第10話 夢魔と遊ぼう!

……てー、……てー、お……てー。


 暗闇の中から、なにかを感じた。それはだんだんと近づいてくる。


 おき……、お…てー、ぉきてー。


 あぁ、これは声だ。どこかで聞いたことがある。でも、なんで……。


「起きてー、起きてー」


 目をゆっくりと開く。起こされたのはわかるが、目の前にあるものがなにかを俺は理解できなかった。いつもの天井じゃない。なんだ……これ。


「あっ、起きた。おはよう、秀ちゃん」

「…………」

「あろ? 起きてるー?」

「なんでいるんだよ」


 目の前にはみやびがいた。後10センチもあれば顔がくっついてしまいそうな距離だ。寝ぼけていたら起きた表紙に頭をぶつけていたかもしれない。


「あっ、起きた。あんまり今回も時間ないから、さっさと移動したいなー。起きてくれるかなー?」

「子供扱いするなって、ったく……」


 時刻を確認すると、夜中の2時。こんな時間に起こすなんて非常識にもほどがある。だが、この状態で常識など説明してもなんの説得力もないだろう。

 みやびを10年ほど成長させた感じの、大人みやびはベットの端に座ってなにかの装置をいじっていた。本人が言うにはパラレルワールドの未来から来たみやび本人らしい。また会うことになる、とは言っていたけど、こんなに早く再開するとは思わなかった。


「なんかあるにしてもできれば朝になってからがいいんだけど……眠い」

「よしっ、できたー。朝になってからじゃ遅いんだよ。ほら手握って」

「えっ」


 差し出された手に、俺は少し戸惑った。俺が知っているみやびとは、時々手をつなぐことはあるけど(主に引きづられているだけだが)大人みやびと手をつなぐのはなぜか緊張する。


「いいから、早く!」


 そんな俺の迷いを少しも気にせず、大人みやびはいつもしているように俺の手を握った。次の瞬間、俺の体は重力を手放したように軽くなる。


「うわっ!」

「絶対に離さないでよー、離したら空間の彼方に落としちゃうからね」

「空間の彼方ってどこだよそれっ!」

「知らないー。行った人で戻ってきた人はいないからね」


 怖い話が聞こえたが、それを聞き直す暇もなく、俺の体は重力を取り戻した。真っ暗な空間だったが、大人みやびが小さなライトを取り出す。映ったのは見覚えのある机だった。


「みやびの部屋か」

「秀ちゃん、これ見て」


 ベッドの上には、今のみやびが眠っていた。暑いのかとてもだらしない寝相をしていて、はだけたパジャマが少しだけ目に悪い。しかし、大人みやびは子供の自分の恥ずかしい姿を直しもせず、みやびの手首に付いているブレスレットを見せた。

 それは、俺が大人みやびから預かり、今のみやびへとプレゼントしたものだ。ただのブレスレットではないとは思っていたけど、その通りだったらしい。ブレスレットは白い光を出し輝いていた。


「今回は時間が本当にあんまりないから、手短に話すね。今ここで寝ている私は、夢魔に夢を侵されているの」

「夢魔?」

「一般にはインキュバスとか、淫魔とも言われるけど、今回のタイプはちょっと別。文字通り夢の中に巣食う悪魔。取り付いた人に現実と見分けが付かない夢……少しだけ自分に都合のいい夢を見させて、そこで永遠を過ごさせる。つまり永遠に起きることがなくなるってこと」

