第52話/表 僕なりのやり方。
「…………そんなことが、出来るのか?」
「知らん」
息を呑んで尋ねた僕に、久野はあっさりと答えた。軽々と、飄々と。
気負うことが無いというのは、久野の美点であり短所だ。何十人もに押されて破られそうになっているドアを背で押さえながらにしては、その態度は軽すぎる。
普段通りの軽薄さのまま、それでも流石に冷や汗が一筋久野の頬を流れる。
「知らんが、やるしかないだろ。お前が作る以外、道はないんだから」
「
「そうでもないさ、お前なら出来る」
気軽な御墨付きだ。
笑おうとしてふと、僕は久野の異常に気が付いた。
「根拠はある。友達として信じてるってだけじゃなく、お前には魔法が使えるっていう根拠がな。それは、俺だ。お前は俺を生き返らせたんだろ、津雲」
「久野、それは……」
額に浮かぶ汗。
無色透明のそれが頬を伝う内に徐々に色が付き始め、地面に落ちる頃には、赤く染まっていた。
一体いつからだろうか。久野の足元は、まるで血だまりだ。
「どうやら、魔法は解け始めたみたいだがな」
「どうしたんだ、怪我でもしたのかっ!?」
「来るなっ!」
思わず駆け寄ろうとした僕に、久野が鋭く叫ぶ。驚いてに足を止めた先で、久野はニヤリと笑った。「来るなよ、津雲」
「解ってるだろ、単純な話だ。十二時の鐘が鳴ったから、馬車はカボチャに戻るんだ」
「何を、言ってるんだよ……?」
「お前は優しい。けど、それ以上に合理的だ。何の意味もなく記憶を消すなんて思わなかったが……詰まりこういうことだったんだな。箱の中を覗いたら、シュレティンガーの猫は生きてられないんだよ」
久野が、自らの死を認識した時点で。或いは、僕が久野の死を意識した時点で。
友人は、
そして僕も久野も、知っている。そんなものは存在しないと。
有り得ないと理解してしまった。
信じる心がなくては、魔法は働かない。魔法は解ける、馬車はカボチャに御者はネズミに、ドレスはボロに。
死人は、死人に。
「そんな……」
「いやいや、そんなに気にすんなよ。単に元のあるべき場所に戻ったってだけさ」
「違う!」
「違わないさ。死人がそう簡単に甦るかっての、映画じゃないんだからよ」
「けど、夢だ! 僕の夢なんだろ? なら、簡単に甦ったって良いじゃないかよ!」
「ははは、その通りだが。出口も出せないお前の言うことじゃないだろ」
「笑い事じゃないだろ!」
僕は、怒った。何に怒っているのか解らないままに。
だって、夢だったんだ。
僕らを追い出した学校に、久野と一緒にくそ食らえとか言いながら。
詰まらない仕事だなんて文句を言って、映画見ながら下らないジョークで笑い合って。
金が貯まれば旅行にでも行って、見たことの無い景色に感動したり。
昔から気の多い男だった久野だから、あの子が可愛いとか言って騒ぐのだろう。その、恋の相談に乗ったりすることが、夢だったんだ。
ありきたりで、忘れてしまうくらいに平凡な日常で良い。
僕は――久野と生きたかった。
「…………俺にとってはさ、笑い事なんだよ、津雲。だって、こんなに嬉しいんだからな」
「うれ、しい?」
「だってそうだろ、死んでから八年だぜ? 八年間お前は俺の事を覚えていてくれて、生きてたらどんな風かなぁなんて想像もしてくれて、そして、甦らせてくれた。お陰で、今度はちゃんと言える。言って、死ねる」
「…………」
「ありがとう。友達になってくれて、色んな無茶に付き合ってくれて。今までの全部、本当にありがとう。
それから――生きてくれてありがとう。お前が助かったことが、お前を助けられたことが、俺は、笑いたくなるくらい嬉しいんだ」
「…………止めてくれ、君まで、僕を赦すのか?」
「何言ってんだよ」
泣きそうな顔をする僕に、笑いそうな顔で久野は言った。
「赦すも赦さないもあるか。俺は、お前を憎んだことなんて、今まで一度も無い」
久野から滴る真っ赤な汗が、久野の靴を濡らす。
赤色が染み込んで、靴が濡れ、ズボンの裾が濡れていく。赤は足の半分を覆いながら、更に上へと染み込んでいく。
「出口を創れ、津雲。子供にだって化け物が創れたんだ、お前は夢の主だろ? そのくらい、チョロいもんだろ」
「また君を見捨てて、僕は生きるのか?」
「陳腐な言い方だが、俺は、お前の心の中に生きてるさ。それに、お前。俺を誰だと思ってるんだ?」
今や、顔まで赤に呑まれながら、久野はとうとうニヤリと笑った。
片方の眉をひょいと上げて。
唇の左端をそれに続けて持ち上げて。
シニカルに、ニヒルに、君は本当に馬鹿だなとでも言うように。
まるで久野の見本みたいに、久野は笑った。
「久野悟は、友達を助けて派手に格好良く死ぬ、スーパーイケメン枠なんだぜ?」
「…………ジェフリー・ラッシュみたいに?」
「もっと若い奴居るだろ普通!」
「無理だよ。古いんだ、僕らの趣味は」
「そりゃあお前だけだよ。俺は新しいのも好きさ。スタートレックだって悪くなかったろ」
「トータルリコールは?」
「あれは別映画だから」
「…………笑える」
あぁ、笑える。
全身が赤に染まった久野は、音もなく消え失せた。元から誰も居なかったかのように、夢のように、跡形もなく。
全く、笑わせてくれる奴だ。
「イケメンは否定しないけどね。何処が派手な最期だよ」
何か決め台詞を言って死ぬのが、映画ならお決まりのパターンじゃないのか。そのシーンだけが編集され、YouTubeで何度も何度も流されるのだ。
締まらない奴だ、本当に。
ドアは、相変わらず激しく揺れている。押さえていた久野が消えた以上は、破られるのも時間の問題だろう。
僕は、そっと目を閉じた。
意識を集中し、暗闇に穴を想像する。背後の食堂の壁に突然大穴が開き、外に出られるようになると強く信じる。
やってやる、やってやるさ。
だってこれは、僕の夢なんだから。映画みたいに格好良く決めてやる。
目を開ける。取り敢えずゾンビは消えていないしドアもそのままだ。
僕は、出来る限り格好付けて振り返る。そして、ニヤリと笑った。
「…………まあ、そうだよね」
壁には穴は開かず、窓は閉じたままだった。
所詮、僕の想像力なんてこんなものだ。夢だからと何でも思う通りに出来るなら、そもそも久野を死なせたりはしない。
世界を変えられるほど、僕は凄い奴じゃない。指先一つでドアを作れるほど、選ばれし者じゃあないのだ。
「マトリックスとか、そういう映画じゃないんだよ、僕の夢なんて」
僕は、肩を竦める。
不思議な力なんて使えない。久野曰く、僕は理性的な人間なのだから。
だから。
僕は懐に入れていた手を引き抜くと、それを窓に向けた――スミス氏に渡されていた、拳銃を。
「
片方の眉をひょいと上げて。
唇の左端をそれに続けて持ち上げて。
シニカルに、ニヒルに、君は本当に馬鹿だなとでも言うように。
久野ならきっと、こうするだろうと思ったから
「穴が無いなら、開ければ良いのさ」
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