、練習なんてしても意味ないよ・・・。だって、答えてくれないんだもん」


すると、彼女の顔が急に厳しくなって。

人差し指を突き付けられる。


「なんかい話しかけたの!?まず、悠くんは話しかけてないでしょ!?」


「・・・うう・・・」


「一回二回三回無視されちゃったくらいであきらめちゃダメだって!聞こえなかったのかもよ?悠くん声小っちゃいからさぁ」


「僕としては頑張ってる方なんだけど。じゃあ、練習ってどうすればいいの?」


「うーんとね、じゃああたしを話しかけたい相手だと思って!」


「何て言えばいいのかなぁ・・・」


「なんでもいいんだよ。表情輝かせて!」


「ええ・・・」


口をとがらせながらも、悠真は楽しかった。

そのせいで、思い出すのが遅れた。

タイミングというものはどう作ればいいのか。

悠真が黙り込むと、彩佳は不思議そうにこちらを見る。

息が詰まった。

勢いで_。


「あの、さ!桜見に行かないか?もうすぐ咲くだろ?」


「さく、ら・・・?」


「ああ。まあ、まだちょっとかかるけどさ・・・でも、予約」


すると。


彩佳の瞳から、大粒の涙が零れた。


「・・・え!?」


驚きすぎて呼吸が止まる。

___自分は何か変なことを言ったのか。誘われたのが嫌だったのか。切ない。

混乱した思考を回していると、彩佳があわてたように涙を拭った。


「ご、ごめんね・・・」


「ど、どうかした?そんなに、嫌?」


恐る恐る聞くと、彼女は首を横に振り。

微笑んだ。

しかし、その瞳は濡れていた。


「きっと、行けるよ_」


「・・・あ、そ、っか。よかった、じゃあ楽しみだな」


そう言うと。

悠真の唇に、なにかあたたかいものが触れた。

それが、彩佳の唇だと気付くまでに、数秒かかった。


「・・・ふぇ・・・!?」


「・・・悠くん。あたしは、悠くんのこと、ダイスキだよ?でも、悠くんはどう思ってるの・・・?」


「あや、か・・・?」


突然のキスに混濁していた悠真は、まともな返事を返すことができず。

彩佳は、また頬に涙を滴らせ。

そして、笑った。


「__ごめんね。またあたし、悠くんのこと困らせた。ごめんね・・・」


そう言って、階段から立つと。

先に歩いて行ってしまう。

悠真は、何が起きたのか全く理解できず、その場に座りつくしていた。



その翌日、彼女彩佳は消えた。


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