「それってつまり……」

「そう。このままだと、私は朝になっても起きない。なんとか夢魔を追い出さないと危ないの。だから秀ちゃんに手伝ってもらおうと思って、このブレスレットを渡したんだよ」


 そうして輝くブレスレットを見せる。寝ているみやびは特に苦しむ様子もなく、幸せそうに寝ているのに、その夢の中でそんなことが起きているなんて信じられなかった。


「秀ちゃんを私の夢の中にこのブレスレットを経由して送るから。そこで私と接触して、目を覚まさせてあげて」

「えっ、俺がやるの? なんかハイテクな道具でどうにかできないのかよ」

「私が私に直接接触するのは、あんまり良くないの。それに、夢の中に入るんならやっぱり秀ちゃんが自然に溶け込めると思うか……ら……」


 その時、大人みやびの姿がまるでテレビの砂嵐を起こしたように歪む。


「ごめん、ちょっと急ごしらえだったから、時間切れ。秀ちゃんはブレスレットに触って集中してみて、そしたら私の夢の中に入れるから。私を起こしたら夢魔も勝手に消滅するし、なるべく自然に起こすように仕向けてみてね。それと、夢の中は秀ちゃんでもその夢の筋書きに取り込まれてしまうから、どうにか自分を保つんだよ。それじゃあ、頑張って」


 プツン、とテレビの電源を切った時のような音とともに、大人みやびは消えた。俺の戸惑いを他所に、光り輝くブレスレット。まだ頭のなかの整理が全然できていない。なにより眠いし、エアコンは付いてないから暑いし、こんな日に限って熱帯夜だし、最悪だ。

 でもそんなことより、明日、みやびが起きない方がもっと最悪だと俺は思った。

 その光り輝くブレスレットに触れる、それはほのかに暖かく、優しい光だ。俺は自然に目を閉じていた。


◇  ◇  ◇


 チャイムが鳴る。


 現国の先生は説明の途中にも関わらず、授業を止めて出て行った。


「ねぇねぇ、今日の帰り、寄り道しない?」


後 ろを振り向くと、みやびがいた。窓際の一番後ろ側がみやびの席だ。


「あぁ、いいけど。どっか行きたい場所でもあるのか?」

「なんか風変わりなクレープ屋さんができたんだってさー。なんと辛さ100倍まで選べる!」

「……クレープ屋だよな?」

「そうだよ?」


 なにかおかしな事でも? そう言いたそうに首を傾げるみやびがなにかおかしくて、俺は鞄を手に取った。

 外へ出ると少し冷たい風が吹き、俺もみやびも思わず目を瞑る。そういえばもう秋も終わりだっけ。ほとんどの木は葉が落ち始め、みやびもいつのまにか少し厚着をしていた。


「もうすぐに雪が降りますなぁ。雪虫も飛び回っていることですし」

「秋なんてもう半分冬みたいなもんだしな」


 歩きながら、俺たちはそのクレープ屋があるところまで向かう。


「あっ、けーいー!」


 その途中で、少し向こうに歩く不知火と遭遇した。みやびが走りだし、後ろから思い切り抱きしめている。でも俺は、なぜかみやびが抱きつくまでそれが不知火だと気づかなかった。俺もとりあえず二人に追いつく。


「景もクレープ食べに行くの?」

「いや、私は少し野暮用があって……秀一君、そんなまじまじと見て何か変なとこでもある?」

「あっ、悪い。んーっと……なんか違和感がな……」

「どうしたの秀ちゃん?」

「いや、ここまで出かかってるんだけど……」

「考えこんでいるところ失礼。違和感は思い出したら明日にでも言ってくれ。私は少し急ぐから、また学校で」


 そう言って不知火はさっさと行ってしまった。その後ろ姿を見て気づく。


「あぁ、そうだ。ストールがないんだ」

「ストール? 景、そんなのしてたっけ?」

「してたじゃん。忍者の証のさ」


 忍者というと、みやびは呆けた顔で俺を見つめた。すると次には笑いだす。


「忍者って! 何時の時代だよー。景が忍者なはずないじゃん! そうだったら面白いと思うけどさー」


 あれ? ……でも、いや……。


「……そうか、そうだよな。なに言ってんだ俺」

「そうそう、急に寒くなってきたからって言動まで寒くしなくてもいいんだよ! さー行こー」


 先を進むみやび。俺はその胸のもやもやが取れなかったが、すぐに気にならなくなる。

 噂のクレープ屋は、確かに甘さ100倍から辛さ100倍までの選択肢があった。近くのベンチでは辛さ100倍を試したのだろう男子学生が白目を向いて倒れていて、それを見て頼む猛者もいるようだった。


