第7話 不思議なドアと遊ぼう!

「だから、そこにはここの部分を代入してだな」

「うーん……こう?」

「そうそう、それで計算してみ」


 夏休み手前、ほとんどの学生が待ちどうしい時期だと思う。だけど、そう簡単に夏休みを満喫、というわけにはなかなかいかないのも学生なのだ。夏休み前の定期試験、その対策のために、俺はみやびに勉強を教えていた。

 というのも、みやびは成績が悪い。俺達が通っている学校は赤点を取ると夏休み中でも補習があるから、みんな必死で試験に挑む。みやびもそのうちの一人だ。ただ、その方法が俺に頼るというもので、定期試験前には決まってみやびの家で俺勉強を教えることが恒例化していた。


「だー! これでどうだっ!」

「んーと……、はいもう一回ここから計算しろ」

「なんでー!」


 特にみやびは数学の点数が悪い。なぜか小さな計算間違いが多いのだ。見直しすればほとんど防げるようなミスばかりなのに、なんで出来ないのかと聞いたら、


「一度なぞった道は二度通らないぜ!」


 というびっくりの一筆書き式勉強法を提示してきた。でこピンを一発入れて考えなおさせたけど、その癖はなかなか直ってはくれない。


「じゃあ、この問題解いてみて、それで今日は最後な。俺はちょっとトイレ借りてくるから」

「えー、もう少し付き合ってよー。試験もあと少ししか時間ないんだよ! 秀一だって大丈夫なの? ヤバイって、きっと今回はヤバイよー?」

「赤点だけ取らきゃセーフだし、取らない自信あるから」

「この平均点男めー!」


 俺はさっさとやれと手を振って、みやびの部屋を出た。一階にあるトイレを借りて出ると、ちょうどみやびのお母さんと鉢合わせした。


「あら、秀一君。いつも悪いわねぇ」

「いつものことですから……でもこれであこさんが怒ることも少なくなりますし」

「そうそう、いつもより余分に牛乳でカルシウム摂取しなくても良くなるから、本当に助かるわぁ」


 俺から見たみやびの母、あこさんは、おっとりとした感じで一度も怒っているところを見たことはない。みやびの証言では、その怒った様は鬼神の如し! らしいが、そんなイメージは微塵も感じさせなかった。


「そうだ、秀一君。今日晩御飯食べていかない? メニューは新たまねぎ、新じゃが芋、新牛肉を使った名づけて極・新肉じゃがにしようと思ってるんだけど」

「いや、今日はもう帰ろうと思ってるんですよ。ちょっと家で用事があるので」

「そーう? 残念ね。じゃあ、夏休みに入ったらまた家族同士でキャンプでも行きましょ」

「そうですねー、母さんに伝えておきますよ」


 俺はそう言ってみやびの部屋に戻る。まぁ、用事っていっても見たいテレビがあるくらいなんだけど、集中して見たい時はやっぱりベストな状態でみたい。


 ……しかし、新たま、新じゃがはわかるが新牛肉ってなんだ?


◇  ◇  ◇


「みやびー、終わったかー?」


 ノートを覗き込んで、その出来をチェックすると意外にもちゃんと出来ていた。つい修正するつもりで来たので少し拍子抜けしてしまったくらいだ。


「あのね、秀一」

「ん? なんだー。俺は見たいテレビがあるからもう帰るぞー」

「えっと……、やっぱなんでもない」


 みやびが何かを言いたそうにしているのはわかった。でも、そんな大したことではないだろうと思い、みやびにちゃんと復習しておくようにと釘を刺して、みやびの部屋を出た。俺の頭の中の多くは早く帰ることを占めていたのだ。

あこさんにも帰るということで一声掛け、靴をつっかけてドアを開ける。


「……忘れ物?」


 しかし、ドアを開けたその先には、なぜか少し不機嫌そうなみやびがいた。

 その状況に、頭の処理が追いつかない。

 俺は確かに玄関の扉を開いたはずだった。その向こうは外で、薄暗い道を電灯が照らしているはずだったのだ。でも実際には、俺はまたみやびの部屋へと戻ってきていた。

 俺は扉を手で押さえたまま、後ろを確認する。そこは紛れもなくみやびの家の廊下だ。そもそもみやびの部屋の扉は襖で、横開きのはずなのに、ドアノブを捻って押し開いていること自体おかしい。

 俺は一度玄関側に戻って、ちゃんと扉を閉めた。目を擦ってもう一度扉を開けてみる……。


「……?」


 何度やっても、そこには不思議そうな目で俺を見る、みやびがいた。


◇  ◇  ◇


「いただきます」

「はい、召し上がれー」


 食卓の上には、あこさんが自信作! と言った極・新肉じゃがが置かれていた。それとサラダにご飯にお味噌汁、納豆が今日の現岡家のメニューだ。

 俺は早速その肉じゃがに手を付ける。それは自信作の通り、とても美味しかった。牛肉も新とかいう謎ワードがついていたけど、普通の牛肉っぽい。

 食べながら、俺はドアのことを考えてみる。一応、あれからみやびに協力してもらいいろいろと試したのだ。


 まずわかったことは、俺がこの家から出ようしてどこかを開けると、それは必ずみやびの部屋に繋がってしまうこと。それはドアに限らず、窓も開けた途端にその先はみやびの部屋へと景色を変えた。

