第51話/表 脱出へ。
「どうだい、久野。君の人生と僕の半生についてはそれなりに解ってもらえたかい?」
「…………」
久野は答えない。流石の久野とはいえ、自らの死を語られてはショックが強いのか。
いや――そんな生易しい性格ではない。
予想通り、久野は鋭い眼差しで僕を睨む。あぁ、それでこそ久野らしい。
「気になることが二つある。一つ目は、記憶について」
「記憶、誰の記憶だい?」
「俺のも、お前のもさ。何で二人とも、事故の記憶を無くした?」
「多分、それが僕の
僕に罪がないというのはおかしい。それが成り立つには、事故そのものが無ければ良い。
『何事もなければ久野とこうなっていた』という、僕の思いが発現したのだろう。流石にそこまで無茶な想像はできず、警察の記憶とか輸血の記憶は消えなくて、だから『事故はあったが久野は生きている』という状況を想像したのだ。
「俺の性格や見た目は、お前の想像力の賜物って訳だ」
窓ガラスに自らの顔を映して、久野はニヤリと笑った。「悪くないセンスだな」
正しく、久野が成長すればこう言うだろうという想像通りの返答である。
自身の存在がまやかしだと知らされて尚この態度。八年間僕が夢見た、久野とのやり取りそのものだ。
とは言え、それを認めるのも癪だ。僕は強がり、肩を竦める。
「身内贔屓が過ぎたね。時間は思い出を美化させるものだから」
「そうかあ? 俺の個人的な感想としては、あともう五センチは伸びてたと思うぜ?」
「髪が? それとも髭かな?」
「ふざけろ。それより、と言うことは、だ。ここは
「だと思う。少し問題はあるけど」
少女――彼方ちゃんの存在が、少々ネックだ。
あれも夢ではあるのだろうが、僕のものとは思えない。寧ろ感触としては、向こうは彼方ちゃんの
「夢がハッキングでも受けてるのか?」
「どちらかというなら
「笑えるな。子供の悪夢は厄介だぜ? 道理を知らないから、無理が通じる」
「彼女は道理を知っているよ。……知らないのは、きっと手加減だ」
「…………かもな」
僕と久野は、窓ガラスを見詰める。
久野の顔が映っていたそこは、今や赤く染まっている。
「薄く伸ばして、包み込んだかな?」
「そういうのNGって言っといたろ、監督?」
窓ガラスに、蜘蛛の巣みたいなヒビが入る。
僕は肩を竦める。
「ベテランのアドリブは、仕方無いさ」
「笑える」
僕らは笑い合うと、全力で駆け出した。
背後でガラスの割れる音が響く。全く、
これは、笑える。
『津雲さん、津雲さん?! もしかしてもしかすると、何かしましたか? 怪物Aが……』
「奴の
所長がはっと息を呑んだ。『それは詰まり……えぇ、成る程、把握しました』
「
『研究所のエントランスに。怪物Aを誘導しておきます』
「了解!」
「……ここがお前の夢なら、もう一つお前に礼を言わないとな」
全力で走りながら、僕は久野を振り返った。
やけに神妙な顔をした久野が頷く。
「何の話だよ?」
「所長さ。お前の夢ってことは、お前の創造物って訳だろ? 黒木さんみたいな美女と出会せるなんて最高だぜ。良いセンスだ」
そこで、久野は何かに気付いたらしい。
再び鋭い眼差しになって、僕のことを睨み付けた。
「まさかお前、黒木さんと付き合ってたとかじゃないだろうな?」
「止せよ」
「はっきりさせろ、津雲。あの美人さんはお前のなんだ?」
「…………それ、今じゃなきゃダメかな?」
久野の背後からは、怪物Bが迫っている。追い付かれたら、間違いなく喰われるだろう。
「夢にしては、切羽詰まってるな」
「僕の夢じゃないからね。喰われたらどうなるか解らないよ」
「解った、後でな」
そう言うと、久野は大股で僕を追い抜いた。
「行くぜ津雲! 研究所だ!!」
「待てよ久野、っくそ!」
振り返ると、怪物Bは結構後ろを這っている。思ったよりも、遅い。
「圧力って知らないか? 液体が素早く動くには、圧力が鍵だ。あんなに広がってたら、直ぐには動けないさ」
「夢にしてはリアルだね」
「それに、小規模だよな。百人分の血液にしては少ない。子供の想像力なんて、そんなものかもな」
ははは、と笑う久野に、僕は愛想笑いを返した。
僕は記憶を取り戻したのだ。悪夢の主たる彼方ちゃんの事も、当然思い出している。
あの子は、天才だった。一般的な子供の
そしてやはり、そんなことは有り得なかったらしい。
階段を駆け降りて、寮の玄関に到着したときに僕らは理解した。
「あー、成る程ね。百人分の血液にしちゃ少ないなと思ったら、五十人分くらいだったかな?」
辿り着いた玄関の向こうには、何十人もの死体が立ち尽くしていた。
僕らを追わせていたのは血液のほんの一部で、残りはこうして、待ち伏せに使ったわけか。
「彼方ちゃんとやらは、結構空気読めないタイプ?」
「そうかもね」
背後からは血液、前方にはゾンビ五十体。
子供の悪夢にしては計画的で、子供らしく無慈悲だ。
「さてどうする?」
「裏口に回るぞ、急げ!」
「裏口って……そんなのあったか?」
駆け出した久野に続いて、玄関とは逆、食堂に向かう。その先には、例の排水口とキッチンしかない筈だが。
ちらり、と背後を見ると、ゾンビたちがわらわらと集まってきていた。
「ゾンビって言えば、お前どっち派?」
「今聞く? 今なら走らない方一択だよ!」
「普段は?」
久野は振り返らない。「お前が夢に見るのはどっちだ?」
僕は答えない。その必要がないからだ。
何せドドドドドと、背後から、地響きみたいな足音が追ってきているのだから。
「さってと、着いたぞ津雲!」
「みたいだね、それで? 裏口とやらは何処にあるんだい?」
死体の山が無くなった食堂は、やけにがらんとしていた。
普段食事の時にしか来ないから、こうした無人のタイミングは初めてだ。案外広いんだなと、僕は今更ながら思った。
広くて、そして行き止まりだ。
僕の記憶が確かなら、この建物に裏口は無い。僕は地図を覚えるのは得意なのだ。
「お前からは見えないとこさ」
「だから、それは何処だよ? 今君とクイズ大会している場合じゃないんだ」
久野はドアを閉めると、椅子をつっかえ棒にして封鎖した。
次の瞬間ドアが轟音と共に大きくたわむ。久野は慌ててそれを背で押さえ込んだ。
そして、ニヤリと笑った。
「いよいよ追い詰められたな」
「そうだね、それで?」
「…………久野、忘れたのか馬鹿。ここは、何処だ?」
食堂だ。黒木研究所の、職員寮の一室。まあ現実にはそんなものはなく、全ては僕の夢だったわけだが。
そこまで考えて、僕はハッと気が付いた。
「ここは、夢の中か」
「そうだよ。そして、ってことは、だ。お前が想像したことが現実になる。出口はお前の頭の中だ、津雲」
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