「あれ大丈夫かよ……」

「秀ちゃんも100倍いってみる? 意外と大したことないかもよ?」

「みやびが先に食うんだったらな」


 俺は普通にチョコレートブラウニーが入ったクレープ、みやびはストロベリークレープを甘さ5倍で注文していた。


「うぅ~、この甘さが五臓六腑に染み渡る……」


 男子学生はいつの間にかいなくなっていたので、ベンチに座り食べる。クレープはクイームが甘さ控えめで美味しい。甘いのが好きな人はもう少しマシてもいいかもしれないな。


「そういえば、もうすぐみやびの誕生日か。なんか欲しいもんある?」

「私の誕生日12月だよ、少し早くない? それに普通に私に聞いちゃうのは男子力が低いですねぇ……」

「うるせぇ、というかみやびの欲しいものっていつも現実的じゃねぇじゃん。勇者の剣とか、妖精とかさ」

「それはもちろん欲しい。言ってみれば会うだけでもいい!」

「だから一応聞いてるんだって」

「そうだねぇ……」


 みやびはしばらく考えこんだ。そしてお互いのクレープがなくなった頃、みやびは急に立ち上がった。


「秀ちゃんが遊んでくれれば、それでいいかな」

「……なに?」

「だから、誕生日プレゼント。秀ちゃんが遊んでくれればそれでいいよ」


 そうして、みやびは手を出す。その手を俺は自然と掴んでいた。

「そんなのでいいのか」

「うん、それでいい。その代わり、秀ちゃんが私といる限りずっとだよ」

「ずっと?」

「うん、ずっと」


 みやびはにっこりと笑った。その笑顔にはただその『ずっと』の思いが詰まっているように見えた。きっとそれが本心で、行きたい場所とか、欲しいものとか、そんなのよりも本当に欲しいものがそれなんだろう。


「私も、出来る限り秀ちゃんを暇にさせないように頑張るから」

「いや、みやびはもう少し俺を暇にさせてもいいと思う」

「残念ながら、それは運命だよ。秀ちゃんはそういう星の下に生まれてきたのさ。さて」


 そうして、みやびは走った。いつの間にかクレープの屋台は消えている。屋台どころか、ベンチも木々も、その他のお店も、地面も空も消えていて、そこは真っ白い空間だった。


「じゃあ、そろそろ起きようか!」


◇  ◇  ◇


 強い光に、目を開ける。


 時刻は6時、休みにしては早い目覚めだ。周りを見渡すとそこは自分の部屋で、今まで起きたことが現実なのか夢なのか、俺の中ではすで曖昧になっていた。

 俺はぼんやりとした頭で、現実でみやびの夢の中に入ったことを再確認し、頭を働かせる。

 大人みやびは、俺が起こさないとみやびは目覚めないと言ったはずだ。でも俺はその夢の中で、すっかり夢の筋書きに乗っ取られてしまっていた気がする。にも関わらず、みやびはその夢が、夢だとわかっているように最後は話していた。少なくとも、みやびが今日も寝続けることはないだろう、たぶん俺と同じように、今起きているという確信があった。

 大人みやびは現実に近い夢を見せると言っていたけど、その夢はこの現実と全然違った気がする。その点がいくつもあった、俺とみやびは同じクラスではないし、今の季節は夏だし、不知火は忍者ということはついこないだ判明したばかり。

 あの夢はいったいなんだったんだろう。まるで、みやびの特異体質がもともと無かったようになっている、あの夢は……。


 携帯がメールの知らせを発した。携帯を手にとる前に、メールの発信主が誰なのか、予想するのはとても簡単だった。

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