 俺が開けるのが悪いのかと思い、みやびに玄関を開けてもらった。そうすると、みやびには外の景色が見えて、俺はみやびの部屋が見えるという不思議なことが起こった。そのままその扉をくぐっても、俺はみやびの部屋へ、みやびは普通に外へ出ることができ、この家は本格的に俺を外に出さないつもりらしい。

 でもこういう現象を面白がるはずのみやびが妙に大人しいことで、その考えは変わった。この家が俺を出さないわけじゃない、きっとそうさせている理由はみやびにある。肉じゃがに手を付けているみやびを盗み見る。今のみやびは妙に大人しい、その口数の少なさは、なんだがこっちの調子まで狂ってしまう。

 テレビも見たかったけど、リアルタイムでは難しいし、母さんに録画してもらうことにしよう。なんとかしてみやびの元気を取り戻してこの家を出なければ……あこさんは気にしないだろうけど、流石に高校生にもなって一晩みやびと過ごすのはいけない気がするし。


「ごちそーさま」

「ん、お粗末さまー」


 そんなことを考えているうちに、みやびはご飯を一粒残らず食べ終え、自分の部屋に戻っていってしまった。


「なんか今日は元気なさそうねー」

「そうですね」

「大人しいのはうるさくなくて良いんだけど、いつもならご飯2杯は食べるから……体調でも悪いのかしら」


 心配するとこってそこなのか。


◇  ◇  ◇


 俺も遅れて部屋に戻ると、みやびは一人で勉強机に座っていた。みやびが自主的に勉強するなんて少し気味が悪くも思えてしまう光景だ。

 しばらくその手元を見ていたけど、苦手な数学でも今の大人しモードのみやびはちゃんと考えることが出来て、ミスなく問題を解けている。俺が口出ししなくてもよさそうだ。


 もう一度窓を開ける、でもそこはみやびの部屋だ。おそらく、勉強を教えてほしいという事で俺を閉じ込めているわけじゃない。……じゃあなにが理由なんだ?


「なぁ、誕生日になんか欲しいものとかある?」


 俺は一つ、そう質問してみた。みやびの誕生日は12月だから、本当はずっと先のことだ。でも、なにかヒントが欲しい。みやびの性格はよくわかっている、何か不満があっても絶対にそれを直接口には出さない。だから遠くから、全然関係なさそうなところから、攻める。急がば回れだ。みやびの場合は回り道してその上ナメクジに乗ったような速度で進まなければすぐに道は塞がれてしまう。


 みやびはその質問には答えてくれるようだった。少しの間ペンが止まる。


「……私の名前がついた方程式とかないかなぁ」


 そういう事はまずは補習を回避してから言おうな、みやび。

 この質問は不発だったみたいだ。みやびが手に持ったペンは再び動き出す。次の質問を考えないと……。


 そう思ってふと時計を見ると、ちょうど見たいドラマが始まる時間になっていた。俺は家に電話をして録画を頼もうとするが、なぜかカバンの中がごちゃまぜになっていて携帯がなかなか出てこない。やっと携帯についているキーホルダーの感触を指の先に見つけ、引っ張ってみると、それは水晶で出来たブレスレットだった。


 そういえば大人みやびに貰ったの、渡すのすっかり忘れてた。


「みや……び?」


 ちらちらと明らかにこちらを気にする視線。手に持ったペンはくるくると円を描き、反対の手では髪をくるくると遊んでいた。多分机の上の紙は真っ黒になるだけで、そこからみやびの名前がついた方程式なんて一生生まれることはないだろう。でも、どんな方程式よりも俺の手にあるものの方がずっと重要なものだということは、そのみやびの反応で分かった。


(……これか!)


◇  ◇  ◇


「きれーい!」


 みやびの左腕にはきらきらと光を反射するブレスレットがあった。光に透かしてそれを嬉しそうに見つめている。


 おそらく、俺のバッグをひっくり返した時にでも見つけたんだろう。だから鞄の中もむりやり詰め込んだみたいになっていたのか。それになにより、自分で窓を開けて見える真ん丸の月が、そのブレスレットが正解だということを示していてくれた。


「秀ちゃんがこんなプレゼントくれるの、本当に珍しいなー。綺麗! 美しい! 高そう!」

「あーあー、すっごく高いかったから身から離すなよー」


 本当に高かった。それはお金とかじゃなく、俺の苦労代だけど。

 ドラマはもうきっと始まっているだろう。なんだかんだしているうちに家に電話をするタイミングも逃してしまって、俺はそのドラマの最終回だけを見逃したことになる。でもなんかもうどうでもよくなっていた。


 俺はいつまでも嬉しそうに笑っているみやびを、後ろに感じながら、月を見上げた。

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